V94.越後駒ヶ岳と平ヶ岳
(百名山の2座ピークハント)

1.動 機
今年の亀楽会の秋の山行予定として、越後駒ヶ岳と平ヶ岳が入っていた。平ヶ岳は宿の予約が取れなくて取り止めになり、駒ヶ岳は十字峡から重いザックを担いでの避難小屋2泊の縦走だったので、我家には厳しすぎて参加を諦めた。今年期待していた二つの百名山を我家だけで登ろうと話し合い、平ヶ岳は鷹ノ巣コースは歩行時間が長すぎるので、宿屋のバスで中ノ岐林道登山口まで運んでもらう一番ラクチンなコースと決め、5日前の天気予報を睨み、奥只見山荘のHPでバスの空いている9月23日で申し込んだ。駒ヶ岳はこれまた一番楽な枝折峠からのピストンコースとし、平ヶ岳の前々日枝折峠に入って車中泊することにした。秋の空は変わり易くて駒ヶ岳は雨中の登山になったが、平ヶ岳はまずまずのお天気になり、池塘バックのたまご石を眺め、山頂では富士山まで見える展望を楽しむことが出来た。
(越後駒ヶ岳、平ヶ岳周辺地図)

2.データ
a)山域:越後駒ヶ岳(2003m)、平ヶ岳(2141m)
b)登山日:2008/09/21(日)曇後雨、22(月)曇一時雨、23(火)曇一時晴
c)コースタイム:
21日:日立自宅 10:20 = 道の駅田島 = 桧枝岐 = 16:55 枝折峠(車中泊)
22日: 枝折峠 6:35 ---- 明神峠 ---- 道行山分岐 ---- 小倉山 ---- 駒の小屋 ---- 11:20 駒ヶ岳山頂(昼食) 12:35 ---- 駒の小屋 ---- 16:15 枝折峠 16:35 = 16:50 奥只見山荘(泊)
23日:奥只見山荘 4:00 = 5:30 中ノ岐沢登山口 5:45 ---- たまご石 ---- 8:45 平ヶ岳山頂(昼食)9:40 ---- 姫ノ池 ---- たまご石分岐 ---- 12:20 中ノ岐沢登山口 13:00 = 14:30 奥只見山荘(入浴) 15:30 = 桧枝岐 = 22:00 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「奥只見湖」「平ヶ岳」

3.山行記録
(1日目:アクセス)
21日:日立自宅 10:20 = 11:45 道の駅馬頭 = 12:40 道の駅塩の香(昼食) 13:10 = 13:50 道の駅田島 13:55 = 15:00 尾瀬の里 15:05 = 16:55 枝折峠(車中泊)

日立から銀山平まで一般道を走ると奥只見湖湖岸のR352が曲がりの多い狭い道で、酷道と呼ばれるほど運転者を悩ませるらしい。そうかと言って高速を走ると大変な遠回りになる。経済性も考えて国道を慎重にゆっくりと走ろうと昼前に我家を出発した。塩原の道の駅で昼食をとってから、田島と桧枝岐で休憩していよいよ酷道に入った。鷹ノ巣の平ヶ岳登山口を過ぎてからはヘヤピンカーブの多い狭い道が続き、銀山平までの距離がなかなか減っていかない。走っている道の向かいにほとんど平行にこれから走る道が見えている。
銀山平の遊覧船乗場でやっと道が良くなり、温泉街の手前の石抱橋を渡って枝折峠への道に入った。ここも狭い悪道との情報もあったと記憶するが、やや狭いところもあるが完全舗装の道を走ると枝折峠の駐車場に着いた。30台ぐらいは停められそうな舗装された広い駐車場で10台ほどの先客があった。水場はないがソーラ電力で処理する立派なトイレもあって車中泊にはあり難い。
周りはガスっているが、雲海が美しい。夕食を食べて7時ごろ就寝したが、夜中には時々強い雨音がしていた。
(ヘヤピンの続く奥只見湖畔)
(枝折峠駐車場)

(2日目:越後駒ヶ岳)
22日: 枝折峠 6:35 ---- 7:10 明神峠 7:15 ---- 8:10 道行山分岐 ---- 9:00 小倉山 9:10 ---- 9:45 百草の池分岐 ---- 10:25 前駒 ---- 10:55 駒の小屋 ---- 11:15 駒ノ岳標柱 ---- 11:20 駒ヶ岳山頂(昼食) 12:35 ---- 12:50 駒の小屋 12:55 ---- 14:10 小倉山 ---- 14:50 道行山分岐 ---- 15:45 明神峠 ---- 16:15 枝折峠 16:35 = 16:50 奥只見山荘(泊
(越後駒ヶ岳歩行ルート)
(歩行ルートの高低差)

朝5時ごろ起きると雨は止んでおり、周りに駐車している車は随分と増えていた。その後も車は増え続け、到着するなり直ぐに歩き始める人達もいる。朝食を済ませ、身支度を整えて6時半ごろ出発するごろには、駐車している車は25台ぐらいになっていた。
朝早くは周りの山も見えていたが、歩き始めにはすっかりガスに囲まれて視界はゼロになって、霧雨のような細かい雨も舞いはじめた。雨具を付けて歩いた。多少のアップダウンのある尾根道はしっかりとした登山道で歩き始めの足慣らしに丁度いいが、景色を楽しめないので黙々と歩くしかない。30分も歩いたところに石造りの観音像が立っていて、お天気の回復をお願いした、
左に下る銀の道を分けて歩いて行くと、時々、サラシナショウマやミヤマセンキュウ、ツリガネニンジンなどの花が咲いていてわずかに慰めてくれる。右に銀の道を分けると直ぐに大明神の標柱の立つ社があり、そこから急坂を登ると明神峠で、路上に新旧2個の三角点があった。
(明神峠までなだらかな尾根歩き)
(十合目大明神)

明神峠を越えてからは、アップダウンの高度差がやや大きくなり登りでは汗を搾られるようになった。鞍部の道はぬかるんだところも出てきて、道の端の草を踏みながら歩いた。展望が良いと言われる道行山への道標があったが、ガスで展望ゼロではつまらないのでパスした。更にアップダウンを繰り返し、やや大きな急坂を登ると小倉山で、駒の湯への分岐を示す立派な石碑があった。
小倉山の先に百草の池の標柱が立っていて、その脇で3人の男性が休んでおり、登山道を整備するための測量をしているところだった。数年前に平ヶ岳の測量をしたが、平ヶ岳は今は階段道がいっぱいになっており、3年もしたらここも木の階段道になるだろうと話していた。階段道の評判が余り良くないのは知っているが、他の対策がないとのこと。
百草の池の場所を聞くと「道が荒れていて今は入れない」とのことだった。話の通りに、直ぐ先に進入禁止の札がぶら下げてあり、その先に草地に囲まれた小さな池が見えていた。
百草の池を過ぎると登り一辺倒の坂道になり、右側には大きな見事な岩壁も見えたり、ところどころ岩場も現れてきた。和子は岩の道になると元気が出る。ここまでの視界の利かない単調な道に疲れを訴えていたのに、ここに来て急にペースが上がってきた。
「標高1763m前駒」の札がかかった肩に上がると、ここから次々と岩場が現れるようになり、朝早く出発してもう下り始めている人達と出会うようになった。下り優先にして休みながら登っていった。
(百草ノ池)
(岩場もあり)

最後の岩場を登りきると黒っぽい駒の小屋が建っており、その前の広場に多くのベンチが整然と並んでいて数グループが休んでいた。小屋の前のホースから冷たい水が流れ出ていて、ペットボトルに補給した。
ここから駒ヶ岳の勇姿が見えるはずだが、ここまで来てもまだ見えてこない。登山道を登っていくと、潅木は赤く色づいており、草原は草紅葉になっていて綺麗だった。その中にイワショウブの白い花が並んで咲いているのが目を惹いた。
坂を登りきると駒ヶ岳山頂の標柱が立っていたので、やっと駒ヶ岳に登頂したと喜んで証拠写真を撮ったが、そばに「山頂へ300m」の札がかかっていた。右の登山道を進むと直ぐに一等三角点のある本当の山頂だった。一等三角点の脇には猿田彦の銅像もあり、この山頂で改めて証拠写真を撮り直した。
360°の展望が楽しめるはずの山頂でも、まだガスで残念ながら視界はゼロだった。このまま下るのも心残りなので、時間稼ぎも兼ねて弁当を広げていると、3人の測量士や二人の若者が登ってきた。測量士は銅像の中にコインがいっぱい詰まっていると教えてくれ、良く見ると割れ目があって、中にはぎっしりと銅貨やアルミ貨が詰まっていた。更に台座に寄進された麓の村々の人々の名前が掘り込んであると教えられ、良く見ると確かに山古志村など多くの名前が書き込まれていた。
ガスが流れて時々近くの峰が姿を現すのでなかなか立ち去りがたくいると、若者が携帯で駒ヶ岳のピンポイント予報をチェックしてくれ、12時からは晴だという。明るいうちに枝折峠に下りるのに少しゆとりを持って12時30分に下山開始と決めて、八海山や中の岳などが姿を現すのを期待して青年とお喋りしながら待っていた。時間ぎりぎりまで頑張ったがついに視界は開けず、同じ奥只見山荘に泊まると言う青年が1時まで頑張るというので後で写真を見せていただくことにして腰を上げた。
(にせ山頂)
(駒ヶ岳山頂)

にせ山頂の曲がり角を過ぎて中腹まで下ると、ガスが一瞬開けて山頂で手を振っている青年の姿がはっきりと見えてきた。これなら八海山も見えてくるかもと引き返したくなったが、青年はこちらを向いたままなので反対方向は依然ガスの中なのだと判断してそのまま下った。
駒の小屋まで下ると、測量士など数人が山頂を見上げながら団欒していた。暫くお喋りしていたが、まただんだんとガスが出てきたので下りにかかった。
(駒の小屋から山頂を振り返る)

岩場の途中から雨がちらつき始め、百草の池あたりからは相当に強い雨になってしまった。粘土の坂道など滑らないように気を使いながら枝折峠まで一気に下った。
途中青年にも追い越され、駐車場に着いた時には残っている車は5台ほどだった。濡れた靴を履き替えて銀山平温泉の奥只見山荘に着いたのは17時前で、通された部屋は10畳ほどの広さで、洗面所やトイレ室、休憩室が別個のある清潔な部屋でホテル並だった。山歩きには勿体無いほどだ。乾燥室に靴など干して、近くの日帰り温泉「銀の湯」の入湯鑑札を貰って汗を流しに行った。銀の湯も露天風呂も付いた清潔な温泉で気持ちがよかった。
18時から夕食が始まったが、会席料理形式で一品ずつ手の込んだ料理が次々と出てきて
満足いっぱいの晩餐会だった。これで平ヶ岳バス込みで12750円はありがたい。
食事中に明日の平ヶ岳山行の説明があり、明日は4時出発だ。空は満点の星空、明日を楽しみに荷造りなどして目覚まし時計を借用して21時ごろ就寝した。

(3日目平ヶ岳)
23日:奥只見山荘 4:00 = 5:30 中ノ岐沢登山口 5:45 ---- 6:15 大杉 ---- 7:50 たまご石 8:05 ---- 8:20 キャンプ場 ---- 8:45 平ヶ岳山頂(昼食)9:40 ---- 10:10 姫ノ池10:25 ---- 10:45 たまご石分岐 ----11:55 大杉 ---- 12:20 中ノ岐沢登山口 13:00 = 14:30 奥只見山荘
(平ヶ岳歩行ルート)
(歩行ルートの高低差)

3時に起き出して濡れた靴など回収して、朝ご飯用の弁当とお茶を受け取って、必要なもの以外は車に入れ身軽な格好でバスに乗り込んだ。バスは14人の登山者を乗せて定刻4時丁度に発車し、30分ほどR352を南下したところからゲートの鍵を開いて中ノ岐林道に入った。林道ははるか下に中ノ岐川の激流を見ながら走り、狭い上に未舗装道路だ。轍が深く掘れ込んでいて、大きく揺れながらゆっくりと進む。回りの草木が窓を打ち、運転手さんから「危ないから窓は開けないで」との注意が飛んだ。
林道を1時間揺られてやっと駐車場に着いた。先客のバスが1台あった。登山者の中で3人が初心者とのことで、運転手の宿のご主人がガイドを勤めるとのこと。そう言えば、昨夜貰った行程表では下山時間が30分遅く手書きで書き直してあった。
それぞれ勝手に歩き始める。暫くなだらかな道を歩くと大きなゴロ石の転がる沢にかかる。板の橋を渡ると直ぐに急登が始まる。昨日の駒ヶ岳は登りに適当に緩急が繰り返したので気分的にも助かったが、ここはどこまで登っても急登が続く。それも流れで掘られたそのままなので、高い段差を大股に上がったり、溝の両脇に足を開いて歩いたりと、苦労させられる。その代わりに、少し周りの展望が開けている。杉の大木の所など、何箇所かで駒ヶ岳が見えたりするので元気つけられた。
(林道終点までバス移動)
(急登が続く)

2時間も頑張ると急に目の前が開けてきて、草紅葉の向うに平ヶ岳の長大な山容が開けていた。
(たまご石分岐から平ヶ岳が目の前に)

すぐに「たまご石まで200m」の道標があり、その方向に歩くとたまご石が見えてきて、展望するのに格好の岩があった。バックの池塘や剱ヶ倉山との組合せが美しかった。「風化して危険ですから近寄らないで下さい」の注意があったが、やはり近くに寄って記念写真を撮りたくなる。
(たまご石)

ゆっくりとたまご石を楽しんでから山頂に向かった。駒ヶ岳の測量士の話の通りに、山頂部の登山道は全部木道になっていた。先月登った苗場山を思い出す。木道の周りには咲き終わったキンコウカが一面に広がっており、一月も前に来れば見事な黄色い絨毯を目にすることが出来ただろう。いまはリンドウが青い花をチラホラと咲いていた。
(木道が整備された山頂部)
(リンドウなど)

途中には姫ノ池への分岐があったが、早い方が展望が良いだろうと池は後回しにして先を急いだ。山頂近くに木道を広くした休憩場所があり、その奥に三角点があった。証拠写真を撮って、その先の最高点に向かって木道を進んでみた。「山頂はどうして平らか」の説明板があり、ここで木道が途絶えて「この先通行止め」の標柱が立っていた。
(平ヶ岳山頂)
(木道の端で通行止め)

三角点前の休憩場所に戻って宿特製のおにぎりをほおばりながらゆっくりと展望を楽しんだ。目の前に燧岳から至仏山の勇姿が広がり、ガスが晴れたときにはその間に日光の白根山や男体山が見え、至仏の左に武尊岳に荒々しい山容が見えていた。一緒に休んでいた女性が「あれ富士山じゃない」と叫んだ。確かに富士山だ。武尊岳の肩にうっすらとだが富士山の姿がはっきりと確認できた。やはり、富士山が見えると嬉しいものだ。残念ながら、ここに載せるほどの写真は撮れなかった。後でガイド役の運転手さんに聞くと、「いくら晴れていてもここから富士山が見えることは滅多にない。皆さんは果報者だ。」と言っていた。
(山頂からの展望:燧、男体、白根、至仏、武尊、富士山)

展望に満足して下りにかかり、途中から姫ノ池への分岐に入った。ツガの廊下というツガの森をくぐって登り返して行くと池塘群に出あい、「たまご石へ」の道標を見て曲がった。どんどん歩くと池らしきものがないうちにたまご石から来た道が見えてきた。地図を見直して分岐点まで引き返したが、10分ばかりのロスだった。姫ノ池まで歩くと、池の上に平ヶ岳や至仏山が見えていて気持ちがよかった。
姫ノ池の先にも看板が立っているのが見えたので歩いてみると、そこにも池塘群が広がっており、「池塘はどうして出来たか」の説明板が立っていた。
(姫ノ池)

ガイド付きの初心者のかた以外には皆さんの姿はもうないが、12時半の指定時間に間に合えば良いだろうとゆっくりと歩いた。急坂の下りでは足の置き場に迷うようなところもあったが、花の写真を撮ったり、荒沢岳や駒ヶ岳の写真を撮ったりすることもできた。
駐車場に下りて、靴やスパッツを洗ったりしながら待っていると、バス発車時刻丁度に初心者さんたちが到着した。ガイドさんの腕前はたいしたものだ。

(帰宅)
奥只見山荘 15:30 = 16:55 御池 = 17:15 ミニ尾瀬 17:30 = 18:30 道の駅田島= 21:10 常陸太田 21:45 = 22:00 日立自宅

宿に戻って割引券を買って銀の湯で汗を流し、さっぱりとしてから日立に向かって出発した。奥只見湖周りの酷道は今日は対向車が度々やってきたが、一昨日経験済みなので余り疲れることなく通過することが出来た。桧枝岐のミニ尾瀬で一休みして田島まで和子と運転を交代し、常陸太田まで走ってレストランで夕食をとり、我家には夜の10時ごろ到着した。
駒ヶ岳は酷かったが、平ヶ岳で取り返した満足の山旅でした。




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