Y52.八溝山(孫と一緒に五湧水巡り)

1.動 機
2日にアキと男体山に登った時に、茨城県で一番高いのは八溝山だと説明していたら、この話を聞いたサーちゃんが八溝山に登りたいと言い出して、早速4日が都合が良いと連絡してきた。
ジジババも久しく味わっていない八溝山の五名水を巡りながら山頂に登って、下りは日輪寺にお参りして下り、周回コースをゆっくりと歩いてきた。

2.データ
a)山域:八溝山(1022m)
b)登山日:2011/5/4(水)晴
c)コースタイム:日立自宅 8.30 = 10:20 日輪寺入口 10:35 ---- 11:10 金性水 10:20 ---- 11:30 鉄水 ---- 11:35 龍毛水11:40 ---- 11:55 白毛水 ---- 12:05 銀性水 ---- 12:10 八溝山(昼食) 13:05 ---- 13:30 日輪寺 13:40 ---- 14:20 日輪寺入口 14:30 = 15:15 月待ちの滝 15:35 = 16:15 JA水府直販店 16:30 = 17:10 日立自宅
(八溝山周回ルート)
(八溝山周回ルートの標高差)

d)同行者:アキ、サーちゃん、ママ、和子
e)地形図:「八溝山」

3.山行記録
朝早く水戸からママの車で日立までやってきて、ジジの車に乗り換えて八溝山に向かって出発した。月待ち滝近くの道が交互通行になっていたので、蛇穴からの八溝林道が大地震で通行止めになっていないかと心配したが、入口には何の表示もなく問題なく通過、林道の途中に何か所か路面が地割れした所があったが日輪寺入口の駐車場に無事到着した。先客は4台ほど、屋根下に駐車出来た。
身支度をして歩き始め、林道を100m歩いた先で登山道に入った。
(日輪寺入口駐車場)
(林道から登山道へ)

登山道に入ると、一昨日コシアブラの勉強をしたアキが、左斜面にコシアブラの芽を見つけた。初めてのサーちゃんも近くに何本も幼木を見つけて採り始めた。ババに芽を残すように指導を受けている。
登山道は途中崩落場所があるのか高巻きのところもあったが、目を皿のようにして歩いて行った。
(山菜の勉強)

山菜に気を取られて余り注目を受けなかったが、登山道脇にはカタクリやニリンソウ、キクザキイチゲ、スミレ、ムラサキケマンなどが咲いていた。特に八溝山にカタクリの花がこんなにたくさん咲いているのを初めてお目にかかって驚いた。
(カタクリ)
(ニリンソウ)

寄道しながら30分歩いたところに金性水があった。脇に「日本名水百選八溝川湧水群」の説明板があり、五つの湧水に黄門さまが名前を付けたとのことで、黄門さまはこの金性水が一番のお好みだったという。
パイプから流れ出る名水を飲んだアキが、「これはうまい。味がまろやかだ。」とのたまう。コップを出してみんなも味わってみた。山菜採りに精出して乾いた喉にはなかなか美味しい水だった。
(五水の解説板)
(金性水)

次の鉄水は水たまりに水が噴き出しているだけなので気持悪がってみんなは飲もうとしない。ジジだけが飲んでみたが、ジジの舌では金性水との味の違いは分らなかった。
次の龍毛水は登山道に「至龍毛水80m」の道標があって、少し分かれ道に入った所にあった。パイプから流れる水が少ないと不満そうなので、パイプの入口の落葉を取り除いてやったら勢いよく流れだすようになった。でも、水源が溝だと分るとまた誰も飲もうとしなくなった。
(鉄水)
(龍毛水)

擬木丸太の階段道を登って行くと日輪寺からの車道に出て、左に「至白毛水65m」の道標があり、車道を少し歩くと「白毛水20m」の道標があった。斜面を下って行くと八溝林道の傍に白毛水があった。パイプから流れる水を汲んで喉を潤した。
丸太の階段道に戻ってまた急坂を登って行くと、日輪寺へのハイキング道分岐の上に「至銀性水70m」の道標があった。銀性水は太いパイプが付いていたが流れる水はたらたら状態、最後の名水なのでみんなですこしずつ飲んだ。水を取ったり、ネコノメソウの写真を撮ったりしているうちに湧水の写真を撮るのを忘れてしまった。
(白毛水)
(銀性水分岐)

また少し丸太の階段を登ると八溝林道に飛び出し、向かいの鳥居を潜ると山頂の八溝嶺神社に登り着いた。
(男体山山頂へ)
(山頂の鳥居)

山頂に着いたのはもう昼を過ぎていて、みんなお腹ぺこぺこ、神社裏の三角点にタッチして、記念写真や展望台登りもあと廻しで弁当になった。コンビニで仕入れた好みの主食に、ババが朝早く起きだして作ったご馳走が広げられて、賑やかな昼食会になった。急坂を登って汗ばんで暑かったので展望台の日陰に陣取ったが、風も出てきて食事が終わるごろには寒くなってきた。
昼食を終わって神社裏の山頂に上がって山頂標の前で記念撮影をし、お城展望台に登った。360°の大展望を言いたいが、春霞で遠くは良く見えない。アキに一昨日登った奥久慈男体山を確認させると、それだけで風が冷たいと言ってみんな下ってしまった。
みんなが下りてからママと頑張ってもう一回りしていると、東の視界が少し開けてきて、那須連山から、高原山、日光連山がかすかに見えるようになってきた。
(山頂での記念写真)
(かすかに那須連山)

山頂は風が強くて寒く、歩いていた方が良いとすぐに下山にかかった。丸太の階段道を下って日輪寺へのハイキング道をカタクリやキクザキイチゲなど愛でながら歩いて行った。
下り着いた日輪寺には由来の説明板があり、曰く
「茨城県・栃木県・福島県にまたがる八溝山の霊場日輪寺は、いまから千三百年前に開山され大同三年弘法大師現世浄土の大理想をもってみづから十一面観世音の霊像を刻み本尊となし、朝に祖国の隆昌と安民豊楽の護摩修行、 夕べに有無両縁の冥福を祈願し、慈に北関東と南奥州の大道場として信者を広め、永延三年板東二十一番の霊場となりました。
 爾来徳川期に至り、光圀公及び家光公は、常陸依上郷四十二ヶ村、奥州白河北郷八十六ヶ村、白河南部五十八ヶ村、下野那須郡二百六十ヶ村に寄符を配興し、春秋二期齋供を納めつつ、寺門維持の法をたてたのであります。
 明治十三年山火事のため堂塔を焼失しましたが、霊場の加護により尊仏は難を免れ、大正四年四月旧観音堂跡現日輪寺が再建され現在に至りましたが、堂舎の破損甚だしく且狭隘であるため、地元の有志と相詢り「日輪寺観音堂休憩所再建」を協議の結果、茨城・栃木・福島並びに全国の信者有志のご支援・ご協力を得て、昭和四十八年現在のような堂宇が建設されたのであります。」
1300年も前にこんな不便な所に開山されたとは驚きだ。ここにも黄門さまの名前が出て来たのにも驚かされたが、真新しく見える赤い堂宇は、そのはず1972年に再建されたものだった。
日輪寺で一休みしてから100mも大きく下ってワサビ田を見てから登り返す。サーちゃんがもっとコシアブラを採りたいよと言っていたのに、ここまで少しタラボがあった程度でさっぱり山菜に出会わないので御機嫌斜め。下山後別の山にも登るようかと考えながら登り返していると、右の斜面にコシアブラが見つかった。急斜面に攀じ登っての採取に機嫌が治り、駐車場に戻ってまっすぐ家に帰ることになった。
車で八溝林道を下っているとき、左斜面にコシアブラが生えているのをサーちゃんが見つけ、路側に車を停めてみんなでまた山に入った。ここでは大きな木もあって大収穫、今夜の天麩羅の材料に充分な量になった。
(日輪寺)
(下りでも山菜の勉強)

帰る途中、ママが月待ちの滝をまだ見たことがないというので立ち寄って見たら、昨日の雨の所為か水量が多くて見事な滝になっていた。写真撮影のために4人に滝の裏に入らせたが、水しぶきで濡れてしまうとシャッタを押したらすぐに飛び出してきた。
日立の家に帰って早速夕食の準備が始まり、採取したコシアブラやタラボ、コゴミなどの天麩羅も始まった。サーちゃんはババの血を引いたのか料理好き、ババと一緒に台所に入って下ごしらえをし、天麩羅も一緒に揚げていた。
(月待ちの滝)
(コシアブラの天麩羅)

子供に似合わず山菜を美味しい美味しいと言いながら腹いっぱい食べて満足し、パパへのおみやげの山菜も持って水戸に帰って行った。




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