V112.北八ケ岳と蓼科山
(九大山岳会20年度秋の山行)

1.動 機
今年7月のノルウエートレッキングに同行させていただいた九大山岳会関東支部から、秋の山行の案内を頂いた。1日目にノルウエーの報告会と懇親会を行い、翌日北八ケ岳の白駒池あたりの山を周回するという計画だった。繋ぎ役の小林啓ちゃんは都合で欠席だったが、楽しい九大山岳会の方々に会いたくて、勝手に参加させてもらった。
お天気は今ひとつだったが、散り残りの紅葉の中の賑やかな山行を楽しみ、一日延泊してまだ登ったことがなかった蓼科山にも登ってきた。

2.データ
a)山域:丸山(2330m)、中山(2496m)、ニュー(2352m)、蓼科山(2530m)
b)登山日:2008/11/8(土)曇、9(日)曇、11/10(月)曇
c)コースタイム:
1日目:日立自宅 = 日立南IC = 佐久IC = 女神湖 = 立科山荘(懇親会、泊)
2日目: 立科山荘 = 麦草峠 --- 丸山 ---- 高見石 ---- 中山 ---- ニュー ---- 白駒湖 ---- 麦草峠 = 立科山荘(泊)
3日目:立科山荘 = 五合目登山口 ---- 将軍平 ---- 蓼科山 ---- 将軍平 ---- 五合目登山口 = 佐久IC = 日立南IC = 日立自宅
d)同行者:九大山岳会会員41名(男28、女13)、和子
e)地形図:1/25000 「蓼科山」

3.山行記録
1日目(11月8日):
日立自宅 9:25 = 9:35 日立南IC = 10:10 桜川筑西IC = (R50) = 11:50 太田桐生IC = 12:10 波志江PA 12:15 = 12:55 横川SA(昼食) 13:30 = 碓水軽井沢IC = 12:50 佐久IC = 13:35 女神湖 13:40 = 14:50 立科山荘(懇親会、泊)

天気が良ければ早朝に我家を出発して蓼科山か黒斑山に登ってから懇親会会場に向かう積りだったが、前夜の天気予報では雨が降りそうだし、風邪気味で体調も悪かったので、直接懇親会場に向かうべくゆっくりと我家を出発した。首都高を通過するのは気が重いので、北関東道とR50を繋いで走ったが、心配したR50も空いていて快調なドライブになった。休日は昼間でも100km以下は高速料金が半額になるので、適当なICで途中下車しながらゆっくりと走った。上信越道に入ると周りの山々の紅葉で綺麗に見え、浅間山の噴煙も見えて、風邪を引いていることも忘れて「これなら今日一登りするんだったかな」と言いながら走った。宿舎そばの女神湖に立ち寄ってみると、カラマツの紅葉に彩られた蓼科山が湖面に写って綺麗だった。
(女神湖と紅葉の蓼科山)

宿の立科山荘に到着すると、殆どの人はすでに到着済みで和やかな話の輪がいくつも出来ていた。主幹事のFjさんに指示された割り当ての部屋に入り、皆さんに挨拶しながら飲み物など飲んでいるうちにノルウエー報告会になった。報告はノルウエーの計画者のTnさんが延べ6時間も撮影したビデオを35分に編集されたものが放映された。操作は新入会員の20才台の青年二人が担当したが、こんな若者も入ってくるとは我々水戸アルパインクラブから見ると羨ましい限りだ。しばし素晴らしかったノルウエーの旅の思い出に浸った。
ノルウエー報告のあとは、来年からの海外登山の計画案の説明があった。通常のトレッキング計画もいくつか説明されたが、7000m級未踏峰を攻める計画も熱を込めて説明されて、山岳会の皆さんのレベルの高さを思い知らされた。
報告会の後、風呂に入ってから懇親会になった。何回も山行に一緒させてもらってきたので、顔なじみになった方も多く、懇親会も気兼ねがなくて楽しい。懇親会の後は2次会だったが、風邪気味なので遠慮して早々に布団に潜り込んだ。

2日目(11月9日):北八ケ岳周遊
立科山荘 8:10 = 9:00 麦草峠 9:15 ---- 10:25 丸山 10;40 ---- 11:10 高見石 11:15 ----12:45 中山(昼食) 13:05 ---- 14:15 ニュー 14:20 ---- 15:35 白駒荘 ---- 16:15 麦草ヒュッテ 16:25 ---- 16:30 麦草峠 16:45 = 17:30 立科山荘(泊)
(北八ケ岳周遊コース)
(周遊コースの高低差)

7時半からのビュッヘタイプの朝食を腹いっぱい頂いて、Tnさんご夫妻の車に同乗させていただいて麦草峠に向かった。直線距離では近いが、R152を大きく下ってからR299のメルヘン街道をくねくねと登り返す。下るにつれて紅葉が綺麗になり、目の前に甲斐駒や仙丈が綺麗に見えて、慎重に運転するTnさんには申し訳なかったが、キョロキョロしながら嬉しいドライブを楽しんだ。
麦草峠の駐車場に着くと、紅葉の盛りは少し過ぎているからだろうか、心配したほどの車はなかった。日曜日なのにトイレがは閉鎖されていたのは問題。
駐車場で準備運動をしてから班編成が行われた。山行に参加する40名弱が4班に分かれて、それぞれの班長さんのリードのもとに歩き始めた。始めはシラビソの中のなだらかな道で、和やかな話声が聞こえていた。
(麦草峠で準備運動)
(始めはなだらかな登山道)

一つ小さなピークを越えて丸山への登りにかかると、登山道は岩の道になった。周りは倒木が多くなり苔むした原生林の様相になり、鬱蒼とした深い森に迷い込んだような気分になる。一歩一歩足元を確かめながらも、周りの雰囲気も味わいながら丸山の山頂にたどり着いた。
山頂標柱は新旧二本あり、それぞれの前で証拠写真の撮り合いが始まった。
(丸山への登りは岩だらけの道)
(やっと丸山到着)

丸山山頂で一休みして、次の高見石に向かった。途中、白駒池への分岐があり、一部の班はここから下っていった。ペースは遅いが頑張り屋揃いの我が班は、当初計画の全コースを歩くことになった。
高見石小屋の前にザックをデポして高見石のてっぺんめがけて攀じ登っていった。「こんな大規模な大石の重なりがどうして出来たのだろうか」との疑問の声が出たが、残念ながら我がグループにはこれに答えてくれる地質学者はいなかった。
以前来たときには、高見石の上からは浅間山や蓼科山、遠くは北アルプスから南アルプスまで見渡せたと記憶するのだが、今日はガスが多くて眼下に白駒池が雲間にやっと見えるだけだった。
(高見岩に攀じ登る)
(白駒池が見えただけ)

中山の登りにかかると、向うから下ってくるグループがあり、「富士山も南アルプスもバッチリだったよ」と誇らしげに言いながら行過ぎてゆく。中山に登りついても風が冷たいばかりでガスは晴れず、展望は皆無だった。少し過ぎたところで風を避けながら弁当を広げた。
中山から往路を引き返すグループもあったが、登ってきた岩だらけの登山道を下る気にはなれず、予定通りニューに向かって進んだ。麦草峠から天狗岳への道は一度歩いたことがあるが、ニューへの道は初めてだった。道はなだらかで、「石ころだらけの道より良かったね」と喜びながら、右が切れ落ちた尾根道を歩いていった。「ここから眺める天狗岳は格好が良いよ」と教えてくれる人がいたが、残念ながら見えるのはガスだけだった。
ニューの近くまで来ると、痩せ尾根の右前に右が垂直に切れ落ちた岩山がガス越しに見えてきた。山頂に一足先に登った仲間達が万歳をしていた。
(中山で昼食休憩)
(ニューの岩壁)

ニュー山頂へはまた岩の重なりを乗越えてゆく。勇敢な女性陣は右の岩の上を越えて行ったが、左に踏跡がありこれを辿ると危なげ無しに山頂に登りついた。バンザイしたり、ツーショットしたり色々なポーズでシャッタを押してもらった。
やはり展望がないのですぐに下山にかかった。道は丸山や中山程の岩場はなく気持ちよく歩くことが出来た。
(ニュウのてっぺんで)
(ニューからの下り)

白駒池近くまで下ると倒木が多くなり、苔むした原生林の様相になってきた。白駒池のほとりに来ると、殆どが木道になっていた。厳冬期に凍った白駒池を気持ちよく横断したことを思い出すが、今日の白駒池は一面に紅葉が浮かんでいるが、見えるのは近くだけで対岸はガスに隠れていた。
(苔むした白駒池近く)
(見えたのは近くの湖面だけ)

白駒池からが意外に遠かった。途中麦草ヒュッテでトイレを使って麦草峠に到着すると、途中からショートカットしたグループなど首を長くして待っていた。「意外に歩きにくい山道で転倒、捻挫などの事故がなかったのが何よりです。」との挨拶でお開きになった。
殆どの人はここから自宅へ向かったが、我家ほか数人が立科山荘に延泊する。同じく延泊予定のTnさんの車に乗せていただいて山荘に戻った。


2日目(11月10日):蓼科山
立科山荘 8:35 = 8:45 七合目登山口 9:00 ---- 10:00 天狗の露地 10:05 ---- 10:30 将軍平 ---- 10:55 山頂ヒュッテ 11:00 ---- 11:10 蓼科山 11:20 ---- 11:30 山頂ヒュッテ 12:00 ---- 12:25 将軍平 ---- 12:45 天狗の露地 ---- 13:15 七合目登山口 13:35 = 14:30 佐久IC = 14:55 横川SA 15:15 = 16:00 太田桐生IC = (R50) = 17:40 桜川筑西IC = 18:15 日立南IC = 18:30 日立自宅

蓼科山は、弘昌さんから2度も登ったという山行記をメールで流されて刺激され、我家の登りたい山の上位になっていた。なかなか踏ん切りがつかないでいたが、この度の九大山岳会の懇親会会場が蓼科山のすぐ近くだったので、一日延泊して翌日登頂して帰ってきた。
当初は女神茶屋から登って天祥寺原に下りる周回ルートを考えていたのだが、風邪の具合が思わしくないので、一番らくちんな七合目登山口からの往復登山にした。
(蓼科山登山ルート)
(登山ルート標高差)

立科山荘で朝食を頂いている時、蓼科山らくちん登山の話をしたら、女神茶屋から往復登山を計画されていたIchさん夫妻も同行されることになった。
TnさんやYsさんに見送られて川本車先導で登山口に向かった。御泉水自然園の先に広い駐車場があったのでここに駐車しようとすると、Ichさんは「登山口はもっと先だよ」と言って100m先の登山口前まで車を進めて駐車した。
駐車場で身支度を整えて、蓼科神社の大鳥居の下を通って登山道に入った。始めは広く歩きやすい道だった。周りの樹木にもやもやと垂れ下がったサルガシオも珍しかった。
(七合目からスタート)
(ブナ平)

だんだんと登山道の勾配が急になってきて、石ころだらけの広い直登道にジグザグに踏跡が付いていた。石ころを踏むのが嫌なので、4人揃って踏跡を忠実に辿っていった。
一汗かいたところに「天狗の露地」という看板があり、右手に開けたところがあった。そこは石の重なりで出来た展望台になっており、一休みするのに丁度良い。全体に雲が多くて蓼科山の山頂は隠れていたが、下にはカラマツ林の紅葉の中に女神湖が光っており、遠くに雲の流れの合間に奥穂高から槍ヶ岳の山並みなど見渡せて気持ちの良い展望台だった。
(天狗の露地から女神湖)
(天狗の露地から北アルプス)

天狗の露地からまたゴロ石の急登を頑張って登りきると蓼科山荘が建つ将軍平だった。目の前に樹氷で真っ白になった蓼科山の山頂が見えていた。大河原峠から4人の若者が登ってきて、「こっちには展望の良いところはなかったよ」と教えてくれた。大河原峠ルートも考えてはいたのだが、七合目から登ってきて良かったようだ。
若者に先導されながら蓼科山へ最後の登りにかかった。ここからの登山道は始めから大石の重なりになっていて、樹氷のトンネルの下を足場を選びながら登っていった。
(将軍平から樹氷の蓼科山)
(樹氷のトンネル)

中ほどまで登って振り返ると、蓼科山の樹氷の向うに見える一面樹氷に覆われた前掛山の平らな山頂が美しかった。
大石の重なりはどこまでも続き、上の方では大石の頭に氷が貼り付いていて、うっかりこれに足を乗せるとつるりと滑る。両手で樹木や石の頭を掴みながら一足づつ慎重に登った。
(蓼科山中腹から前掛山)
(岩の重なり)

登りがなだらかになると樹木は低木になり、樹氷の細かい模様をすぐ傍に見ることが出来るようになった。下草も霧氷に飾られ、石ころにもえびの尻尾が出来ていて、幾何学模様の写真撮影に忙しくなった。ここには山頂のヒュッテがあったが、今はもう休業中になっており、その入口に大勢の人がたむろして風を避けてお休み中だった。
ここから100m先に山頂の標柱が見えていたが、そこまでも大石が累々と重なっていた。歩き始めると、下ってくる人が「滑るから気を付けて」と注意してくれた。ほとんどの石の頭にえびの尻尾模様が付いていて滑りやすく、いままで以上に大変だった。
やっとの思いで山頂にたどり着いて、早速証拠写真のシャッタを押してもらった。親切な若者は、日当たりの方向を変えたり、一等三角点を入れてみたり、移動しながらシャッタを押してくれた。こちらは標柱にしがみ付いて向きを変えるだけでいいのだが、若者は石の間を渡り歩かなければならないので大変だった。
(休業の山頂ヒュッテ)
(つるつる岩の山頂)

山頂はただっ広い平原状になっていて、一面大石に埋め尽くされている。蓼科神社の鳥居がその中にポツンと見えていたが、氷に覆われた大石を渡り歩くのはとても無理だ。我家はそれほど信心深いわけでもないので、お参りは割愛した。風が強くて冷たいので、ガスの晴れ間に時々姿を現す北アルプスや乗鞍岳、御岳山、木曽駒などを眺めてから山頂ヒュッテまでそろりそろりと引き返した。
風の弱いヒュッテ前の斜面に陣取って、八ケ岳や南アルプスが姿を現すのを楽しみにしながら昼食をとった。南アルプスは仙丈岳だけ、八ケ岳は阿弥陀岳の右までで赤岳はついに姿を現してくれなかった。
(西方展望:中央アルプス・御岳山・乗鞍岳・北アルプス)

ヒュッテの前でIchさん夫妻と別れて下山にかかった。登った時から1時間程度経過しただけだが、登山道の石の頭の霜はほとんど溶けていて、滑る心配がなくなっていて助かった。それにしても朝の登り道や山頂の凍った石の登山道には参った。もう一週間も遅かったら我家では山頂まで到着できなかったかもしれない。
登山口に着いたら後は車で帰るだけ、盛りの紅葉を楽しみながら上信越道をゆっくりと走り、北関東道、R50と往路を走って18時半に無事我家に戻ってきた。
(下山時には氷は溶けていた)
(上信越道からの紅葉)





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