V103.紅葉探勝の雨飾山と気になる山名の日本国

1.動 機
雨飾山は去年の夏に唐松岳に登った時に眺め、紅葉の時期が最高だよと教えられて宿題になっていた。情報では10月中旬が紅葉の盛りとあり、機会を狙っていた。ここのところ数日晴天が続くがそれも日曜日まで、金曜日に所要があるので土日に登るしかない。雨飾温泉に土曜日の予約を聞いてみたが空いているわけもなく、車中泊することで出かけることにした。
日本国という山は一昨年5月に佐渡の山に登った時に新潟に住む姉夫婦に教えてもらったのだが、山も峰も岳も付かない変わった名前の山なので、それ以来気になっていた。山形県との県境にあるのだから雨飾山の帰途としてはやや離れ過ぎてはいるが、ついでに足を伸ばしてきた。
金曜日午後出発して糸魚川IC手前のPAで車中泊し、土曜日に雨飾温泉から雨飾山にピストンして真っ盛りの紅葉を満喫し、日本海東北道の豊栄SAで再び車中泊して日曜日に日本国に登って帰ってきた。

2.データ
a)山域:雨飾山(1963m)、日本国(555m)
b)登山日:2008/10/17(金)晴、18(土)晴、19(日)晴
c)コースタイム:
17日:日立自宅 15:10 = 15:45 日立北IC = 17:15 磐梯山SA 17:25 = 18:35 北陸道JCT = 19:30 米山SA20:35 = 21:20 蓮台寺PA(車中泊)
18日:蓮台寺PA 6:05 = 6:10 糸魚川IC = 6:45 雨飾温泉 7:00 ---- 10:15 雨飾山 11:15 ---- 11:35 笹平 11:55 ---- 雨飾温泉 15:05 = 19:25 豊栄SA(車中泊)
19日:豊栄SA 6:25 = 6:40 中条IC = 8:10 小俣集落 8:30 ---- 10:00 日本国 10:50 ---- 12:00 小俣集落 12:30 = 15:00 中条IC = 15:25北陸道JCT = 18:20 いわきJCT = 19:35 日立北IC = 20:20 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「雨飾山」「鼠ヶ関」

3.山行記録
(1日目:アクセス)
日立自宅 15:10 = 15:45 日立北IC = 17:15 磐梯山SA 17:25 = 18:35 北陸道JCT = 19:30 米山SA(夕食)20:35 = 21:20 蓮台寺PA(車中泊)

雨飾山の新潟側の登山口の糸魚川までは高速で400kmほど、金曜日の用事を済ませてから15時過ぎに我家を出発しても、あまり遅くならないうちに到着できる。日立北ICから常磐道に乗り、磐越道を走って北陸道最大のSAの米山SAに19時30分に到着して夕食をとった。雨飾山に早く登るためには糸魚川ICに近い所で朝を迎えた方が有利なので、もう少し先の蓮台寺PAに車中泊した。登山口の雨飾温泉まで入ることも考えられるが、暗くなって細い山道を走るのには危険でもあるし、何よりも高速のPAで夜明かしすれば深夜割引で高速代が半額になる。
蓮台寺PAには大型車の夜間駐車が多くて、夜中中エンジンの音が鳴り響いて少々煩さかったが、朝までぐっすりと眠れた。

(2日目:雨飾山)
コースタイム
蓮台寺PA(朝食) 6:05 = 6:10 糸魚川IC = 6:45 雨飾温泉 7:00 ---- 7:25 難所のぞき ---- 8:20 一ぷく処 ---- 9:00 中ノ池 ---- 9:55 合流点 ---- 10:15 雨飾山 11:15 ---- 11:35 笹平 11:55 ---- 12:30 中ノ池 ---- 13:10 一ぷく処 ---- 13:50 難所のぞき ---- 14:10雨飾温泉 15:05 = 16:15 ピアパーク(夕食) 16:55 = 17:00 親不知公園17:10 = 17:10 親不知IC = 19:25 豊栄SA(車中泊)
(雨飾山登山ルート)
(登山ルートの標高者)

次々に発車する大型車の音に起こされ、お陰で早起きしてバーナで朝食を作って6時に発車、糸魚川ICで高速を下り、R148を姫川沿いに南下して根知から地方道に入った。予想通りに道はだんだんと細くなってきたが、車を交差できない部分はそれほどはなかった。途中から左手の駒ヶ岳や鬼ヶ面岳の岩頭に朝日が当たって綺麗だった。
雨飾温泉の駐車場に到着すると、ペンキで仕切った駐車場所が一台分だけ空いていた。サポータをつけたり身支度を整えて、駐車場の上の登山道に入った。
(林道から:鬼ヶ面山に朝日が)
(雨飾温泉登山口)

登山道は始めから急登が続いた。左手に朝日を全面に受けた鋸岳・鬼ヶ面岳を見ながらゆっくりと登っていった。30分近く登ると尾根に取り付き、難所のぞきの看板があった。難所とはどこを指すのか見当が付かなかったが、ここまで1時間もかかってそろそろ引き返そうと思っているとぼやいていた男性に、行き掛かり上ツーショットのシャッタを押してもらった。
(急坂の連続)
(難所覗き)

難所覗きからはまた急登は続いた。階段があったり梯子があったりしたが、左手には駒ヶ岳から鬼ヶ面山、鋸岳の岩山が全体像を現した。手前の紅葉にも陽が当たればもっと綺麗になるだろうと、下山時が楽しみになった。
(駒ヶ岳・鬼ヶ面山・鋸岳)

更に登ると左右の紅葉がますます綺麗になってきた。特に、空に満月が丸く浮かんでいて、日本海のこちらに一面に色付いた山の斜面が朝日に燃えている様は絵になる光景だった。
(昼の満月と西側の紅葉)
(東面も紅葉)

いっぷく処という所まで登ると、雨飾山の山頂らしきところが見えてきたが、朝日が逆光でよく見えず、これも午後の楽しみになった。
やがてミズバショウの葉が茂る池があり、中ノ池という看板が立っていた。初夏には見事な白い花が咲いていたのだろう。ここから更に急登を登ると、団体さんが下ってきて交わすのに時間がかかったが、小谷温泉から登って雨飾温泉に下るところだという。雨飾温泉までの狭い道を団体用のバスが上がってこれるのか、道の広いところまで歩くのか心配になった。
小谷温泉からの道との合流点まで登ると、一面の笹の原っぱになった。その向うに雨飾山が見え、山頂には大勢の登山者がたむろしており、登り道には登る人下る人の行列が出来ていた。ここまでの登山道ではそれほどの人には出会わなかったので、殆どが小谷温泉側から登ってきた人たちなのだろう。ここまで来てやっと人気の山を実感できた。
(雨飾山は紅葉の向うに)
(笹原を横切って雨飾山へ)

笹原の中の道を進んで大勢の登山者と交差しながら山頂直下の急坂を登ると、石碑が並ぶ山頂に出た。二等三角点と山頂標柱のある本当の山頂は少しだけ離れたところにあった。今年7月に登ったばかりの火打山が笹平の上すぐ近くに見えていたが、一緒に登った妙高山が手前の山に隠れているのが残念だった。北アルプスあたりが見渡せるが、さっきの山頂の方が展望がいいように思った。証拠写真のシャッタを押してもらってから、空いたところに座り込んで昼食にした。
(雨飾山山頂)
(もう一つの山頂)

空腹を満たしてから始めの山頂に戻って、改めてゆっくりと山座同定を楽しんだ。まず目を惹くのが白馬岳から雪倉岳、朝日岳そして日本海まで落ち込む去年7月に歩いた栂海新道の稜線だった。その左の唐松・五竜の更に左にすっくと聳える鹿島槍がやけに目だって見えた。来年こそは登りたいものだ。雲の加減でときおり、はるか彼方に槍ヶ岳の鋭鋒も頭を出していた。
(北アルプス展望)

目を南東に向けると戸隠のぎざぎざとした山並みが見え、その左に高妻山が高く聳えていた。この山も登り損ねた山である。
(乙妻山・高妻山−戸隠連山)

下山途中、妙高山が見えないかと合流点から少し足を伸ばして、小谷温泉からの道と焼山からの道の合流点まで行ってみたが、妙高山はやはり手前の山に隠れたままだった。
(笹平の向うに焼山・火打山)
(笹平まで足を伸ばした)

雨飾温泉への下りは登ってくる人もなく快調に歩けた。道傍の紅葉は太陽を受けて一段と輝きを増して綺麗になっていた。ただ、期待した雨飾山山頂の紅葉は北面なので陽が当たらず、鬼ヶ面山には薄雲がかかってきて紅葉とのコントラストには迫力が欠けていた。
(下山時は紅葉に陽が当たった)

14時過ぎに雨飾温泉まで下ると、団体さんが温泉から出てきてバスに乗り込むところだった。ここまでバスが入ってくるのだと始めて認識した。我々も温泉でゆっくりと汗を流してから車を走らせた。土曜日の夕方は明日の登山者の車が沢山登ってきて交差に苦労するだろうと心配していたのだが、出合った車はマイカーは一台だけ、3台のバスに出合ったが、丁度道の広いところで交わせて安堵した。電話した時に雨飾温泉が満員だったのはツアー登山でいっぱいだったのだろう。
日没にまだ時間があったので、親不知海岸に沈む夕日を見たくて糸魚川からR8を西走して親不知ピアパークに入った。日没を待つ間にレストランで名物らしいタラ汁定食でお腹を満たしてから夕日を待った。高速道のピア列と真っ赤な夕日が綺麗だった。もう一つの親不知記念広場にも車を走らせて、ここで海面に沈む夕日を最後まで眺めていた。
栂海新道の降り口にも行きたい気もしたが、和子が「剱の帰りにバスの中から眺めたばかりだ」と言うので止めにした。
(親不知ピアパークからの夕日)
(親不知記念広場から落日を拝む)

日が沈んでから親不知ICから北陸道に乗り、途中、米山SAに立ち寄って明日の昼の食料を調達してから、新潟JCTを日本海東北道に入って豊栄SAに駐車した。このSAにはレストランも売店もないが、暖房が利いた綺麗なトイレがある。大型車と小型車の駐車場所を遠く離してあるので、昨夜のように騒音に悩まされることもなく静かな夜を過ごすことが出来た。

(3日目:日本国)
「日本国」とは変わった山の名前だが、その由来には色々な説があるらしい。日本国山頂にあった山北町の説明書にも聖徳太子の時代から江戸時代に至るまで諸説があって、「千古の謎を秘めた山である」と締めくくっている。
555mの山頂に至る登山ルートは土地の人たちが大事に守っているようで、手入れが行き届いていて気持ちのいいハイキングコースになっていた。
(山頂の展望台にあった名峰日本国の由来書)

コースタイム
豊栄SA(朝食) 6:25 = 6:40 中条IC = 8:10 小俣集落 8:30 ---- 8:35水場----松ヶ峰----沖見休憩所----蛇逃峠----10:00 日本国(昼食)10:50 ----蛇逃峠---- 蔵王堂----蔵王堂登山口----12:00 小俣集落 12:30 =13:10 笹川流れ(昼食)13:40 ---- 15:00 中条IC ---- 16:00 三川IC ---- 16:50 猪苗代IC = 17:55 小野IC = 18:50 中郷SA(夕食) 19:20 = 19:35 日立北IC = 20:20 日立自宅
(日本国登山ルート)
(登山ルートの標高差)

豊栄SAで朝日を向かえ、バーナで朝食を作った。朝食を済ませてカーナビの示すままに中条ICで高速を下りて海岸通りの道R345を北上していった。一般道の70kmの距離はなかなかの距離だが、海岸線には笹川流れなどの風光明媚なところが続いて飽きることはなかった。、
(豊栄SAでの日の出)
(笹川流れ)

小俣の集落の入口に旧小学校の設備を使った「日本国ふれあいパーク」があり、その向かいに鳥居状の門と大きな案内板がある小俣登山口があった。パークの駐車場に車を入れて小俣登山口から登り始めた。
登山道はところどころ分かれ道があったが、いずれも直登道と巻道で、巻道の方がよく歩かれているようで直登道は藪っぽくなっていた。
登り始めてすぐに水場があった。ラジウム清水と言う名前を付けてあったが、冷たくて美味しい水だったので、ペットボトルの水を入れ替えた。
(小俣登山口)
(ラジウム清水)

ラジウム清水を過ぎた所から尾根道になり、勾配が少し急になってきた。ブナの林の中を登って行って少し平らになったところが松ヶ峰広場であり、小広くなっていた。更に登ると日本海側が開けたところがあり、ここが沖見休憩所で粟島が眺められた。視界が良ければ佐渡島まで見えるらしい。
(急坂)
(沖見休憩所から粟島)

沖見休憩所からはなだらかな稜線上の道になり、気持ちのいいハイキング道である。最後に少し登りきると蛇逃峠に出て、展望がよく休憩舎も立っていた。
(雑木林の中の快適な尾根道)
(蛇逃峠)

峠からは少し下り道になり、鞍部に日本国の山名の由来の一つになっている鷹待場の看板があって、ここから新潟県と山形県との県境を登っていく。直登道が藪化していたので全部巻道を登っていった。ワラビシダの茂る山頂は広く、二等三角点のそばに山名標柱があり、立派なガラス張りの休憩舎や展望台があった。展望台の上にある山名方位板にある朝日連峰や飯豊山などが見渡せたが、鳥海山は霞んでいてどうしても確認できなかった。
(日本国の展望台)
(日本国山頂)

山頂でコーヒを飲んだりしながらゆっくり休んでから下りにかかった。蛇逃峠までは往路を下ったが、10人ばかりの登山者と出合った。休憩舎の中にあったサイン帳には昨日の登山者は5人だけだったが、今日は日曜日なのでもっと多いのだろう。
峠からの下り道はなかなかの急坂だった。椿の木の多い林の中をジグザグに下っていった。下りきったところに社があり、達筆で書かれた蔵王大権現の名板がかかっていた。こちら側の登山口には蔵王堂登山口と名前が付いていた。
(下りは急坂の連続)
(蔵王堂)

蔵王堂から直ぐに車道に降り立ち小俣の集落に向かうと、集落の入口に「ここから小俣宿」と表示されていた。ここからの古を感じさせる集落の家々の玄関には、それぞれの本名のほかに屋号の表札がかかっていた。みんなで村の歴史を守っておられるのだろう。
(小俣宿入口)
(すべての家に屋号あり)

駐車場所の「日本国ふれあいパーク」に戻ると、パーク内の体育館から大勢の人が出てくるところだった。今日は集落の運動会だったとのことだったが、みんな歳を感じさせる人が多くて、ご多分に漏れず部落高齢化の波が止まらないようだった。

帰りの車はやはり海岸通りを走って、笹川流れの直販所に立ち寄って美味しい潮味のするうどんを頂いてから中条ICから高速に乗り、100km毎のICで乗り直しを繰り返しながら、始まったばかりの休日昼間割引と通勤割引とを活用して、高速代を半分にして日立まで帰ってきた。




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