V83.安達太良山(孫との登山No.4)

1.動 機
孫も高学年になってくると色々と忙しくなり、夏休みになっても我家へのお泊りがままならない。盆明けにやっと4年生のアキだけが3日間のお泊りにやってきたが、天気予報では始めの2日間は天気が悪く最後の1日だけ雨が降らないとあった。2日間で持参してきた宿題を片付けて、最後の一日を安達太良山に登ることにした。登りは去年の那須岳と同じくゴンドラで薬師岳まで登り、安達太良山頂に登った後、勢至平を回って下りてくる周回コースをとる予定にしていた。ところが強風のため頼みのゴンドラが運休! やむなくスキー場から歩き始めたのだが、ジジババの心配をよそに一周しても元気そのもの、一年間の成長振りを見せてくれた。

2.データ
a)山域:安達太良山(1700m)
b)登山日:2008/08/20(水)晴
c)コースタイム:
日立自宅 6:10 = 6:40 日立北IC = 7:25 小野IC = 8:00 二本松IC = 8:20 奥岳温泉
奥岳温泉 9:15 ---- 10:30 五葉松平 10:35 ---- 10:45 薬師岳 10:55 ---- 11:20 仙女平分岐 11:30---- 12:20 安達太良山頂(昼食) 13:20 ---- 13:35 牛の背 ---- 13:50 峰の辻 13:55 ---- 15:00 くろがね小屋分岐 ---- 15:20 旧道 ---- 16:10 奥岳温泉

奥岳温泉(入浴) 17:25 = 17:45 二本松IC = 18:00 安達太良SA(夕食)18:30 = 19:20 いわき三和 = 20:20 水戸IC = 20:40 孫の家 21:10 = 21:50 森山自宅
d)同行者:あき、和子
e)地形図:1/25000 「安達太良山」

3.山行記録
8時半のゴンドラ運転開始に合わせて6時に我家を出発した。夏休みで遅寝遅起の習慣が付いており、登山口の安達太良高原スキー場までの車中の2時間は後部座席にシートベルトで縛られたままでぐっすりとお休みだった。スキー場に着くとゴンドラ乗場の前に係員がいて、「ゴンドラは強風のため今は運休中です。運転再開は何時になるか判らない。」と言っている。林間学校の生徒達が大挙してバスから降りてきて、一斉にエー!と叫んでいたが、先生に連れられて歩いて登っていった。
我家はゆっくりと朝食をとりながら待ってみたが、強風がおさまる様子もないので、やむなくここから歩くことにした。高度差400mの登りの追加は厳しいが、疲れるようだったら山頂ピストンにすれば、下りのゴンドラは運転されているだろう。
ギボウシが群生する奥岳登山口から広い緩やかな車道を元気に歩き始めた。途中、車道から外れてスキー場脇の登山道に入ると、笹の煩い道になったが余り気にする風情もなく付いてくる。
(奥岳登山口から出発)
(ゲレンデ脇の登山道)

スキー場の上端からは急坂になり、ゴロ石や丸太の階段が続いた。段差の大きいところは助けが要るだろうと手を伸ばしたが、振り払って、どこで覚えたのか自分で石の角や枝を掴みながら攀じ登ってくる。2人のご婦人を追い抜き、「元気だねえ」と声をかけられてまんざらでもなさそう。
五葉松平まで登りつくと傾斜は緩くなったが、ゴロ石の道になり昨夜の雨でぬかるみの連続になった。これには「足が汚れちゃうよ」と文句を言っていた。
(五葉松平まで急登)
(五葉松平はゴロ石とぬかるみ)

薬師岳まで登りつくと、大勢の生徒達が休憩中だった。ここまで400mを登ってきたので安達太良の山頂には登らないとのことで、「ゴンドラが動くらしい」という途中出合ったご婦人からの情報を伝えると大喜びしていた。グループごとに集合写真を撮ることになったが、生徒達がなかなか揃ってポーズをとってくれなくて先生達は苦労していた。集合写真が終わるのを待って、ゴンドラを使わないで登ってきた記念の写真のシャッタを先生に押していただいた。
ここからは山頂が良く見える。遠く見えたようだが高度差350m、これまでよりラクチンだよと励まして歩き始めた。始めは木道で整備された緩やかな道で、こちらのペースでどんどん引っ張ってもついて来るので、調子に乗ってゴロ石の道になってもペースを落とさないで歩き続けたら、脹脛が痛くなったと訴えてきた。危ない危ない、歩幅が大きいところで無理をさせると痙攣を起こすところだった。和子が丁寧に介抱していた。
(薬師岳まで登りついた)
(始めはなだらかな木道)

仙女平分岐で一休みして、ここからのゴロ石の急登をゆっくりと登っていった。そろそろ下ってくる登山者に出会うようになり、ジジババの間に小さなアキを見つけて「頑張れ!」と声をかけてくれる。
急登を上りきると山頂の岩山が見えてきた。あれの上に登るのかといぶかしげだ。山頂に近付くと、峰の辻からの登山道を青いジャージの生徒の集団が登ってきた。集団が山頂に登るとこちらの居場所がなくなるだろうと、集団が集合写真を撮っている間に山頂に登ってしまおうと、山頂標柱の近くにザックをデポして急いで登った。
始めの滑りやすいザレバを慎重にトラバースしてからは、ロープのある岩場も恐れることなく攀じ登って山頂に立った。物凄い強風が吹き荒れており、記念撮影の三脚も倒れそうだった。
(急登を越えると山頂が)
(山頂にて)

これから歩く予定の牛の背を説明したり、遠くに見える磐梯山や吾妻連峰を指し示して、次はこのあたりに登ろうかと気を引いてみたが、風が強く寒くてそれどころではなかった。
(山頂からの展望:船明神山−鉄山−箕輪山、遠くに磐梯山・吾妻連峰)

生徒達が登ってくると交差が大変だろうと早々に山頂を下ったが、生徒達は山頂に登ることなく下山にかかっていた。先生にしては大勢を山頂への岩場を登らせるのは難儀なことなのだろう。静かになった山頂標柱の前で証拠写真を撮った。
ここも風が強いので、牛の背方向に回りこんだところで昼食をとることにした。和子はここでも結構な風が吹くので辻の峰方向に下ろうと主張するが、沼の平の景観をアキに見せたい私は、何とか頑張ってバーナに火をつけお湯を沸かして暖かいラーメンやスープを作った。
牛の背を吹き抜ける風は予想通り強烈だった。和子は髪の毛を振り乱しながら、アキの手を離さず歩いている。勝手に先を歩いてシャッタを押す私に機嫌が悪い。
(山頂標柱の前で)
(強風の牛の背を歩く)

鉄山方向とくろがね小屋方向との分岐のところに来ると、左下に沼の平の爆裂火口の景観が広がっていた。この景観を見せたかった私は、記念写真を撮ったり、10年前に登山者が毒ガスで死亡した話などしたが、生まれてはじめての強烈な風に恐れをなしているアキは、一刻も早くここを通過したがる。
(沼の平の景観)

くろがね小屋への下りもゴロ石の道だった。ここから暫く下っても強風は弱まることなく、アキの手を握るのを私が交代した。その直後物凄い突風が吹いてきて、後ろの和子が風に吹き倒され、岩に向う脛を打ち付けた。
風が弱くなった峰の辻で、安達太良の山頂を眺めながら一休みした。和子の向う脛には擦り傷があり、打撲で痛々しく腫れ上がっていた。頑張り屋の和子はこの足で弱音も吐かず登山口まで歩き通した。
(鉄山への道を分ける)
(峰の辻で一休み)

峰の辻から暫くはアキの足取りに気を遣うゴロ石や深く掘れた粘土の急坂だったが、勢至平に入るとやっとなだらかになって安心して歩けるようになった。更にくろがね小屋からの道に合わせると広い車道(馬車道)になり、お喋りしながら歩けるようになった。
まっすぐな馬車道を1kmほど歩くと、馬車道はS字に大きく遠回りするようになり、これを串刺しにする旧道があり、この道標に従うとまたゴロ石と粘土の道を歩くことになった。こんな道は登りよりも下りの方が大変だろうと思うこちらの心配をよそに、アキは1人で足場を選びながら後を付いてくる。烏川橋まで下るとまた馬車道になり、ゆっくり歩いて無事に奥岳登山口に帰り着いた。
(下りにも難所はあった)
(元気に奥岳登山口に帰着)

奥岳温泉のホテルの温泉で汗を流し、安達太良SAで夕焼けの安達太良山を眺めながら夕食をとってから、充実した山行の夢を見ているアキを水戸の家まで送り届けた。




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