W102.高妻山と飯綱山

1.動 機
以前は混み合う休日に出かけることは敬遠していたのだが、ETC割引に釣られて休日を狙って出かけることが多くなってきた。秋10月中旬の三連休の天気予報がお天気続きになったので、紅葉が盛りと期待して高妻山に登ることにした。高妻山には戸隠蟻の戸渡りを歩いた時に一緒に登る積りだったのが悪天候のために諦めた経緯がある。連休前日にゴルフコンペがあったので1日目は移動だけにして、2日目に高妻山に登り、3日目にその近くの飯綱山に登って帰ることにした。
高妻山は久弥さんも音を上げたと言う評判のきつい山だったが、予想外の曇り空になったお陰で背中を焼かれることもなく、また休日登山の大渋滞のお陰でゆっくりペースで歩くことができたので何とか登頂することができた。翌日の飯綱山は打って変わった快晴のなかの登山になり、素晴らしい展望を楽しみながら歩くことができた。
飯綱山は週刊続日本百名山や長野県山岳連名の案内図には飯縄山となっているが、山頂の標柱が飯綱山となっていたので、ここでは使い慣れている飯綱山を使うことにした。

2.データ
a)山域:高妻山(2353m)、飯綱山(1917m)
b)登山日:2009/10/11(日)曇、12(月)晴
c)コースタイム:
アクセス(10/10):日立自宅 13:35 = 13:50 日立南IC = 15:25 太田桐生IC = 17:35 信濃町IC = 18:00 戸隠キャンプ場駐車場(車中泊)
(10/11): 戸隠キャンプ場駐車場 6:00 ---- 8:05 一不動避難小屋 8:15 ---- 11:50 高妻山山頂 11:55 ---- 14:55 一不動避難小屋 15:10 ---- 16:40 戸隠キャンプ場駐車場(夕食)17:20 = 17:55 神告げ温泉(入浴) 19:00 = 19:10 やすらぎの里(車中泊)
(10/12):やすらぎの里 7:00 = 7:10 飯綱山西登山口 7:30 ---- 9:50 飯綱山山頂 10:50 ---- 13:10 飯綱山西登山口
帰途:飯綱山西登山口 13:25 = 15:45 長野IC = 20:25 日立南IC = 20:30 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「高妻山」「戸隠」「若槻」

3.山行記録
(前日:アクセス)
日立自宅 13:35 = 13:50 日立南IC = 14:50 佐野藤岡IC =(R50)= 15:25 太田桐生IC = 15:35 波志江PA 15:45 = 17:10 松代PA 17:15 = 17:35 信濃町IC = 18:00 戸隠キャンプ場駐車場(車中泊)

昼食を済ませてから13時半過ぎに我が家を出発して日立南ICから高速に乗り、最短距離になる北関東道、上信越道を経由して長野道に入り、信濃町ICで高速を降りた。連休の初日で渋滞を心配したが意外と快調に走ることができて、駐車場所の戸隠キャンプ場の駐車場に到着したのは18時丁度だった。近くのレストランは店仕舞いを始めていたので、途中で仕入れてきたコンビニ弁当で夕食にした。
駐車場は意外にすいていて静か、トイレも近い。特別に夜間照明設備はないが、自動販売機の照明や建ち並んでいるロッジの門燈などで行動に不便はなかった。外は霧雨模様で外気温6℃、車内温度8℃、夏用シュラフでは少し寒いので宇宙毛布をかぶって眠った。

(1日目:高妻山)
戸隠キャンプ場駐車場 6:00 ---- 6:15 入口ゲート ---- 6:20 出口ゲート ---- 7:10 鎖場1 ---- 7:35 鎖場2 ---- 7:45 氷清水 ---- 8:05 一不動避難小屋 8:15 ---- 8:25 二釈迦 ---- 8:35 三文殊 ---- 8:55 四普賢 ---- 9:20 五地蔵 9:30 ---- 9:35 六弥勒 ---- 七薬師 ---- 10:10 八観音 ---- 10:30 九勢至 ---- 11:40 十阿弥陀 ---- 11:50 高妻山山頂 11:55 ---- 12:00 十阿弥陀 12:30 ---- 13:15 九勢至 ---- 13:25 八観音 ---- 13:55 七薬師 ---- 14:00 六弥勒 ---- 14:10 五地蔵 ---- 14:25 四普賢 ---- 14:35 三文殊 ---- 14:45 二釈迦 ---- 14:55 一不動避難小屋 15:10 ---- 15:25 氷清水 ---- 16:45 鎖場17:00 ----16:25 出口ゲート ---- 16:30 入口ゲート ---- 16:40 戸隠キャンプ場駐車場(夕食) 17:20 = 17:55 神告げ温泉(入浴) 19:00 = 19:10 やすらぎの里(車中泊)
(高妻山登山ルート)

(高妻山登山ルート標高差)

朝目覚めると、外はまだ霧雨模様、周りの車の数は増えていたが驚くほどではなかった。5時に起きだそうかと動き始めたら、雨具を着てヘッドランプを点けた大集団がザックザックと通過していった。そのうちキャンプ場のあちこちのコテージからもヘッドランプを点けたグループが出てきてゾロゾロと歩き始めた。車中泊でなく、キャンプ場に車を置いてテントやコテージに泊って早朝登山をする人が多いのだった。そのうち、民宿のマイクロバスもやってきて登山者を降ろしていく。昨夜駐車場が意外に空いていたので、高妻山はマイナーな山なのかと早合点していたが、流石は百名山、連休の中日、大変な混雑になりそうな雲行きだ。
身支度を整え簡単に朝食をとって、雨具をつけて6時に歩き始めた。もう今日の登山者のなかでは最終集団の中だろう。はじめ牧場の中の車道を歩いて行くが、皆さんの歩くのがとても速くて付いて行けない。山歩きの頻度が多いから大丈夫だと思っていたが、毎日の地道なトレーニングを怠っているからスローになってしまったかと歳を感じさせられた。どんどん追い越されながら二つの牛止めゲートを通過して山道に入った。
大洞沢沿いの道になると道幅が狭くなり、追い越されるのには立ち止まって道を譲らなければならない。徒渉を繰り返しながら歩いていった。
(戸隠牧場入口からスタート)
(大洞沢沿いを登る)

そのうち勾配が急になってくると、皆さんの歩く速さも遅くなり、数珠つなぎの仲間に入って歩くようになった。最初の鎖場は大したこともなく登って行ったが、その上のガラガラの沢を登って行ったら、突然進行が止まってしまった。10分たっても動き始める気配がない。初心者がいて次の鎖場で難渋しているのかと思い、この調子だと下山は暗くなってしまうかもと先が心配になってきた。
まもなく上から大きなザックを担いだ4人組が下ってきた。昨夜避難小屋で過ごして今下ってきたところだという。すぐ上の長いトラバースの鎖場は登りと下りの交差ができない。誰か勇敢な人がいて、登りの登山者をトラバース前で止めて鎖場を無人にするように指揮しないと下山者は下ってくることができない。渋滞するわけだ。
4人組が通過してから、やっとゆるゆると進み始めたが、トラバース鎖場が見えるところまで来ると、岩場には登山者がずらりと並んで所在無げに進行を待っている。この先の垂直な岩場はステップが長くて小柄な女性には苦しいところだ。下の斜面の紅葉が始まっていて、なかなかきれいに色付いていて、カメラをあちこちに向けている人も多い。
(#1鎖場)
(#2鎖場)

鎖場を通過すると、また速度が速くなった。氷清水までは沢の中を石伝いに登って行き、その先の急登を登ってやっと避難小屋前に到着した。キャンプ場から2時間かかっているが、ほぼ予定時間だ。鎖場でのロスタイムはどうなったのだろう。この小屋には一不動の看板がかかっている。ここから高妻山頂の十阿弥陀まで、昔の信仰登山の名残の祠が九つ続くらしい。
行動食を口に入れて一休みして、戸隠方向の高みに上がってみたら、ちょうど雲が晴れたところで三角錐の高妻山が奇麗に見えていた。山頂付近が昨夜の霧雨が凍りついたのだろう、霧氷が白く輝いていた。それにしても高妻山はすぐそこに見える。これから3時間もかかるところとは見えなかった。
(一不動避難小屋)
(霧氷輝く高妻山)

一不動避難小屋で一休みしてから北の登山道を登って行き、何人にも先を譲りながら根っこの階段坂を登った所に初めての祠の二釈迦があり、さらに紅葉が残っている坂道を登ったピークに三文殊の祠があった。 明日登る予定の飯綱山が眼下に広がっていた。
ここからの下りからは、樹間に高妻山の山頂が見え、そこまで乗り越えなければならない幾つものピークが見えていた。大きく回り込みながら登っていくのだから見かけ以上に距離も長く、その上乗り越えるピークも多いのだから、59歳の久弥さんが山頂に登りついて、疲れ果ててそのすぐ先の乙妻山まで足を延ばす元気が失せてしまったと言わせたのもうなずける。我が家二人にはとりあえず目の前の五地蔵のピークまで登りつくのだけでも大変そうだ。
途中の四普賢を過ぎて、後ろに戸隠−西岳の岩稜を見ながらさらに急登をがんばって五地蔵の祠前に立った。多くの登山者が休んでいたが、一不動から1時間たっていた。ここで一休みして歩くと、すぐ先の分岐に「五地蔵山山頂1998m」の道標があり、登ってみると山頂標は見当たらなかったが黒姫山から飯綱山、戸隠山の展望があった。
登山道に戻って進むと曲がり角に六弥勒 の石祠があり、少し下って登り返したところに七薬師があり、ここから大きく下ることになる。下りは私の方が弱いが、八観音への岩場の登りになって和子が時々立ち止まるようになった。足の筋肉に痛みが走り、攣りそうだという。それでも和子はガンバリ屋だ、塩を舐めたり、アミノバイタルを飲んだりしながら八観音まで登りついた。後ろの戸隠連峰の手前にここまで越えてきた幾つものピークが見え、目の前には高妻山の急峻な登り坂が立ちはだかるように聳えていた。
気を取り直して少し下って次の小さなピークの九勢至に登りつくと、高妻山の斜面に登山者が数珠つなぎになっているのが見えた。休み休み歩いてきた和子は、ここで待っているから一人で登って来いと寂しいことをいう。私も二人分のザックを担ぐ元気はないので、下った鞍部に和子のザックをデポして行くことにした。
(中間点の五地蔵)
(九勢至から高妻山)

(来し方のピークを振り返る)

高妻山の登山道は急な上に狭い、11時近くなると、もう早朝に登り始めた登山者が下り始める時間になっている。この交差をするために行列は進むに進めず、登りと下りで数珠つなぎになっているのだった。しばらく登りがピタリと止まったと思ったら、下ってくるグループの中に、八観音の登りで我々を追い越して行った見覚えのある面々があり、「山頂までつながっているらしい。これでは下山が日没になってしまう。勇気ある撤退だ。」と大声でのたまいながら登る人を押しのけて下って行った。
ところどころに行司役をやってくれる人がいて、掛け声をかけてなんとか交差させながら進んでいった。岩場もある急坂を登っていって山頂部に到着すると、そこには大岩が累々と重なり、周りの木々の枝にはきれいな霧氷が凍りついて奇麗だった。すぐに十阿弥陀の石祠があり鉄の阿弥陀如来像(?)立ててあった。裏には戸隠御裏山の文字があった。
(また大渋滞)
(最後の祠・十阿弥陀)

十阿弥陀の石祠から高妻山山頂はすぐ目の前だが、山頂が狭くて、山頂に登りついた人が満足して山頂を後にするまでは後続は山頂には立てない。岩を巻いたり乗り越えたり、下山者と道を譲り合いしながら進んで、山頂に立てるまで十阿弥陀の石祠から10分かかった。
山頂に登りついたが、気忙しいのと展望も利かないのとで、証拠写真のシャッタを押してもらってすぐに下山にかかった。
(山頂までも大混雑)
(やっと記念撮影)

寸時霧が晴れて、山頂から十阿弥陀の山腹を見ると一面の霧氷で見事だった。遠くの山々を見ることはできなかったが、この霧氷の眺めで救われた思いだった。十阿弥陀の裏の岩場で風を避けながら昼食をとった。行列の行司役をやっていた親切なご夫婦と同席で、山談義に花が咲いた。
(展望の代わりの霧氷林)

もうこの時間になると登ってくる人はほとんどないので、下山はスムーズだった。途中、五地蔵のところに、東に下る踏跡があった。水戸アルパインのYuさんから鎖場を通らない登山道があると聞いたことがあったが、道標もないのでこれかどうか定かでない。近道かもしれないが違っていたら命取りだ。往路を下ることにした。
下る頃には日が差してきて、残り葉の紅葉が奇麗だった。先日の台風の通過がなければもっと見事な紅葉を楽しめたことだろう。少し残念。
(紅葉の残り葉)

三文殊あたりから振り返ると、高妻山までの幾つものピークの連なりが朝よりももっとよく見えており、よく歩いたもんだと感慨深く仰ぎ見た。
(三文殊から高妻山へのピークを振り返る)

避難小屋まで下り着いたのはもう午後3時、風が冷たかった。小屋の中に入っておやつを食べて元気をつけた。
ずいぶん疲れていたが、これから注意が必要な難所が続く。ガラガラの沢下り、垂直やトラバースの鎖場がある。気を引き締めてゆっくりと下って行った。
(静かな鎖場を慎重に下る)

牧場に下りついたのは16時半ごろ、もう夕闇が迫っていたが、牛さんたちはまだせっせと草を食んでいた。牛や山羊、馬に挨拶しながら歩いて駐車場につき、目の前のレストランで温かい戸隠ぞばを頂いて元気をもらった。
次の日の飯綱山には南登山口から登るつもりでいたが、今日の高妻山で疲れ果てたので、それよりも楽だと言われる西登山口から登ることにした。それに合わせ、西登山口に近い神告げ温泉で汗を流し、中社近くのやすらぎの郷の駐車場で車中泊した。広い駐車場に同宿の車は少なかった。
今夜は晴れ渡って満天の星空、放射冷却でよく冷える。外気温は2℃まで下がり、車中温度も4℃だった。少々寒い思いをしながら朝を迎えた。


(2日目:飯綱山)
やすらぎの里 7:00 = 7:10 飯綱山西登山口 7:30 ---- 8:10 萱ノ宮 8:15 ---- 9:10 尾根 ---- 9:35 飯縄神社 9:40 ---- 9:50 飯綱山山頂 10:50 ---- 11:00 飯縄神社 11:05 ---- 尾根 ---- 11:55 萱ノ宮 ---- 13:10 飯綱山西登山口
(飯綱山登山ルート:長野県山岳連盟HPより)

(飯綱山西登山ルートの標高差)

朝は冷え込んだので、お湯を沸かして温かいラーメンの朝食にした。食後、身支度を整えて7時に出発、神告げ温泉と忍者村の駐車場の間を通過して未舗装道路を進むと、路側に駐車スペースの枠が書いてある。忍者村専用の駐車スペースである。「登山者はこの先の橋を二つ渡った路側に駐車してください」の看板が立っていた。「飯綱山登山道」の立札の近くに駐車して歩き始めた。長野山岳連盟の登山地図にある「近道」である。
急坂を上ると破線の広い道に出てなだらかになる。案内にはこのあたりにキノコがよく出るとあったので、キノコの目で登って行ったが、赤いドクベニタケ以外にはキノコらしき姿は見当たらなかった。下りに時間が許せば林の中を歩いてみることにして、寄り道しないで登って行った。
(路側に駐車)
(広い登山道)

40分も登った所にお宮があり、このあたりから登山道は少し急になってきた。4人組の男性グループに追い越された。夫婦二人のペースは、普通よりも少し遅いようである。
(萱ノ宮)
(急登もあり)

ずっと樹林の中の登りで展望はなかったが、お宮から30分登ると、後方の展望が開けてきた。昨日の高妻山の左に戸隠連峰の岩稜が連なっている。
(急登の途中から:戸隠連峰)

さらに目を惹くのが、その左に連なる雪をかぶって白く輝く北アルプスの山々である。白馬岳、白馬鑓の左に先月歩いたばかりの爺ヶ岳、鹿島槍、五竜岳、唐松岳が奇麗に見えていて喜ばせてくれた。槍ヶ岳も目についた。
こんな素晴らしい展望を得られたのは、昨日、高妻山を苦労して登ったご褒美を神様がくれたのだろうと、追いついてきたご夫婦と意見一致した。
(急登の途中から:北アルプス)

尾根に上がると樹林が切れて、展望はさらに良くなってきた。振り返り振り返り展望を楽しみながらなだらかな笹原の登ると南登山口からの道と合流した。
(気持のいい尾根にでた)
(展望自在の尾根歩き)

岩っぽい道を登ると、鳥居と小さな石祠のある南峰だった。ここからの展望も素晴らしかった。少し下にお宮があったが、お参りは後にして2等三角点のある飯綱山山頂に向かった。
飯綱山山頂は360°の大展望だった。大勢の登山者が休んでいて、弁当を広げたり、山名盤を囲んで山座同定を楽しんでいた。
(南峰の飯縄神社)
(2等三角点の飯綱山)

登山道途中からは見えなかった西方の展望も開けており、四阿山の堂々とした姿が素晴らしかった。皆さんが富士山が見えると騒いでいるのでよく見ると、八ケ岳の左に小さな台形の影が見えていた。どこでも富士山が見えると嬉しくなるのだが、これだけ小さいと感動もそれほどでない。白い白馬岳が思いがけず近くに見えた感動が強かった所為かもしれない。
(山頂から:西方面展望)

昼食を取ってから周りの山々の山座同定をしていたらあっという間に1時間がたっていた。あまり長居しても帰りの車が辛くなる。名残惜しいが切り上げて下山にかかった。
昼近くなると、黄葉し始めている雑木林がお日様を受けてきれいになってきた。お宮を下ったあたりから雑木林の中に踏み込んでキノコ探しをしたが、あるのはドクベニタケばかり、20本ばかり数種類の名前のわからないキノコを採って持ち帰り、茨城のキノコ博士館に鑑定に出してみたが、どれも「不食」の判定だった。このあたりは土地のキノコ採りがいつも歩いているところなのだろう。
(黄葉始まり)
(ドクベニタケ)


(帰途)
飯綱山西登山口 13:25 = 13:35 神告げ温泉 13:40 = 13:45 そば博物館 13:55 = 14:10 大谷地湿原 14:50 = 15:45 長野IC =(渋滞)= 18:20 波志江PA 18:25 = 18:40 太田桐生IC =(R50)= 19:15 佐野藤岡IC = 20:25 日立南IC = 20:30 日立自宅

登山口に降りて車を走らせると、忍者村の路側駐車スペースは車がいっぱいで整理員が走り回っており、大勢の家族連れで賑わっていた。大阪や東京あたりのNoもあり、忍者村が人気スポットであることを初めて知った。神告げ温泉の湧水をボトルいっぱい頂戴して帰途についた。おなかもすいたので、また戸隠そばを食べたくなって、長野ICに向い途中のそば博物館に立ち寄ったら、食堂は満員で行列ができていた。次のそば屋を探して車を走らせると、左に飯綱山が大きく聳えているのが見え、その先に小さなそば屋さんがあった。美味しいそばを頂きながら、御主人に近くに飯綱山の撮影ポイントがないかと尋ねると、大谷地湿原はどうですかと言い、子供さんに案内させてくれた。店のすぐわきに大谷地湿原の案内板があり、遊歩道がここから始まっていた。少し入ったところからシャッタを押したが、帰宅してから続週刊百名山を開いてみたら、全く同じポイントからの写真が載っていた。
(大谷地湿原から飯綱山)

長野ICまでの一般道も各所で渋滞していて、高速に乗るまで1時間かかった。高速に乗ってからも、藤岡JCT前の上信越道が渋滞したが、今日の山行で満足いっぱいだったのでイライラしないですみ、あとはスムーズに走って20時半に我が家に無事帰りつくことができた。


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