U112.宮之浦岳縦走

1.動 機
宮之浦岳(1935m)は九州最高峰で久弥の百名山だというが、九州の南・屋久島にあって、いかにも遠方でアクセスも容易ではないので、我家の計画には入っていなかった。ところが、水戸アルパインの特別企画として、開聞岳と一緒にして計画されたので大喜びで参加して、いつもの仲間と楽しく歩いて来た。コースは淀川登山口から歩き始めて、淀川小屋と新高塚小屋とに泊まって、白谷雲水峡に抜ける縦走路だった。ひと月に35日雨が降ると言われる屋久島で雨にもあわず、宮之浦岳のほか永田岳にも登頂することができ、縄文杉など沢山の屋久杉にもお目にかかってきた。
(ガスの宮之浦岳山頂にて)


2.データ
a)山域:宮之浦岳(1935m)、永田岳(1886m)
b)登山日:2007/11/10(土)曇後晴、11/11(日)曇、11/12(月)晴
c)コースタイム:

(宮之浦岳縦走ルート)

11月10日:日立自宅 3:50 = 4:00 日立電鉄南営業所 4:25 = 5:50 水戸IC = 6:30 守谷SA 6:40 = 8:00羽田空港(朝食)9:20 = 11:05 鹿児島空港(昼食)12:50 =13:20屋久島空港13:40=13:50タクシ会社14:00=14:40紀元杉14:45= 14:50 淀川登山口15:00 ---- 15:35 淀川小屋(泊)
11月11日:淀川小屋 5:40 ---- 7:20 小花之江河7:25 ---- 7:35 花之江河 7:50 ---- 8:05 黒味岳分岐 ---- 8:30 投石平(昼食)8:55 ---- 10:10 栗生岳 10:15 ---- 10:30 宮之浦岳 10:55 ---- 11:15 焼野三叉路 11:25---- 12:15 永田岳 12:25 ---- 13:20 焼野三叉路 13:35 ---- 14:20 平石14:30 ---- 14:40 第二展望台 15:25 = 15:45 第一展望台 = 新高塚小屋(泊)
11月12日:新高塚小屋 5:50 ---- 7:00 高塚小屋 7:20 ---- 7:25 縄文杉 7:40 ---- 8:15 夫婦杉 ---- 8:20 大王杉 ---- 9:00 ウイルソン株 9:20---- 9:25 翁杉----9:40大株歩道入口(トロッコ道始まり)---- 10:0 0仁王杉 ---- 10:35 三代杉 ---- 10:40 楠道分岐 10:55 ---- 11:40 辻峠 11:45 ---- 11:55 タイコ岩 12:05 ---- 12:25 辻峠 ---- 13:05 白谷山荘跡 ----(白谷雲水峡)---- 13:50 楠川歩道入口 13:55 = 14:15 観光センタ(昼食)15:00 ---- 15:10 宮之浦港 15:45 = 17:55 指宿港 18:00 = 18:10 指宿シーサイドホテル(泊)
d)同行者:水戸アルパイン会員(男9、女8)、和子
e)地形図:1/25000 「宮之浦岳」「永田岳」「尾之間」

3.山行記録
1日目:3時過ぎに起床すると外は雨だった。今日のバスは北営業所発車で5分の遅れ、東海、那珂、水戸と仲間が乗り込んできたが、最終の水戸ドライブインでは30分の遅れになっていた。雨の中を待っている人には気の毒だった。
19人全員が乗り込んで水戸ICで高速に乗るとバスは快調に走るようになり、守谷SAで休憩して羽田に着く頃には遅れを取り戻していた。空港で朝食をとり、9時20分発のJALに乗って鹿児島に向かった。東日本は雲が厚く富士山も見ないで飛んだが、四国を過ぎる頃からやっと視界が晴れてきて石鎚山を見ることが出来、鹿児島空港に11時半に着陸した。
空港で霧島連峰を眺めながら昼食をとってから屋久島行きのプロペラ機で飛び立つと、眼下に桜島が見え始め、帰りに登る予定の開聞岳も見えて嬉しくなった。やがて馬毛島、種子島、屋久島と見えてきて、低空を飛ぶプロペラ機はなかなか楽しい。
(桜島)
(帰りに登る予定の開聞岳)

13時20分に屋久島空港に到着して待っていた5台のタクシに分乗し、途中タクシー会社の営業所に縦走用以外の荷物を預け、登山の身支度を整えてから淀川登山口に向かった。乗ったタクシの運転手さんは屋久島の山を随分と登っているようで、花や展望の写真が一杯入っているアルバムを見せてくれた。林道を走る車窓から見える山々は幾重にも重なり、奥深い南アルプスの林道を走っているような錯覚さえ覚える程だった。
運転手さんは話も上手で、くねくね道を走りながらも話の途切れることがなかった。@空港から見えた山々は表岳と言い、右の尖った山が愛子岳で初冠雪の指標になっている。空港脇の気象台から双眼鏡で観察している。A宮之浦岳縦走するなら黒味岳にも登って南側からの展望も堪能して欲しい。永田岳にも登るのでは無理かな。B宮之浦岳に登る一番いい時期は5月20日ごろ、シャクナゲなどの花がいっぱい咲いていて、天気も安定している。C屋久鹿と屋久猿とは一緒にいることが多い。猿は塩分を取るために潮風に当たった木の葉を食べる。鹿はその下で落ちてくる木の葉を食べている。D屋久島は岩の島、その上に赤土が乗っただけの痩せた土地なので、杉も成長が遅い。年輪が密になって腐りにくいので長生きする。E屋久杉の老木は幹がねじれている。葉のねじれの遺伝子が枝を通って幹へと伝わる。幹にまで達するのには300年かかるので、内地ではあまり見られないだろう。つむじを同じように右巻き、左巻きどちらもある。F宮之浦岳の標高は昔は1934mだったが、今は1936mだ。そのかわり、三角点脇の一番高い岩の上に登らないと駄目だよ。
話を聞いているうちに、紀元杉のところに着いて停車した。他にも車が停まっていて、大勢が見物していた。我家も初めて見る屋久杉に圧倒されながら紀元杉の周りを一周した。
(屋久島空港・右端が愛子岳)
(紀元杉に臨時停車)

淀川登山口は紀元杉からすぐだった。余り広くない駐車場に、下山者を迎えに来たバスが入ってきたりで、車のやりくりが大変だった。
すぐに標識脇の階段を登って登山道に入った。杉の多い森の中、手入れのいい登山道だった。中には、幹がねじれた300年以上の老木もあった。
(標高1370mの淀川登山口)
(鬱蒼とした森を歩く)

登山口から35分で淀川小屋に着いた。頑丈な作りで、中は清潔で気持ちよく、2段になっていて19人ゆっくりとした寝場所も確保できた。トイレが少し離れたところに一人用一つだけなのが玉に瑕というところだった。
少し先に行ってみると鉄の橋があり、ここからすぐに急登になることを確認した。下の川の流れは濁り一つなく、底まで綺麗に透き通っていた。
(一日目は淀川小屋泊)
(小屋前を流れる綺麗な淀川)

小屋の裏の沢を流れる水が綺麗で、水場になっていた。美味しい水で、明日の行動用の水を確保し、夕食用の水も汲んできて小屋前のベランダで夕餉を作って賑やかに楽しくいただいた。
夜になると空は満天の星空になった。普通オリオン座は三ツ星が目立ってすぐに分かるのだが、ここでは他の星まで明るく光っているので、見つけるのに戸惑う。泊まる登山者が少なく、寝場所がゆっくりしているのは良いのだが、防寒着を着込んでシュラフに潜り込んでも寒さがこたえた。外にあった寒暖計では、夕方は12℃あったが、放射冷却で夜には4℃まで下がっていた。
(美味しい沢の水)
(夕食準備)

2日目:今日は宮之浦岳に登り、永田岳に寄り道して新高塚小屋まで歩くので早立ちだ。4時に起床、朝食を作って食べて、5時40分に出発した。はじめはヘッドランプを頼りに急坂を登っていくので、周りの様子がよく分からなかったが、6時半ごろ陽が登ってくると、捻じ曲がった屋久杉に陽が当たって綺麗になった。
(ヘッドランプで出発)
(朝日に映える屋久杉)

屋久島の山には、どの山にも大石が乗っている。はじめに見え始めた高盤山の山頂には「とうふ岩」があり、その名の通りすっぱり切ったような豆腐に見えて面白かった。
時々木陰に小さな屋久鹿が入るのが見つかり、その度に女性陣は立ち止まって「可愛い!こっち向いて」とシャッタを向ける。お猿さんも見えたが、動きが早くてシャッタを押すチャンスはなかった。
(高盤岳のとうふ岩)
(あちこちに屋久鹿出現)

1時間半ばかり歩いて小花之江河という湿原に着いた。緑の中に白い老木の幹が映え、その上に高盤山もみえて美しい景色だった。
続いて花之江河に着き、一休みして集合写真を撮った。この湿原も綺麗な湿原で、向かいに黒味岳の岩山がガスで見え隠れしていた。ここは淀川歩道・栗生歩道・湯泊歩道・安房登山道・宮之浦歩道の合流点、宮之浦岳方向に向かって歩いた。
(小花之江河)
(花之江河)

すぐに黒味岳の分岐だったが、無視して真っ直ぐ進むと投石湿原の表示があり、そこから岩の間を登っていくと大きな平らな石が敷き詰められたような峠に着いた。投石平というところらしいが、ガス交じりの風が強くて寒くてたまらない。岩陰に身を沈めてお八つを食べながら休憩した。
(ガスと強風の投石平)
(強風を避けながら一休み)

投石平から少し降って、時々ガスの切れ間からうかがえる安房岳、翁岳の岩山を眺めながら左斜面を巻きながら登り下りして翁水場を過ぎると、目の前に大きな岩の重なる山が現れた。これに向かって登っていくと、そこに「くりお岳」の表示があり、岩の下が洞になっていて小さな社があった。
(翁岳を巻く登山道)
(巨岩のくりお岳)

足の進まなくなって遅れ気味の三人と面倒見のサブリーダがまだ追いついてこない。目の前に、岩と屋久笹の山があり目指す宮之浦岳への登山道がはっきりと見えており、4人を待たないで出発し、これを一気に登って10時30分に宮之浦岳の山頂に到着した。山頂からは360°の大展望と言いたいところだが、今日はガスで何も見えない。一等三角点にタッチして、山頂標の前で集合写真と証拠写真を撮った。タクシの運転手さんのご推奨通りに大岩の上に上がって万歳の写真も撮った。しばらく待ったが、ガスは晴れることなく永田岳さえも見えないので諦めて先に進んだ。山頂近くのシャクナゲの木にはふっくらと膨れた蕾が沢山ついていたが、初夏には綺麗な花が一面に開くのだろう。
(大石転がる笹原の登山道)
(宮之浦岳山頂)

永田岳への分岐点の焼野三叉路まで150m下って、ここにザックをデポして空身で永田岳に向かった。「視界が利かないのでは面白くない。永田岳には登りたくない」とおっしゃる男性3人には、今夜の小屋の場所取りのために先に新高塚小屋に向かってもらった。永田岳へははじめ少し下って、何度か小さな上り下りしたが、最後は急登になった。登山道は殆ど屋久笹の道で、ところどころ落とし穴のように掘れ込んだところがあったり、隠れた石があったり、苦戦しながら歩いた。最後のロープの岩場を登りきると大岩の上の山頂だった。
(永田岳への屋久笹茂る登山道)
(最後はロープの岩場)

永田岳山頂でも相変わらずガスで視界は利かず、風も強くて寒いので、めいめいの証拠写真と集合写真を撮ってそそくさと下山にかかった。
(永田岳山頂)
(永田岳山頂まで頑張った女性陣)

焼野三叉路まで引き返すと、遅れていた4人からの「12時過ぎにここを通過した」との書き置きあり安心する。ここから新高塚小屋までの下りはところどころ岩や根っこ道になったりしたが、良く整備されており概して歩きやすかった。
最後までガスで視界が利かず風も強くて冷たかった。第ニ展望台や第一展望台からも宮之浦岳の山容は拝むことが出来ず、今回は山頂まで登ったのに、山の形は最後まで見ず終いになってしまった。
(大岩の脇をすり抜ける)
(第一展望台も視界なし)

急坂には45°の勾配で作られた頑丈な木の階段が設置されていて助かったが、結構高度感のあるところもあり、風が強い時には手すりがないので吹き飛ばされそうになって立ち止まることもあった。
新高塚小屋に着くと、到着済みの先行の3人と遅れていた4人の出迎えを受けた。小屋の中は60人定員ほぼ一杯の状況で互い違いにシュラフを並べる状況だったが、先行の男性の頑張りのお陰で纏まった場所に陣取ることが出来た。少し遅れて到着した7人の団体さんは入口の板の間と土間、一人は外のベンチで寝ていたが、混雑が予想される避難小屋にテント無しで来るのは少々問題かもしれない。
テーブルがベランダと戸外にあり、水場がすぐ傍にあって夕食や朝食の自炊に便利だった。小屋の傍のテント場も板敷きになっていて快適そうだった。問題のトイレはここでも一人用が一つだけ、常時行列が出来ていた。
満員で少し窮屈だったが、人いきれで室内は暖かく、朝までぐっすりと眠ることが出来た。
(登山道整備の45°階段)
(新高塚小屋)

3日目:船便に間に合わせなければならないので、今日もヘッドランプを点けての早立ちだ。暗い中でも大きな木が立ち並んでいるのが伺えた。1時間も下って着いた高塚小屋の手前には展望台があり、周りにはヒメシャラの赤い幹や苔むした岩が霧に霞んで良い雰囲気だった。高塚小屋の中を覗かせてもらったが、小さなこの小屋も満員の状況だった。
高塚小屋から200mほどで縄文杉に着く。保護のため木の周りには立ち入る事ができないように囲ってあるが、周囲16m・樹高30mという縄文杉の大きさは十分に実感出来る。集合写真や証拠写真を撮り、角度を変えながら何回もシャッタを押した。
縄文杉を心行くまで眺めてから次に向かった。階段を下りるとすぐ脇に名水が流れ出ていて、「飲めば7200年長生きするかも」と言いながらみんなボトルの水を入れ替えた。
(3日目もヘッドランプで出発)

(周りの雰囲気が良い高塚小屋)
(やっはり大きかった縄文杉)

縄文杉からトロッコ道までの2.5kmの下りは大株歩道というらしいが、大部分が木道や木の階段で整備されている。歩きやすくはしてあるのだが、なにしろ急坂がどこまでも続く。そろそろ下から登ってくるグループと出会うようになり、「我々は下りだから助かったが、これを登ってくるのはごめんだね」と話しながら下った。遅れ気味の3人とサブリーダにはゆっくり歩いてもらうことにして先を急いだ。リーダが飛ばすので、下りなのに汗をかいてきた。
坂の途中には、一本の枝で互いに繋がっている夫婦杉や、堂々と立っている大王杉など大きな屋久杉が何本も立っていて目を楽しませてくれた。
(お手手繋いだ夫婦杉)
(立派な大王杉)

木道や階段をどんどん下っていくと、今度はウイルソン株に到着。かつて豊臣秀吉に献上するために切られた切り株だとのことだが、その脇から樹齢300年の2本の大杉が育っている。生きていればどんな大杉だったのだろうか。
ウイルソン株の空洞になっていて勿論中に入ってみる。そこには小さな祠が祭られており、切り株の天井部分は穴が開いていて、その形がハートマークになっているのが女性陣のお気に入りだった。
(ウイルソン株前)
(ハートマークの天井窓)

ここからの下りでは、対向する登山者(観光客?)と頻繁に出会うようになった。あごを出しながら、ガイドに「こんな急なところがまだあるのですか?」との泣き声も聞こえてきた。翁杉という立派な屋久杉を過ぎると、線路のある道が見えてきた。
下りたところが大株歩道の始点で橋になっており、上流側に二股に流れ落ちる綺麗な滝があった。橋を渡って見ると、そこがトロッコ線路の終点で車庫のような建物があった。
ここから楠川の分れまで、北沢沿いの4km近くのトロッコ道を急ぎ足で歩いた。線路の枕木を拾いながら歩くのかと覚悟していたら、滑り止めを切った板を敷いてあったので歩きやすく助かった。途中には、川向こうに翁岳や石塚山を眺める展望所があったり、株の上に次々次世代が育っている三代杉があったり、退屈させなかった。
楠川の分れで一休みしてからは、トロッコ道から分かれて辻峠に向かっての登りになった。様相は一変して苔むした石の坂道になり、平らな道に慣れた足には少々きつかった。
(トロッコ道)
(楠川分岐から苔の道)

45分登った辻峠にザックをデポして、タイコ岩までの周回路を歩くことにした。タイコ岩は山頂に乗った大岩なので、展望抜群だった。歩いて来た北沢や南沢、その上の石塚山など枯れた屋久杉と一緒に良い眺めだった。辻峠に下る道では曲がりくねった根っこが絡まる奇妙な木が沢山見られた。
(タイコ岩からの展望)

辻峠に下りると、4人はタイコ岩をパスして先に行っていた。ここから下り道では、苔むした古木が多くなり、もののけ姫の世界になってきた。カメラポイントに事欠かない。
(奇木)
(もののけ姫の谷)

太い根っこが二股に分かれた「くぐり杉」を潜って、沢を渡渉してからは、左下に楠川の清流が見えるようになった。残念ながら樹木が茂っていて写真にはならなかったが---。さつき橋という吊橋で左岸に渡ってからは楠川歩道という石を敷き詰めた遊歩道になり、白谷雲水峡の清流を間近に眺めることが出来るようになった。専門ガイドの自然環境についての説明を熱心に聴きながら歩く観光客も多く見られた。
(杉の股下を潜る)
(さつき吊橋を渡って白谷雲水峡へ)

吊橋を渡ってすぐのところから弥生杉への分岐があったが、立派な杉をもう十分に見た後なので、そのまま雲水峡を歩いて下った。綺麗な水の流れはどこまでも清らかで気持ちよく、岩を食むいくつもの滝も美しかった。
(白谷雲水峡には綺麗な流れや滝が続く)

雲水峡入口には、一昨日の5台のタクシーが待っており、これに分乗して宮之浦港の屋久島観光センタまで下った。一昨日タクシー会社に預けた荷物はここまで運んであった。用意されていた屋久島名物の瀬飯定食(海の幸と山の幸の炊き込みご飯、飛び魚の焼魚、なんとかイカのあまい刺身、首折れ鯖に切り身、飛び魚の薩摩揚げ、屋久島式おみそ汁、など)を美味しく頂いて屋久島満足の仕上げをした。
観光センタから港まで歩いて、種子島経由指宿までの高速艇トッピーに乗った。船からは窓越しに東シナ海に沈む日没を拝み、夕焼けをバックに浮かぶ明日登る開門岳を眺めながらの船旅を楽しんだ。
(指宿へのトッピーからの夕日)
(指宿へのトッピーからの開聞岳)

指宿港にはバスが待っていて、指宿シーサイドホテルまで運んでくれた。温泉に入って汗を流し、宴会場で豪華な夕食とアルコールをいただき、久しぶりに気持ちの良い布団の中で深い眠りについた。



inserted by FC2 system