W113.箱根・鷹巣山から浅間山
(H21秋 同期会ハイキング)

1.動 機
今年4月に久しぶりの同期会ハイキングを茨城の愛宕山で行ったときに、毎年秋春に実施しようと話し合った。今年秋の同期会を大内さんのご尽力で箱根で行うことになり、大内さんと私で相談して、1日目鷹巣山−浅間山縦走、2日目丸岳縦走ルートの案で計画書を作って下山リーダに提出、下山リーダから参加者を募ったところ、遠路山口から初参加の木村さんを含めて14名の参加希望者があった。
1日目はまずまずのお天気になり、何度も下見された大内さんの案内で畑宿から登って鷹巣山−浅間山−富士屋ホテルと予定通りに縦走して、保養所浴風荘に泊まって賑やかに久しぶりの懇親会を開いた。2日目は生憎の大雨、ハイキングは諦めて成川美術館で、木村画伯の解説を聞きながら高尚な絵画の鑑賞をして解散になった。

2.データ
a)山域:鷹巣山(834m)、浅間山(802m)
b)登山日:2009/11/10(火)曇、11(水)雨
c)コースタイム:
アクセス(11/10):大甕駅 5:48 = 日暮里駅 = 東京駅 =(快速)= 小田原駅 =(登山鉄道)= 箱根湯本=(バス)= 10:30 畑宿
(11/10):畑宿 10:45 ---- 飛龍の滝 ---- 鷹巣山 ---- 浅間山 ---- 富士屋ホテル ---- 15:20 浴風荘(泊)
(11/11):浴風荘 9:10 ---- 宮ノ下BS 9:25 = 元箱根港BS ---- 9:50 成川美術館 11:10 ---- 蕎麦屋 11:45
帰途: 元箱根BS 12:00 = 小田原駅 = 横浜駅 = 上野駅 = 16:26 大甕駅
d)同行者:12名、大内、下山夫妻、大矢夫妻、玉造、小佐野、保坂、渡邊、曽野、木村(山口からはるばるの初参加)、和子
e)地形図:1/25000 「箱根」

3.山行記録
(アクセス)
日立自宅 5:30 ---- 5:45 大甕駅 5:48 = 7:36 日暮里駅 7:45 = 8:00 東京駅 8:22 = 9:34 小田原駅 9:50 = 10:10 箱根湯本 10:15 = 10:30 畑宿
ひたち6号で大矢夫妻、小佐野さん、渡邊さんと一緒になり、東京駅で一電車早いひたち4号で出発していた下山夫妻、千葉からやってきた玉造さんと合流し、東海道線快速で大内さんが乗ってきて、小田原駅では山口からやってきた木村さんと会って久しぶりの対面の挨拶をする。箱根登山電車に乗り換え、箱根湯本駅で車で箱根までやってきていた曽野さんと保坂さんが合流して13名全員が揃い、登山口の畑宿まで箱根新道のバスに乗った。

(1日目:鷹巣山−浅間山ハイキング)
畑宿 10:45 ---- 11:30 飛龍の滝 11:45 ---- 12:10 芦の湯分岐 ---- 12:25 鷹巣山(昼食) 13:05 ---- 13:30 浅間山 13:55 ---- 14:30 富士見台 14:35 ---- 15:05 富士屋ホテル 15:10 ---- 15:20 浴風荘(泊)
(鷹巣山−浅間山縦走ルート)

(鷹巣山−浅間山縦走ルートの標高差)

畑宿に近づくと、寄せ木細工の店が目立ってきて、バス停前には「畑宿寄木会館」があった。畑宿は江戸時代に箱根を代表する伝統工芸・寄木細工で栄えたところだという。
バス停のところから芦ノ湖湖畔の関所跡までの箱根旧街道が車道から分かれている。大内さんによれば、江戸時代には参勤交代の大名や人馬の往来が盛んだった箱根八里の難所街道で、今でも石畳、杉並木、甘酒茶屋、関所跡などが残っていて、人気のハイキングコースになっているとのこと。大内さんお勧めで、少し旧街道に入って一里塚や石畳を眺めて昔の旅の雰囲気を味わってみた。
バス道路に戻って、その先のヘアピンカーブを進むと、右手に「飛龍の滝」の道標がある遊歩道が分かれていた。さすが畑宿だ、路面が寄木細工になっていた。その先で舗装道に合流し、ここに「飛竜の滝自然探勝歩道」の案内板があり、これから歩く飛龍ノ滝・鷹巣山・宮ノ下の他にも湯坂道とか千条ノ滝といった名前がコースタイムつきで書かれていた。
(箱根旧街道入口)
(寄木細工の遊歩道)

案内板の前から右手に戻るようにして続くコンクリート舗装された坂道を登っていくと夫婦桜という山桜の古木が2本寄り添うようにたっていた。その片方は、2本のヤマザクラが合体して1本になっており、これを夫婦桜と言ってもよさそうに思った。2本の桜が仲良く淡紅白色の花を咲かせる様は見事なことだろう。
しばらく舗装道を進むと小さな木橋を渡り、この辺りから山道らしくなってきた。 山腹に岩がゴロゴロした道が続き、丸太の階段もでてきて、各所に「落石注意」の注意書きがあった。健脚の玉造さんが先頭で引っ張るが、なかなかついていけず数人と一緒に後れをとる。
(夫婦桜)
(急登もありました)

やがて水が流れ落ちる音が大きく聞えてくると、「飛龍ノ滝0.1km、芦ノ湯1.9km」の分岐道標があった。樹間に滝が見えていて、ここは飛龍ノ滝の真下だった。左手にある石橋を渡り、石ごろごろの階段を登っていくと、滝の展望台にでた。飛龍の滝は、上段15m、下段25mと二段に分かれて流下する。大内さんは展望台まで水しぶきが飛んでくるほどの迫力がある飛龍の滝を見たことがあるとのことだったが、今は水量が少なくて、岩肌をなめる清らかな感じの滝だった。名瀑であることに変わりはない。
展望台は狭く、入れ替わりながら滝を眺め、記念撮影をした。大内さんの奥様差し入れの赤福が出され一粒づついただいたが、少し疲れた身体に甘さがしみるようで美味しかった。
(飛龍の滝)

先ほどの分岐まで戻り、道標「芦ノ湯」に従って、石ごろごろの道を登っていくと丸太の階段などもあるなかなかの急登が続いた。途中で何度か分岐道があったが、大内さんの指示はどこまでも道標「芦ノ湯」に従って行けだった。
やがて杉の植林の中に丸太の階段が続くようになった。植林は下枝が綺麗に切り払われており、伐採枝の残骸もなく見事に手入れされていた。植林もこれだけ手入れがいいと気持ちがいい。なお登っていくと、笹竹の茂る道になり分岐に着いた。ここで左の「芦の湯」と別れて右の「湯元」方向に曲がった。大昔はここから鷹巣山−浅間山を通って湯元へ下る尾根道が「湯坂道」という主幹道路だったとのことだが、ご苦労だったことだ。いまでもハイキングコースになっていて案内板にもコースタイムがのっていた。
ここから先は緩やかで防火帯のように広い尾根道で、カエデの紅葉があったり、ススキの野原になったり、リンドウやアザミの花も咲いていたりで気持のいい道になった。
このあたりで、初めて他の登山者に出会った。平日にしても箱根にしては静かすぎると思って歩いてきたが、これから先では時々登山者と出会うようになった。
(杉の美林)
(すすきの原)

芦の湯の分岐から15分ほどで鷹巣山の山頂に着いた。三角点の代わりに「大日如来」と記された石碑があった。手前の樹木に少し邪魔されていたが近くに高い山が見えており、大内さんは駒ヶ岳と神山だと説明した。
鷹ノ巣城跡の案内板があり、それによると「鷹ノ巣城は、秀吉の小田原攻めに備えて、後北条氏が築城した箱根山の諸城のひとつである。天正18年(1590)秀吉の小田原攻めが始まり、同年3月下旬には、秀吉軍は箱根山に入ったが、この時、秀吉に従って参陣した家康が、しばらくこの城に滞在したという記録もある。しかし、その城跡については位置、規模など不明の点が多い。」とあった。
山頂はなだらかな丘のように広く、テーブルとベンチが設置されていてここで弁当を広げた。
集合写真を撮ってから浅間山へ向かった。はじめは紅葉やススキを眺めながらの緩やかな尾根道を進んでいったが、やがて丸太の階段が現れ、鞍部まではジグザグに下る道になった。途中からはとがった金時山が見え、大内さんの説明の仕方に思い入れがありそうで、この山がお好きなようである。
鞍部に降りると浅間山までは広い尾根道が続いた。息が切れるほどの傾斜もなくて快適に歩いていけ、道の両側にアジサイの木が続いていた。梅雨のころは綺麗なアジサイ道になるとのことだった。
(鷹巣山山頂にて)
(カエデの大木)

アジサイの木が途切れると目の前が広くなって、そこが浅間山の山頂部とのことでテーブルとベンチもあった。緩やかな傾斜のだだっ広い草地になっていて、ここに寝ころんでしばらくだべっていた。50mほど右手に行ったところにもテーブルがあったので行ってみると、頭が壊れた三角点標石と「浅間山(804m)」の解説版があった。(地形図では801.6mとありこの数値は怪しい)
下山は休んでいた広場に戻り、テーブルの左手にある道を進んでいった。しばらく笹竹の道を下るとT字路があり、左は「千条(ちすじ)の滝」、右が「宮ノ下」、右に進んだ。しばらく鬱蒼とした森の中を下ると、富士浅間神社の石碑があり、そのすぐ先が富士見台だった。ブロック作りの小屋からは、天気が良ければ富士山が望めるらしいが、今日は神山や早雲山、ふもとに小涌谷などを眺めて満足するしかない。
(広々とした浅間山頂)
(富士見台)

ここからの下りが意外と長かった。麓は見えているのだが、道が大きく九十九折りに曲がっており、それも傾斜の緩い道なのでなかなか下に到達できない。やっと箱根登山鉄道の線路まで下った時に、ちょうど電車が通過した。直前を横切ったら警笛を鳴らされた。
電車を見送ってから大内さんの後を追って田舎道のようなところを進んでいくと富士屋ホテルの裏庭に出た。カエデが綺麗に紅葉しており、池には大きな錦鯉がたくさん泳いでいて外人さんの親子が遊んでいた。そのまま山靴でホテルの中まで入って、レストラン脇やフロント前を通過して表玄関に出た。高級ホテルの中を通過するのが少々気が引けたが、もともとこの登山コースが富士屋ホテルに泊まった外国人が富士山を見に行くための散策コースだったので、時間を切って開放しているらしく、そういえば裏庭入口に「富士見台登山コース」の案内板があった。
(箱根登山鉄道)
(冨士屋ホテル裏門)

ホテルの前で由緒あるホテルの建物をゆっくりと眺め、いまや盛りの紅葉を観賞してから、日立の保養所の浴風荘に向かった。
道すがら早川添いの紅葉が綺麗で、駐車場や橋の上から紅葉狩りを楽しみながら浴風荘に入った。
(富士屋ホテル表から)
(浴風荘)

浴風荘は以前も泊まったことがあるが、今も綺麗に管理されていて気持ちがいい。入館したのは3時20分で夕食は6時から、たっぷり時間があるので、温泉で汗を流し、ビールやお茶でゆっくりと旧交を温めた。
明るい食堂で夕食をいただきながらの懇談会。アルコールのお値段が普通の旅館の半額程度に安いのがありがたい。存分に飲ませてもらった。初参加の木村画伯から、最近の充実した生活ぶりの紹介があり、手書きの絵葉書や全国大会入選大作を写真にした絵葉書が配られた。
天気予報は何度聞いても、明日の天気は雨のようだった。食後は、雨の時にどうするかの相談会になった。明日は宿でゆっくりしてから出発し、成川美術館で名画を鑑賞して、箱根のそば屋で昼食にし、65歳以上は無料になる宇宙博物館で勉強してから解散にしようということになった。大矢さん一人、明日は雨は降らないと頑張っていた。明日のハイキングだけに駆けつける予定だった超多忙の西村さんには、残念だが今回は会えないことになった。間もなくゴルフで会えるからまあいいか。
結論が出てから、テレビを使って今日のハイキングのデジカメ写真を紹介されたが、玉造さんが収録してきた昔の若かりし頃の同期会の写真が一番好評で話題を振りまいた。
(夕食)
(雨対策の相談)

(2日目:成川美術館)
浴風荘 9:10 ---- 9:20 宮ノ下BS 9:25 = 9:45 元箱根港BS ---- 9:50 成川美術館 11:10 ---- 11:15 蕎麦屋 11:45

朝起きると、大矢さんの願いもむなしく、予報通りに雨が降っていた。ゆっくり朝湯に入ってから、品数多く盛りだくさんの朝食をいただいてから美術館に出かけた。雨の中を大きなザックを担いでバス移動は大変なので、箱根まで車で来て保養所に駐車している曽野さんと強羅に駐車している保坂さんの車を活用させていただくことになった。所要あり朝秩父まで帰宅される曽野さんの車で保坂さんを強羅まで送ってもらって、保坂さんの車でみんなのザックを運んでもらうという有難い提案を採用させていただいた。
宮ノ下BSまで傘をさして歩いて、成川美術館前の箱根湯元港までバスに乗った。美術館の正門を入っていくと敷地内にあるモミジなどが綺麗に秋色に染まっており、冬桜も見ごろを迎えていた。屋根つきのエスカレータを2台つないで美術館の玄関前に上がって、丁度来合わせた3人のご婦人さんを抱き込んで団体割引の入場券を買って館内に入った。展望室からの芦ノ湖の眺めが、紅葉を調和して綺麗だった。
(成川美術館入り口)
(芦ノ湖展望)

美術展示は「堀文子、命というもの」「色彩の輝き、日本の秋」「中野嘉之、京都季行」と三つがあり、時々木村画伯の解説を聞きながらじっくりと見て回った。多くの見事な風景画の中で、人間のように感情をあらわしている動物の表情を描いた数点の作品が面白かった。堀文子の展示がメインだったが、不明にも女史の名前は知らなかった。現代女流画家の最高峰らしいが、90才にしてまだ元気に中南米やネパールを訪れて絵を描き続けている意欲的な生き方に感動を覚えた。
展望室にはいろいろな万華鏡が並んでいて、採光を上手に取り入れてくるくると変化する面白い綺麗な模様を一つ一つのぞきこんで楽しんだ。
(美術展示室)
(万華鏡)

(帰途)
蕎麦屋 11:45 ---- 11:50 元箱根BS 12:00 = 12:40 小田原駅 13:04 = 13:45 横浜駅 13:52 = 14:35 上野駅 15:00 = 16:26 大甕駅 ---- 16:40 日立自宅
成川美術館で十分に満足して、美術館前のそば屋に入って蕎麦をいただいてから解散することになった。保坂さんの車からザックを受け取って小田原駅行きのバスに乗り、途中、魚の干物の格安店の案内もあったが通過、小田原駅で降りた。東海道線快速に乗り、横浜駅で京浜東北線に乗り換えて上野駅へ、常磐線の15時発のひたち号に乗って無事日立に帰ってきた。気の置けない同期の仲間との旅はやはり楽しかった。


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