Y41.深高山と石尊山
(栃木県の山ピークハント)

1.動 機
3月11日の東日本大地震以来、世の中が震災や原発事故のニュース一色になり、地震の被害自体は軽傷で済んだ我家も自宅謹慎を続けていた。以来3週間も家に籠っていると身体の鈍りが気になりだして、どこか山に逃げ出すことにした。登る山の候補の中からNET上にカタクリやアカヤシオが咲いているとの情報があって「栃木県の山」の深高山と石尊山へ出かけることにした。コースは石尊下からアカヤシオを見ながら深高山までピストンし、麓のカタクリ園を見物してからアカヤシオ咲くやしお山まで登ることにした。アカヤシオもカタクリもチラホラだったが、気温が20°に達するほどの暖かさになり、久しぶりのハイキングを気持よく歩くことができた。

2.データ
a)山域:石尊山(486)、深高山(506)、やしお山(322)
b)登山日:2011/4/2(土)薄曇り
c)コースタイム:
日立自宅 7:20 = 7:50 日立南IC = 9:20 足利IC = 9:50 県道218号路側 10:00 ---- 10:05 石尊宮下 ---- 10:20 女人禁制碑 10:30 ---- 10:35 ベンチ 10:50 ---- 11:00 釈迦岩展望 11:05 ---- 11:10 石尊奥宮 ---- 11:15 見晴台 11:25 ---- 11:30 石尊山 ---- 11:40 湯殿山分岐 ---- 12:00 深高山 12:30 ---- 12:55 湯殿山分岐 ---- 13:05 石尊山 ---- 13:15 見晴台 ---- 13:30 ベンチ ---- 13:40 女人禁制碑 ---- 13:50 石尊宮 ---- 13:55 県道 ---- 14:00 カタクリ群生地 14:10 ----(籔漕ぎ)---- 14:35 尾根 ---- 15:05 やしお山 ---- 15:10 仙人ヶ岳縦走路 ---- 15:20 城山分岐 ---- 15:30 カタクリ群生地 15:35 ---- 15:45 県道218号路側 16:00 = 16:35 足利IC = 17:50 日立南IC = 18:00 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:「足尾北部」
(石尊山−深高山、やしお山登山ルート)

(石尊山−深高山、やしお山登山の標高差)


3.山行記録
久しぶりに朝食を早めにとって我家を7時20分出発、日立南ICから高速に乗り、常磐道、北関東道と走って開通間もない足利ICで高速を下りて、県道218号で猪子トンネルを通って登山口の石尊下に9時50分に到着した。猪子トンネル近くの駐車場にも多くの車が 停まっていたが、石尊宮への道に駐車している車があり、駐車場は満車とみて路側に駐車した。

a)石尊山、深高山
身支度を整えて「石尊山登山口」の道標から枝道に入ると、奉献石尊宮と彫った対の石灯籠があり、そのなかに駐車場があったがほぼ満車状態だった。駐車場脇に「小俣石尊山の梵天祭り」「石尊山自然環境保全地域」の案内板があった。
すぐ先に石尊宮の下に来たが、お参りは下山後にしてそのまま先に進んだ。石段の登り口には三丁目の丁目石があり、この丁目石は奥宮の二十八丁目まで続いていた。
(石尊宮入口)
(石尊宮)

石尊宮から杉や桧の植林の中のなだらかな登り道、途中に塩ビパイプで引いた水場があったが、今日は十分な水を持ってきた。
登り坂が段々と急になり、根っ子道を登っていって回り込むと「是より女人禁制」と刻まれた大きな石柱が立っていた。その前に二人の男性が休んでいて、毎週のように深高山まで登っているという土地の人で、先ずは地震の話から始まって山歩きに話が移って話が弾んだ。
「10分先にベンチがあって、この水曜日にはその左手に真っ黄色なマンサクがあったよ」と言ってお二人は歩き始めた。女人禁制は大峯奥崖ではまだ厳守されているがここでは気にすることはないらしいので、お二人の後を追って登り始めた。。
(植林の道)
(女人禁制の碑)

ここからも植林が続き、急坂には丸太の階段も出て来た。一登りして尾根に上がるとベンチで休んでいたお二人が、「マンサクの場所を教えてあげる」と言って左手へ案内された。すぐ先に全体に花を付けたマンサクの木があったが、少し盛りを過ぎて色が褪せぎみだった。お二人は「水曜日はまっ黄色だったのになあ」と残念そう。お礼を言って何枚がシャッタを押した。展望の良いところがありそうに見えたので尾根すじを少し下ってみたが、岩場が地震で壊れている所もあってすぐに引き返した。
ここからの尾根道は露岩の上を歩く急登になった。足場はしっかりしているので登るのに苦労はない。
(マンサク)
(岩の道)

NETの情報によればこの岩場の所にアカヤシオが咲いているはずだが、ところどころに蕾を付けた木はあったが、ピンクの花は見えてこない。一輪だけ咲いているのをやっと見付けてシャッタを押した。
アカヤシオの代わりにキブシやイヌシデの花を愛でながら登っていった。
(たった一輪のアカヤシオ)
(キブシ)

岩場の道を登っていくと、「釈迦岩展望」の標柱の脇の岩に件のお二人が座り込んで私達を待ってくれていた。初めての人には釈迦岩が見付けにくいので説明するために待っていて下さったのだ。案内された釈迦岩は大きな岩だが、少し離れていているので一寸見付けにくい。ズームアップしてもそれほど大きくは写らない。
眼下にはだだっ広い採石場が広がっており、お二人からは最終処分場として使われているとの説明もあった。
アカヤシオのことを聞いたが、草の花は好きだが、木に咲く花には興味がないのでピンクの花が咲いているのを見たことがないとのこと。
(釈迦岩展望)
画像クリックで観音岩が現れます
(採石場兼最終処分場)

釈迦岩展望のすぐ上に「碁盤石」の標柱が倒れて転がっていた。近くの岩が綺麗な平面を持っていたので、その名がついたのだろう。
更に登ると道が二股に分かれ、右手の道の先に社があってその前で弁当を広げている人達がいた。社は石尊宮の奥宮で、緑の河童と赤い天狗のお面が飾られていた。社の横には崩れた石段の石が積み重なっていた。
(碁盤石)
(石尊奥宮)

この社の前を通って少し登ると見晴台に出た。広い展望があるところだの様だが、今日は霞み加減で、赤城の山並みがうっすらと見えているだけだった。
小俣第2小児童会の立てた看板には「お弁当広場」と書いてあったが、お弁当用にテーブルとベンチが置かれていた。一人の男性が休んでいてアカヤシオの話をすると、「今日は残念だった。カタクリ園の上の山のには咲いているかもしれない。時間があるなら登ってみるといい。カタクリは見頃だよ。」と教えて貰えた。
(赤城連山)
(見晴台)

見晴台のピークから少し下って登り返して石尊山に着いた。2等三角点の前に「栃木百名山84座」と「石尊山山頂」の標識があった。丁度食事が終わったところだったご夫婦とシャッタの押し合いをした。
ここから深高山に向かって歩き始めた。多少のアップダウンは有るが歩きやすい尾根道が続く。石尊山の次のピークの先に湯殿山への分岐があったが、分岐点にはロープが張られ通行禁止になっていた。湯殿山は採石場の先なので、もう登山道はなくなっているのだろう、行き先表示の「湯殿山」は張り紙で消してあった。
(石尊山山頂)
(なだらかな尾根歩き)

樹間から左手に仙人ヶ岳の山並みがずうっと見えていたが、左に下る道があるところで視界が開け、仙人ヶ岳と赤雪山の間に男体山の白い頭がうっすらと見えていた。
(仙人ヶ岳と赤雪山の間に男体山)

気持よく歩いて深高山に着くと、小さな祠と「深高山山頂」の標柱があり、右猪子峠粟谷町、左石尊山湯殿山の案内がついていた。三脚を出してツーショットの証拠写真を撮って、角材のベンチに座って弁当を広げた。
南西の展望がよく、見えている山並みは方向から見て去年歩いた行道山と思われた。
石尊山でシャッタの押し合いをしたご夫婦が登ってきたので、またシャッタを押してあげた。ご夫婦は猪子トンネルに車を置いて我家とは反対方向のピストン登山をされているとのことだった。我家は石尊宮へ向かって下った。
(深高山山頂)
(目の前に行道山)

見晴台に着くと、三人の幼児を連れた若夫婦とおばあちゃんの家族連れがお休み中だった。子供さんが元気そうに弁当を食べていたので、「余裕綽々だね」と声を掛けたらにっこり、おばあちゃんは嬉しそうだった。
見晴台から奥宮の上の道を下ると、石灯篭がばらばらになって転がっていた。大地震で倒壊したのだろう。
その先から岩場の下りになる。途中の右手にあった岩の上に上がって仙人ヶ岳の展望を楽しんでいると、件の家族連れの賑やかな声で追いついてきた。小さな子供も多少の段差は飛び下りたり、元気に我家と同じペースで付いてくる。横に並んだときに子供さんに「おじいちゃん、大丈夫?」と声を掛けられてしまった。久しぶりの山歩きで、随分と頼りない歩き方をしていたのだろう。
(地震で崩れた石灯籠)
(岩道下り)

(仙人ヶ岳の稜線)

下り道では石尊宮に寄ると、二人のご婦人が拭き掃除中だった。あしたの日曜日がお不動様のお祭りなので部落みんなで準備中とのことだった。不動様に無事登山のお礼のお参りして県道に下り、カタクリ群生地のある向かいの谷間に向かった。

b)カタクリ群生地、やしお山
県道沿いに川があり、橋を渡ってオオイヌノフグリの花が咲く里の道を歩いて青いカタクリ群生地の看板が立つ谷間に向かった、看板には里山を守る会、坂西市観光協会、小俣歩こう会、叶花老人会、大田HC坂西Cの名があって、皆さんの勤労奉仕でカタクリの保護に努めていることがうかがわれた。
(オオイヌフグリ)
(カタクリ群生地へ)

入口から満開状態のカタクリが迎えてくれたが花数は少なく、奥に入っていっても花数は増えていかなかった。奥の方から下って来る男性に群生地の様子を聞いても「ちらほらですよ」の返事だった。
群生地は広い敷地をロープを張って囲ってあり、その周りに遊歩道があった。谷沿いの遊歩道を登って行きながら、めぼしい株を選んでシャッタを押した。花数は少なくても丁度満開時なので花の姿は綺麗で写真の撮り甲斐はある。
(満開のカタクリがチラホラと)

まばらなカタクリに少しがっかり、今度は群生地の上のやしお山に登ってみることにした。
やしお山への道は分らなかったが、とにかく右の尾根まで上がればなんとかなるだろうと、篠や雑木の藪の中に入り込み、籔の薄いところを選びながら強行突破して行った。和子は「アカヤシオが今時咲いている訳ないでしょ」とおかんむりだが、文句を言いながら付いてくる。
15分ほど籔漕ぎするとなんとか踏跡が見えてきて、急坂をズルズルと登って行くとやっと尾根道に出た。向かいに石尊山の山容も見えてきた。
(やぶを漕いで稜線へ)
(稜線から石尊山)

尾根道になってもなかなかの急登が続き、気温も20°もあって汗が出てくる。アカヤシオの姿はないが、ヤマツツジが咲き始めていた。
(稜線には道が)
(ヤマツツジ)

稜線の急登を登って、平らな山頂部に登ってもアカヤシオは見えない。和子にブツブツ言われながら歩いて行くと、後ろで「咲いてる!」と和子の声が飛んだ。右下に一本の木にピンクの花が付いていた。
やしお山の山頂部までは写真にしにくい急斜面に花が咲いていたが、山頂部近くに来ると登山道近くに花開いていて、シャッタを押しやすくなってきた。和子も機嫌を直してカメラを構えている。
(アカヤシオも咲いていた)

アカヤシオを見ることができて満足し、下る方向を思案。登ってきた籔道を下るのは御免なので、随分と遠回りにはなるが、一旦仙人ヶ岳からの縦走路に出てから白葉峠まで歩いて林道に出て車道を歩いて県道に下ることを考えた。
やしお山山頂から歩いていくとすぐに道標のある縦走路との合流点に出た。道標には城山方向にカタクリ群生地の名前が書いてあった。これを行けばちゃんとした登山道で群生地に戻れるようだ。
左の尾根上にしっかりとした道があった。
(仙人ヶ岳縦走路に合流)
(縦走路を下る)

鞍部まで下ると予想通りカタクリ群生地への分岐を示す道標があって、左の急斜面に登山道が分かれていた。この分岐点近くにもあちこちにカタクリの花が咲いていた。淋しかった下の群生地に負けていない。
ロープも張られた急坂の道を下ると植林の中に入り、この先が籔漕ぎに突入した分岐点だった。まっすぐ登山道を登っていれば、籔を漕がないでやしお山に登れたのだった。
(鞍部に群生地への分岐)
(群生地へ下る)

下る途中からカタクリ群生地の周回路の上の道を回ってみたが、やはりカタクリはまばらにしか咲いていなかった。裏筑波や吾国山の賑やかな群生を見慣れている目には、少々淋しい群生地ではあった。
群生地から県道に戻る途中の民家の脇に大きなこぶしの木があり、大分盛りを過ぎていたが白い花を付けていた。これを入れた石尊山の姿が写真になりそうでシャッタを押す。
県道に戻って振り返ると、やしお山が円錐状の見事な山容を見せていた。急登で汗を絞られたわけだ。
(石尊山)
(やしお山)

車に戻って、コーヒとお八つで元気を付けて、一路茨城への帰途に付いた。高速道は大地震の被害の修理がまだ応急処置の段階で、いたるところに段差が残っており、スピードを抑えて慎重に運転して帰ってきた。




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