X61.もう一度手白沢温泉へ
1.動 機
一昨年の年末に山の会の仲間と金精峠から手白沢温泉まで歩いたが、深いラッセルを強いられて時間がかかり、途中からヘッドランプが頼りの夜行軍になった。暗くなってしまった後半の道の様子がよく分らなかったので、その時と同じルートをもう一度歩いて確認しようとこの山行が計画された。手白沢温泉は人気の温泉宿なので、土曜日の予約が取れなくて、日曜日・月曜日の山行になった。今回も雪はたっぷりと残っていたが固まっていて歩きやすく、お天気に恵まれて遠くまでの展望を楽しみながら歩くことができ、ゆっくりと歩いてルートの詳細も確認することが出来た。前回の半分以下の時間で歩くことが出来たので、手白沢温泉に早めに到着して、気持のいい温泉にもゆっくりと浸かり、美味しい料理を楽しく味わう事が出来た。
2.データ
a)山域:温泉ヶ岳(2333m)、根名草山(2330m)
b)登山日:2010/06/06(日)、07(月)晴(前夜発)
c)コースタイム:
(前夜:6/05)日立自宅 19:25 = 19:35 日立電鉄南営業所 19:40= 19:55 東海駅 20:00 = 20:20 勝田駅 = 20:40 水戸駅 = 21:20 笠間 = 22:25 道の駅はが 22:35 = 22:40 日光沢コンビニ 22:50 = 24:30 赤沼車庫(仮眠)
(6/06)赤沼車庫 5:05 = 5:25 金精峠駐車場 5:35 ---- 6:20 金精神社 6:30 ---- 7:30 分岐---- 7:45 温泉ヶ岳 8:00 ---- 8:10 分岐 ---- 9:30 念仏平避難小屋 10:00 ---- 11:05 根名草山 11:25 ---- 13:20 日光沢分岐 13:35 ---- 14:10 迷い分岐 ---- 14:30 下山口 ---- 14:40 手白沢温泉(泊)
(6/07)手白沢温泉 9:00 ---- 9:10 ブナ平入口 ---- 9:20 前回道交差 ---- 9:25 ブナ平 9:30 ---- 9:40 加仁湯 9:45 ---- 9:55 八丁の湯 10:10 ---- 10:40 水場 10:45 ---- 10:50 コザ池の滝 10:55 ---- 11:40 通行止め点 ---- 12:00 女夫淵温泉
(帰途)女夫淵温泉 12:20 = 12:55 ドライブインやしお 13:40 = 15:05 今市 15:25 = 15:35 今市IC = 15:45 宇都宮IC = 17:00 益子共販センタ 17:10 = 18:25 水戸駅 = 18:45 勝田駅 = 19:10 東海駅 = 19:20 日立電鉄南営業所 = 19:35 日立自宅
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(金精峠から手白沢温泉ルート)
黒が今回の歩行ルート、緑が前回のもの |
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(手白沢温泉付近拡大図) |
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今回 前回
駐車場
45 45
金精峠
60 130
温泉ヶ岳分岐
80 145
避難小屋
65 120
根名草山
115 300
日光沢分岐
55 170
車道
合計 410 910 |
(金精峠から手白沢温泉ルート標高差) | (今回、前回の所要時間) |
d)同行者:水戸アルパイン会員20名(男7、女13)、和子
e)地形図:1/25000 「男体山」「川俣温泉」
3.山行記録
1)前日アクセス
今回は時間にゆとりを持たせるために金精峠を早朝に歩き始めることにし、金精峠の近くで前泊することになった。前夜20時前に日立を出発したバスは、東海、勝田、水戸と仲間を乗せて一般道を走り、笠間で最後の仲間を乗せて戦場ヶ原の赤沼車庫に0時半に到着した。
参加者が22名と予想以上に多くなってバスの中で仮眠するには狭くなり、夏の北海道山行希望者8名は外に出てテント泊をすることになっていた。バスの近くでテントを組み立て、一般車駐車場には車中泊の車も多かったので、ガラガラに空いている路線バス車庫の近くにテントを運んで1時に準備完了した。残り14名の仲間を乗せたバスは竜頭の滝の駐車場に移動して行った。暖房のためにエンジンを運転していると車中泊の人達に迷惑するからだ。
就寝しようと思ったら、準備の声が少し大きくて起こしてしまったか、近くのテントの中からおばちゃんの大声が響き渡ってきた。長いお叱りが終わって、やっと気持よく寝入ったと思ったら、今度は出勤してきた定期バスの運転手に「ここは駐車場所だよ」と起こされた。時刻は3時丁度だった。こんなに早くに定期バスが動き始めるは思わなかったので、始めは誰が騒いでいるのかと驚いた。テントを少し移動したが、今度はバスの暖気運転の音が大きくてなかなか眠らせてもらえなかった。
4時に起きだしてテントをたたみ、簡単に朝食を済ませてバスに乗って金精峠に向かった。
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(赤沼車庫駐車場で仮眠) |
2)一日目歩行
5時半頃に金精峠トンネルの手前の駐車場に着くと、日が射し始めて、男体山の手前に戦場ヶ原や湯ノ湖を浮かび上がらせ、後ろには金精山が朝日を受けて輝いていて綺麗だった。前回同様にカメラの砲列もできていた。準備運動をしてすぐに歩き始めた。
準備運動の前にナビの調整をした。前回の歩行ルートをインプットしてあり、これと比較しながら今回の道を歩くのが一つの楽しみだった
(男体山・戦場ヶ原・湯ノ湖)
(金精山の下で準備運動)⇒ | |
駐車場の標高は1840m、峠まで200mの登りだ。丸太の階段を登って行くと、登山道は急になり崩壊の進んだ笹原の中、丸太の階段を登っていく。この先ザレ場があったり、溶岩が固まったような岩場があったりと変化に富んで面白い道だったが、梯子なども出てくる急な登りが続いて、寝不足の身体には少々きつい。急坂を黙々と登る。
登るにつれて、目の前の金精山が大きく見えてきた。山全体が垂直な岩肌になっており、これが朝日を受けて青空に金色に浮かぶ姿はなかなか立派な山に見えた、いつか登ってみたい山が一つ増えた。
急坂をこなすと金精神社へのなだらかな道になるが、前回はここから峠に直登している。雪が積もっているとどこでも登れるのだ。前回はパスした赤い屋根の金精神社に着くと、「中をよく見た方がいいよ」とお勧めの声が聞こえる。扉の隙間から覗いてみると立派な御神体が直立していた。女性陣からの声はなかったが、男性陣は、ニヤニヤしながら「俺の方が立派だよ」と囁き合った。後で調べたら、金精神社はあの道鏡の一物を御神体にしてるとのこと、畏れ多い事を言ったものだ。
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(荒れた急坂登山道) | (有難い金精神社) |
御神体を拝んでから温泉ヶ岳に向かう。これまでの急登とは様変わりで、歩きやすいゆるやかな道を歩いていくと、すぐに菅沼への分岐がある金精峠で、ブロックや角材が残る廃墟があった。以前はここにも避難小屋があったのだろうか。金精峠まで前回45分、今回神社まで45分なのでほぼ同じペースである。
やがて尾根をジグザグに登るようになり、東と西の展望が交互に見られるようになった。
西を見れば、下に青く菅沼が見え、その上に、武尊岳が大きく横たわり、右の笠ケ岳の間の遥か向こうにも雪山が見えていた。リーダの説明では谷川岳あたりの山並みらしい。
東には社山、中禅寺湖、男体山、戦場ヶ原、湯ノ湖が見渡せる。南を振り返ると、奥白根山が金精山の後ろに大きく見え、主役が金精山から白根山に入れ替わった感じがした。
この辺りは日光一のアズマシャクナゲの群生地らしくシャクナゲの木が茂っているが、残念ながら少し時期が早過ぎて花はまだ一輪も咲いていない。花芽も少ないように見えた。
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(武尊岳−笠ケ岳) | (白根山) |
高度を上げるに従って、道にも雪が残っているところが多くなり、一昨年を彷彿とさせる。今回は夏道がはっきりと残っており、雪は締まっているのでラッセルの必要はなく、皆さん元気に歩いて行った。最後尾を歩く私一人、頭の中がボーとした感じがしてふらふらと歩いていた。歳の所為ではなく、気温が上がってきたのと寝不足の所為だと思いたい。
景色を堪能しながら、 暫く登りを頑張った後、 樹林帯の中の平地へ入った。なだらかな道を進むと「温泉ヶ岳」の道標のある分岐点があった。金精神社から60分、前回は峠から130分だった。2倍以上の所要時間は、始めて体験したラッセルの所為だろう。
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(硬い残雪) | (温泉ヶ岳にも登る) |
前回は温泉ヶ岳は時間がなくてパスしたが、今回は案内してもらえた。リーダは「ここで休憩して温泉ヶ岳は遠慮するという人がいれば、ザックを置いて空身のピストンする」と話したが、全員元気に「登ります!」。道標のところから左に入って行くと、樹林の中は膝上位の笹と残雪に覆われて道はどこだか分らない。傾斜はそれほどきつくはなく、歩きやすそうなところを選びながら登っていった。
15分ほどで三角点のある温泉ヶ岳頂上に到着した。周りには期待以上に素晴らしい展望が広がっていて、集合写真を撮る前に山座同定を楽しんだ。
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(温泉ヶ岳登山道) | (温泉ヶ岳山頂) |
北には縞枯れ模様の原生林に被われた大きな山があり、その左肩に根名草山と思われるピークがチョコンと頭を出している。
その左に燧ヶ岳の双耳峰が頭を出し、左に向かって、景鶴山、至仏山、笠ケ岳、谷川岳、武尊岳、佐武流山あたりの山々が連なっている。
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(温泉ヶ岳山頂から西の大展望) |
温泉ヶ岳の東側には、下方に刈込湖、切込湖が見え、その上に山王帽子山と太郎山、そしてその後方に女峰山が三角形の頂を見せ、その右に、小真名子山と大真名子山、日光の山の揃い踏みである。女峰山の左には高原山、日留賀岳、荒海山などを経て田代山、帝釈山辺りまでの展望が広がっており、はるか飯豊連峰まで見えていた。。
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(東:日光連山の麓に刈込湖切込湖、左に高原山) |
ゆっくりと展望を楽しんでから、分岐点まで往路を戻った。北方向に直進して下るのが近道だと思っていたが、北は急斜面になっていて大変らしい。
ここの下りからアイゼンを付けて歩き始めた。雪の中はアイゼンを付けると、随分と歩きやすく、気持の上でも、体力的にも助かる。登り15分、下り10分だった。
縦走路に戻って少し歩くと樹林を抜け出し、温泉ヶ岳の東側斜面を 横切るようになる。 雪があれば危なそうな急斜面もあったが、幸いここだけ雪が完全に消えていた。やがて温泉ヶ岳の東斜面を通過すると、残雪の積もった笹原の中を進む。 温泉ヶ岳の周囲をグルリと回り込んで次のピークに登り始めると、後ろに温泉ヶ岳の全貌が見られるようになった。なるほど、とても歩けそうにもない崖のような急斜面が雪を付けて聳えていた。
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(アイゼン付けて) | (温泉ヶ岳を振り返る) |
このピークを越え、次の・2274のピークに登り返した。せっかく登った高度を吐き出して急坂を下ったところに沢があり、ここが以前念仏平避難小屋があったところらしい。
避難小屋跡からまた登り返しになったが、この辺りが念仏平と言うらしいが、明るい雪原の中の登りで明るくて気持がいい。
背の高い樹林帯に入る手前に新しい避難小屋が現れた。温泉ヶ岳分岐から80分、前回の145分に比べて半分だった。少し早いが、ここで昼食休憩になった。前回は小屋の中に入って食事をしたが、今度は外も陽が当って暖かいし、アイゼンを外すのも面倒なので、ベンチなど適当に陣取って各自持参の弁当を広げた。
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(鞍部の念仏平) | (念仏平避難小屋) |
30分ほどで食事を済ませ、小屋の前で集合写真を撮ってから次に向かった。
避難小屋から先は深い樹林になり、山頂近くなると白い立ち枯れの木が目立ってきて、立ち枯れの木々の向こうにどっしりとした白根山が見えていた。・2326のピークに近づくと、立木の向こうに長大な会津駒の山容が見え、これから行く根名草山と大嵐山が仲良く並んで見えてきた。
雪が消えたところが多くなってきたが、道は柔らかくてアイゼンの歯が気にならない。そのまま、ゆるやかに下って尾根を登りつめると根名草山頂に着いた。念仏平避難小屋から65分、前回の120分の半分だった。
頂上は狭いが、北から東方面が開けていて、物見山と鬼怒沼山に挟まれた鬼怒沼が思いがけず高いところに見え、その後方に燧ヶ岳の双耳峰、その右に会津駒ヶ岳が見えていた。
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(立ち枯れの林) | (根名草山山頂) |
根名草山でも集合写真を撮って、ここからは殆んど下りの道になる。前回はこのあたりで暗くなり始め、樹木に取り付けられたブリキ板やビニルテープが見えにくくなって先導者の苦労が倍加し始めたところだ。地形図では北隣の大嵐山との鞍部から50m 登りかえして大嵐山の頂上直下だけを巻いて歩くようになっているが、実際には今回確認してみてもそんな踏跡は見当たらず、鞍部からすぐにトラバース気味にどんどんと高度を下げて行った。
何度か雪渓を渡りながら下ったが、二つ目の小さな雪渓渡りで、左足を踏みこんだところの雪面が崩れて左足が滑り、右足も持ちこたえられなくてそのまま横倒しになって雪渓を滑り落ち始めた。止める手段もなく成り行きに任せたが、故意でなく雪渓を滑るのは初めての体験、なんとも気持の悪いものだった。幸い道がV字に曲がって雪渓下を通っていて、その脇のブッシュに足を突っ込んで10m滑っただけで上手く止まることが出来た。小さな雪渓でのチョンボで無事に済んだが、次の下が見えない大雪渓で滑っていたら只では済まなかっただろうと思うと背筋が寒くなった。
今回は大した雪ではあるまいと思って4本爪を持参したが、これは簡易アイゼンと呼んでアイゼンの部類に入らないらしい。次からは6本アイゼンを持つことにしよう。
大嵐山頂上直下から発しているガレを横断(下左)、さらに降り気味に進んで二本目のガレを横切る。前回はここにも積雪があって、補助ロープを張っての横断になったが、今回は落石にだけ気を付けながら歩けばよかった。この辺りでアイゼンを外した。
前回は、暗闇と積雪でその先でも何回も道の選択に時間を食ったところがあったが、今回は道がはっきりとしているので迷うことはない。前回渋滞したところで一々立ち止まりながら前回の苦労を思い出しながら歩いて行った。
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(急傾斜の雪渓) | (急傾斜のガレ場) |
標高2000m付近で大嵐山の稜線に戻ったところで、先を歩いている仲間から「ワー、綺麗!」と声が上がった。諦めていたシャクナゲの花がここにだけ咲いてくれていたのだ。しばらくシャクナゲの花が続くと、次にはオオカメノキが白い花を咲かせていた。展望だけでなく、シャクナゲの花まで咲いていて、今回の山行は満点に近づいてきた。
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(シャクナゲ) | (オオカメノキ) |
尾根筋を下って・1972を超えたところに直進「日光沢温泉」と右折「ブナ平」の分岐道標がある。右への「手白沢温泉」の道標は壊れていて読めない。根名草山からここまで115分、前回は300分かかっていている。ナビで確認しながら歩いてきたが、ここまで歩いてきた軌跡は前回の軌跡と殆んどずれていなかった。前回も先導者の慎重なルートファインデイングのお陰で、道はほとんど外していなかったわけで、暗い中での目印捜しにだけ時間がかかったことが分かる。
想い出話しなどしながらしばらく休んでから、手白沢に向かって下り始めた。はっきりとした道が付いていたが、目印のブリキ板は飛び飛びにしか見られなかった。道が見えない雪の中ではこの目印はもっと密に欲しいところだ。
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(日光沢分岐) | (目印の赤いブリキ片) |
ナビを慎重に確認しながら下ったが、ブナ平分岐で右に曲がるところも前回も正しく曲がっており、その先で地形図の破線から実際の道がずれたが、前回も道なりに歩いていた。ジグザグに下る道の途中で一ヶ所曲がり損ねていたが、すぐに修正していた。標高1650mのところで道が右に曲がって急降下する所で、前回は左に曲がってブナ平に下っている。このあたりで左下に明かりが見えてその明りに誘われて回り道になったのだった。今回は手白沢温泉への近道を下ったが、なかなかの急坂が続いた。もし前回この道を歩いていたら雪の中で体力的には相当苦労したかもしれない。
車道に降りたのは、日光沢分岐から55分、前回の170分の3分の1だった。距離はあまり違わないので、やはり前回のルートファインデイングの苦労を証明した。
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(本道は急坂) | (やっと車道に出た) |
車道に下りるともう手白沢温泉の建物が見えていた。歩いて10分足らず、午後2時40分に宿に着いて、宿の人達と愛犬のクロ君の歓迎の出迎えを受けた。
早速冷えたビールで喉を潤し、暖かい温泉に入ってゆっくりと汗を流した。露天風呂から見える大嵐山が新緑に映えて印象的だった。18時からの夕食でも、今回、前回を比べての話がいつまでも尽きなかった。
(手白沢温泉到着)
(ゆっくり露天風呂・大嵐山が見事)⇒ | |
2)二日目歩行
当初の二日目計画は、日光沢分岐まで前回のルートを登り返して日光沢温泉に下る予定でいたが、ルートの違いは昨日明確になったし、昨日の歩きで山歩き気分も十分に堪能したので、今日は少し楽チンコースにして、先ずは加仁湯に下りて、鬼怒川沿いのハイキング道を女夫淵温泉までゆっくりと歩くことになった。
宿の朝食をゆっくりと味わい、朝風呂にも入ってから9時に出発した。昨日降りた下山口を過ぎたところに加仁湯につながるブナ平遊歩道の入口があり、ここに入って行った。ブナの新緑が綺麗な道を10分歩いたところで、ナビが前回の歩行軌跡と交差した。踏跡はないところだったが、下に迎えの車が来た車道が見えており、記憶の確かな人は周りの木々の様子を覚えていた。下ってきた地点も確認して、今回の山行の目的は全部達成することが出来たと嬉しくなった。
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(ブナ平遊歩道へ) | (前回ルートと交差) |
ブナ平の看板を越えて、加仁湯への道標を過ぎると、丸太の階段があって急坂を下ることになった。あとはしばらくゆるやかな道を歩いたが、加仁湯の建物が見えるとまた丸太の階段を下って車道に出た。
加仁湯も大きな温泉宿で、離れに春日野部屋合宿所の看板があり、川原に土俵も作られていたのが目を惹いた。加仁湯から左岸に渡って10分ほどで八丁の湯に着いて、温泉前のテーブルで一休みした。
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(加仁湯に急坂下り) | (加仁湯) |
ここからは鬼怒川沿いの遊歩道をのんびりと歩いて行ったが、鬼怒川は相当な暴れ川らしくて、各所で河床に大がかりな対策工事が行われていた。水場があったり、滝があったり、新設の橋を渡ったり、楽しみながら歩くことが出来た。
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(鬼怒川沿いの自然研究路) | (コザ池の滝) |
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(砥の岩橋) | (河床工事された暴れ川) |
地形図やガイドブックにある絹姫橋への道が崩壊で通行止めになっていて、途中から女夫淵に近道するように、中将乙女橋という橋を渡る新しい道が作られていた。
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(通行止め) | (鬼怒の中将乙女橋) |
橋を渡って少し登り返し、鉄の階段を下りて車道に出た。女夫淵橋を渡ると、広い駐車場にバスが待っていた。
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(登って下る) | (女夫淵橋) |
今日はなだらかな道をゆっくりと歩いたので、女夫淵名物の露天風呂に入るのは止めにして、すぐにバスは出発した。途中のドライブインで揃ってざるそばをすすって、日光の漬物屋で色々と味見しながらお土産を買い込んで、賑やかなバスは水戸に18時半ごろ到着した。
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