Y17.高鈴山(亀楽会集中登山)

1.動 機
亀楽会の平成22年度の一月例会は「高鈴山集中登山」と称して「正午に参加者全員が山頂で一堂に会することが出来るように、歩行ペースと出発時刻を調整して最寄あるいは好みの登山口から山頂を目指せ」という変わった趣向の山行だった。候補の登山口としては1.神峰公園、2.向陽台、3.御岩神社、4.助川城址、5.諏訪梅林、6.大甕駅から選択となっていた。6.を選んで我家から風神山に登って行けば車移動が不要になるが、歩程が17kmと長く朝は7時から歩き始めなければならない。寒い季節、早起きは苦手なので3.御岩神社から登ることで申告した。その後、寒い日が続き雪も降ったので北側斜面は残雪が多いだろうと警戒して3.御岩神社を断念、暖かそうな4.助川城址コースにしようかと思ったが駐車場が難しい。青葉台団地の上の「であいの広場」まで車で入って歩き始め、途中から4.助川城址コースに合流することで申告し直した。
当日は曇り勝ちの空模様でお日さまは少なく気温も低くかったが、幸い風がなくて山頂で暖かい昼食を食べながら楽しいお話を聞くことが出来た。下山は助川山まで4.助川城址コースを下り、そこから更に「ひねり沢」まで下って「であいの広場」に登り返して帰ってきた。

2.データ
a)山域:高鈴山(623m)、助川山(328m)
b)登山日:2011/1/29(土)曇時々晴
c)コースタイム:日立自宅 8.20 = 8:45 であいの広場 8:55 ---- 9:25 おむすび池 9:30 ---- 10:00 百体観音 ---- 10:50 四辻 ---- 11:15 高鈴山(昼食) 12:20 ---- 12:40 四辻 ---- 13:20 百体観音 ---- 13:40 おむすび池 13;45 ---- 14:00 助川山 14:10 ---- 14:20 ピクニック広場 ---- 14:30 ひねり沢 ---- 15:05 であいの広場 15:10 = 15:40 日立自宅
(高鈴山登山ルート)
(高鈴山登山ルートの標高差)

d)同行者:亀楽会会員6名、和子
e)地形図:「町屋」「日立」

3.山行記録
R6を走って青葉台団地を通過して8時45分に日立市民の森「であいの広場」の駐車場に着いた。この駐車場は7年前に啓ちゃんの案内で同期の会で助川山に登った時以来だが、その後さらに拡充されたように見え、トイレもバイオになっていた。既に4台の車が入っていたが、身支度している間に続々と車が入ってきた。ここから高鈴山に登ると手ごろなハイキングになるので、人気の場所でもあるらしく待ち合わせしている人達もあった。
「であいの広場」からは平坦な舗装道を歩いて行った。途中、ネイチャーセンタ、くぬぎの広場、野鳥の森などの道標を見ながら歩いて行くと、周りの樹木にあちこち巣箱が取り付けてあり、色々な小鳥が姿を現した。残念ながら小鳥の名前は分らない。ひねり沢、すぎの沢の分岐を分け緩やかなアップダウンをしながら歩くと30分ほどで「おむすび池」に着いた。池の表面は半分氷が張っていた。
(であいの広場からスタート)
(半氷結のおむすび池)

「おむすび池」からは山道らしくなる。途中で何か所にも分岐があるが、少し先ですぐに合流する。南面を歩くと落葉がふかふかの道、北向きの道になると雪が残っていた。多分、16日の宝篋山山行の日の朝に降った雪がまだ残っているのだろう。今年は寒い。
(南面はふかふか)
(北面には残雪)

「おむすび池」から30分で「百体観音」に着く。説明板が新しくなっていたので、ゆっくりと読んで勉強した。曰く
「百観音とは、西国33所、坂東33所、秩父34所を合わせた百ヶ所の観音札所のことを言います。百の札所を巡拝すれば御利益があるという考えは、古く平安時代にまでさかのぼるといわれていますが、それを実現することは経済的にも、時間的にもたいへん困難なことでした。
 江戸時代に入ると、観音札所の本尊を石仏に彫り、番付や寺の名・御詠歌などを刻んで建立し、これをお参りすれば百観音を巡拝したのと同じ御利益があると信じられるようになって、各地に広まりました。
 金山百観音は、高鈴ハイキングコースのかたわらに、石の祠を囲むように並んだ70基ほどの石仏からなります。多くは西国と秩父のもので、ほとんどが江戸時代の安永3年(1774)に建てられたものです。元はそれぞれ別な場所にあったともいわれています。ここ金山で数少ない坂東のものは、西方の御岩山に建立されたのではないかと考えられています。
 金山に石仏を奉納したのは、刻まれた文字から、多くが日立地方の村に住んでいた人々だったことが分りますが、ほかには現代の常陸太田市や那珂市。遠く静岡県・福島県の村名・人名も見ることができます。」
(金山の百体観音)

「百体観音」を過ぎると緩やかな登りが続き、小さなこぶを巻いたりしながら歩いて行く。途中で時計を見ると山頂に11時頃には着いてしまいそう、山頂でじっとしていると寒そうだから少しペースを落として歩くことにした。
「百体観音」から50分で諏訪からの道と合流する四辻に着く。ここからはまた舗装された道になり、それに雪が残っていて滑りやすい。ゆっくりと歩いて行くと、向かいから常陸太田在住の飛鳥さんが下ってきた。「昨日飲み過ぎたので、今日は風神山は止めて向陽台から登ってきた、早く着き過ぎたので迎えに来た。岩田さんを迎えにもう少し行ってみる。」といって下って行った。
(四辻からは林道)
(山頂まで残雪)

四辻から25分で山頂に着くと岩田さんはもう到着済だった。「残雪で苦労するかもしれないと思って早めに出発したら11時前に着いてしまった。」と言いながら、沸かしてあったお湯で熱い甘酒を振舞ってもらえた。「車の人もいるのでノンアルコールにした。」とのことだったが、熱くて甘くて美味しかった。飛鳥さんは山頂の手前で四辻方向に曲がって岩田さんに出会わなかったようだ。どこまで下ったかなあ。
今日はあいにくの曇り空だったが、風がほとんどないので寒くはなかった。展望も利いて、奥久慈男体山から里美牧場の向こうに日光、塩原、那須の山々が見渡せた。
(曇っていても展望は良好)

次々と仲間が登って来、飛鳥さんも引き返して来てめいめい昼食を作り、食事をしながら去年の想い出や今年の計画など話しあった。去年、あまり参加しなかったので、少々肩身が狭い。
(暖かい昼食1)
(暖かい昼食2)

1時間ほど歓談して、12時20分にめいめいの登山口に下ることになった。向陽台分岐で飛鳥さん、鈴木さん、後藤さんと別れて、助川城址コースの岩田さん、諏訪コースの漆原さんに大甕コースの今永さんと一緒に5人で助川城址コースを下り始めた。
雪の残る道は下り坂では上り以上に滑りそうで怖いが、皆さんは平気な顔でどんどんと下っていく。1時間20分で「おむすび池」に着き、一休みして助川山に向かった。
(下りの残雪は怖い)
(助川山に立ち寄る)

助川山山頂からは360°の展望が広がる。太平洋の手前には日立の市街が広がり、古巣の日立工場を見下ろしながらみんなで現役の人達の活躍を願った。
(海側のパノラマ)

山側には日立のシンボル神峰山を中心に風神山から高鈴山、羽黒山、鞍掛山と長い日立アルプスの稜線が連なっており、昨年亀楽会で歩いた時を思い起こさせた。
(山側のパノラマ)

助川城址に下る岩田さん、日立駅まで歩く今永さんと別れて、諏訪に下る予定だった漆原さんにも同道願って「であいの広場」に向かった。
助川山をぐるぐる回る「カタツムリトレール」の途中から踏跡を辿って「ドングリの森」まで下ると「ピクニック広場」の道標があり、広場を通って「であいの広場」に抜けようと上がってみたが、ただっ広い広場のどこにも次に向かう道はなかった。分岐に戻って西の「ひねり沢」に下るとすぐに山の神団地に向かう道に出た。山の神団地に向かい日立セメント空中索道の下のシェルタを潜ると、すぐに「ひねり沢」への分岐があった。ここからひねり沢まで急降下が続きその分登り返さなければならない訳だ。漆原さんには申し訳ないことだったが、今更引き返すわけにもいかない。
ひねり沢まで下って橋を渡り、沢沿いをしばらく歩いて堰堤を越えたところに「くぬぎ広場・であいの広場」の道標があった。この分かれ道を登り「すぎの沢」の分岐を右に分けるといよいよ急登になった。登り返すと少し下って泥んこ道になり、靴もズボンも泥んこになってしまった。ようやく緩やかになった道を歩いて行くとネイチャーセンタの建物があり、その下に「であいの広場」が見えていた。正規の「であいの広場」への道はおおきく迂回しながら緩やかに下っていくようだったが、雑木林の中をまっすぐに下って行った。
(ひねり沢まで下る)
(くぬぎ広場へ登り返す)

駐車場に15時過ぎに着き、途中漆原さんを平和台団地まで送って30分で我家に着いた。心地よい疲れが残っていたが、助川山まで久しぶりに亀楽会ペースについて歩いた所為だろう。




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