W81.五色ヶ原から薬師岳へ

1.動 機
薬師岳の堂々たる山容を室堂や雲の平などから眺めて、いつかは登りたいと思っていた。山仲間から「薬師岳に登るなら太郎平からピストンするよりも、五色ヶ原から縦走した方が変化が多くて数段面白いよ」と薦められ、黒部湖から縦走する計画を進めていたが、今年の水戸アルパインの山行計画に入れてもらえてハッピー!!。室堂から折立まで山小屋3泊4日の長旅だったが、ハッピーと思った人は他にも多かったようで、水戸アルパインとしては久しぶりに26名の大所帯の山行になった。

2.データ
a)山域:薬師岳(2926m)、北薬師岳(2900m)、浄土山(2831m) 、獅子岳(2714m)、鳶山(2616m)、越中沢岳(2591m) 、間山(2585m)
b)登山日:2009/08/01(土)曇時々小雨、02(日)小雨のち曇、03(月)晴、04(火)晴
c)コースタイム:
前夜アクセス(7/31):森山=日立電鉄=20:50東海駅21:00=21:15勝田駅=21:50水戸駅21:55=22:20水戸IC=23:05壬生PA23:15=23:40佐野藤岡IC=(R50)
1日目(8/01):=0:10太田桐生IC=0:50甘楽PA1:00=3:05妙高SA3:15=4:45有磯海SA5:35=5:45立山IC=5:55コンビニ6:00=6:15立山あるぺん村6:25=6:45ゲート=7:40室堂BT
室堂BT8:30----8:40分岐----9:30登山口9:35----10:10浄土山10:25----10:35一ノ越分岐----11:40鬼岳東面通過12:00----12:55獅子岳----14:00ザラ峠14:10----14:35五色ヶ原入口----15:00五色ヶ原山荘
2日目(8/02):五色ヶ原山荘5:55----6:40鳶山6:45----8:00鞍部----8:50越中沢岳8:55----9:20団体通過待ち9:35----10:50スゴの頭11:20----12:00スゴ乗越12:10----13:00スゴ乗越小屋
3日目(8/03):スゴ乗越小屋6:20----7:15間山池7:20----7:40間山7:45----8:15ピーク8:30----9:00 2832mピーク----9:35北薬師岳9:55----10:55薬師岳11:25----11:45肩----12:20薬師小屋12:35----13:05薬師平----13:35薬師峠キャンプ場13:50----14:15太郎平小屋
4日目(8/04):太郎平小屋6:25----7:05五光岩ベンチ7:15----8:00ベンチ8:10----8:30三角点8:40----10:05折立
帰途:折立10:20=(チャータバス)=11:15立山11:20=11:45アルプスの湯13:45=13:50コンビニ14:00=IC=14:15有磯海SA14:35=16:00黒姫野尻湖PA16:10=17:40横川SA17:50=18:40太田桐生IC=(R50)=19:15佐野藤岡IC=19:20佐野SA19:50=20:35桜川筑西IC=道の駅=桜川筑西IC=21:00水戸IC=21:20水戸駅=21:50勝田駅=22:10東海駅=22:20日立電鉄=22:30日立自宅


d)同行者:水戸アルパイン会員24名(男11、女13)、和子
e)地形図:1/25000 「立山」「薬師岳」「有峰湖

3.山行記録
(前日:アクセス)
バスは始発の日立電鉄南営業所を定刻よりも10分早く出発したが、先々の各乗車場所でバスを待たせることもなく26名の参加者全員乗り込んできて、22時20分に水戸ICから常磐道に乗った。今回の山行への期待の高さが伺えた。バスは今迄は首都外環道を経由することが多かったが、今回は北関東道経由で走った。我家のなじみになったルートである。
バスは大型の新車で乗り心地満点だが、フラットにならない席では熟睡と言うわけには行かない。各所で休憩しながら走って北陸道の有磯海SAに翌朝5時前に到着したが、眠りが浅いので立ち寄ったSAの停車時間を全部記録することができた。有磯海SAで時間調整の朝食になったが、食欲も今ひとつだった。
立山ICで高速を下り、立山道路の料金所を6時45分に通過した。大型バスの料金は5万円超、みんなで驚く。去年下から眺めた称名の滝を上から眺め、雲間に頭を出した剱や薬師岳に感動しながら室堂バスターミナルに到着すると、もう大勢の登山者や観光客が集まっていた。早速トイレに向かったが混んでいて大変だ。1階、2階、屋上と走ってみたが、屋上は男子トイレも女性専用の立札がしてあった。女性はいつもこんな思いをしているのかと思い知る。
今日は一日雨の予報で、空はどんよりとしているが視界は開けている。雄山と並んで浄土山がなかなか堂々としている。

(1日目:室堂−浄土山−獅子岳−五色ヶ原山荘)
身支度を整え、ボトルの水を立山玉殿の湧水の水に入替えた。リーダの音頭でぐっぱ体操、ラジオ体操とストレッチをして家族ずれや団体さんの行列に混じって一の越への登山道を歩き始めた。道の両側にはシナノキンバイ、イワイチョウ、シラネニンジン、イワカガミ、オンタデなどの花々が賑やかに咲いていた。
(ぐっぱー体操)
(一の越への登山道)

当初は一の越まで登ってから縦走ルートに入る予定だったらしいが、浄土山は雄山、別山と合わせて立山三山の一座になっているので、浄土山の山頂を踏みたいとの声が高く、途中から右の浄土山への道へ分かれた。こちらに来る人は殆どいなかった。
始めは緩やかだった道もだんだんと急になってきて汗ばんできたが、道傍の花々に慰めながらゆっくりと歩いていった。ミヤマダイコンソウ、チングルマ、ヨツバシオガマ、アオノツガザクラ、ハクサンイチゲなどが加わり、それも大きな群落を作っていて賑やかだった。
小さな雪渓を渡ったところに「浄土山登山口」の道標があり、ここから斜度が急になり岩の重なりを越えていく道になった。この頃から小雨が降り出したので、みんな雨具をつけた。急坂に雨具は暑くて辛い。それでもイワツメクサ、ダイモンジソウ、クロトウヒレンなどを眺めながら頑張ると浄土山の山頂だった。
(浄土山へ分岐)
(浄土山登山口)

最初のピークに分岐があり、分岐を行くと古いお社の跡らしい石垣の囲いがあり、このあたりが山頂らしかった。その先に「人類が平和でありますように」の標柱が立っており、周りはイワカガミ、アオノツガザクラ、ハクサンイチゲ、ヤマハハコなどのお花畑になっていた。
分岐に戻って岩の稜線を行くと気象観測器の付いた塔がありその下に小さな建物があった。ここが富山大学の研究所らしい。一の越から登ってくる道がここで合流していた。
(浄土山社跡)
(富山大研究所)

ここからはアキノキリンソウ、ハクサンフウロ、ミネズオウ、エゾシオガマ、ミヤマリンドウの花が見られ、コバイケイソウの群落が見事だった。龍王岳の西を巻きながらガラガラの道を下っていくと、今度は鬼岳の東面をトラバースする道になる。
鬼岳の東面は岩が競りあがった怖いような山容をしており、巻き道の入口に「落石の危険がありますので、注意して通ってください」の注意札が合った。ガレ場を下ると大きな雪渓を渡る。広く通路を作ってあったので助かった。
(龍王岳西面から鬼岳へ)
(鬼岳東面の雪渓)

鬼岳の巻き道を通過してから振り返ると、岩山の鬼岳、龍王岳がそそり立っており、これでは山頂には道が付かないなあと納得した。
次の獅子岳には登山道があり、山頂には小さな山名板が立っていた。
(龍王岳、鬼岳を振り返る)
(獅子岳への登り)

残念ながら周りの山の展望はまるでなかったが、獅子岳は花の多い山で、ゴゼンタチバナ、クロユリ、クルマユリ、イワギキョウ、ハクサンシャクナゲ、オタカラコウ、コガネギク、トウヤクリンドウ、ウツボグサなど新手の綺麗な花が出てきた。
ここの下りでドジをした。ストックの先端を滑らせてバランスを崩し、慌てて岩肌に突いた右手の親指が岩の出っ張りに引っかかって、皮膚を掻き毟ってしまった。一緒に歩いていたOさんに血止めの応急処置をしてもらったが、いくらお花が綺麗でも、脇見運転はいけませんね。10日先のゴルフの約束を反故にしてしまった。
獅子岳を下りきったところが有名なザラ峠だ。佐々成政が冬の積雪の中を徳川家康に会うために越中からここを越えたといわれる伝説の峠だ。新田次郎の「点の記」でも、流石の宇治長次郎もホワイトアウトで一時道が判らなくなったとある。有名な峠なので何か説明板でもあるかと思ったが、簡単な道標が一つ立っているだけだった。テントを担ぎ上げた立山温泉側を見下ろしたら、私には空身でも登れそうになかった。
(獅子岳の下り)
(ザラ峠)

ザラ峠から五色ヶ原までは一登りだと思っていたが、150mの登りも、雨具を付けた寝不足の身体にはなかなか登り甲斐があった。五色ヶ原に上がると、濃いガスの中にも、草原や池塘の中に色とりどりの花々が咲いていて綺麗だった。お日様のもとで見渡せたらさぞやと思わせた。
15時に山荘に入り、早速濡れた雨具を乾燥室に入れる。山荘の人が既に渇いた雨具があると別室に運び出してくれるので、干す場所に不自由はしなかった。この山荘にはお風呂も沸いていた。ザックの整理にもたついていたら男性の入浴時間が切れてしまったが、強引に浴室に飛び込んでシャワーだけ浴びて汗を拭いたら元気が出た。山小屋で風呂に入れるのはありがたい。
(五色ヶ原へ登り返す)
(五色ヶ原山荘)

入浴後、ガスが少し晴れてきたので夕食までの時間、外に出て山座同定を楽しんだ。針ノ木岳が意外に立派な山容で見えており、烏帽子岳の尖った山も目立っていた。この辺の山はずいぶん連れ歩いてもらったので、何とか山の名前を言い当てることができて嬉しかった。
一人に一枚の布団が割り当てられ、今夜はゆっくりと眠ることができた。

(2日目:五色ヶ原山荘−鳶山−越中沢岳−スゴ乗越小屋)
夜中に雨音がしていたが、目覚めた頃には止んでいた。展望も昨日よりも澄んでいたので、パノラマ写真の撮りなおしをした。そのあとまた小雨が降り出した。
(五色ヶ原からの展望)

朝食を頂いて全員雨具を付けて歩き始めた。五色ヶ原の縁、鷲岳の麓を緩やかに登っていくと五色ヶ原の全貌が箱庭のように見えてきた。山荘もマッチ箱のように見え、振り返っては何度もシャッタを押した。
鳶山の山頂はすぐで、山頂とも思えない平らなところに山名標が立っていた。
(五色ヶ原の縁を歩く)
(すぐに鳶岳山頂)

(五色ヶ原を俯瞰)

鳶山からしばらくなだらかな稜線を歩き、その先に見える山のどれが越中沢岳かで少しもめた。谷向うの大きな山だと思い込んで、今日の宿「スゴ乗越小屋」はその遥か向こうだと気が遠くなった。Hiさんが地図を開いて見てくれると、実際は目の前の山だった。これなら何とか歩けると気を取り直した。
越中沢岳が近くに見えだすと鳶山からの下りも急坂になってきた。小さな肩を越えて鞍部に下りると、木道もある歩きやすい道になった。このあたり、トリカブト、ウサギギク、リンネソウ、タカネコウリンカ、ネバリノギラン、コケモモなどが見られた。緩やかに登り返すと越中沢岳の山頂だった。振り返ると、烏帽子岳や野口五郎あたりの山並みが雨に霞んで見えていた。
(越中沢岳が遠い)
(越中沢岳山頂)

越中沢岳は岩の多い山で、山頂付近は道がなだらかで問題なかったが、スゴの頭に向かって下り始めると難儀な岩場が続くようになった。途中で下から登ってくる20人ほどのツアーの団体さんを待つことになったが、先頭が通り過ぎても次はなかなかやってこない。最後にリーダが青い顔をした女性を連れて通過するまで15分経っていた。段差10mほどのロープ場だったが、我がグループ26名が下るにも5分以上がかかった。雨が止んでいて助かった。このロープ場を通過してからも大きな段差の岩の道が続き、岩場の経験がない気の弱い女性を励ましながらここを登らせるツアーリーダの苦労が思いやられた。
(越中沢岳からの下りは岩場の連続)

越中沢岳を下り終えて鞍部に下りると、今度はスゴの頭への100mの登りがあり、これを登ったところで弁当を広げて一休みした。越中沢岳の岩場を見返しながら、話はツアー団体の心配に集中した。
(スゴの頭へ登り返し)
(スゴの頭で弁当を開く)

スゴの頭からスゴ乗越まで250m下って、間山の中腹にある乗越小屋までまた登り返す。ハイマツの多い登山道の脇にはコケモモ、コメツツジ、ホツツジ、ニッコウキスゲ、オトギリソウ、ベニバナイチゴ、キツリフネソウなどが咲いていた。
70mほど登ったところにテン場があり、若者がテントを設営していた。小屋はそこから狭い木道を入ったところにあった。今日の小屋は小さくて超満員、二人に一枚の布団が割り当てられた。3階の屋根裏部屋もぎゅうぎゅう詰めになっていたが、小さな小屋なのでトイレの数が少ないのが最大の難点か。何時行っても行列ができていた。。
(スゴの頭からの下り)
(登り返してスゴ乗越小屋へ)


(3日目:スゴ乗越小屋−間山−北薬師岳−薬師岳−太郎平小屋)
朝目覚めると、空は晴れていて山の稜線がはっきりと見えていた。越中沢岳、スゴの頭が大きく、その右に針ノ木、船窪岳、烏帽子岳、赤牛岳の山々が連なり、やがてその上の空が赤く燃え出した。女性陣から「深夜起き出して満点の星を見上げて感激したよ」との話もあった。ヤッター! 今日は上天気だ。
(今日は上天気)

暖かい朝食を頂いてから、間山に向かって歩き始めた。今回はじめて雨具のない出発である。みんなの顔つきも声も明るい。足取りも軽く登っていくと、間山の山頂近くに小さな池があり、展望が良かった。目の前に越中沢岳、スゴの頭が大きく見え、昨日の登り下りの苦労を思い出させた。
雲海の中から形の良い鍬崎山が頭を出していて、また佐々成政の埋蔵金の話が話題になった。
(気持ちの良いスタート)
(間山池)

間山の山頂は三角点があるだけで、北薬師岳の肩のような小さなピークだが、展望はなかなか良く槍穂高も見えていた。
ここから北薬師岳まで小さなピークを越えながら主に稜線上を気持ちよく歩いた。山登りは天気がいいのが一番だ。
(間山山頂:槍ヶ岳をバックに)
(北薬師岳)

2重稜線の間を歩いたり、大きな石の重なりの上を石の頭を拾うようにして歩くところもあったが、展望を楽しみながら北薬師岳の山頂に登り着いた。山頂の一つ先のピークで休みながらゆっくりと北アルプスの展望を楽しんだ。あっ! 白山も見えている。
(北薬師岳山頂)

薬師岳の本峰はまたいくつかのピークを越えた先だった。薬師岳の東斜面は見事に切れ落ちた4連のカールになっており、「薬師岳の圏谷群」として国指定特別天然記念物に指定されている。このカールの縁を歩いていった。
(薬師岳へ)

(いよいよ薬師岳)
(薬師岳の圏谷群)

石だらけの薬師岳の山頂は広く、山頂標柱のほかに、その名の通り薬師如来を祀った祠があった。夫々に陣取って弁当を広げた。
下山の途中、先薬師のピークに立ち寄って、愛知大学山岳部13人の遭難慰霊のケルンにお参りしてきた。猛吹雪に見舞われて下山ルートを90度間違えたらしいが、誰も地図、コンパスを持っていなかったと聞いた。最近、ナビに頼りっぱなしだが、地図とコンパスの携行も忘れないようにしよう。
(薬師岳山頂)
(13名の遭難慰霊ケルン)

薬師岳から太郎平への下り始めは花も何もないガレ場だった。ガスも出てきて東側の展望も悪くなり、「これでは太郎平からピストンで登ったのではちっとも面白くないだろうな」とつぶやいていたら、聞きつけたSiさんに「もう少し下ると花も多くなり、太郎平から登ってきて展望が開けたときの気持ちが素晴らしいのよ」と教えられた。
薬師小屋で一休みしてから薬師平まで下ると言葉通りに色とりどりのお花畑が広がっていて納得した。これに展望の付録がつくなら申し分なさそうだ。
(薬師からの下りは何もないガレ場)
(お花畑が出てきた)

薬師平を過ぎると登山道は谷間の涸れ沢を下るようになり、石の頭を拾いながら下っていった。流れの脇を下るようになると、花の種類はもっと多くなってきた。
鞍部の薬師峠まで下るとそこはキャンプ場になっており、色とりどりのテントが張ってあって若者達で賑やかだった。水場には冷たい水が流れ出ており、冷たい水で喉を潤してペットボトルの水を入れ替えた。
(沢道を下る)
(薬師峠のキャンプ場)

キャンプ場で一休みしてから太郎兵衛平まで緩やかな道を登った。登山道は遊歩道のように木道や石畳で綺麗に整備されていて歩きやすい。足元のタテヤマリンドウやイワショウブなどを愛でながらゆっくり30分ばかり歩いて今夜の宿の太郎平小屋に到着した。
太郎平小屋は大きな小屋だが、多くの山に登るのに便利のいいところに建っていて宿泊者はいつも多いらしい。小屋前広場のベンチはもう大勢の登山者で賑わっていた。今夜は布団2枚に3人の割り当てだった。
(太郎兵衛平)
(太郎平小屋に到着)

小屋に着いたのはまだ14時過ぎ、夕食までたっぷり時間があった。部屋に入って寝床の用意をしてから、外に出て生ビールで乾杯!ベンチに座り込んで山談義。山小屋でゆっくりとした時間を取るのも楽しい。満員の部屋の中は蒸し暑い。夕食後も外に出て綺麗な月を見上げながら歓談が続いた。
(月夜の小屋前)
(朝焼け)


(4日目:太郎平小屋−折立)
今日は折立まで下るだけ。バスの予約は11時、6時半に出発して休みながらゆっくりと歩いた。始めは昨日登った薬師岳が話題になり、次いで目の前の雲海に浮かんだ佐々成政の鍬崎山、だんだんと大日岳、剱岳あたりが見え始め、その下に弥陀ヶ原、立山三山の峰々が連なっているのが見え出した。はるか彼方に見えている山々を眺めながら、あんな遠くから良くもここまで歩いてきたもんだとお互いの足を褒めあった。
登山道の脇のお花畑も賑やかだった。朝露が光るチングルマの果穂も綺麗だったが、黄色く輝く一面のキンコウカには女性陣の歓声が上がっていた。
(鍬崎山を正面にして下る)
(キンコウカが眩しい)

三角点を過ぎると道はだんだんと急になってきて、ついには深く掘れた歩きにくい道になってきた。平日なのにこの時間大勢の登山者がどんどんと登ってくる。みんな喘ぎながら登ってくる。下りで苦労しているのだから、登りはさぞかし大変だろうと思う。この道は3年前の高天ヶ原の時に登った道だが、そのときにはこんなきつい道だったとの記憶がない。3年分歳をとったということか。
3時間半ほどで折立登山口に着いた。やっと終わったとほっとする。
(急坂の連続)
(折立に到着)

(帰途)
日立電鉄の大型バスは有峰林道を上がって来れないので小型バスをチャータしてあった。11時の予約だったが、バスは既に到着して我々を待っていた。トイレ脇の洗い場で靴やストックを洗ってバスに乗り込んでくねくね道の有峰林道を下り、立山で待っていた日立電鉄の大型バスに乗り換えた。まずは上市町のアルプスの湯で汗を流し、小さな食堂で昼食をとり、産地直販の野菜や果物を買い込んだ。あとは立山ICから高速に乗って一路往路を走って21時に無事水戸ICまで帰ってきた。




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