W124.妙見山と国見山

1.動 機
福島浜通りの国見山は、今年登りたいと思っていてまだ登頂していない山の一つだった。だが福島県北部までだと、年末のETC休日割引が中止になって少々経費がかさみ過ぎる。代わりに思いついたのが、我が家の近くにある水戸黄門さまが登って国情を見渡したという常陸太田市の国見山だった。
6年前に歩いたと同じルートで、妙見山登山口から141mの常福地三角点に登り、境界尾根に出て国見山に登り、反対の尾根を耕山寺に下ってから、いつもTVで楽しませてもらっている水戸黄門さまの墓所を拝んで帰るつもりで出かけた。

2.データ
a)山域:妙見山(120m)、常福地三角点(141m)、国見山(292m)
b)登山日:2009/12/26(日)曇のち晴
c)コースタイム:日立自宅 10:20 = 10:40 路側駐車 10:45 ---- 10:50 妙見山入口 ---- 11:05 妙見山 ---- 11:15 常福地三角点 ---- 11:25 境界尾根 ---- 11:35 アンテナ峰 ---- 11:35 ・214 ---- 11:45 耕山寺分岐 ---- 12:00 廃道分岐 ---- 12:15 国見山山頂 12:40 ---- 13:00 廃道分岐 ---- 13:05 耕山寺 13:10 ---- 13:15 発汗地蔵 ---- 12:45 分岐 ---- 13:35 光圀墓 ---- 13:45 浄水場 = 14:00 路側駐車 14:10 = (昼食)(買物) = 16:30 日立自宅
d)同行者:、和子
e)地形図:1/25000 「常陸太田」

3.山行記録
いつものようにゆっくりと我が家を出発して、常陸太田でR351に入って北上、農産物直販所”さとの径”の交差点から斜め左のわき道に入った。木陰の道が尽きるあたりの右に駐車場所を見つけて、身支度をして歩き始めた。
(国見山登山ルート)
(国見山登山ルートの標高差)

左に石段があり「妙見山入口」と書いた小さな立て札がたっている。苔むした古い急な石段で、掃除されたあとなのか落ち葉はないが苔で滑りそうで少々怖い。途中まで登ったところに鳥居があり、石段はその先にも上が見えないほど続いており、数か所は崩れてロープが張ってある。6年前に上った時にはこれほど長い階段だったとの記憶がないので、段数を数えながら登ったら鳥居からでも320段もあった。上段になると苔はなくなったが、今度は落ち葉を踏みながら登ることになった。登りきると少し平らな道になり、途中に石段を通らないで上がってくる踏跡(駐車場所の目の前に入口の踏跡があった)が合流し、その先にまた石段があった。こちらは少し幅が広く、90段を登った。一回りした後で鳥居から下の段数を数えてみたら40段あったので、合計で450段だ。
登りきったところに立派な石の社があり、前に一升びんが供えてあった。2本組で3組、いずれも1本は空で、1本は蓋が開けてなかった。コップも転がっており、部落の人たちが石段の途中まで掃除して1本を開け、またいつの日か残りの作業を終わってからまた祝杯を上げようということだろうかと勝手な想像をした。
山名標はないがここが妙見山だろうか、北の展望が開けていて、常福地町の街並みの向こうに高鈴の山並みが見えていた。
(妙見山入口)
(妙見山の祠)

妙見山から下りてから、刈り払いされている道を登っていくと分岐があり、左が国見山、右が×印になっていた。右に少し上がったところに四つの石に囲まれた四等三角点常福地があり、樹間に高鈴の山並みが見えていた。
(三角点峰入口)
(常福地三角点)

三角点から少し下り、雑木林のなかのだらだら道を登りかげんに歩いて行くと、境界尾根の道に合流し、右高倉団地、左国見山の道標があった。境界尾根の登山道には常陸太田市の境界杭がならび、手入れも良くされていた、緩やかなアップダウンの明るい気持のいいハイキング道だった。途中には土地のTV受診のためのアンテナをたてた峰もあった。
その先に、右に耕山寺に下る分岐が二か所あり、最初には「耕山寺花園」とあり、二つ目には行き先を消して「廃道につき危険」との注意書きがあって、下りは15分先の「耕山寺花園」分岐から下れとあった。
(境界尾根)
(廃道分岐の道標)

廃道の分岐あたりに来たところで、先を歩いている女性たちの賑やかな話声が聞けてきた。少し進むと急登が待っており、杉の植林の中の急斜面で、うっかりするとずるーと滑る。一歩一歩足元を確かめながら登ると尾根道に合流し、「右国見山山頂」の標識があった。ここで一休みしていた4人の女性グループを追い越して山頂に上りついた。
山頂には頭を壊された二等三角点があり、カワスミさんの山名板の前で証拠写真を撮った。
山頂からは視界が広く、西には新西山荘のゴルフ場やロッジ群が広がっており、晴れれば日光あたりの山も見えるのだろうが、今日は霞んでいる。南東には」常陸太田市の市街が広がり、黄門さまの気分で見渡すと、その向こうには東海や常陸那珂の港も見えていた。
(二等三角点前にて)
(山頂から常陸太田市街)

山頂にはおおきな「国見山ハイキングコース案内図」があり、その脇にこれから下る積りの耕山寺への道は現在伐採作業中のため通行禁止の表示がしてあった。
ゆっくりと展望を楽しんでから、賑やかなご婦人たちの話声を聞きながらコーヒを飲み、予定を変更して来た道を下ることにした。
(国見山ハイキングコース案内図)

尾根分岐からの急坂を下って少し登り返した廃道分岐のところで考えた。廃道と言っても谷筋には歩きやすそうな道が下っており、最近歩いたような靴跡も見える。今日は時間にもゆとりがあるので、途中で引き返すこともできると話し合って、この廃道を下ることにした。
下草刈りはしてないが、初めのうちは歩きやすい道が続いた。
(急坂を下る)
(廃道?)

途中から、ガレや岩の崖が何か所か出てきたりで、このあたりからスニーカでは難しそうなコースにみえた。沢に水が流れるようになると、沢沿いの道が崩れかけたところや、倒木が横切っていたりしたが、少し緊張もする面白いコースを歩いて得をした気分になった。
コースの先は耕山寺の立派な墓地にとびだし、墓地を通らせてもらって耕山寺の境内に出た。境内には本堂のほかに大きな観世音菩薩像があったり、案内図によると「クリンソウ」や「ザゼンソウ」「ミズバショウ」の咲く花園もあるらしい。
山門を出たところには広い駐車場があり、山頂にあったと同じ「国見山ハイキングコース案内図」もあった。やはり廃道は記載されておらず、ここから右左の登山道を歩いて周回するのが普通のハイキングコースのようである。防火用水の工事車両のほかに、件の女性陣の乗ってきたと思われる車も停まっていた。
(廃道?崖の下り)
(耕山寺)

お寺をあとにすると、田圃の中の田舎道を歩く。折から空も青く晴れてきて、気持のいいお散歩である。
途中、林道の別れに「発汗地蔵」というお地蔵さんが小屋の中に立っておられた。説明板によると、「江戸時代、天明の飢饉のときに餓死者の霊を慰めるために村の有志が立てた。その後、村でお産があると体に汗をかいてお産を軽くしてくれるといわれている」らしい。
(沢山部落の田舎道)
(発汗地蔵)

道の途中から左に分かれる道に入り、徳川光圀の墓所に向かった。6年前には受付口に人がいて、「改修中で入れません。終わったら連絡します」と言われたが、今回は「国指定史跡に登録され、委員会による調査中で閉山」「警備カメラ作動中」との張り紙があるだけだった。いつも楽しませていただいている黄門さまにご挨拶したかったが、当分は無理のようだ。
道端のヤブコウジやマンリョウの赤い実を愛でたりしながら団地のほとりの道を歩くと瑞龍浄水場がある。道はここのタンクの脇を登って山道になり、・141への道を左に分けて急坂を下ると里川沿いの車道に出た。出たところは里川の可動堰があるところで、駐車場所はここから歩いて5分ほどだった。
妙見山の石段の数が気になり、妙見山入口まで歩いて鳥居までの段数を確認した。
(光圀墓所は閉鎖)
(瑞龍浄水場)

途中、常陸太田のうどん屋で熱々のうどんを頂き、石名坂のドライブインで年末の買い物をして帰宅した。


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