Y31.峰寺山と富谷山

1.動 機
峰寺山も富谷山も分県登山ガイド「茨城県の山」に載ってはいるが、コースガイドに山頂への案内がない。峰寺山は山頂が東筑波ユートピア遊園地内にあり、富谷山は採石場に登山道が断たれており、10年前に登った時には、登山ガイドのルート通りにそれぞれの山名を持ったお寺にお参りして登頂したことにしていたので、今回再び登ってみることにした。峰寺山には遊園地を通ってちゃんと山頂を踏んだが、富谷山はやはり山頂には登りつけなかった。

2.データ
a)山域:峰寺山(380m)、弁天山(414)、富谷山(365)
b)登山日:2011/3/5(土)晴
c)コースタイム:
日立自宅 9:20 = 9:40 日立南IC = 10:05 笠間PA 10:15 = 10:20 笠間西IC = 10:40 東筑波ユートピア駐車場 10:50 ---- 西光院 ---- 峰寺山山頂 ---- 小判石 ---- 12:35 東筑波ユートピア駐車場 12:40 = 12:45 峰寺山ハイキングコース入口 13:00 ---- 弁天岩 ---- 弁天山山頂 ---- 14:05 峰寺山ハイキングコース入口 14:10 = 14:40 富谷観音駐車場 14:45 ---- 富谷観音 ---- 展望台 ---- 危険表示板 ---- ふれあい広場 ---- 16:00 富谷観音駐車場 16:10 = 17:45 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:「柿岡」「岩瀬」

3.山行記録
朝食を取ってからゆっくりと我家を出発、日立南ICから高速に乗り、笠間PAでトイレ休憩をして笠間西ICで高速を下りて、県道64号からフルーツラインに入り、更に車のナビが案内を拒否する狭い道を走って東筑波ユートピアの駐車場に10時40分に到着した。

a)峰寺山
東筑波ユートピア駐車場 10:50 ---- 10:50 西光院 11:10 ---- 11:15 ユートピア入口 ---- 11:35 パラグライダ離陸点 11:50 ---- 11:55 峰寺山山頂 12:00 ---- 12:15 ユートピア出口 ---- 12:20 小判石 12:30 ---- 12:35 東筑波ユートピア駐車場
(峰寺山歩行ルート)
(峰寺山歩行ルートの標高差)

ユートピアの駐車場で身支度を整えて、まずは西光院の境内に入った。入口の案内板には
「峰寺として広く知られる西光院は、平安時代初期・大同二年(807)有名な徳一大師の開山と伝えられ、初め法相宗であったが、鎌倉時代に一時真言宗となり、後天台宗に改宗した。
本堂は本県では類例のない懸造(かけづく)りで県の文化財(建造物)に指定されており、廻廊からの眺めはすばらしく関東の清水寺の名に恥じない。この寺の約六米もある立木観音菩薩像は、桧材寄木造りの巨像である。なお、境内西方にある球状花崗岩(俗称小判石)は県指定天然記念物である。」とあった。
鬱蒼とした境内の中にあるスダジイとクスノキの2本の大木は石岡市指定の保存樹になっており、特に幹周5.7mのスダジイは樹齢600年と言われ、枯死しそうな古木からまた太い幹を伸ばしていて凄い生命力を感じさせた。
(西光寺の入口)
(スダジイの老木)

立木観音菩薩像は高さ5mを越える一木造の巨像で、茨城県指定文化財として独立のお堂の中に祭ってある。扉から中を覗くとその大きさに驚かされた。
本殿の舞台は土足禁止で、靴を脱いでスリッパに履き替える。舞台は大分古びていて、先の方には入らないようにロープを張ってあった。
(立木観音)
(関東の清水寺・西光寺の舞台)

さすが関東の清水寺と言われるだけの事はあり、舞台の上からの展望はすばらしい。採石で二つに分割された龍神山、二こぶの八郷の富士山、閑居山と並びの浅間山、通信鉄塔の剣ヶ峰、右端に見えるのは宝篋山だろうか。
(西光寺舞台からの展望)

西光院から出て駐車場前の入口から遊園地に入り、左の道を進むとトレッキングコース入口があった。バイクの絵があったので、マウンテンバイクのオフロードコースと共用なのかもしれない。幸い今日はバイクの音は聞こえない。
登り始めのところの金網の囲いの中に猿や猪の姿が見られ、動物園にもなっているらしい。そう言えば、遊園地の案内図には野猿公園の表示もあったっけ。
(峰寺山登山口)
(お猿さん)

園内には手入れされた道が網の目状に張り巡らされていて、右側の道を選んで登って行った。途中にはロウバイがいい香りを漂わせて喜ばせてくれた。
(登山道)
(ロウバイ)

どんどん登っていくとパラグライダの離陸場があり、数人の男女が屯しており賑やかに話し合っていた。丁度眼下の着陸点に一機のパラグライダが着陸する所で、これを見てから次の年配の男性が飛ぶための準備を始めた。袋からパラシュートを出して広げるところから飛び立つところまで一部始終を見学しようと後ろの石に腰かけた。隣の若者が、部品の名前や操作の要所など親切に教えてくれる。年配の男性は絡んだロープを仲間に手伝ってもらいながら解いて、やっといざ飛び立とうとの体勢に入ったが、風向きが追い風、スタートOKのサインが出ない。若者の話では今日は北風気味でなかなか飛び立てなくて、順番待ちの人が沢山いるのだとのこと。何時までたっても風向きは良くならず、スタート体勢だった年配の男性も座り込んでしまった。我家もまたここに戻って来ることにして、腰を上げて山頂に向かった。
パラグライダ離陸点のすぐ上が最高点のように見えたが、山頂を示すものが何も見つからない。少し先まで足を伸ばしてみたが、下り一方なので、一番高いところを山頂として証拠写真を撮った。後で地形図を見たら三角点があったはずなのに迂闊なことをしてしまった。
離陸点に戻ってみたが、年配の男性がまだ座り込んだままだったので、離陸の瞬間を見るのは諦めて親切な若者にお礼を言って下山にかかった。
(パラグライダの離陸点)
(峰寺山山頂)

下山は山頂を越えて反対側のコースを下ったが、こちらは道幅は広いがガタガタ道、一部は舗装された4WD用のオフロードだった。どんどん下って、右下に車道が見える所で遊園地から脱出した。
この車道沿いに小判石があるはずと、斜面を見上げながら下って行くと、右上に大木の根っこに抱きかえられている大岩があった。何も表示がないがこれを小判石にしようかと駐車場に向けて歩いていると、左の谷間に下る急な階段道があった。もしかして、これを下ったところに本当の小判石があるのかもと下ってみることにした。
(根っこに抱えられた大岩)
(小判石への階段)

階段は長く、おり返しながら30mも下ったところに岩壁があり、その前に小判石の説明板があった。説明板には
「球状花崗岩(小判石)昭和12年2月5日県指定天然記念物
球状花崗岩は通称小判石とよばれその形状は黒雲母花崗岩石中に直径10cm程度の球状となって点在する。周辺部薫青石、灰曹長石、黒雲母、白雲母の粗粒の集合体となっており中心部は粗粒ペグマタイト(巨晶花崗石)質の石英黒雲母及び白雲母の集合体が核となっており断面は一見蛇紋様相を呈している。この周辺に多いペグマタイトと古生層が接触、変成をうけて生成されたホルンフェルス(接触変成岩)によってできたものと推定されている。全国的にも産出量がすくなく貴重な鉱物である。」
とあり、目の前の岩壁が小判石の原石であることは確かだった。岩壁壁面を見渡して直径10cmの球状物体を探したが見当たらない。説明板の奥の狭い段差を辿って、流水に洗われている部分の表面もみたが無駄だった。帰宅後、NETで標本を引き出して初めて正体が理解できた。

(小判石原石壁と説明板)
(原石表面と標本)


b)峰寺山ハイキングコース
峰寺山ハイキングコース入口 13:00 ---- 13:10 弁天岩分岐 ---- 13:15 弁天岩 13:20 ---- 13:25 弁天岩分岐 ---- 13:40 弁天山山頂 ---- 14:05 峰寺山ハイキングコース入口
(峰寺山ハイキングコース)
(峰寺山ハイキングコースの標高差)

ユートピア駐車場に戻って、次の富谷山に向かって車を走らせた。峠まで来ると、右手の分岐に「茨城森林浴の道 峰寺山」の大きな看板が目に入ったので車を止めた。看板には
「(コース案内)八郷町の峰寺と湯袋を結ぶ自然道を散策するコース。東筑波一帯は観光開発が進み、自動車道も整備されマイカーで訪れる人も多い。このマイカー中心のハイキングコースとしてこのコースがつくられた。コースには指導標が完備されているので家族連れのハイキングなどによい。順路としては峰寺側から湯袋へ抜けるほうがよい。湯袋側から入ると急坂の登りコースとなる。また、近くには、フラワーパークや観光果樹園などがあり、四季を通じて楽しむことができる。(行程及び所要時間)峰寺から湯袋まで2km、約1時間」
とあった。峰寺山の名前が大きく出ていたので歩いてみることにしたが、往復して2時間かけると富谷山が暗くなる恐れがあるので、途中の弁天山の三角点を踏んで引き返す予定にした。
このハイキングコースを歩くことに決めたので、駐車場所を探しに少し先まで車を進めると、舗装道路が左に分かれていて車止めがしてあった。この道は通信鉄塔の管理用の道で、10年前に峰寺山に来た時には西光院にお参りしただけだったので峰寺山の代わりにここから入って鉄塔のあるピークまで登った記憶がある。
車の中で弁当を食べてから看板のところに引き返して歩き始めた。道は整備されていて歩きやすい。
(ハイキングコース入口)
(手入れの良いハイキング道)

通信鉄塔の峰を巻くように500m、10分も歩くと弁天岩への分岐標があった。勿論見に行くことで意見一致。植林と雑木林の中の道をなだらかに下っていくと大きな岩の重なりがあり、弁天岩の説明板があった。
「弁財天(弁天)は水辺に住む七福神のひとつで人の汚れを払い富、名誉、福楽、食物を与え勇気と子孫を恵むと言われている。河川を神格化した女神であるから多くは水辺に祠をもうけ崇拝されている。昔からの言い伝えによると八郷町大字吉生地内にある道祖神と男女二神として邪悪者をしりぞけ境界をかためたいとまつられた弁財天だったが、どういうわけか道祖神から離れてこの高台に住みついた。道祖神の役割もかねているこの弁財天は非常にまれで近郷の村人がここに祠をもうけ毎年盛んに崇拝しております。」
一番上の岩の前に自然石を重ねたような祠が見えていた。
(弁天岩分岐)
(弁天岩)

分岐の戻ってハイキング道を下っていく。ここからは道は少し狭くなったが整備はよくされており、急坂の下りも問題はない。一旦下って今度は登りになり、丸太の階段道もある坂道を登っていくと「峰寺1km、湯袋1.1km」の道標があり、三角点はそのすぐ先のピークにあった。三角点がコースの丁度真ん中だった。
展望もないので三角点の前で証拠写真を撮ってからすぐに引き返した。
(階段道)
(弁天山山頂)

引き返す途中で通信塔の峰に寄道してみたが、通信塔は金網で囲まれており、特に展望もなさそうだったのですぐに引き返した。駐車場所に戻ったのは14時過ぎ、歩き始めて丁度1時間ほどだった。すぐに富谷山に向かって出発した。

c)富谷山
富谷観音駐車場 14:45 ---- 14:45 富谷観音 15:00 ---- 15:05 展望台 15:10 ---- 15:20 危険表示板 ---- 15:40 ふれあい広場 15:55 ---- 16:00 富谷観音駐車場
(富谷山登山ルート)
(富谷山登山ルートの標高差)

(麓からの富谷山)
西光院からの道から県道41号に入って上曾峠を越え、県道42号に入って北上、岩瀬の街を抜けると目の前に富谷山の痛々しい山容があったので、車を止めてシャッタを押した。
県道42号から林道久原富谷線に入ってふれあい公園へ登って行ったが、林道久原富谷線は林道といっても道幅は7mあり、センターラインも引いてあって走りやすい。九十九折りの広い道はオートバイで走るのにもってこいの道路になったようで、「暴走族対策のため路面に鋲を打ってあるので走行に注意」との注意札が立っていたが、快適な林道を走って富岡観音手前の駐車場に入った。駐車場からも雨引山、加波山、筑波山の眺めが素晴らしく、バイクを停めて数人の若者達が歓談していた。
駐車場には富谷ふれあいの森の案内板があり、麓までの斜面に遊歩道を張りめぐらし、富谷観音を含めた広い面積が公園になっていることが分った。
先ずは富谷観音に向かうと、入口門のところに、さすが石の名産地らしく御影石で作った富谷山の案内板があった。その奥にあった木製の説明板にはもっと詳しく下記のような説明があった。
「 小山寺(富谷観音)
  宗派:天台宗、 国指定重要文化財:三重塔、 
  県指定文化財:十一面観音菩薩座像・多聞天・本堂・楼門・鐘楼
天平七年(735)、聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開山したと伝えられ、古くから開運、安産、子育ての祈願所として知られている。本尊の十一面観音菩薩坐像は行基の作、脇士不動尊は慈覚大師の作、多聞天は運慶の作と伝えられている。本堂は四柱造りで江戸時代に再建された。三重塔は、寛正六年(1465)多賀谷朝経が旦那となり、大工宗阿弥家吉とその息子によって再建された。関東以北ではまれにみる室町時代の塔で、細部の装飾にすぐれ、屋根はこけら葺きで、頂上には鉄及び銅製の相輪がある。」
御影石の門柱の間を通って境内に入り、スギやスダジイなどの巨木が茂る静粛な霊域を進むと、立派な作りの楼門の横に出た。楼門の前に出ると、下から長い石段が上がってきていた。我家は参道を割愛して横から入ったのだった。楼門の四面は手の込んだ彫り物で飾られていた。
(御影石の富谷山案内図)
(富谷観音の楼門)

楼門を潜って石段を登ると本堂前の境内になり、境内には本堂、鐘楼、三重塔と歴史を感じさせる建物が並んで荘厳な雰囲気を醸し出しており、大きな水子地蔵尊の前の小さな縁結び地蔵さんが可愛いかった。
(本殿)
(鐘楼)

石段上の杉の木は樹高25m幹囲5.2mの大きな杉の木で「小山寺の大杉」の標柱が立っていた。
反対側には国宝級の三重塔があり、写真に収めてから見事な作りを見上げながら一回りした。
(小山寺の大杉)
(国宝級の三重塔)

本堂の先には石段があって「採石工事の為登れません。登山禁止です」の立札があったので、昔はここが富谷山山頂への登山口だったのだろうか。10年前に富谷山の途中まで登ったのだが、ここから登ったのかどうか記憶が定かでない。
三重塔の脇から平らな広い遊歩道を登っていくと、青いペンキ塗りたての円筒形をした金属製展望台があった。
(禁止の本殿右の登山口)
(展望台)

高さ10mもありそうな展望台の上に上がってみると、遮るものない大展望だった。岩瀬の街の上に雨引山、丸山、羽田山の向こうに吾国山、加波山、筑波山が並んで見えていた。
(展望台からの展望)

展望台の奥はつつじ園になっていたが、登山道がその奥に登っていたので入ってみた。200mほどその道を辿ると右の高みに水タンクの空気抜きの様なUパイプが頭を出していた。はっきりした道はこの設備の点検用の道だったようで、ここから先は籔道になった。
50mほど籔を漕ぎながら尾根筋を登っていくと、左下に白い看板があるのが目に入り、下りてみると砕石工場の発破の警告表示板だった。
山頂まで登る積りはさらさらなく、採石場を上から覗いてみようかとここまで登って来たのだが、この警告札を見て無謀な事をしているのかと思い直して引き返すことにした。
(山頂へ向かって)
(警告札)

展望台まで引き返し、富谷観音からの遊歩道を先に歩いて行くとあずまやのあるふれあい広場に着いた。ここには駐車場もあって子供連れの若い女性が車に乗るところだった。
展望の良いところで、ここにも展望図を彫り込んだ大きな御影石が二つあり、その間に「関東富士見100景」の銘板を埋め込んだ御影石もおいてあった。条件が良ければ富士山も見えるらしい。
あずまやの中でコーヒを飲みながらゆっくりと展望を楽しんだ。景色を眺めているうちに「ここから夕日を眺めると綺麗だろうな」という話になったが、時刻はまだ16時前、1時間半も待っているのは少々辛い。こんなことなら、峰寺山のハイキングコースを全コース歩くのだったかと思い直しても遅い。後ろ髪を引かれる思いでふれあい広場を後にして、林道に下りてバイクの音がけたたましい車道を歩いて富谷観音の駐車場に戻った。
(ふれあい広場・後は富谷山)
(御影石の展望図)

帰りはR50から久しぶりの県道61号に入って一般道で日立まで帰ってきた。





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