Y61.妙見山と前室山(三鈷室の2つの峰)


1.動 機
先日5/28の荒山・鍋割山のMAC山行の時に、シモンさんから「三鈷室に前室山と妙見山と言う山がある」と教えられた。三鈷室山と合わせて由緒のある山らしいが、ワラビなど山菜も採れるとの話もあったので早速出かけてみた。

2.データ
a)山域:妙見山(880m)、前室山(880m)
b)登山日:2011/6/1(水)曇
c)コースタイム:日立自宅 11:00 = 12:15 漆平 12:30 ---- 13:10 林道(昼食) 13:35 ---- 14:05 妙見山 14:15 ---- 14:30 前室山 14:45 ---- 15:10 林道 16:15 ---- 16:40 漆平 16:50 = 18:00 日立自宅
(妙見山・前室山周回ルート)
(妙見山・前室山周回ルートの標高差)

d)同行者: 和子
e)地形図:「里美牧場」

3.山行記録
当日、朝の用事が終わった和子が「久しく山歩きしていないので、どこか山に出かけたいな」と言いだした。シモンさんから聞いた前室山と妙見山の事を思い出して地形図を眺めると、山頂近くまで林道が伸びているが、ここから登っては山登りにならない。県道22号沿いの漆平から破線の道が登っており、両山に登っても歩行距離5km標高差300m足らず、半日のハイキングに手ごろなようなので出かけることにした。
ポケナビなど準備して11時に我家を発車、漆平までノンストップで1時間15分、12時過ぎにバス停の先の路側に駐車した。身支度して歩き始め、県道から地方道に入ってすぐの二又で、地形図の破線が示す左の道に入ると民家の庭先に一人のおばさんの姿が見えた。「この道で妙見山にあがれますか」と尋ねると、「この先2km行って林道に入ると、山頂近くまで車で行けるよ。歩くならこの道は行き止まり、二又を直進すると登れるよ。道は途中でなくなるが、毎年何人かは登っているから登ることはできるでしょう」と的確なアドバイスを頂いた。庭にゼンマイらしきものがが干してあったので「これゼンマイですね」と言うと「ワラビだよ。この辺りではワラビは採れるがゼンマイは採れないんだ。ワラビは塩付けにして年中食べるが、ゼンマイと同じように干しても食べるんだよ。」と言って、干したワラビの調理方法についても話してくれた。
(県道沿いに駐車)
(親切なおばさん)

おばさんと別れて歩き始めたのが12時30分、二又に引き返して左折して集落を過ぎると谷間に広い道が伸びていた。現在植林の間伐作業中のようで道に伐採材が散乱しているのが見えていた。丸太や枝葉を跨ぎながら進むと、雑木林になって道が細くなり、やがて踏跡も定かでなくなってきた。
ポケナビに入れたルートに従い、何度か小さな沢を渡りながら歩きやすいところを選びながらひたすら谷合を登って行った。
(伐採材散乱の林道)
(林道を過ぎると道不明)

大分右往左往したが、目の前が明るくなると林道の石垣が現れ、その端から林道に上がった。林道に上って右に進むとパイプから水が流れている水場があり、山に入り込む地形図の破線の道らしきものがあった。この道、籔っぽくて余り気持のいい道でもなさそうだし、第一山頂ピストンでは面白くないので先に進んだ。すぐ先に古い木の鳥居があり、ここからも踏跡が上がっていたが、先ほどの道と合流するように思われて、ここも素通りした。
林道を500m程歩いて妙見山の南東に伸びる尾根筋まで来て、木立越しに中を覗くと、中は桧の植林で籔が薄く何とか予定のルートで登れそうだ。これで安堵して遅い昼食を取り、入りやすそうな木立の隙間を見付けて植林の中に踏み込んだ。
(林道)
(植林に突入)

植林はなかなかの急斜面であちこちに倒木もあったので、これを避けながら適当にジグザグに登って行った。植林を過ぎるとなだらかな雑木の山頂部になり、足元にはエンレイソウやユキザザが咲いていた。
平らな林の中を登って行くと破線の道らしき登山道があり、その道を跨いだ先に小さな石の祠があった。これが妙見山のシンボルでここを山頂としていいのだろうが、この山には三角点もあるはずだとあちこちと探しまわった。うろついた末に見つけた三角点は祠のすぐ近くにあった。石の祠と三角点の前で証拠写真を撮った。
写真を撮っているときに、どこからか賑やかな話声が聞こえて来た。こんな誰も知らないような山にハイキングで来る人はいないだろうから、山菜の名山三鈷室山の一角なので、この時期でも山菜を採りに来る人がいるのだろうと、その時は思った。
(植林の急斜面)
(妙見山の山頂)

お天気も段々と怪しくなってきたので、妙見山を早々に辞して、次の前室山に向かった。前室方向にはっきりとした踏跡がついており、10分ほどでシモンさんから写真を見せられた真新しい石碑がたつ前室山の山頂に着いた。早速証拠写真を撮った。
表に「前室山」とある石碑の裏には次の様な記述が彫り込まれていた。
「旧里美村民族文化財に指定されている「三鈷室の碑」に観える様に、里川には前室、妙見、三鈷室の三ツの峰あり。然し前室には是を示すものなにも無く、近年住民の間に其の存在すら定かならぬ者多し。依って先人の祈りを偲び、敬いて定之。平成二十二年三月吉日 里川町会 会長 荷見誠 撰文 荷見玄徳 高田石材店 刻」
ここにある「三鈷室の碑」をNETで調べると、全文漢文で書かれていらしいが、和訳すると次の様な事とあった。
「宝亀7年(776)、行基菩薩が当地に来て、狼の害を取り除くため、害が最も多い三峰のまず中峰を開いて観音を祀り、前峰に霊符を置いた。その後、後峰に上って法を修し塚を築いてそこに法器を埋めたので、この三峰を三鈷室と称した。土地のものは祭祀を行っている間はよかったが、祭祀が途絶えた天明年間(1781-1788)には再び狼の害が多くなってきた。そこで前峰に妙見を祀って鎮護したところ群狼はいなくなり、平穏になった」
これから察すると、三鈷室山と前室山、妙見山の三山を合わせて三鈷室と言い、妙見山が前峰、前室が中峰、三鈷室山が後峰と言うことになりそうだ。
(前室山へは道あり)
(前室山の山頂)

前室山山頂でゆっくりとコーヒタイムをとって下山にかかった。始め植林の中の踏跡を快調に下ったが、植林が終わると籔山になり籔漕ぎしながらの下山になった。途中、ワラビの群生やタラボの林があったが、採られた後なのか収穫はなかった。歩いている間中、時々聞こえていた賑やかな話声は、この頃からぷっつりと聞こえなくなった。
最後に大籔を漕いで林道に出ると、林道わきに立派なフキが生えていた。少し固くなっているようだが、フキに目のない我家はいいものを選びながらせっせと収穫した。一ヶ所終わると、その少し先にもフキが見え、先へ先へと進みながら採っていたらいつの間にか1時間が経っていた。
(前室山を下る)
(林道に飛び出す)

林道からの下りは、上から見ると、登る時に下から見たよりも見通しが利いて踏跡が良く分るので迷うことなく下ることができた。
広い道に出たところで携帯が鳴った。何事かと思ったら、今日シモンさんもご夫人含めて山仲間4人を案内してこの山に登ったのだが、県道まで下リて来たところで偶然我家の愛車を見つけたとのこと。すぐに携帯に電話したがその時はつながらず、下山が遅くなっていて何か問題を起こしていないかと心配しての帰宅途中のシモン夫人からの電話だった。山の上で聞いた賑やかな話声の主はシモンさん一行だったらしい。




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