W73.宝剣岳と木曾駒ヶ岳

1.動 機
各地で梅雨が明けていよいよ夏山シーズン到来だが、いままで久しく低山歩きばかりしてきたので、これから始まる山の会の夏山山行に参加して付いて歩けるか心配になってきた。その前に一度楽な3000m級の山に登って身体を高山に対応させておきたい。その事始として、ロープウエーで登ることができる木曾駒ヶ岳にした。
木曽駒ヶ岳に登るなら空木岳にまで縦走しようと計画したが、前日に縦走に好都合な乗越浄土の山小屋に連絡したら、学生の団体の予約が入っていて超満員だと言われ空木岳は諦めることにした。宝剣岳から木曽駒まで歩くだけなら麓から日帰りが可能だが、高度順応するためには高地で一泊はしたい。空いていると評判の玉ノ窪山荘に泊まって木曾前岳まで足を延ばし、次の日に千畳敷カールをゆっくりと歩くことにした。

2.データ
a)山域:木曾駒ヶ岳(2956m)、宝剣岳(2931m)、中岳(2925m) 、木曾前岳(2826m)
b)登山日:2009/07/23(木)曇時々晴、24(金)小雨のち曇
c)コースタイム:
22日:日立自宅 14:20 14:30 日立南IC 15:35 佐野藤岡IC =(R50) = 16:05 太田桐生IC = 17:10 波志江PA 17:30 = 17:10 姥捨SA 17:30 = 17:10 梓川SA 17:30 = 19:05 小黒川SA(夕食・車中泊)
23日:小黒川SA(朝食) 6:20 = 6:30 駒ヶ根IC = 6:35 菅の台バスセンタ 6:45= 7:30 しらび平駅 7:35 =(ロープウエー)= 7:45 千畳敷駅
千畳敷駅 8:00 ---- 8:45 極楽平 ---- 9:05 三ノ沢岳分岐 9:15 ---- 10:00 宝剣岳 10:05 ---- 10:30 乗越浄土(昼食) 10:55 ---- 11:15 中岳 11:25 ---- 12:00 木曾駒ヶ岳 12:25 ---- 12:55 玉ノ窪山荘 13:20 ---- 13:35 木曾前岳 14:15 ---- 15:10 玉ノ窪山荘 (泊)
24日: 玉ノ窪山荘 6:45 ---- 7:10 木曾小屋 7:15 ---- 7:25 木曾駒ヶ岳 7:35 ---- 8:00 頂上山荘分岐 ---- 8:50 濃ヶ池近道 ---- 9:20 濃ヶ池 9:35 ---- 10:40 駒飼ヶ池(昼食) 11:05 ---- 11:35 乗越浄土 12:00 ---- 12:25 千畳敷カール 12:35 ---- 12:40 千畳敷駅
千畳敷駅 13:00 =13:10 しらび平駅 = 13:55 菅の台バスセンタ 14:05 = 14:10 こまくさの湯(入浴・夕食) 15:40 = 15:45 駒ヶ根IC = 16:30 梓川SA 16:50 = 18:30 波志江PA(仮眠) 23:50
25日:= 0:05 太田桐生IC = (R50) = 0:30 佐野藤岡IC = 1:40 日立南IC = 1:45 日立自宅

d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「木曾駒ヶ岳」

3.山行記録
(前日:アクセス)
木曾駒ヶ岳の登山口、中央道の駒ヶ根ICまで行くには首都高を通過するのが一番近道だが、40kmほど遠回りして北関東道周りにした。距離は少し遠いが、首都高の渋滞の心配がないのが一番、首都高料金や近郷高速料金がかからないので高速代も安くなる。
午後2時過ぎに我家を出発し、日立南ICから常磐道に乗り、北関東道経由東北道に入って佐野藤岡ICで一旦高速を降りた注)。 R50も通勤時間前で快調に走ることができ、太田桐生ICからまた北関東道に乗った。波志江PAで一度休憩して関越道、上信越道を走り、更埴JCTから長野道に入って南下、姥捨SAまで一気に走った。姥捨SAで休憩後、北アルプスのパノラマ展望を期待して梓川SAにも立ち寄ったが、生憎の曇り空、常念岳から蝶が岳あたりが雲の上に頭を出しているだけだった。
岡谷JCTから中央道に入って、19時過ぎに今夜車中泊する予定の小黒川PAに到着した。東側の空が夕焼けに燃えて、木曽駒から経ヶ岳が綺麗だった。夕焼けがあると東に雲がないのだから翌日の天気が良いという。嬉しくなってPAのレストランで夕食をとって早々に眠りに付いた。

注)(今までのETC割引は100kmをオーバすると全体が適用外になっていたので、100km未満の壬生ICで一旦下車し出口でUターンして高速に乗りなおしていた。7月8日からは100km以上走っても全体料金から100kmまでの料金が割り引かれ、100km以上は距離低減料金の効果があるので、途中で乗りなおすよりも割安になった。これからは小細工が不要になり、IC出口でUターンする車が激減してICの安全度が増すことだろう。)

(1日目:宝剣岳・木曾駒ヶ岳・木曾前岳)
早く寝たので早くに目覚めて、夜明けと共に起き出した。PAのレストランは開いていないので、バーナを出して朝食を作って食べた。身支度を整えてから発車して、駒ヶ根ICで降り、近くの菅ノ台バスセンタまでマイカーで走り、400円の駐車料金を払って駐車場に入った。「何日駐車しても追加料金はなしですよ」という係員さんの笑顔が嬉しい。
タイミング良くやってきたしらび平行きのバスに乗って、ロープウエー駅までのくねくね道を800円で運んでもらった。渓流の流れ、谷間の滝群、時々視界が開けたときには宝剣岳などの山並みも楽しめた。もうハイシーズンに入ったようで、平日なのにこの時間にもう上から下ってくる臨時便や団体用のバスも多く、何回も待合わせしながら交差した。
しらび平に到着してロープウエーの往復券を2200円で購入し、学生達で賑やかな乗車の列に並んだ。60人定員なので次の発車便には数人前で切られたが、混雑している時は9分おきのフル運転だ。たいして待たされることもなくロープウエーに乗ることができた。スピーカから流れる「ロープウエーの役目、三段に変わる樹相の説明、次々に現れる見事な滝群の話」などいろいろな説明を聞いているうちに、あっという間に千畳敷に到着した。
(60人定員のロープウエー)
(落差のある滝がいっぱい)

千畳敷駅は観光客や学生でごった返している。「トイレは上まで40分間ないからここで済ませておけ」の先生の注意に「40分も!マジ?!」と女生徒の反応。我々もトイレを使って前の広場で宝剣の岩稜を見上げながら一休みした。どれが宝剣岳の山頂か判らないが、どの峰も鋭く尖っている。まさかこの稜線の上を歩くわけではないだろうと話し合う。
殆どの人は駒ヶ岳や千畳敷に向かって歩いていき、駒ヶ岳神社の前から左に曲がって極楽平に向かう人はわずかだった。
登山道は始め石の重なる道、やがて丸太の階段道になり、花の写真を撮りながら歩いていると、同年代とおぼしき3人組の人が追いついてきて、これから空木岳へ縦走するのだと張り切っておられた。この時間に千畳敷駅に上がって来ることができれば、我家でも十分に木曾殿山荘まで歩くことができそうだ。
(賑やかな千畳敷駅)
(手入れの良い極楽平への道)

手入れの行き届いたジグザグの登山道の両側には、いま高山植物の花盛りだった。すぐ近くの写真の撮り易いところに咲いているので、せっせとシャッタを押しながら登っていった。写真に残っている順に書くと、ナナカマド、キバナスミレ、クロユリ、ショウジョウバカマ、イワカガミ、ミヤマキンバイ、アオノツガザクラ、シナノキンバイ、チングルマ、コバイケイソウ、ミヤマタネツケバナ、イワツメクサと多彩だった。
45分で極楽平の尾根に登りつくと、向かいに三ノ沢岳が格好よく見えていた。空木岳組はここで右に分かれていった。
(お花がいっぱい咲いていた)
(極楽平・後は三ノ沢岳)

極楽平から三ノ沢岳分岐まではしばらくなだらかな稜線歩きが続く。天気が良ければ左に三ノ沢岳、右に千畳敷カール、目の前に宝剣岳の岩山を見ながら歩く楽しい道なのだろうが、今日はガスが濃くて何も見えない。三ノ沢岳もだんだんとガスの中に隠れてきた。代わりに足元の花々を楽しみながら歩いていった。ハハコヨモギ、コマウスユキソウ、ミヤマシオガマ、ミヤマツメクサ、ハクサンイチゲ、コケモモと新たな花も加わってきた。
分岐から格好よく見える三ノ沢岳に寄り道したい気持ちもあったが、往復4時間ぐらいかかりそうなので諦めた。分岐でガスが晴れて宝剣岳の展望が開けないかとしばらく待ってみたが、一向に好転する気配がないのでそのまま進んだ。
分岐からガレ場を少し下ればいよいよ核心の岩稜が始まるようだ。ストックをザックに仕舞って歩き始めた。
上の崖から二人の男性が下ってきて挨拶を交わすと、頼りなげな老夫婦を見て心配になったのか「この先何回も岩のピークを越えるよ」と注意してくれた。和子が先に岩場に取り付いて登り始めると「ベテランかな」と少し安心した気配だった。私も後に続いて登り、曲がり込んで最初の岩頭の上に出ると、下から手を振ってくれてシャッタを押していた。
岩場にはコースに沿ってペンキの○印が付けてあり、行き止まりには×印が付けてあり、足場、手掛かりは多いので歩くのにあまり苦労はしない。ただ、間違えれば千尋の谷底まで転げ落ちて一巻の仕舞いである。岩の隙間の可愛い花の写真撮影は適当にして、慎重にゆっくりと足を進めた。
二つ目の岩頭を越えて急斜度の岩塊を下ると、キレット状の草付きの鞍部だった。鞍部にはイワベンケイソウ、キバナシャクナゲなど咲いていてほっと一息ついた。
(何回も岩山を登ったり下ったり)

ここから山頂までまだまだ岩場登攀が続きそうで気を引き締め直した。クサリや梯子場がたびたび現れ、大岩の下を潜ったり、大岩の上に攀じ登ったりしながら登っていくと大きな岩の麓に出た。鎖は岩の左に付いているが、指導標はないがこれは下山用で、ナビを見ると山頂はすぐ上にあるようだ。
(大岩を潜ったり、乗り越えたり)

岩の右に巻いて上がっていくと向かいに尖った岩があり、その前に小さな「宝剣・2931m」の山名板があった。振り返ると、ガスの間から辿ってきた累々とした岩の重なりが見えていた。よく無事にここまで来たもんだ。ガイドブックでは360度の大展望があるという山頂だが、今日は生憎、麓の千畳敷さえも見えない。
いつもはセルフタイマーでツーショット写真をとるところだが、ここは足場が悪くてタイマーをかけて移動するのは危険きまわりない。別々にシャッタの押し合いをした。山頂標の近くに小さな祠があり、その前でも証拠写真の取り合いをした。
直立する大きな巨岩の上が本当の山頂かも知れないが、これに攀じ登るのは年寄りに冷や水と心得て、このまま次に向かうことにした。
(狭い宝剣岳山頂ではツーショットは無理)

下山は乗越浄土に向かって北の岩尾根に取り付いた鎖を辿った。クサリ場のトラバースは左側が谷底に深く切れ落ちていてここも怖い。乗越浄土から空身でやってくる人が多く、すれ違いが多くて注意が必要だ。可愛い花を眺めながら対向者をやり過ごした。
ペンキの○印を辿りながら下っていくとほどなく宝剣山荘の上に出た。
(乗越浄土までの下りも岩場の連続)
(岩場にもお花が賑やか)

乗越浄土から中岳方向に直進するか、時間があるので濃ヶ池に回ってから駒ヶ岳に登るか迷ったが、山荘前から谷間を見下ろすとガスの中に濃ヶ池はずいぶんと低いところにあるように見え、あそこまで下って登り返す元気は消えうせた。
乗越浄土には「コマクサ増殖20周年・平成8年」の立札があり、囲いの中に数輪のコマクサが咲いていた。30年以上育ててもこれだけかと、気の遠くなるような努力を続けている人に敬意を払いながら可愛い花を拝ませていただいた。
駒ヶ岳に向かうのに中岳を越える道と、中岳を左に巻く道があったが、「巻き道は危険」と表示されていたので中岳越えをすることにした。ガスが濃くて中岳がどの程度の高さか実感できないが、登りわずか60mを信じて登っていった。それにしても今日の和子は元気が良い。いつもなら2700mを越えると頭が痛くなってペースが落ちる和子だが、今日はどんどん登っていって、後を追いかける私の方が胸が高鳴り頭が痛くなってきてペースダウンをお願いした。
(乗越浄土のコマクサ植栽地)
(濃霧の中を中岳に向かう)

ゆっくり歩いて20分、登りついた山頂は沢山の大岩と人だかりで満ち溢れ、どこが山頂だか定かでなかった。高見を一回りして、とりあえず指導標の前と「駒ヶ嶽」の祠の前で証拠写真を撮った。
このあたりからだんだんとガスが晴れてきて、駒ヶ岳の山頂も見えるようになってきた。中岳からの下り道には黄色いミヤマキンバイのかたわらに青いオヤマノエンドウが咲き誇って、女性群の注目を集めていた。
(中岳山頂)
(頂上山荘のある鞍部)

頂上山荘のある鞍部から登り返していくと、中腹から大石の重なる道になり、元気な学生達の団体が賑やかに下ってきた。「元気を少し分けて頂戴」と話しかけると「分けて上げられるものならね」とにべもない。「投げキッスで良いよ」と言ったら「先生、どう返事したらいいの」
念願の標高2956mの木曾駒ヶ岳の山頂に登りついたが、こちらはおばさん、おじさんの大集団で落ち着く場所もない。残念ながら展望がまた翳ってきて、神社にお参りしたり、お八つを食べたりしながら晴れ間を待ったが、一向に好転に兆しがない。大集団が下って行ってから、山頂標柱の前で証拠写真を撮って玉の窪山荘に向かって下り始めた。200mの下りである。
(元気で賑やかな学生さん)
(木曾駒ヶ岳山頂)

ガイドブックで木曾頂上小屋近くにコマクサが多いと聞いていたので、目を皿のようにして下っていったが、ミヤマウスユキソウやミヤマシオガマなど他の花は色々と多かったが、コマクサの花は見つけることができなかった。
鞍部に近付くと大岩が重なったところがあり、○○霊神と記した石碑が林立し、鳥居の奥に心明霊神の像が祭ってあった。木曾側の部落の人たちの信仰の山だったのだろうか。ロープウエーで登ってくる人がここまで来る事はないだろう。
玉ノ窪山荘に到着すると、ご主人が笑顔で迎えてくれて、暖かいお茶の接待を受けた。熱いお茶とカリカリ梅を馳走になって元気を回復し、向かいの木曾前岳に空身で登ってみることにした。今日歩いた宝剣岳から中岳、木曾駒ヶ岳の山並みを眺めてみたかった。
(心明霊神)
(玉ノ窪山荘)

木曾前岳の登り道にも色々な花が実に多かった。ヨツバシオガマ、ミツバオウレン、ミネズオウ、イブキボウフウ、ヒメシャクナゲなど初顔も多く、シャッタを押す手も忙しい。
木曾前岳の山頂へは登山道から分かれた薄い踏跡が伸びていた。ガスが時々晴れてきて、三山が峰を連ねて見えるチャンスが多くなってきた。前岳山頂でこれをバックにツーショット写真を撮ろうかと狙ったら、このときには運悪くガスが湧き上がってきたところだった。
木曾前岳の先に標柱の立ったピークが見えたので、時間つぶしに尾根伝いに行ってみようと歩き始めたら、ハイマツの中の踏跡は消えてしまって歩きにくくなった。已む無く藪をこいで横の登山道まで出たが、これ以上先に行く気分が消えうせてそのまま山荘に戻った。
(木曾前岳にもお花がいっぱい)
(木曾前岳山頂)

山荘に戻ると、屋根のペンキ塗りをしていた御主人が降りてきて「いいものを見せてあげる」と白いイワカガミの花の咲いているところに案内してくれた。「毎年数輪見つけるのが楽しみなのだが、前年と同じところに見つかるわけではない」とのこと。コマクサも小屋近くに植栽していて数株が花開いていたが、実生で育ってきたという可愛い株を見せてくれ、その時のいとおしそうな眼差しが印象的だった。
時々外の様子を眺めながら部屋の中で明日の予定など話し合っていたら、夕食前に突然ガスが消えていった。またガスが湧いてこないうちにと、ここが高地であることを忘れて前岳の中腹まで急いで登っていったら、息苦しくて息絶え絶えになった。それでも青空の下に、木曾駒ヶ岳から三ノ沢岳の稜線の向うに、空木岳から南駒ヶ岳の山々まで見渡すことができた。玉ノ窪までやってきた甲斐があった。
(夕方すっきりと晴れ渡って、大パノラマが展開)

部屋にはテレビが付いていて、天気予報に時間にはスイッチを入れた。4時の予報では午前50%午後70%の降水確率と発表されて暗然としていたが、6時の予報では一日中晴れ時々曇に変わっていてラッキーと大喜び。
炊き込みご飯、肉じゃが、野菜サラダ、ゴマごぼうに卵スープ、ご主人お手製の野菜たっぷりのご馳走が美味しかった。宝剣岳の遭難の話になり、「毎年3件ほどの転落死亡事故がある。南稜を下る時にザックを石に当てて押し出されるように墜落するのがほとんどだ」と言う。我家も当初の縦走予定では南稜を下る積りだったが、今回南稜を登りにしたので無事だったのかもしれない。「長野県では捜索費用は個人負担ですね」と聞くと、「何でも助けてもらうのが当然と言う登山者が増えてきて、警鐘を鳴らすために救助作業を有料にする話が固まっていたが、実際には適用されなかった。」「疲れた奥さんを途中に置いてきて、「助けに行ってくれ」と駆け込んできた人が、有料の話を聞いて引き返して行った。」「「同僚が足をくじいた。救助に行ってくれないと山小屋は殺人罪だ」と脅してくる登山者に「どうぞ訴えてください」と断ると、引き返して自分達でつれてきた」など甘えん坊登山者への憤懣は相当なものがあった。
山荘全体が大部屋になっている。二人で貸切の広い部屋は寒々としていて、せんべい布団を重ねて眠りに付いた。常夜灯は朝まで点いていた。


(2日目:馬の背・濃ヶ池・千畳敷カール)
朝外に出てみたが、山手は一面ガスに覆われて何も見えず、東面の平野も雲海の下。近くに見えるはずの御岳山も見ることができなかった。お手製の味噌汁の朝食を頂き。暖かいもてなしにお礼を言って7時前、霧雨模様の中を雨具を付けて出発した。
水明霊神に一日の無事をお願いして木曾駒ヶ岳へ登って行くと、足元のコマウスユキソウやイワツメクサ、ミヤマシオガマが露を含んで綺麗だった。木曾小屋の前を通るときに、木曾小屋ご主人が「どこから来たの、早いねえ」と声をかけてきた。コマクサの咲く場所を尋ねると、「案内してあげよう」といって足早に歩き始めた。足取りの速いこと、付いて歩くのが大変だった。コマクサは登山道の脇にシオガマと一緒にあちこちに咲いていた。昨日はシオガマに目を取られて見落としてしまったようだ。「山頂の鳥居の下にも咲いているから見て行きな」よと教えられ、そこにも立ち寄ったが、こちらの方が大株で株も多かった。
(露のコマウスユキソウ)
(やっと見つけたコマクサの花)

駒ヶ岳山頂に登っても、今日も何も見えない。早々に馬ノ背の方に向かって下り始めた。
ハイマツと砂礫の道を緩やかに下ると、周りはアオノツガザクラや、イワカガミ、チングルマ、コマウスユキソウ、イワツメクサ、オヤマノエンドウのほか、イワヒゲ、イワウメ、キバナシャクナゲなど賑やかだった。木曾駒ヶ岳がこんな花の多い山だとは知らなかった。
岩っぽい斜面を下ると、目の前のガスの中に馬ノ背の痩せ尾根が浮かんできた。この痩せ尾根の上を歩くのは大変だと思っていたら、尾根の左斜面のガレ場をトラバースするように道が付いていた。
(木曾駒ヶ岳は通過)
(馬の背に下る)

岩を抱くように歩くところもあったが、ここも花に慰めながら通過して尾根に上がるとハイマツの中の道になり、右下に雪渓と小さな池が見えてきた。濃ヶ池だ。
尾根の先に大岩が立っているのが見え、そこが濃ヶ池への正規の分岐点らしく見えたが、その手前に右斜面のガレバに踏跡があった。ロープで通せんぼしてあったが、自己責任でガレ場を下っていった。落石など起こしたら先行者を傷つける。慎重に足を運んだ。人が少ないところに咲くハクサンイチゲやチングルマ、コバイケイソウ、キバナシャクナゲなどが、気の所為か一段と新鮮に見えた。
雨が止んで薄日も射してきて、暑くなってきたので雨具を脱いで下り始めたが、途中、ハイマツの中を潜るところが何箇所かあってシャツがびしょぬれになってしまった。
(下に濃ヶ池が見えてきた)
(近道を下る)

道らしい道に出てから右に進むと、すぐに濃ヶ池があった。一寸前までは視界が晴れて馬ノ背の断崖が見えていて、池に写る馬ノ背を期待したのだが、またガスに覆われてしまった。一面のガスに覆われた濃ヶ池をしばし鑑賞した。
濃ヶ池の淵を回って踏跡を辿っていったが、飛び石を越えていったところで行き先が判らなくなってきた。赤いペンキの矢印が付いているが、矢印が乗越浄土を示すのか将棊頭山を指しているのか判らない。引き返したり、雪渓を登ってみたり10分もうろうろした結論は池から流れ出ている沢を下ることだった。石伝いに沢を下ると、その先の砂地の上に先人の足跡を見つけてやっと安心した。
(濃霧の濃ヶ池)
(沢の道を行く)

無事登山道に出ることができ、一休みしてトラバース道を先に進むと、このルートには上の登山道にはなかった花々を見ることができた。アキノキリンソウ、ミネザクラ、カラマツソウ、ユキザサ、サンカヨウなどの新顔のほかクロユリが沢山咲いていた。空も晴れてきて、馬ノ背の断崖を見上げながら楽しいハイキングになった。
一休みしていると、西駒山荘からやってきたと言うベテラン登山者に出合った。22日には駒ヶ岳山頂で日食を見たよと話していたが、誰でも滅多には体験できないことだろう。この男性の後ろを追うように歩いたので、この先にあった2箇所の雪渓も、そのステップを忠実に踏んで安心して通過することができた。
(ガレ沢横断)
(雪渓横断)

トラバース道はやがてカールの中のガレ場を登ることになり、だんだんと急坂になってきた。二股の別れがあったが、男性が進んだ右の道に入るとジグザグの登り、梯子や木の橋を渡ったり、急斜面の登りになった。
登りきると「駒飼ノ池」で、目の前が広いカール状に開けて、その上に山小屋が見えていた。水のない「駒飼ノ池」の畔で、歩いて来た馬ノ背の稜線、右の中岳、左の伊那前岳を見上げながら昼食をとった。
(梯子もある急登)
(駒飼ノ池・上に宝剣山荘)

駒飼ノ池からはガレ場の道を登ったが、大きく曲がりを繰り返すので、目の前の宝剣山荘にはなかなかたどり着かなかった。宝剣山荘の前まで上がると、宝剣岳が目の前に見えていたが、ここから見ると広い乗越浄土の中で小さな山にすぎないように見えた。
分岐点を左に曲がると賑やかな声が聞こえる千畳敷カールへの下り口だった。カールの上に南アルプスが浮かんでいた。聖、赤石、悪沢、塩見、千丈、北岳、甲斐駒など雲海の上に一列に並んでいた。右に空木岳が見え、その右の眼前に迫った宝剣岳の岩峰が迫力十分だった。
(南アルプス展望)

乗越浄土から左手の道の先に伊那前岳の岩山があり、すぐ近くにあるように見えた。木曾前岳に登ったので、伊那側の前岳にも登ってみるのも面白いと思ったのだが、ガイドブックで片道40分かかると知って止めにした。
千畳敷への道を下り始めると、カップル、家族連れ、大集団、色々だったが、下からどんどんと人が登ってくる。みんな「しらび平までバスに乗っているときは雨だったのに、ロープウエーで上に上がったら晴れていた」と嬉しそうな顔で登っていた。
下るにつれて後ろの宝剣の岩峰群を広く見渡せるようになり、迫力が増してきた。坂道を下りきると、下のほうに雪渓が残っていて、観光客がロープに捕まりながら雪の感触を楽しんでいた。
(千畳敷カールを下る)
(後ろに宝剣の岩稜)

お花畑に囲まれた遊歩道を歩いて剣ヶ池まで歩くと、千畳敷カールの大きな看板があり、その前で記念写真を撮る人の行列ができていた。ここから見る屏風のようにそそり立っている宝剣岳の岩峰群が素晴らしかった。これを見るだけでもロープウエーで上がってきた甲斐はあるように思えた。
大勢の観光客と一緒にゆっくりと展望を楽しんでから、ロープウエー駅に上がった。登ってくる人が多いのでロープウエーはフル運転、大して待つこともなくロープウエーに乗ってしらび平に下った。しらび平では待っている菅ノ台バスセンタ行きのバスにそのまま飛び乗った。この時間になってもまだ登ってくる数え切れないほどのバスに出合い、大変な観光地であることを実感した。
(千畳敷カール展望所)

(帰途)
バスセンタについてすぐ近くのコマクサの湯で汗を流し、駒ヶ根名物の「ソースカツどん」を頂いた。コマクサの湯で一休みしてから帰途に付き、駒ヶ根ICから高速に乗り、梓川SAで休憩した。北アルプスの展望を楽しみながらここで車中泊しようかと考えていたが、幹線を走る車の騒音が煩くて、ここでガソリンの給油だけしてから次に向かった。
コマクサの湯と梓川SAでゆっくりと休憩したので余り疲れは感じなくなり、途中猛烈な雨にも会って、どんどん走っていくと北関東道の波志江PAに到着した。時刻は18時半、ここで車中泊することにした。
コンビニでお八つを買ったりして一休みして、いよいよ寝ようと思って横になって驚いた。暑いのだ。窓を開けても外気温はまだ26°以上ある。しばらくクーラをかけて見たが、クーラを止めるとすぐに蒸し風呂になる。窓を少し開けて我慢の就寝をした。
寝苦しくて目を覚ますと23時過ぎ。少しは睡眠をとったし、これ以上眠れそうにもないので、これから夜中の運転で帰ることにした。出発して太田桐生ICを出たのが土曜日の0時を過ぎており、休日割引料金1000円也でゲートを通過した。R50はトラックの行列が繋がっていたが時速は70km超、みんな行儀の良い運転で後ろを安心して付いて走れた。佐野藤岡ICからの東北道も空いており、北関東道は全くの独走、眠気を起こさないことだけに気を配った。常磐道も空いており、日立南ICを降りて我家に無事到着したのは午前2時の前で、普段起きていることもある時間だった。予定外の夜行運転をしたが、道が空いていて返って安全だったような気がした。




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