V23.笠間四低山ピークハント
(富士山・石倉山・金毘羅山・鐘転山)

1.動 機
冬季の間は、もっぱら雪の少ない茨城の低山を漁って歩く。年始めに加賀田山−難台山コースを歩いた時に、館岸山あたりから見えた金毘羅山が格好が良く、「四国に行かなくても金毘羅参りができる」という仲間の冗談が頭に残っており、この金毘羅山に登ってみることにした。この山だけでは時間が余るので、地図を眺めて近くにまだ登ったことがない富士山、石倉山、鐘転山を見つけて一緒に登ることにした。

2.データ
a)山域:富士山(128m)、石倉山(129m)、金毘羅山(228m)、鐘転山(218m)
b)登山日:2008/02/13(水)晴
c)コースタイム:
日立自宅 8:45 = 8:55 日立南IC = 9:20 友部IC = 9:30 栗園 9:45 ---- 10:00 祠山 10:05 ---- 10:20 富士山 10:25 ---- 10:50 栗園 10:55 = 11:00 宍戸CC路側 11:05---- 11:10 石倉山 ---- 11:30 奥の山 ---- 11:40 ゴルフコース ---- 11:55 石倉山12:00 ---- 12:05 宍戸CC路側(昼食)12:30 ---- 12:50 金毘羅山13:00 ---- 13:15 宍戸CC路側 13:25 = 13:35 隠沢観音手前路側 13:40 ---- 13:50 隠沢観音 ---- 14:00 十二所権現 ---- 14:15 鐘転山 14:25 ---- 14:35 林道分岐 ---- 14:55 龍泉院 ---- 15:05 山根下池 ---- 15:35 隠沢観音手前路側 15:50 = 17:30 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「岩間」
(三山歩行ルート)


3.山行記録
寒い朝が続いていつものように朝寝坊し、日立南ICに通勤割引ぎりぎりに走りこんだ。常磐道から関東道に入ってすぐの友部ICでR355の宍戸バイパスに下りて、北関東道の交差する近くまで引き返して生活道路を西に入った。
1)富士山
適当な駐車場所が見つからず、高速道をくぐって少し奥に入った川沿いの栗園に駐車場所を見つけて駐車させてもらった。身支度を整えて高速道まで引き返し、高速道沿いに南下すると高速道と国道に挟まれた狭い土地に真新しい神社があった。お参りは後にして、そのまま南下して峠のところで山道への分岐を見つけたが、そこでは男性が犬を離して遊ばせていた。犬を苦手とする我家は逃げるようにそのまま南下して、R355に出て10mも南下したところに鎖のゲートのある舗装された道路を見つけた。これが正規の破線の道かと思ったが、それはアンテナ塔専用の道で、舗装道はすぐになくなった。沢道の先で右の山への踏跡を辿るとすぐに先ほどの犬の分岐からの道と思われる山道に合流した。
(熊野神社)
(アンテナ塔から歩き始め)

やがて山道は植林に入ったところで不明瞭になり、高みに向かって藪を漕いでいくと刈り払われたピークに出た。土地の由緒ある山と思われ注連縄で飾られた二つの石の祠があり、樹間からは富士山の山容がわずかにうかがえた。
一休みして植林に向かって下ると、またはっきりとした山道に出合った。
(祠のピーク)
(はっきりとした登山道)

歩きやすい道を登っていくと、壊れた石の祠と三等三角点のある富士山の山頂だった。山頂には屋根つきの円筒型の大きな鉄板製の入れ物があったが何のための設備だろうか。その前からは水戸のビル街や県庁の建物が見えていた。
三角点の前で証拠写真を撮って下山にかかった。下りは祠の山にも寄らずに高速道まで山道を忠実に辿った。出たところはやはり犬が遊んでいた分岐点だった。駐車場に戻る前に、高速道と国道の間に入り込んで神社にお参りした。記念碑によると以前は荒地区にあった天正2年建立の熊野神社を、平成10年高速道建設を期に加賀田部落の氏子達で再建されたらしい。
(山頂の祠と構築物)
(富士山の三角点)

2)石倉山
コースタイム(再掲)
宍戸CC路側 11:05---- 11:10 石倉山 ---- 11:30 奥の山 ---- 11:40 ゴルフコース ---- 11:55 石倉山12:00 ---- 12:05 宍戸CC路側

熊野神社のお参りをすませ、栗林の車に戻ってR355を南下して宍戸ゴルフ場の中の車道に入り、右に1本、左に2本の林道が分岐する峠の所まで走って路側に駐車した。
右手の林道には金網のゲートがあるが開いていた。これを通って何度かカーブしながら登っていくと、後ろにこのあとで登る金毘羅山や加賀田山が見え始めた。林道の突き当たりの・129mの石倉山と思われるところまで歩くと、そこは広く平に整地されて、雑多な廃棄物があちこちに山と積まれていた。一台のトラックが上がってきて、枝落しの雑木の山を落としていた。
これを石倉山というには余りに酷い惨状なので、北西の尾根上にある同じ高さのピークまで足を伸ばしてみることにした。林道を歩きはじめると、くだんのトラックを運転していた青年が追いかけてきて「どこへ行くの?これから先はゴルフ場に下りるだけで、山には登れないよ」と注意してくれた。年寄り夫婦が危なっかしく見えて心配になったようなのだが、この先の山も登る価値はなかったので、結果的には大人しくお言葉に従った方が良かった。
(林道を登る)
(山頂は廃棄物置場)

左手の山に登る地点を探しながらしばらく林道を歩いたが、全体に厚い笹薮に覆われていて踏み込む気になれない。林道が右にカーブしながら下り始めるところで笹薮が薄くなり、わずかな踏跡を見つけて入り込んだ。藪の薄いところを狙ってひたすら高みを狙って登っていったが、山頂は平でどこが山頂か定かではない。石倉山を示す何物もあるはずもなく、少し下り始めるところまで藪を漕いで、これでどこが石倉山の山頂であろうと、確実に石倉山を踏破したということにして下山することにした。
下山は藪の往路を戻る気もしなくて、斜面を適当に下ればさっきの林道に出るだろうと思って歩き始めたが、一向に林道には出会わず、これまで以上の藪漕ぎが続いた。降り立ったところはゴルフ場の池のほとりだった。プレーヤーがいたら危ないし叱られそうだが、幸いにもどこにも人の気配がない。そのまま芝生の上に出て、ゴルフ場の中の道を気持ちよく歩いて、適当なところから129mの廃棄物処分場に戻った。」
(奥の藪山も探検)
(ゴルフ場に下った)

処分場の中ほどの少し高くなったところが金網で囲ってあり、中がヘリポートになっていた。門扉が空いていたので入り込んでみると、館岸山、金毘羅山、加賀田山、更にその右に加波山あたりが綺麗に見渡せ、石倉山一番の展望所だった。展望を楽しみ、シャッタを押してから車に戻って昼食を取った。
(ヘリポートからの展望)

3)金毘羅山
コースタイム(再掲)
宍戸CC路側(昼食)12:30 ---- 12:50 金毘羅山13:00 ---- 13:15 宍戸CC路側

昼食後、次に登る山は、車道の反対側の金毘羅山だ。こちら方向には2本の林道が分かれおり、右側の道には南山内林道と書いた石碑が立っているが、ゲートが閉まっており地形図でも金毘羅山には近付かない。左の林道が金毘羅山を通過している破線の道かと思って歩き始めたが、しばらく歩いても山に登っていく様子はない。100mほど歩いたところに右に分かれる細い林道があり、ロープで仕切られていたが、金毘羅山に向かいそうなので入り込んだ。
この林道は最近は使われていないようで藪っぽくなっており、一部ぬかるんだところもあったが、しばらく登っていくとはっきりとした登山道に合流した。この登山道には赤いペンキを塗った木柱と標石が等間隔に出てきて良く手入れされており、山頂まで気分よく歩くことができた。これが破線の道だった。
(古い林道を登る)
(途中から境界杭の道)

山頂まで登ると小さな四等三角点があり、近くの木にカワスミさんの山名板が取り付けてあった。周りは木立に囲まれていたが、樹間から加波山山塊や富谷山を眺めることが出来た。ここからさらに館岸山まで足を伸ばすのも面白いコースなのかも知れないが、今日は引き返すしかない。
下りは境界杭の道をどんどん下ると、登りで入り込んだ林道と駐車場所の中間辺りに飛び出した。丁度通りかかった軽トラのおじさんが変な夫婦が出てきたと怪訝そうな顔をしながら通り過ぎていった。駐車場所に戻って、車で次の鐘転山登山口に向かった。
(山頂からの展望)
(金毘羅山山頂)

4)鐘転山
鐘転山には三本の破線の道が通じているが、隠沢観音から登って龍泉院に下りることにした。ナビに隠沢観音を指定して車を走らせると、R355から右の地方道に曲がり、何度か角を曲がって行くと鐘転山が目の前に見えるようになり、隠沢観音の一つ前の交差点からはさらに細い道になった。丁度一台の車がここまで行って方向変換をして引き返してきたので、我々もここの交差点から先に車を進めるのを止めにして小さなスペースに車を停めた。
コースタイム(再掲)
隠沢観音手前路側 13:40 ---- 13:50 隠沢観音 ---- 14:00 十二所権現 ---- 14:15 鐘転山 14:25 ---- 14:35 林道分岐 ---- 14:55 龍泉院 ---- 15:05 山根下池 ---- 15:35 隠沢観音手前路側
(鐘転山歩行ルート)

細い生活道路を数軒の民家を通り過ぎて隠沢観音の石段前まで歩くと、ここには広い駐車場があった。案内板で隠れ沢観音の由来を勉強して石段を登って見る観音堂はなかなか格式のありそうな作りだった。鐘を鳴らしてお参りして、格子越に覗いてみた平安時代の作という十一面観世音菩薩像もありがたそうな姿をされていた。
(隠沢観音が登山口)
(隠沢観音)

観音堂の左から登山道が始まった。「鐘転山山頂まで450m」と書いた手書きの道標があり、この手書きの道標は山頂まで50mごとに立っていたが、結構きついのぼりだったので励みになった。
観音堂の裏の急斜面は竹の手すりもつけられたジグザグの道が作ってあったが、「滑りやすいので注意」「イノシシの罠があるので立ち入り禁止」「ゆっくり歩こう」などたくさんの注意札が立っていた。
(50mごとに手書きの道標)
(整備された登山道)

急坂を登ると小さな岩の前に十二所権現の立札が立っていた。その先でアンテナの峰に立ち寄れるかと思っていたが、藪道のように見え、今日はもう藪漕ぎは沢山だという和子にNOが出てパスした。
再び急登になり、樹林の中のジグザグの登山道をゆっくりと登った。
(十二所権現)
(ジグザグの急登)

山頂に登りつくと、南が開けていて関東平野の展望が広がっていたが、平野の土地勘はなく、樹間に見える筑波山や愛宕山の方に目がいった。愛宕山や難台山へのハイキングルート、採石のために削滅したと言われる泉城跡の説明板などがいろいろと並んでおり、鐘転山の山名板も何枚もあり、土地の大事なハイキングルートになっている様子が伺えた。
(愛宕山)
(鐘転山山頂名板)

展望したり勉強したり、ゆっくりと休んでから下山にかかった。愛宕山に向かう道は整備されたハイキング道、気持ちよく歩いたが、どこまで行っても「山根下池へ」の道標は愛宕山方向を示しており、破線の道への分岐は現れなかった。
ついに舗装された林道がヘヤピンで曲がるところまで来てしまったが、この合流点にも「山根下池へ」は舗装道の下り方向を示していた。この舗装道を下るのがハイキングルートであることに気がついたが、龍泉院から隠れ沢観音までの車道歩きが待っているので、この長い車道下りはごめんだ。車道を少し下ったところで舗装道から外れて尾根に踏み込んで破線の道に戻ってみることにした。
尾根を少し下ったところに細いトラバース道を見つけて破線の道に向かって歩くと、同じことを考えた人は外にもいたようで数人の靴跡が残っていた。谷間までトラバースしたが、破線の道らしき道は見つからなかった。強いて見ればシダや潅木に覆われた下になんとなく道らしきものが伺われた。これを下っていくとだんだんと道らしくなってきたが、どこまで下っても一面のシダに覆われたままだった。破線の道はすでに廃道になっているようだった。
(山根下池への林道)
(破線の道は藪化)

平地まで下ると、まず端正なたたずまいの龍泉院だった。真新しい鐘撞き堂や多くのお墓が並んでいた。お寺のすぐ下で舗装道のハイキング道と合流してすぐに山根下池の畔に着いた。満々と蓄えられた水面に愛宕山を写していた。。
(龍泉寺)
(山根下池から愛宕山)

後は隠沢観音の駐車場所まで集落の中を30分車道歩きをしたが、道中、紅梅やロウバイなどの早春の花が咲いていたり、立派な門構えの藁屋根の民家があったり、大きな楠の保存樹があったり退屈しなかった。
(紅梅)
(ロウバイ)

民家を外れると、綺麗に手入れされた梨畑や栗園が広がり、その間ののどかな田舎道を歩くと鐘転山から愛宕山の山並みも見えてきて、楽しみながらの車道歩きだった。
(梨園、栗園の間の道)
(鐘転山に向かって)

車に戻って帰り支度を終わっても、まだ16時前、高速の通勤割引には早すぎるのでR6に出て一般道をゆっくりと走って帰ってきた。




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