V36.熊野古道ウオーキング

1.動 機
花粉症で茨城の藪山歩きが辛くなったころ、「熊野古道ウオーキング」という格安ツアーの新聞広告が出た。熊野古道は世界遺産になってから有名になっているし、紀州には高野山、大峰山、伊勢までしか訪れておらず、南には足を踏み入れたことがなかったので観光も楽しみに参加申込みした。中辺路の一部を歩いて熊野本宮大社、速玉大社、那智大社の三山にお参りするツアーだったが、熊野古道の雰囲気をちょっぴり味わってきた。
本宮大社、速玉大社、那智大社の三山に参詣する道に、大辺路、中辺路、小辺路、伊勢路、奥掛道と5ルートがあり、一番古くて良く歩かれていた道が中辺路らしい。代々の皇室や公家達が大阪の淀川から熊野詣をした道であるが、今は滝尻王子から奥がハイキングコースとして整備されている。

2.データ
a)山域:熊野古道、熊野三山
b)登山日:2008/03/21(金)晴、22(土)晴
c)コースタイム:
21日:新田中内 5:50 = 9:45 羽田空港 13:10 = 14:15 白浜空港 14:30 = 15:15 滝尻王子16:00 = 16:15 道の駅中辺路 ---- 16:35 牛馬王子 16:40 ---- 17:00 近露王子 17:20 = 17:40 川湯温泉
22日:川湯温泉 7:40 = 8:05 発心門王子 ---- 8:30 水呑王子 ---- 9:00 伏拝王子 9:05 ---- 9:25 三軒茶屋跡 9:27 ---- 9:58 祓殿王子 ---- 10:00 熊野本宮大社 10:53 = 11:43 熊野速玉大社 12:00 = 12:45 那智ねぼけ堂(昼食)13:40 = 13:45 那智滝 14:10 = 14:15 青岸渡寺・那智大社 ---- 15:15 大門坂 ---- 駐車場 15:40 = 16:40 橋杭岩 16:55 = 18:20 千畳敷 18:25 = 18:45 白浜空港 19:25 = 20:40 羽田空港 21:10 = 23:55 新田中内

d)同行者:ツアー参加者40名、和子
e)地形図:1/25000 「栗須川」「発心門」「伏拝」「新宮」

3.山行記録
羽田空港では白浜までの搭乗券を渡されただけ、指定の飛行機に乗って白浜空港に到着すると、小柄で元気の良いお嬢さんリーダがバスガイドさんと一緒に出迎えてくれた。待っていた座席指定のバスに総勢42名が乗り込んですぐに出発、最初のポイント滝尻王子への車中で色々と連絡事項や注意を聞く。
R311からR317の分岐点にある滝尻王子の駐車場にバスは停まった。世界遺産指定の効果であろう、駐車場には清潔なトイレがあり、向かいには立派な熊野古道館があった。滝尻王子とその上の山中にある乳岩の説明を聞き、集合時間を指定されて歩き始めた。
王子とは熊野権現の子神として建てられたらしいが、鳥居の奥に小さな社が立っていた。前庭には世界遺産に指定された記念に作られた石碑があった。これと同じ石碑が、他の何箇所かのポイントでも見ることが出来た。
その裏から登りが始まるが、始めは不ぞろいの古びた石段、やがて急坂の山道になり行列で登っていった。舗装道は世界遺産にはならないとのことなので、ここからが世界遺産古道の始まりであり、中辺路の中ではここが唯一の急坂だ。
(世界遺産)
(まず急坂)

急坂を10分も登ると胎内くぐりの分岐だったが、皆さんがそちらに向かうので直進して先に乳岩に向かった。大きな岩屋の乳岩には「藤原秀衡が夫人と熊野詣した時に、出産した赤子をこの岩屋に残して熊野に向かったが、その赤子はこの岩から滴り落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だった」と立札があった。
この先がどうなっているか少し登ってみたが、同じような道が続くので引き返した。乳岩から胎内くぐりを逆に通過しようと胎内くぐりの上に向かったが、まだ胎内くぐり最中の人があり一方通行状態だった。引き返して胎内くぐりの入口に下りて、最後にくぐった。岩の隙間は本当に狭くてザックを置いてやっと通過できた。諦めて撤退したメタボの人もいたらしい。熊野古道館にも面白い展示物があるので入ってみるように薦められていたが時間切れ。
(乳岩)
(胎内くぐり)

次はバスでR311を北上して道の駅熊野古道中辺路に移動して、国道を渡って歩き始めた。すぐに林道になり、林道を少し歩くと山道への分岐になった。山道には「牛馬童子」、林道には「ここは熊野古道ではありません」の立札があった。中辺路の他の分岐にもあった立札だが、間違い道の方にも「間違いだと知らせる」立札があるのは素晴らしい。
山道に入ると道は植林に続き、道も植林も綺麗に手入れされていて気持ちが良い。
(道の駅から歩き始め)
(檜と杉の美林)

箸折峠に着くと「花山院供養塔・牛馬童子石像」の標柱があり、右の高みに法経印塔があり、脇の石段を登ったところに可愛い表情をした牛馬童子と役の行者像の石像が並んでいた。
(法経印塔)
(牛馬王子)

箸折峠からの下りは石畳の道になり、向かいに近露の集落と城ノ峰を見ながら下った。
車道まで下って大きくUターンし、橋を渡ったところの路側に近露王子の森があった。ここは王子で社はなくて古びた石碑だけが残っていて、「皇太子殿下行啓の地」の標柱もあった。
向かいの美術館の駐車場に先回りして待っていたバスに乗って川湯温泉のホテルに向かった。
(石畳の道を下る)
(近露王子の碑)

着いたホテルはみどりや、こちらにはグレードアップの人が泊まる。我家と半分ほどの人は50m先のまつやまで歩いた。食事はみどりやのレストランで一緒にとるので、夕食時になるとみどりやまで下った。食事は鍋や前菜の並んだお膳のほかに、周りに置かれた好きな食材を持ってくるビュッフェ方式なので、鮎やお寿司、腹いっぱい頂いて満足した。
川湯温泉の売り物の河原での混浴露天風呂もみどりやから降りる階段があったが、まつやの檜の温泉が清潔で気持ちよかったので十分満足して露天風呂には入らなかった。
(みどりやからまつやへ)
(河原の露天風呂)

特別に早めに準備されたビュッフェタイプの朝食を頂いて、バスに乗り込み7時40分に発車。広告の予定では、発心門から伏拝王子までのハイキングだったが、「熊野大社まで歩き通していただきます。辛い人は途中迄でもOK」のアナウンス。熊野本宮大社の下で「ここの駐車場でバスは待っています」と案内され、大社を通り過ぎて田舎の道を大きく回りながら走って発心門王子の前で下車した。
発心門王子は滝尻王子と同じような造りで鳥居の奥に社があった。お参りをしてから広いバス道を下り、道標に従って右の田舎道に分かれた。ところどころ棚田や民家があるのどかな道は歩きやすく、道標やトイレも完備、世界遺産の気持ちの良い散歩道だ。いや、舗装道の部分は世界遺産ではなかったか。
(発心王子からスタート)
(田舎道)

途中何箇所かには近くの民家の手作りらしい人形が飾られており、からくり仕掛けのものは近付くと突然動いたりして驚かせてくれた。野菜や人形の無人スタンドもあった。
(手作りのからくり人形)
(手作りの不苦労や仏ざま)

次の水呑王子には、小さな石像の脇に水が引かれており、柄杓で喉を潤すことができた。
ここからしばらくは山道になり、また手入れされた杉の植林の中を歩く。
(水呑王子で喉を潤す)
(檜の植林)

山道をなだらかに上って下ると、また民家も見える舗装道に出た。菊水井戸と言うつるべの付いた古井戸があり、その先で向かいの山々の眺めが良くなり、これが奈良県境をなす果無山脈であるとの説明板があった。山の名前が書いてあり、今も高野山との間の参詣道が残っていると言う。小辺路らしい。
しばらく車道を歩き、右の小道に入っていくと売店もある伏拝王子の休憩舎があり、その前の高台が王子社跡だった、社はなく石碑だけが並んでおり、前の展望が開けていた。旧熊野本宮大社のあった大斎原あたりの展望がよくて、いにしえの人はここで熊野大社に向かって伏して拝んだのだと言う。ここにも「皇太子殿下行啓の地」の標柱が立っていた。
(果無山脈の説明板)
(伏拝王子から大斎原の展望)

NHKの朝ドラ「ほんまもん」の記念碑があったが、土地のおじさんの説明では、主演女優が元宮町なのでここがロケ地に選ばれたとのこと。このおじさん、「眺めの良いところがあるよ」と言って高台に案内してくれ、三里富士の前でツーショットのシャッタを押してくれた。
(ほんまもんの記念碑)
(三里富士と果無山脈の前で)

ここから先はまた山道になり、可愛いスミレなどの花も目を楽しませてくれた。ゆるく登って下って林道と橋で渡るところに三軒茶屋跡の休憩舎があり、そこから山道に入るところには「九鬼の口関所跡」の表示もあった。
(スミレ)
(三軒茶屋跡の休憩舎)

また美しい植林の中の道になり、峠あたりに「ちょっと寄り道展望台」という道標がある分かれ道があったが、本宮大社でゆっくりしたいし、「朝日、夕日の展望良し」の注記があったので、この時間帯では大したこともなかろう思って通り過ぎた。
だらだらと下っていくと霊園があり、更に下って住宅団地を通り過ぎると祓殿王子社跡の石祠があり、傍には大きなカシの木があった。
(祓殿王子社跡)
(カシの大木)

祓殿王子社跡を過ぎるとすぐに熊野本宮大社の裏鳥居があって、杉の巨木が立ち並ぶ神域になり、少し厳かな気分になる。
神社脇の道を左手に本殿の屋根を見ながら拝殿前に回り、八咫烏の大きな垂れ幕がかかる神門をくぐると、4箇所のお参り所がある塀の向こうに古色蒼然とした檜皮葺きの社殿が並んでいた。お参り所の立札にはそれぞれ夫須美大神、速玉大神、家津御子大神、天照大神と書いてあった。右手奥には人と人との縁を結ぶという小さく真新しい満山社があった。
(裏鳥居)
(熊野本宮大社)

それぞれの社にお参りして、百段を越す石段の参道を下った。石段の両側にはおびただしい数の「熊野大権現」の幟が立っていて、荘厳さをかもし出していた。
石段下まで下りて、まだバスの発車時間に10分時間があったので、大斎原の大鳥居まで足を伸ばしてみた。日本一の大きさ(高さ33.9m、横42m)に圧倒された。下には世界遺産「熊野本宮大社・旧社地大斎原」の石碑があった。
(幟林立の石段道)
(大斎原の大鳥居)

次は熊野川沿いにR168を南下、新宮の街に入って熊野速玉大社にお参りした。先ずは梛の大樹に案内される。聞いたこともない木だが、その葉を煎じて飲めば万病に効くという有難い木だと言う。落ちている葉っぱなら拾っても良いと言われたが、一枚も落ちてはいなかった。
太い注連縄が張られた神門をくぐって本殿前庭に入ると、赤く塗られた建物がぐるりと周りを囲んでいた。昭和になってから立て直されたらしく、綺麗できらびやかだが、少々荘厳さには欠けるように見えた。いにしえの皇族の参拝回数を記した衝立状の石碑があったが、後白河上皇33回、後鳥羽上皇29回など、京都から足を運んだその多さに驚かされた。
(梛の大樹)
(速玉大社)

次の那智大社に向かう途中で、那智ねぼけ堂によってまぐろ丼の昼食を取った。旅行社の付き合いがあるのだろうが、ここでの1時間は長かった。
先ずは那智の大滝の駐車場に入って、石段を下って大滝のまん前まで下りた。落差133mの日本一の大滝は、昨日の雨で水嵩も増して迫力満点だった。プロによる集合写真が撮られ、さすがいい写真が出来上がっていたが、今回はお友達も作れなかったので買わなかった。
大滝の駐車場に戻って、バスで那智大社の駐車場に移動した。ここから長い石段の参道を登ると鳥居の前で右に曲がる参道があり、その先に赤い三重の塔があった。ここからの那智の滝は赤い三重の塔とのコントラストが美しかった。
(那智の大滝)
(三重塔と那智の滝)

三重の塔から左の坂を引き返し気味に登ると青岸渡寺に出る。本殿は豊臣秀吉が再建したという、国の重要文化財だ。すぐ隣に赤い造りの那智大社があり、両方ともに大勢の観光客がお参りしている。
いにしえの那智山では行を行う神仏習合的な信仰が栄えていたが、明治の神仏分離令・修験道廃止令によって神社だけに統一させられ、多くあった仏閣はすべて破壊され、唯一建物だけを残した青岸渡寺だけが後に再興されたという。為政者が何かに狂信的になると碌な事にならない。
(青岸渡寺)
(那智大社)

境内には平重盛が植えたという樹齢約850年という樟(くすのき)の木が大きく茂っており、平安時代の貸衣装をつけた娘さんが可愛く風情があって衆目を惹いていた。
石段を下りる途中で、景色を楽しもうと左の広場に出てみた時、苔むした古木の幹から直接開いている桃のような花が珍しくて綺麗だった。
(くすのきの大樹)
(幹に咲いた花)

参道の登り口の駐車場に全員集合してから、すぐ近くの大門坂を下った。大門坂は、長さ600m落差130mの苔むした石段と石畳の道、両側を樹齢800年を超す老杉に囲まれており、いままで歩いた道で一番強く熊野古道らしさを感じた道だった。途中、洞になった楠の老木、二又に分かれた奇杉、那智の大滝が見える場所、熊野九十九王子の最後の王子「多富気王子」、など見所にも事欠かない。大勢の観光客が行き交い、外人さんも多かった。
大門坂が終わるところに対の大杉・夫婦杉があった。ここまでの杉並木よりも一段と大きく立派だった。その先に鏡石、振ヶ瀬橋があって霊場は終わりになる。
(大門坂)
(夫婦杉)

大門坂入口で待っていたバスに乗って海岸に出て、R42を一路白浜に向かった。リアス式に出入りの多い海岸線の道には切り通しやトンネルも多いが、綺麗な海岸の風景が次々と現れて長いバス旅も退屈しなかった。
1時間走って橋杭岩の駐車場で一休みした。橋杭岩は海岸から紀伊大島に向かって南西一列に800メートルもの長きにわたって大小約40の岩が連続してそそり立っている奇岩の列である。「大島に橋を渡そうとした弘法太子が天邪鬼に騙されて橋は完成せず橋桁だけが残った」という言い伝えをバスガイドさんが面白おかしく話してくれた。
橋杭岩を過ぎるとだんだんと日が傾いてきて、岩礁の海に落ちる落日が真っ赤になり綺麗になってきた。
(橋杭岩)
(落日)

白浜空港に直行しないで、名勝千畳敷にも寄り道して一休み、千畳敷は大きな岩盤だった。次に案内された近くの円月島は、向こうに夕日があると島の中央の穴が円い満月に見えるらしいが、少し時間が遅すぎたので車窓から鑑賞しただけだった。。
(千畳敷)
(円月島)

白浜空港でリーダ嬢から搭乗券を渡され、楽しかった旅のお礼を言って別れ、羽田行きの便に乗ってそれぞれの家路についた。




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