X122.大福山と養老渓谷(62会忘年会)

1.動 機
日立工場1962年入社の同期会62会の山行は「春は茨城、秋は県外持ち回りで年二回実施」している。今回は関東在住の玉造さん、西村さん、保坂さんの計画で「梅ヶ瀬渓谷−大福山コース」と「養老渓谷コース」を紅葉を楽しみながら1泊2日で歩いた。参加者は17名あり、養老温泉の宿での懇親会も賑やかだった。

2.データ
a)山域:大福山(292m)、粟又の滝(130m)
b)登山日:2010/12/07(火)晴、08(水)晴
c)日程:
1日目アクセス 日立自宅 5:30 = 5:45 大甕駅 5:48 = 7:41 上野駅 = 8:00 東京駅 8:10 = 8:49 千葉駅 8:58 = 9:15 五井駅 9:22 = 10:23 養老渓谷駅
1日目ハイク:養老渓谷駅 10:35 ---- 11:05 女ヶ倉 ---- 11:15 駐車場 11:25 ---- 12:20 日高邸跡(昼食) 13:00 ---- 13:40 休憩所13:50 ---- 14:00 大福山 14:05 ---- 14:15 大福山展望台 14:20 ---- 15:05 女ヶ倉 ---- 15:50 鶴乃家(泊)
2日目ハイク:鶴乃家 8:25 = 8:30 水月寺 8:45 ---- 9:30 粟又ノ滝 10:00 ---- 10:25 ごりやくの湯 10:35 ---- 10:55 金神ノ滝 11:00 ---- 11:25 ごりやくの湯 12:45 ---- 13:35 老川バス停 13:45 = 14:00 養老渓谷駅
2日目帰途:養老渓谷駅 14:08 = 15:10 五井駅 15:19 = 16:22 東京駅 = 16:40 上野駅 17:00 = 18:24 大甕駅 ---- 18:40 日立自宅
d)参加者:17名(玉造、西村、保坂、曽野、牛山、大内、佐藤夫妻、下山夫妻、大矢夫妻、小林夫人、渡邊、三澤、川本夫妻)
e)地形図:1/25000 「大多喜」
(ハイキングルート)

(1日目ハイキングの標高差)
(2日目ハイキングの標高差)

3.山行記録
アクセス
大甕駅から5時48分発のフレッシュひたちに乗ると、日立駅から乗車の大矢さん夫妻と三澤さんの出迎えを受けた。勝田、水戸で茨地区在住の下山さん夫妻、小林夫人、渡邊さんが揃い、幹事さん指定の通りに上野で山手線に乗り換えて東京駅で総武線に乗り換えだ。東京に不案内な我家はみなさんの後を追いかけてここで佐藤さん夫妻と合流して無事総武線に乗り込んだ。千葉駅で玉造さん、西村さん、大内さん、曽野さん、牛山さんと合流して内房線に乗り換えて五井駅へ、ここで更に小湊鉄道に乗り換えた。小湊線の可愛い車掌さんから往復切符を買い、路線沿いの珍しい駅名などを見ながら予定通りに10時23分に養老渓谷駅に到着した。ここで車で走ってきていた保坂さんと合流して全員集合。

1日目:梅ヶ瀬渓谷と大福山
養老渓谷駅前から早速ハイキング開始。もみじが赤い線路沿いの道を少し歩いて踏切を渡って梅ヶ瀬渓谷への道に入った。道は車道だが、車はほとんど通らないので気持がいい。赤い宝衛橋を渡り、ところどころのもみじを眺めながら歩くと、右に変形文字で「七色滝」と書いた洒落た立札があった。一行から離れて谷間に下りて覗いて見たが、流れが少なくて真っ黒の滝だった。
(養老渓谷駅)
(車道歩き)

駅から40分歩くと右に絶壁が見えるようになり、短いトンネルを潜るとすぐに分岐があって、ここが女ヶ倉の分岐だった。帰りは右の女ヶ倉林道を下って来るが、行きは左の梅ヶ瀬渓谷経由で大福山に向かう。
細い車道を10分も歩くと広い駐車場があった。トイレもあってここで一休みした。ここで、一人の女性から「養老駅で合流するはずだった仲間が現れないので、頼りになりそうなこのグループに付いてきた。一緒に歩かせて下さい」とご挨拶があった。ここまで見慣れない人が前を歩いているとは思っていたが、こちらも余り気にしないで歩いてきた。元気な女性もおられるものである。これから先養老駅近くに帰るまでご一緒した。
(女ヶ倉)
(大駐車場)

駐車場の先にも車道が伸びており、落葉を踏んでいくと絶壁のように切り立った切り通しがあった。何のための道なのか分らないが、大変な工事だっただろうと思われた。今はもみじが綺麗だ。
切り通しを過ぎると川床に下る道があり、川を丸太の橋で渡り、すぐに飛び石伝いに渡ることになった。いよいよ梅ヶ瀬渓谷の始まりだ。徒渉する情景が面白いと思って写真を撮ったが、徒渉はこれから先何回も繰り返すことになり、3回目で止めにした。おそらく徒渉は10回以上繰り返したような気がする。渓谷の両側が切り立っているので、遊歩道を作るのは右に左に場所を選ばなければならない訳だ。どうにもならないところは森の中に追い出される。
(切り通し)
(徒渉)

(梅ヶ瀬渓谷、最後尾が同行女性)

渓谷を歩いたり、巻道を歩いたり、賑やかに歩いて行ったが、途中、何ヶ所も土に掘られたトンネルがあった。どう見ても人工物のように思えたが、何のためだろうか。少しは近道になりそうで、気持の若い治子さんは一度これを潜って通過してみんなを喜ばせた。
駐車場から1時間近く歩いて日高邸跡に着いて弁当を広げた。日高邸跡には日高誠実のプロフィルの説明板があり、「政治や陸軍で活躍した後50歳で一線を辞して大久保の地に広い土地の払い下げを受け、大福山一帯に理想郷を作ろうとして植樹をしたり、私塾を作って多くの人材を育て上げたり80歳まで活躍した」とあった。「今は儲けばかりで、こんな人物はいないよなあ」の歎きの声も聞こえて来た。
(トンネル・人工?)
(日高邸跡)

ゆっくりと休んでから、渓谷を少し引き返して大福山への道に入った。始めキツイ急登が続いた。このあたりはもみじ谷というらしく、綺麗に黄葉したカエデが多くて慰めてくれた。
(大福山へ急登)
(もみじ谷)

15分も急登を頑張ると尾根道になり、緩やかなアップダウンの道を気持ちよく歩いた。
最後の一登りすると車道に飛び出て、すぐ左手に休憩舎があり、房総の展望を楽しみながら一休みした。日高邸跡を出てから40分。
(植林の尾根道)
(休憩所)

玉造さんが留守番をしてくれるというので、休憩舎にザックをデポして空身で大福山に登って来ることにした。車道を西に200m進むと右手に「白鳥神社登り口」の道標があって気になったが、大福山の名前がないので通り過ぎた。しばらく歩いても登り口が現れないので、さっきの「白鳥神社登り口」から登ってみようという事に衆議一致して引き返した。大福山には10年ぐらい前に個人的に登ったことがあるのだが、記憶が定かでなかった。
この道を登って行くとすぐに広場に出て、神社にはここから更に平成3年に改修された新しい85段の石段を登って行った。神社の境内は巨木で覆われ鬱蒼としており、拝殿左手の大杉が御神木らしい。
山頂は神社の後ろの高みと見当を付けて登ってみたが、山頂は籔っぽくて大福山を示す何物もなかった。ポケナビを覗いて、この地点に「大福山」と印字してあることを確認し、得心して下ることにした。
(白鳥神社登山口)
(大福山・白鳥神社)

休憩舎に戻ってザックを担ぎ、車道を東に100m行くとトイレがあり、そこから登ったところに立派な展望台があった。
展望台に上がると広い展望が待っていた。ただし、東西南北に説明板はあったが街の名前だけしか書いてなく、山の名前は西の富士山だけ、それも西は樹木に遮られていた。房総の山々は以前随分歩きまわったのだが、低い山ばかりなのでどれがどの山だか同定はできなかった。
(展望台)
(展望を楽しむ)

展望台を下りて車道を歩き、大久保への道から女ヶ倉林道に分かれると素晴らしい紅葉の並木があり、陽の光を受けて視界全体が赤く染まったような光景になった。
ここからもところどころで紅葉を見ながら歩き、展望台から45分で女ヶ倉の分岐点に戻ってきた。一息入れて往路を歩くと、水面がアオコで真緑になった池があり、カエデの赤が重なって綺麗だった。
(もみじの林道女ヶ倉線)
(紅葉とみどり池)

宝衛橋の手前で件の女性とバイバイし、2回ヘアピンする車道を歩いて15時50分に今夜の宿の鶴乃家に着いた。女倉から45分、今日は長い車道歩きでした。
真っ黒いお湯の温泉で疲れを取って、大広間で宴会が始まった。めいめいの近況報告があったが、なかでも地域のコーラスでご活躍中の西村さんが「乾杯」を披露して大喝さいを受けた。古希を過ぎてもみんな揃って元気で過ごしているのが何よりである。もちろん部屋に戻ってからも2次会が和やかに行われた。
(鶴乃家)
(賑やかな宴会)


2日目の1:養老渓谷
今日の行程は楽ちんコースなので、朝食もゆっくりと頂き、8時半にタクシを呼んで水月寺まで移動した。保坂さんの車にも4人乗りこんでタクシ役をしていただきました。水月寺は臨済宗妙心寺派の禅寺で、立派な鐘突堂もあり庭には天然記念物指定だと言うツツジの木がたくさんあった。春には綺麗な花が見られるのだろう。
門前から左に向かい、すぐのところを右に曲がって渓谷への道に入った。途中、「幻の滝」の立札があったがそのまま通過、暗い杉林の中を下ると養老渓谷の領域になり、見覚えのある石の列の上を渡ると遊歩道に合流した。
保坂さんは車で粟又ノ滝側に回って、反対側から歩いてきて渓谷の途中で合流した。
(水月寺から歩き始める)
(養老川に下る)

ここから上流側は「滝巡りコース」と名が付いていて、広い遊歩道が川沿いに伸びていて、「昇竜の滝」「千代の滝」「見返りの滝」「万代の滝」など小さな滝を眺めながら、清らかな流れと紅葉を楽しみながら歩く。
昨夜降った雨が水玉になって逆光にキラキラと輝き、紅葉と重なって見事な光景を作っていた。
(美しい養老渓谷遊歩道)

終点は粟又ノ滝、滝壺の前で一休みした。お八つを口に入れながらしばらく豪快な流れを眺めていた。
(豪快な粟又ノ滝)

滝壺前で一休みしてから、滝の上部に上がって見ることになった。階段の急坂を登って滝の上に上がると、そこは滑りやすい岩の上だった。そろりそろりと歩きながら、滝を上から眺めたり、上流の紅葉を眺めたり、ゆっくりと粟又ノ滝のを楽しんだ。
(粟又ノ滝の上部に上がる)
(粟又ノ滝上流)

滝巡りを楽しんでから車道に上がり、日帰り温泉「ごりやくの湯」まで歩いた。
(車道に出る)
(ごりやくの湯)


2日目の2:金神ノ滝
幹事さんの予定は、ごりやく園で入浴と昼食だったが、今日のハイキングでは汗もかかなかったので入浴をパスして、ごりやく園に案内があった「金神の滝、百国來頭山」を小林夫人と3人連れだって歩てみることにした。
炭火焼料理のごりやく亭脇を下って板の橋を渡ると、「川まわしの滝」というい小さな滝があった。説明板によると、この滝は江戸時代に農業用水として6kmも引かれた「品の川用水路」の末端になるらしい。
(ごりやく亭したの橋を渡る)
(もみじの小道)

緑のグラウンドゴルフ場を横切って行くと、「金神ノ滝」の名板を付けた鳥居の後ろに落差のある綺麗な滝があった。清らかな流れと周りの紅葉との調和が見事だった。
そばに「知恵の穴」という立札があったので、矢印に従って行くと小さな穴があり、これを潜ると金神ノ滝の滝壺に出た。
「百国來頭山」に登れるのかと看板を頼りに登って行くと鳥居があった。鳥居を潜って少し登ってみたが踏跡は見当たらず、山登りは諦めてもみじの小道を歩いて「ごりやくの湯」に戻った。入浴を済ませた皆さんと一緒になって、美味しい「ごりやくうどん」を頂いた。
(川まわりの滝)
(金神ノ滝)


2日目の3:てくてく
食事も済ませたが、養老渓谷駅まで帰るバスの便までまだたっぷりと時間があったので、今日歩き足りなかった9名が、車道を歩けるところまで歩いて行こうという事になった。バスは手を上げればどこでも停まってくれるとのこと。養老渓谷に下りて水月寺まで滝巡りコースを逆行する案もあったが、何かあってバスに乗り遅れると拙いので却下、バス道をどんどんと歩いて行った。
4.3km、50分歩いて老川十字路に着き、ここの役場のトイレを借りて用を足してバスを待った。10分ほどで残りの仲間が乗ったバスがやってきたが、バス代の違いは130円だった。4km歩いた御褒美の130円を何に使おうかな。
(せっせと車道歩き)
(途中からバスに乗る)

帰途
帰りもそろって電車に乗って賑やかに帰り、我家には18時40分に帰りついた。


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