Y62.明神ヶ岳(MAC下見登山)
(九々明登山口と大岩登山口)

1.動 機
MACの11月例会の「明神ヶ岳」の幹事に指名された。明神ヶ岳には7年前の山開きの時に会津美里町側から登ったことがあり、ガイドブックでも明神ヶ岳への登山口は会津美里町側からピストンするこの一本しかないとある。皆さんを案内するにはこの往復コースでは物足りないなと思ってNETで調べていると「やないず山楽会のメンバーを中心にした「狭間峠を復活させる会」が、柳津側からの挟間峠(865M)を40数年振りに再開通し、美里町側からの山開きの方々と明神ヶ岳山頂(1074M)で合流し、伊佐須美神社奥の院で安全祈願して再開通を祝いました。」と言うニュースを見つけた。会長の五十嵐さんと連絡をとると、今年も6月5日の山開きの日に合わせて柳津隊も登るとのご返事だった。
幹事団の小澤さん、平野さん、福地さんと相談して、MAC山行として柳津側から登って美里側に下ることに決定して、下見のため柳津側の登山隊に一緒に歩かせてもらうことにした。下見登山は柳津隊と一緒に明神ヶ岳に往復登山後、車で美里町側に回って大岩登山口から狭間峠まで往復し、縦走路の全コースを2重に歩くことにした。福地さんは別件の下見登山が重なって参加できなかったが、小澤さんと平野さんに加え和子も同行することになり、柳津の人達と一緒の賑やかな下見登山を楽しむことができた。
下見登山が終わってから、「狭間峠を復活させる会」事務長の天野さんから、登山道整備前と整備後の写真と秋の紅葉の写真を送っていただいた。ココをクリックして見て下さい。


2.データ
a)山域:明神ヶ岳(1074m)
b)登山日:2011/6/5(日)曇り
c)コースタイム:日立自宅 4:00 = 4:10 日立電鉄南営業所 4:20 = 4:30 日立南IC = 5:35 阿武隈高原SA 5:40 = 6:15 磐梯山SA(朝食) 6:45 = 7:00 会津坂下IC = 7:35 四ツ谷公民館(出発式)8;05 = 8:15 九々明登山口 8:25 ---- 8:50 供養塔 9:05 ---- 9:30 馬頭観世音 9:40 ---- 9:45 分岐 ---- 9:55 伊佐須美神社奥宮(安全祈願祭) 10:25 ---- 10:45 明神ヶ岳山頂 10:55---- 11:05 伊佐須美神社奥宮 ---- 11:15 分岐 ---- 11:20 狭間峠(昼食)11:50 ---- 11:55 分岐 ---- 12:00 馬頭観世音 ---- 12:10 供養塔 ---- 12:35 九々明登山口 = 13:15 大岩登山口 13:20 ---- 13:25 大岩観世音 13:30 ---- 14:20 狭間峠 14:40 ---- 15:30 大岩登山口 15:40 = 15:55 伊佐須美神社 16:20 = 16:25 あやめの湯(入浴) 17:30 = 17:45 新鶴PAIC = 18:30 阿武隈高原SA(夕食) 19:00 =20:00 日立南IC = 20:15 日立電鉄南営業所 20:20 = 20:30 日立自宅
(狭間峠縦走ルート)
(狭間峠縦走ルートの標高差)

d)同行者: 小澤さん、平野さん、和子
e)地形図:「会津高田」

3.山行記録
朝早く目覚時計で起こされて、そそくさと身支度をして合流場所の日立電鉄南営業所に4時10分入ると、平野さん、小澤さんともに到着済だった。交通費節約と打合せの便のため川本車一台に集約して出発、日立南ICから高速に乗ると、路面は荒れている所もあるが、走る車の少ない高速道、快調に走って阿武隈高原SAで休憩、磐梯山SAで朝食を取って会津坂下ICを7時に下りることができた。集合場所の四ツ谷公民館の場所が良く分らないまま出発したが、今日のために道標が立ててあり、会長さんとの約束よりも早く公民館に到着できた。ここまでの道は小型バスなら問題なく入ってこれそうだった。
会長さんや事務長さんなどと挨拶を交わし、参加費を払って参加者名簿に記帳をすると、間もなく出発式が開かれた。参加者60人ほどの出発時の記念写真を撮ってから登山口まで3km近くを車で入るが、駐車場が狭いので台数を最小限に減らすよう乗り合わせの調整が行われた。茨城隊は川本車一台そのままで走らせていただいた。
ここから登山口までの道は途中から舗装されていたが、道幅狭くバスの運行は小型でも無理だろうとの判定。MAC山行時は公民館から歩くことになる。
(四ツ谷公民館で出発式)
(車で登山口まで)

駐車場に入って方向変換するとき、前輪が泥濘に取られてFFの我が車は危ない場面もあったが、何とか整列駐車出来た。
靴を履き替えて歩き始め、なだらかな道を歩くとすぐに沢を渡ることになる。最初の沢は問題なかったが、二つ目の沢は魚止川の本流で川幅も3m以上と広く、水深もあって仮の橋を渡してあった。
この仮橋は増水で流されてしまうので、山開きが終わったらすぐに撤去されるとのこと。近くに岩場もあるがいかにも滑りそうで危なそうに見えた。仮橋がないと靴を履いたままでは渡れそうにないが、取り外した橋材は岸に置いておくので自由に使っていいとのこと。それでも増水時は橋も渡せないだろうから、直前に現地の方と連絡を取る必要がある。
(九々岩登山口)
(仮橋)

三つ目の沢を渡ると、またなだらかな登山道になり、綺麗に刈り払いされていて歩きやすい。それでも「笹竹が伸びてきているから気を付けて」の声が飛ぶ。幹事さんが「難所はここだけだよ」という階段状に足場を付けた急坂もあった。赤いタニウツギや紫のフジの花も綺麗だった。
(なだらかな登山道
(急坂もあり)

登山道脇の大きな木の木肌が大きく剥がされていた。カモシカが外皮を剥がして、中の柔らかいところを食するのだという。別の木には熊の蹄の跡も付いていた。鈴も必携のようだ。
皆さんの後を追って登って行くと、「墓のところで休憩よ」と指令が出て、休憩にもってこいの小広いところにでた。小高い所に石碑があり、三人の名前が書いてある供養塔があった。ここで遭難された人達らしいが、建立は明治39年4月8日となっていた。
(カモシカの食害)
(供養塔の広場で一休み)

供養塔の前で休憩して歩き始めると緑の濃い登山道になり、今の季節でも十分に綺麗だが、「秋には真っ黄色になってとても綺麗になるよ」と自慢げな説明があった。向かいには大向山のどっしりとした山容が見えていたが、これも紅葉時期にはとても綺麗に見えるとのこと。秋11月に来るのが楽しみになる。
(緑の道を行く)

公民館で参加者の顔ぶれを見て、今日は楽チンなハイキングペースで歩けるなと多寡をくくっていたが、実際に後について歩いていくと、皆さん慣れた足取りで結構早い。日ごろ山菜採りやキノコ狩りで鍛えておられるのだろう。4人ともしっかりと汗を絞られ、馬頭観世音の石碑のある広場でお休み時間になってホッとした。
ここを過ぎると狭間峠の山頂部になり、杉や椎の木の大木が多くなってきた。開通前にはこの辺りの籔が特に濃くて去年一番苦労されたところとのこと。お陰さまで気持よく歩けます。
(馬頭観世音)
(古木が多くなる)

なだらかになってしばらく歩くと、テープで仕切られた道に合流した。テープは美里側からの登山者が間違えて柳津側に迷い込まないようにとの目印だろうが、我々が山頂に向かうにはこれを潜らなければならない。
ここからは7年前に歩いた道だが、急登になってきてまた汗を絞られた。
(美里側登山者と合流)
(奥宮へ急登を登る)

急登をひと頑張りすると赤い鳥居のある伊佐須美神社奥之院だ。既に美里町側から大勢の人が登ってきていてごった返している、立派な石の祠の前に神主さんが控えておられたが、神主装束に登山靴を履いている姿が面白かった。その前で、一人づつ2礼2拍手1礼と神妙にお参りした。
その後で安全祈願祭が始まり、先ずは神主さんの一連の神事が行われ、次いで地域の代表者数人による玉串法典が行われた。柳津町からは登山者代表として会長さんが指名された。
儀式が終わると、お神酒と御つまみを全員に振舞われた。美里町の山開き参加者には番号当ての抽選も行われていた。
その後で柳津側登山者の記念写真が撮られたが、ここまで登ってこないで昼食場所の狭間峠に直行した人も多かったようだ。
(伊佐須美神社奥之院)
(奥宮で記念写真)

奥之院から山頂までは、始め笹籔、次いでロープもある急坂と続いて、20分ほどの登りだがなかなか登り甲斐がある。雨が降った後だと、急坂の足元が滑って大変そうだ。
(笹掻き分けて)
(ロープの急登を攀じ登って)

二等三角点のある山頂でまた記念写真が撮られたが、ここまで登ってきた人は我々含めて13名だけだった。
狭間峠の集合時間は11時15分、早々に山頂を後にして下山にかかる。途中にピンクのムラサキヤシオツツジの花と白い大きなタムシバの花が咲いていて綺麗に見えて脇の籔に踏みこんでシャッタを押した。
柳津から登ってきた分岐まで戻って左に曲がり、なだらかな道を行くと5分ほどで狭間峠に着いた。柳津の人達と賑やかな昼食を取っていると、役員の方から記念のキーホルダが配られた。キーホルダには「1074m明神ヶ岳山開き2011.6.5会津美里町」の刻印が入っていた。
下山後に公民館で懇親会が行われるとの話だったが、我々は下山後車で美里側に回って、またこの狭間峠まで登って来る仕事が残っている。皆さんに挨拶して一足早く下山した。
(明神ヶ岳山頂で記念写真)
(狭間峠で昼食)

駐車場まで下り、車に乗って公民館近くの車道に出てから、車のナビに大岩登山口あたりを行き先指定して南下した。高森集落の細い生活道路から広域林道に入ると2車線の立派な道になった。山中をくねくねと蛇行する2車線の道路を気持ちよく走っていたら、いつの間にか車のナビの表示は道のないところ走っていた。広域林道はこの先で行き止まりになるので、私の車のナビには入っていないらしい。ままよとそのまま走って行くと、「右会津美里、左大岩観音」の標識が立っている明神ヶ岳の大岩登山口に着いた。まだ下山してこない人の車が4台あった。
左が登山口で、入口に「会津三十三番札所二十七番」の立札と、黄色い「明神ヶ岳山開き登山口」の立札が立っていた。
(広域林道)
(大岩登山口)

沢沿いの登山道を登っていくと直ぐに大岩観音への分岐が左にあり、石仏の下のパイプから清水が落ちていた。7年前この清水を水筒に採った覚えがある。
分岐に入って石碑や石仏を見ながら歩くと左上に真っ黒い倉庫のような建物が見えた。とても有難いお堂のようには見えないが、正面に鰐口が垂れ下がっており、会津三十三番札所第二十七番大岩仁王寺の看板が取り付けてあった。
「山深み池の流れの音添えて浮き世の夢を洗う松風」という平成19年3月吉日の奉納歌が掛かっていたので、古いお堂が壊れて4年前に鉄板製に建て替えられたのだろう。どうみても隣の崖下に鎮座する熊野神社の小さなお社の方が有難味がありそうに見えた。
大岩観音分岐から登るとすぐに周りを雑草が覆っている池があったが、この池が歌に詠まれている池なのだろう。
(大岩観音)
(熊野神社)

この付近は熊がよく出没するようで「熊出没、注意」の立札が頻繁に出てくる。今日は山開きで賑やかなので大丈夫だろうが、11月3日には鈴が必携品のようだ。
何度か出てくるぬかるんだ所には丸太を渡してあった。まだ花開かないオオハナウドがぴょんぴょんと頭を出す原を歩いていくと杉の植林の中に入り、足元にはニリンソウやエンレイソウのほかにイカリソウの花も咲いていた。
(沢沿いの道)
(植林を通る)

菅沼川への分岐を右に見て直進し、数分で小沢を渡ると、杉林から雑木林の中の九十九折の登山道となった。高度が上がってくると会津盆地の先に磐梯山、南西方向には博士山を望める筈だが、今日は見えるのは雲ばかり、秋を期待しよう。
そろそろ疲れも出てきて、もう峠であってほしいと思い始めたころ樹間越しに明神ヶ岳の山頂が見えてきて、そこから狭間峠はすぐだった。これで本番のコースは全部歩いたことになる。コーヒを飲みながらゆっくりと休んだ。
(雑木林の道)
(狭間峠に到着)

登り道では何組かの登山者と行き交ったが、もう下山する人はいない。熊よけに大声で話しながら賑やかに大岩登山口に下ると、我が車意外に車はなかった。道傍のシャガの花が綺麗だった。
靴を履き替えで車に乗り、広域林道から元冑の集落に下ってからR401を北に向かった。途中、尖った明神ヶ岳が格好良く見えてきて、車を停めてシャッタを押した。
(大岩登山口のシャガ)
(R401からの明神ヶ岳)

R401を5km走った交差点に伊佐須美神社参道の標識があり、右に入って突き当り、右に行くとあやめ園があった。東北一の広さを誇り、約150種、10万株のあやめを見ることが出来るらしいが、あやめ祭りが始まるのは10日先、まだ花は殆んど咲いていなかった。
あやめ園に車をおいて伊佐須美神社にお参りに入った。参道入口には「伊佐須美神社の杜、福島県緑の文化財指定」の看板があり、ここら一帯が立派な文化財になっているらしい。
赤い鳥居の先に立派な楼門が見えており、伊佐須美神社大きな由緒板があって、曰く
奥州二宮、岩代一宮、会津総鎮守 伊佐須美神社の御事
御祭神、伊弉諾尊・伊弉冉尊・大毘古命・建沼河別命
   (御祭神四柱を総称して伊佐須美大明神と奉称する)
例大祭  九月十五日 九月一日から九月七日まで
御田植祭 七月十二日
由緒
 伊佐須美神社の創祀起源は悠久二千有余年の昔第十代崇神天皇十年四道将軍派遣の時に始まり古事記には『東の方より遣けつる建沼河別、其の父大毘古と共に相津に往き遇ひ給ふき故れ其地を相津と謂ふ』と記録されている如く会津地名発生の伝承社であります。
 即ち往き合い給うた時国家鎮護の為、国土開拓の祖神(諾・冉二神)を会津高嶺の聖地天津嶽(新潟県境)に鎮斎されたのが始まりと伝えております。その後博士山、明神岳を経て欽明天皇十三年(五五二)当地に御鎮座されたのであります。
 その時大毘古命、建沼河別命二神も合祀奉斎されて以来千四百有余年、歴朝はもとより歴代藩候、別けても会津松平藩祖保科公以来格別の崇敬と庶民の崇敬殊の他篤く、延喜式内『名神大社』光格天皇宣下『伊佐須美大神宮』として崇められ、又戦前は国幣中社として官祭に預り御社殿の奉修、改築、社領、宝物等の寄進が相次ぎ会津開拓の祖神を祀る大社にふさわしく、今尚広くあらゆる殖産興業を守護したもう御神威のもと衆民の崇敬は深く厚いものであります。
御神徳(八方除・延命長寿)
 伊佐須美大明神は我日本、国土創成の祖神として又会津国を中心に広く東海、北陸、東北を御開拓になられ、農林、水産、漁業、商工、土木、建築、交通運輸のあらゆる殖産興業の道を授け給うた会津文化の生みの祖神であり、日常生活に忘れることの出来ない一切生業の守護神であります。わけても古来より延命長寿、地相、家相、方位、日柄等に由縁する諸々の災難を除かせ給う八方除の尊い御神威と建築土木、移転等の方除或は厄除開運、結婚、旅行、営業、交通、病気等にそれぞれ祈念をこめて限りなき恩頼を戴かれております。
 大明神の広大無辺の御加護の下に諸事押し進めれば万事無難に成就すると共に、福徳円満家門は益々繁栄に導かれる御霊験あらたかにましますのであります。
(あやめ園)
(伊佐須美神社里宮)

楼門の脇を通って境内に入ると、中の敷地は広いが、本殿は楼門に比較して真新しくて軽い感じがした。2008年10月に2度の出火があり拝殿授与所や本殿・神楽殿・神饌所などが全焼したとのことで、周りには土台だけが残った建物の跡が何か所もあった。いまの本殿は仮のものらしく、本殿を再建する壮大な構想図が立っていた。
境内を回っていると、見たことがあるような神主さんが現れた。奥之院で登山靴で催事を行っていた神主さんだった。神主さんも我々の顔を覚えていて、11月3日にまた来る予定と告げると「文化の日は午前中は催し事で境内には入れない。午後もどうなるか分らないが、予約しておいてもらうと無料で40分ほどの説話をお聞かせすることができる」とのご案内があった。
(新田構想図)

神主さんと別れてあやめ園に戻り、大きくて清潔なトイレで用足しをして近くの「あやめの湯」に入った。温泉の湯も気持が良い大浴場で、洗い場も多くて申し分ない。入湯料500円も高くはないが、高齢者割引を折衝したが土地以外はダメとのこと。団体割引もないとのこと。
温泉ですっかり元気になって帰途に着いた。新鶴PAのスマートICで高速に乗り、阿武隈高原SAで美味しい夕食を食べて茨城に帰った。途中から降り始め、大雨の中での運転になったが、日立に近づくと雨がやみ、車の乗り換えは濡れないで済んだ。最後まで嬉しい下見山行でした。




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