X31F.ニュージーランドトレッキング(15/19)
(ヒーフィートラック3日目)

今日の3日目はマッケイハットから出発して20km歩いてタスマン海の海岸にあるヒーフィーハットまで700m下る。

(ヒーフィートラックの標高差)


15日目(3月13日):ヒーフィートラック3日目(曇一時雨)

ジェイムスマッケイハット 7:25 ---- 8:20 休み 8:30 ---- 9:25 休み 9:35 ---- 10:10 ヒーフィー河見える 10:15 ---- 10:55 ルイスハット 12:55 ---- 13:25 大木 13:35 ----14:25 No3吊橋 14:40 ---- 15:55 ヒーフィーハット

今日も朝早く、暗いうちから出発して歩き始めた。シダやコケで彩られた道を歩くが、マット状のコケも見られるようになってきた。
小さなロビンが現れて皆の前をぴょんぴょんと飛びながら道案内をしてくれる。ニュージーランドでは鳥をいじめる人がいないのだろうか、余り人に警戒心を持っていないようだ。
(今日も暗いうちに出発)
(道案内するロビン)

今日は700mのゆるやかな下り坂が続く。膝の弱い私は、登りよりも下りの方が膝にこたえて辛い。それでなくてもしんがりを歩くダイさんを呆れさせるほどシャッターを押す回数が多い私のこと、今日は前との距離が空き勝ちで少々慌て気味。1時間ごとの休憩が嬉しい。
2時間も歩くと、林相はブナの大木が多くなり左下に川が見えてきた。これがヒーフィー川だと聞き、この落差なら川沿いに降りて道が平らになるのはもうすぐだと安堵した。
(下りに弱い私)
(ヒーフィー川が見えてきた)

ヤシ(ニカウ)の木が多くなり道が平らになる小屋の裏に出た。ヒーフィー川の川岸に建つルイスハットだった。
今日も小屋の中での昼食、ガイドさんが用意してくれる材料をクレープに包んで食べる。
(ルイスハット)
(クレープで食材を包む)

小屋のまわりには人懐っこい小鳥が現れる。クイーンシャーロットでも何度か撮影したウエカの他にも、森の中では、動きが速くてなかなか撮れなかったファインテイルも何度も近寄ってくるので、やっとここで写真に残すことが出来た。
標高が下がると、また例の虫サンドフライがうるさく付きまとうようになった。防虫スプレーをたっぷり塗って対策した。和子は持参の防虫ネットでしっかりガードしていた。
(ファンテール)
(防虫対策)

ここから今夜の宿舎のヒーフィーハットまではヒーフィー川沿いを歩くことになる。「ルイスハットからヒーフィーハットの間は、高潮で大雨の後は歩行不可になる」との注意がきがあったが、今日は心配なさそうだ。
ヤシの木が茂る道をまた歩き始め、少し登って下ったところに吊橋があった。この吊橋を渡って5分歩いたところに道標があり。「ルイスハットへ橋を渡って750m、徒渉で100m」とあった。小屋前から少し下流に見えていた吊橋を渡って引き返し、今はルイスハットの川向かいにいるのだと合点した。
ここからも本流を渡ったり支流を渡ったり、その度に長い吊橋を渡った。写真を見直すとあと3つの吊橋を渡っている。今日の吊橋は長く、定員1名となっているので渡り切るのに時間がかかる。全員渡り終えるまで待っていると時間がかかるので、渡り終えた人は先に進むことになった。最後尾も次の吊橋で追いつくという勘定だ。
(シダの林)
(今日も吊橋を何度も渡る)

二つ目の吊橋を渡ったところに大きな木があった。樹齢800年とかのリムの大木で、根周り10m以上ありそうで二股に別れた根っこを大きく張っていて、太いラタに巻きつかれながらしっかりと立っている。このあたり、大きな木が多く、さしずめ屋久杉の森を彷彿とさせた。
4つの吊橋を渡り終えるとヤシの木が多くなってきた。まるで熱帯雨林の密林のようなところで、昼なお暗く、写真を撮るにはストロボを使わないとブレてしまう。
(リムの大木)
(ニカウ(ヤシ)の密林)

密林を通過すると眼前に岩肌を露出した岩山が迫り、この山裾を歩いて行くとヒーフィー川の河口近くに出た。タスマン海の荒波も見えて来た。
ヒーフィーハットはすぐだった。反対方向からここまで歩くだけの人も多いそうで、室内は人がいっぱいだった。何事も仕事の早いMさんが、ベッドのいいところを確保してくれて、もたもたしている私にも早く荷物を置いておいでと言ってくれた。
(もうすぐヒーフィー河口)
(ヒーフィーハット)

朝ダイさんが貼ってくれた親指のテープをはがす時、不用意に引っ張ったら薄皮まで剥がしてしまい、血が滲みだしてきた。血を見て少々慌てていると、仁君が救急セットを持ち出して消毒と保護処置をテキパキとやってくれた。親指をカバーするのに変な歩き方をしていたのか足裏やかかとにもマメが出来ていたが、これも消毒した針で水を抜いて処置して「これで明日も大丈夫ですよ」と励ましてくれた。看護師経験者の和子も脱帽の態だ。
今夜の夕食はオカラみたいな粉に肉や野菜を混ぜたチャーハン風。いままで食べた事のない食感を味わった。三日間、全部違うメニューで、日本人の好みも考えた食事を作ってくれてガイドさんに感謝しながらいただいた。
(処置済の私の足)
(今夜の夕食)

足の処置を終わった時、「夕食まで時間があるから、少し足馴らしに海岸を散歩したら」と勧められて初めてのタスマン海の浜辺を散歩することが出来た。
河口の対岸は岩山になっていて、荒波にえぐられたのだろうか、たくさんの洞窟が並んでいた。砂浜の紋様も日の加減で綺麗に見えていた。
(浸食された河口の岩壁)
(砂紋)

海辺まで出ると、小屋でも聞こえていた波音が、目の前に押し寄せる大波の動きと同期して一層迫力を増してきた。「これがタスマン海だ
(タスマン海の荒波)
(浜辺で小石を拾う)

親指の傷痕は夜中ジンジンと痛みがはしり、隣の外人女性のいびきと相まって、なかなか眠りにつかせてくれなかった。「ヘリコプターを呼べるのかな」など考えているうちに眠りに入った。


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