Y73.中央アルプス縦走

1.動 機
木曾駒ヶ岳から空木岳を越えて越百山まで中央アルプスの中央部を北から南まで歩く「中央アルプス縦走」が水戸アルパインクラブで計画された。以前、日本百名山の木曾駒から空木までの縦走を二人で計画したが、山小屋の予約が取れなくて計画変更、宝剣岳から木曾駒ヶ岳、木曽前岳と歩いたことがあるが、その時には尾根に上がってしまえば、宝剣岳だけ気をつければ、あとは気持ちのいい稜線歩きだと思い込んでいた。今回この稜線を実際に歩いてみると、たびたび繰り返される上り下り、それも嶮しい岩場の連続が待っていて、とんでもない思い違いをしていたことを思い知らされた。それでも信頼できるリーダに引っ張られて、仲間と一緒に何とか歩き通すことができて、充実感いっぱいの山行になった。

2.データ
a)山域:中岳(2925m),木曾駒ヶ岳(2956m),宝剣岳(2931m),島田娘(2858m),濁沢大峰(2705m),檜尾岳(2728m),大滝山(2708m),熊沢岳(2778m),東川岳(2671m),空木岳(2863m),赤椰岳(2798m),南駒ヶ岳(2841m),仙涯岳(2734m),越百山(2613m)
b)登山日:2011/7/16(土)〜19(火)
c)コースタイム:
7月16日(日):日立電鉄南営業所 4:00=水戸駅=5:35水戸IC=10:55駒ヶ根IC=菅の台BT=(路線バス)=しらび平SA=(ロープウエー)=千畳敷13:00----宝剣山荘----木曾駒ヶ岳----15:45宝剣山荘(泊)
7月17日(日):宝剣山荘5:45 ----宝剣岳----檜尾岳----熊沢岳----東川岳----15:05木曽殿山荘(泊)
7月18日(月):木曽殿山荘5:45----空木岳---南駒ヶ岳----越百山----15:35 越百小屋(泊)
7月19日(日):越百小屋5:50----福栃平----今朝沢橋----9:30伊奈川ダム=(チャータバス)=道の駅大桑=(電鉄バス)=14:25駒ヶ根IC=21:00水戸IC=水戸駅=22:10日立電鉄南営業所
(中央アルプス縦走コース)

(中央アルプス縦走コースの標高差)


d)同行者:水戸アルパインクラブ会員15名(男性9、女性6)、和子
e)地形図:「木曾駒ヶ岳」「空木岳」

3.山行記録
1)アクセス:7/16(土)
日立自宅 3:45 = 3:55 日立電鉄南営業所 4:00 = 4:10 東海駅 4:20 = 4:30 勝田駅 4:35 = 5:05 水戸駅 = 5:35 水戸IC = 6:00 笠間PA 6:05 = 7:15 波志江PA 7:30 = 8:50 湯の丸PA 9:00 = 10:30 小黒川SA 10:45 = 10:55 駒ヶ根IC = 11:00 菅の台BT 11:10 = 11:40 しらび平SA 12:15 =(ロープウエー)= 12:25 千畳敷

朝早く起きだして寝不足気味、日立電鉄営業所4時発のバスに乗り、東海、勝田、水戸と仲間が乗りこんできて、5時半に水戸ICから高速に乗る。北関東道が全線開通したので、水戸ICから終点の駒ヶ根ICまで震災対応で高速料が無料になる。途中のPAで休憩しながら走って、最終の小黒川PAで朝食を取り、身支度をしてしてから駒ヶ根ICで高速を下りた。
菅の台バスターミナルに着くと、バス会社が予約してくれていたのでしらび平までの路線バスに優先的に乗りこむことができた。残った席に一般登山者が乗りこんですぐに発車、30分でロープウエーの乗り場のしらび平に到着した。ロープウエーは整理券が発行され、30分待って60人乗りのロープウエーに乗車、10分足らずで千畳敷に登り着いた。
ロープウエーを下りて駅裏に出て駒ヶ岳神社にお参りして、その前で弁当を広げた。目の前に聳える宝剣岳の岩稜を見上げながら、この時には、千畳敷の標高はすでに2500mあるので、400mも登れば駒ヶ岳の山頂に立てると多寡をくくっていた。
(菅の台バスターミナル)
(千畳敷の駅裏)

2)1日目(晴):千畳敷から木曾駒ヶ岳、宝剣山荘
千畳敷 13:00---- 13:45 宝剣山荘 14:15 ---- 14:25 中岳 ---- 14:55 木曾駒ヶ岳 15:10 ---- (巻道)---- 15:45 宝剣山荘(泊)


神社の前を出発して歩き始めた。始めはなだらかな遊歩道だったが、千畳敷カールの登りにかかると岩っぽい道になり、八丁坂の急坂にかかると大変な急坂になった。2年前にはここを下ったのだが、登るのはきつい。もう下って来るグループもあって、交差しながら汗をふきふき登る。チングルマ、シナノキンバイ、コイワカガミ、アオノツガザクラなどに慰められながら頑張って30分で稜線に出て、そこから宝剣山荘はすぐだった。
(千畳敷カールを登る)

宝剣山荘で受付をすると、隣の天狗荘が宝剣山荘の経営下になっていて、団体さんは天狗荘の3階の大部屋が宿泊場所で、水戸アルパインには301号室が指定された。
天狗荘の3階に上がって、大部屋の隅にザックを置いて寝る場所を確保した。3階は屋根裏部屋で熱気がむんむん、一寸いるだけで汗が出てきた。
(宝剣山荘と宝剣岳)
(天狗荘と中岳)

小屋前に出て仕切り直し、木曾駒ヶ岳に向かって登り始めた。私の作った計画表では、千畳敷に10時に到着、駒ヶ岳に登ってから馬の背を下って濃ヶ池をめぐって山荘に戻って来るようにしていたが、バスの走行時間を短く見積もっていて2時間の遅れ、駒ヶ岳往復だけになった。みんな夏山は今年初めて、それに今日は寝不足で疲れ気味、暑さにも参って濃ヶ池まで行きたいと不満を言う人がいなくて一安心。
目の前の中岳へハイマツの間の登山道をイワツメクサやチングルマを愛でながら登ってゆく。中岳の山頂まで上ると、目の前に木曾駒ヶ岳が見えて来た。その間の鞍部には青い屋根の頂上山荘と色とりどりのテントが見える。
鞍部まで下って頂上山荘脇を通り、多くの登山者と交差しながら100m登り返すと、ヨツバシオガマやオヤマノエンドウなど賑やかに咲いている。今回縦走の最高峰、百名山の木曾駒ヶ岳の山頂に登り着いて、みんなでハイタッチして喜びを分かち合う。
(中岳への登り)
(木曾駒ヶ岳へ登る)

集合写真を撮った後にめいめいの記念撮影、皆さんに指導されながら夫婦二人のハートマークのポーズを作って見たが、少々いびつなハートになってしまった。
(駒ヶ岳神社)
(駒ヶ岳にハートマーク)

下りは鞍部から中岳の巻道を通った。初めて歩く道だが、冬季には通行止めになるだけのことはある、ガレた崖状のところをトラバースするところもあって緊張しながら通過した。通る人が少ないのか、コマウスユキソウやハクサンイチゲ、キンコウカ、イワヒゲなど賑やかだった。
(中岳と巻道)
(嶮しい巻道)

無事巻道を通過して天狗荘裏まで来ると、コマクサの植栽地がある。目を皿のようにして探して、ポチポチと咲いているコマクサを探し出してシャッタを押した。2年前にはもっと咲いていたように思うのだが、コマクサがこの地に合わないのか、盗掘に遭うのか少々淋しい。
宝剣山荘の食堂に入ってビールで乾杯!尽きない話に花を咲かせていると、夕食の準備をするからと追い出された。その後も山荘前で話は続いた。
指定された17時に食堂に入ると、おかず類はすべてテーブル毎ににきちんと配膳されていた。登山者はご飯を持った茶碗を受け取って、めいめい勝手なテーブルに座るのだが、グループごとに座席を指定される訳ではないので、我々17名もバラバラに座るしかなかった。良く言えば、初対面の人と会話できるチャンスが与えられたのだから有難いことかもしれないのだが。入った登山者が17時に指定された人かどうかは確認されておらず、終り頃に入ってきたグループは、座る所が無くなって次の時間帯まで待たされると言って憤慨していた。
食事を終えて、天狗荘の3階の301号室に入って驚いた。大部屋一面に布団が敷き詰められていて、足の踏み場もなく、我々のザックは部屋の隅に押しつけられている。これ以上布団を敷いては夜中にトイレにも行けない。隣の302号室はまだ相当ゆとりがありそうなので、副会長さんが宝剣山荘まで折衝に行って、部屋を変えて貰った。暑い屋根裏部屋で汗を流しながら、隙間を整理しながらなんとか布団を敷いて寝場所を確保できた。その間、宝剣山荘から誰も見に来る人はなく、管理不在の山小屋である。食事といい、寝床といい、混雑しているこの時こそ、きちんと管理してほしいものだ。ほったらかしでは、登山者同士の喧嘩になりかねない。
何とか寝床を確保して窓から外を眺めると、宝剣の岩峰が夕日に美しく燃えていた。下ではカメラを構えて日没の瞬間を待つ人も大勢いたが、階段を下りて行くのがおっくうで、そのまま布団にもぐりこんだ。少し暑いが、静かな夜だった。
(宝剣山荘)
(夕焼けの宝剣岳)


3)2日目(晴):宝剣山荘−宝剣岳−檜尾岳−熊沢岳−木曽殿山荘
宝剣山荘 5:45 ---- 6:05 宝剣岳 6:20 ---- 6:55 三ノ沢分岐 7:05 ---- 7:15 極楽平 ---- 7:30 島田娘 ---- 8:35 濁沢大峰 8:50 ---- 9:35 鞍部 9:50 ---- 10:25 檜尾岳 10:30 ---- 11:00 大滝山 11:25 ---- 12:40 熊沢岳 12:50 ---- 13:35 鞍部 13:40 ---- 14:35 東川岳 14:45 ---- 15:05 木曽殿山荘 15:20 ---- 15:30 水場 15:45 ---- 15:55 木曽殿山荘(泊)

朝目覚めて外を見ると、富士山のような形の山がくっきりと見えていた。あまりにくっきりと見えるので、Inさんに「あれ富士山だよ」と言われてもにわかには信じられなかった。
私も朝の定期便が出なくて心配になっていたが、昨日まで元気だったOsさんが、体調を崩して起き上れなくなっていた。このまま縦走を続けるのは不可能な状態で、ここから下山するしかない。付添い人は幹事役3番目の私の役目だろうが、機転の利かない私が付いていては、治るものも治らないかもしれない。新会長のKbさんが気持よく引き受けてくれて、二人でここから下ることになった。(Osさんはヘリコプターで下山して病院に直送、会長さんは歩いて降りて入院した病院を探し当てて介護役、3日後に元気になって帰りのバスに合流)
朝食を摂りに外に出ると、丁度日の出の時刻、八ケ岳の上がパッと明るくなった。
(富士山)
(日出)

宝剣山荘に行く前に裏の高みに上がって見ると、宝剣岳に朝日が当たり始めており、裏の方には御嶽山が雲海に浮かんでいた。今日も天気がよさそうだ。
(朝日を受ける宝剣岳)

朝食をとって、準備運動をして宝剣岳に登り始めた。朝日を受けて気持が良い。
(準備運動)
(朝日を受けて出発)

いきなりの岩場の急登、まだ固い身体には急な岩登りはきつい。我がグループでも岩場では女性がゆっくりになるので助かる。一歩一歩ゆっくりと登る。
早朝なのでまだ下って来る人がいないので、他に気を遣わなくていいのも助かる。
(宝剣岳への岩場登り)

岩場をこなして山頂部に上がると、北には天狗荘の上に中岳、木曾駒ヶ岳、その後ろに御嶽山、乗鞍岳、さらに北アルプスの一部も見えていた。
(宝剣山頂から北を展望)

これから向かう南には、三ノ沢岳、檜尾岳、熊沢岳、空木岳、南駒ヶ岳と見通せ、随分遠いいなと気が遠くなる。その向こうに恵那山、南アルプスの峰々に富士山まで頭を出している。なかなかの絶景である。
(宝剣山頂から南を展望)

今回は山頂の大岩の上に登る勇者はなく、狭い山頂でなんとか集合写真を撮ってから下りにかかった。
宝剣岳は下りも岩場の連続である。岩場は登りよりも下りの方が怖い。最後尾の私は、土地の二人のご婦人とおしゃべりしながらゆっくりと下る。下ったと思ったらまた登りが待っていた。2年前は逆コースを歩いたこともあって記憶が定かでない。
(下りも岩場)
(登り返す)

岩場を登り返したところが三ノ沢岳への分岐で、ここで一息入れる。土地のご婦人達は三ノ沢岳に向かって行った。今回の山行計画では、元気な人は早朝に山小屋を出てここから三ノ沢岳まで往復してくるオプションをつけたが、応募者が少なく、危険な宝剣岳をみんな揃って越えることになっていた。
ここからしばらくはなだらかな登山道が続いて気持ちよく歩いた。花もコマウスユキソウやハハコグサ、ツメクサ、ハコベなど賑やかだった。
(三ノ沢岳分岐)
(南に向かう稜線)

千畳敷に下る道がある極楽平を過ぎて島田娘を越えると、この先の稜線がいよいよはっきりと見えてくる。
(極楽平)
(島田娘を下る)

島田娘から下って岩場を登り返したところが濁沢大峰、岩が重なった所で歩きにくい。その登りでは岩場の難所が続いて渋滞気味。岩の濁沢大峰は下りも大変だった。難所は宝剣岳だけだと思っていたのはとんでもない思い違い。2年前に二人で空木岳に向かっていたら無事だったかどうか怪しい限りだ。
岩の濁沢大峰を無事下って一休み、次は檜尾岳への登り。ジグザグに切った道が続き、リンドウやキバナシャクナゲ、イワツメクサなどの花が慰めてくれる。
(岩の濁沢大峰)
(檜尾岳への登り)

広い山頂は他のグループもいて賑やか、記念写真だけ撮って通過した。
(檜尾岳山頂)
(檜尾岳から熊沢岳を望む)

檜尾岳を下って大滝山を越えると、また岩だらけの尾根道になって大変だった。傾斜した一枚岩を渡る所もあり、石が滑りにくい花崗岩とは言っても、万一滑ったら只では済まいないだろうと気持の悪いことこの上ない。リーダが渡って見せて、「大丈夫だろう」と言ってくれても、岩場に慣れない女性はなかなか足が出ない。我家も二人だけで来ていたら、この辺りで進退きわまったかもしれない。
(岩場が続く稜線)

危なっかしい稜線を歩いて熊沢岳の登り口に着いて山頂を見上げると、標高差100mの登りの途中にも大岩がゴロゴロしている。心配しながら登ったが、難しいところは余りなく無事山頂に登り着いた。振り返ると越えて来た山々の上に宝剣岳の特色のある山頂がぴょこんと頭を出していた。
今日の宿舎の木曽殿山荘は16時までに着かないと夕食を出してもらえないらしいし、この先の難所でどれだけ時間を食うか知れないのでそのまま通過した。
(熊沢岳へ)
(熊沢岳山頂)

熊沢岳から東川岳へは標高差100mの下りだが、尾根は岩だらけの瘠せ尾根、いくつものコブがあって気が抜けない。東川岳まで歩けど歩けどなかなか着かず、とても遠く感じた。
歩きにくい岩場とともに我々を悩ましたのがおびただしい虫の群れ、顔と言わず腕と言わず、所構わず咬みついてくる。前の人を見ると、頭の周りに虫の輪ができている。払っても払っても逃げるものではない。特に岩場を攀じ登っているときには手で払うこともままならず、泣き言を言いながら登って行った、これから先、虫には泣かされっぱなしで、15時過ぎに小屋に着いて入口戸を開けると、入ったらすぐに閉めるように注意された。虫が飛びこむからだった。
アップダウンを繰り返して、長い岩場を登って東川岳の山頂標を見た時には、やっと今日の最後のピークにやってきたとホッとした。東川岳に登り着けば、あとは下るだけの筈だ。ゆっくり休んでから下りにかかった。
(東川岳へ)
(東川岳)

熊沢岳辺りからガスが出て来ていたが、東川岳からの下りの途中、ガスの間から空木岳が時々顔を出した。目の前に見える標高差400mの急坂を眺めて、明日は朝一番であの急坂を登るんだと覚悟を決めた。
岩っぽい急斜面をジグザグに下って行くと黒っぽい木曽殿山荘が見えて来た。小屋の壁には「木曽義仲乗越えの地」と書いてあって、何か謂れがりそうだったが小屋の人に聞き損ねた。
(空木岳)
(木曽殿山荘へ下る)

小屋に入ると、グループごとに靴やザックの置き場所が指定された。昨日の宝剣山荘とは様変わりに管理が徹底している。今日は超満員で小屋の人が忙しそうでビールを注文しずらいなと思っているところに、小屋の奥さんに「8分行った所に水場があって、顔を洗うと気持が良くなるよ」と奨められて、ナップザックに水筒やペットボトルを入れて水場に向かった。歩いてみると水場にはなかなか着かないが、この道の周りにはハクサンフウロ、ハクサンチドリ、シナノキンバイ、カラマツソウ、バイケイソウ、クロトウヒレン、ミヤマキンポウゲ、トリアシショウマなどなど色々な花が咲いていて嬉しい道だった。
10分も歩いて水場に着くと行列ができていた。順番を待って、水を飲んでみると冷たくて美味しい。容器を満タンにして顔を洗って小屋に戻った。今日はビールを止めにして冷たい水をいっぱい飲んで満足した。
食事をしている間に小屋の人によって布団が敷かれ、今日は一枚の布団に二人ずつ寝る場所を指定されて潜り込む。少々窮屈である。我々の隣合わせが中年の九州男児の集団、大部屋中に響き渡る大声での話が何時までも続くので「明日早立ちの人がもう眠ろうとしているので、静かにして下さい」とお願いしたが「まだ消灯時間前だよ」と話は止まない。あちこちから「静かにして下さい」「少しは人の迷惑も考えろ」と声が上がってやっと静かになったが、今度は高鼾が響き渡ってきた。5分ほどで鼾は止んだが、朝夜明け前には動物の様な雄たけびが響き渡ってきた。隣合わせの布団に寝た女性のSmさんは、夜中に頭や腕が伸びてきて一晩中眠れなかったと歎いていた。恐れ入った登山集団があったものだ。

4)3日目(晴):木曽殿山荘−空木岳−南駒ヶ岳−越百山−越百小屋
木曽殿山荘 5:45 ---- 6:25 休み 6:30 ---- 7:35 空木岳 8:00 ---- 9:05 鞍部 9:15 ---- 9:35 赤椰岳 9:45 ---- 10:35 南駒ヶ岳(昼食) 11:05 ---- 12:40 仙涯嶺 ---- 12:50 休み 12:55 ---- 13:50 休み 13:55 ---- 14:20 越百山 14:35 ---- 15:35 越百小屋(泊)

朝目覚めて外に出てみると、八ケ岳の上が真っ赤に燃えて素晴らしい朝焼けだった。日の出時刻まで頑張って見ようかと思ったが、雲が出てきて日の出は遅れそう。諦めて部屋に戻ってパッキングの確認をする。
朝食をいただいて、準備運動をして空木岳への登りにかかった。
(八ケ岳と朝焼け)
(準備運動)

空木岳へは標高差400mの急坂の登り、スリリングな岩場もあって面白いような、しんどいような。予想以上に嶮しい岩場が続くが、岩は花崗岩なので滑らないので助かる。
(キツイ登り)
(岩場を頑張る)

高度を上げていくと山荘がはるか下に見え、その上に昨日歩いてきた宝剣岳からの山並みが一望にできた。良く歩いてきたもんだ。
その左右には御嶽山、乗鞍岳、八ケ岳が昨日と同じように見えていたが、更に登って行くと、北アルプスの槍ヶ岳の尖った山容が見えてきて、穂高も見えだして去年の大キレットを思い出させた。「今日はラッキーだ。白山も見えるぞ。」とリーダの声。御嶽山の左肩にはっきりと見えていた。飯綱、妙高、火打も見えてきて今日は元気に歩けそう。
(宝剣岳から木曽殿山荘までの稜線一望)

頑張って山頂に出たと思ったら、本当の巨岩累々の山頂はも一つ先にあって、あと50mも登らなければならない。一休みして気を取り直してもうひと頑張り。
(山頂はも一つ先だった)
(もうひと頑張り)

百名山、空木岳の登頂!400mの急登を頑張って喜びひとしお。ハイタッチの声も高い。集合写真を撮って、各自の記念写真。最高点の三角点の前でバンザーイ!
(ハイタッチ!)
(バンザーイ)

頑張って登ってきた空木岳の山頂からゆっくりと360°の展望を楽しんだ。リーダに一つ一つ指差しながら山の名前を教えて貰う。
(北方向の展望)

(南方向の展望)

ゆっくりと展望を楽しんでからザレた稜線の道を進むと、空木のもう一つのピークがあり、こちらも岩の重なりの山だった。ピーク付近の大岩を縫うように歩いてからガレ場の道を下る。空木岳から南は出合う人も殆んどなく、山を独占しているような気分になる。足元のコマウスユキソウやリンドウなどの可愛い花を愛でながら気持よく歩いて行った。
いくつかの岩っぽいコブを越えながら稜線を歩いていき、赤椰岳への登りにかかる鞍部で一休みとなったところでハプニング。Inさんが岩の上に置いたザックが倒れ、ハイマツの斜面を転がり出した。ハイマツに埋もれて止まるだろうと見ていると、引っかかっては転がり、引っかかっては転がり、45°程の傾斜を何処までもゴロンゴロンと転がってゆく。50mも転がったところでザックはハイマツの中に消えてしまった。人間もうっかり転倒するとこんなに転がり落ちてしまうのだろうかと想像して怖くなった。
「ザックをあそこまで下って回収するは大変だろうな」と思っていると、お元気なInさん、すぐに急斜面を下り始めた。ハイマツの中を歩くのは大変そう、右に左に足場を確認しながら下って行ったが、ザックが何処で止まったかが定かでない。上から、右だ、左だ、もっと下、などと指示されながら、しばらく右往左往しながら探していたが「あった!」の声。みんな拍手を送った。
登り返すのも大変そうだったが、Inさんが戻ってきたらすぐに出発。
(赤椰岳と南駒ヶ岳へ)
(ザック回収)

ザック騒ぎから赤椰岳へ登って行くと、山頂近くはここも花崗岩の山、山頂を越えた肩のところで南駒ヶ岳の岩山を目の前にして一休みした。
南駒ヶ岳は岩の山肌をさらけ出してデンと聳えている。貫録のある山容で、久弥さんが空木岳とどちらを百名山に選ぼうかと迷っただけの事はある。
(赤椰岳から南駒ヶ岳と仙涯嶺)
(南駒ヶ岳を前に赤椰の肩で一休み)

岩っぽい道を鞍部までくだると「摺鉢窪避難小屋へ15分」の分岐があった。小屋は随分と下に見え、崩壊地のすぐ上に建っていた。山小屋の少ない中央アルプスでは貴重な避難小屋なんだろうが、あそこまで下るのも大変そうだなあ。
下って行くにつれ南駒はますますせり上がってきて大きく高く見えて来て登り返すのが大変そうだなあと思いながら歩いていたが、南駒ヶ岳への登りは大股で登らないと次の足場が見つからない所があったり、時間はたっぷりとかかった
南駒ヶ岳への登り)

南駒ヶ岳の山頂で集合写真を撮り、木曽殿山荘謹製の弁当を広げた。
大岩の転がる瘠せ尾根を歩いて向かいの岩山を越えると仙涯嶺への道が左に下っていた。
(南駒ヶ岳山頂:後は空木岳)
(南駒ヶ岳のもう一つのピーク)

仙涯嶺へはトラバース状の登山道を辿る。この道の周りには、キバナシャクナゲ、キバナノコマノツメ、シナノキンバイ、チングルマ、コイワカガミ、アオノツガザクラ、ハクサンイチゲ、ハクサンチドリ、クロユリ、コバイケイソウ、ナナカマド、ヒョウタンボクなど色とりどり、今回一番のお花畑だった。
トラバース道を下って巻いて行くと、目の前に仙涯嶺が見えてくる。見ただけで嶮しい岩山であることが一目瞭然だった。
(お花畑のトラバース道)
(仙涯峰へ)

鞍部はザレた崩壊地で、転がったら止まりそうにもない。足を滑らさないよう注意して渡る。
仙涯嶺の山頂部は細長くなっているが、登り始めは稜線から外れた岩の崖をへつるように道ができていた。崖の縁を慎重に歩きながら段々と高度を上げ、山頂部の中間に登り着く。ここから岩を縫うように歩いて山頂に到着。すぐに下りになったので、何処が山頂だったか印象が定かでない。
サレ場のジグザグ道を注意深く下って、平らなところまで下って一安心、一休みになった。仙涯嶺を振り返ると、色々と変わった形の岩が見え、みんなマーモットだとか鬼の面だとかめいめい勝手な名前をつけていた。
(仙涯峰は岩だらけ)
(人面岩)

一休みして越百山へ向かって出発したが、ここからも岩を縫う稜線歩きが続いた。1時間歩いて越百山の登り口のザレた鞍部に着いた所で一休み、ここでSmさんがみんなと別れて歩くことになり、友達のTmさんとOgさんと私がサポートすることになった。Smさんは昨夜一睡もできなかった影響が出てペースが上がらず、ゆっくりと歩くことになったのだ。
Ogさんと私でSmさんのザックからいくらか荷物を貰ってからゆっくりと歩き始め、30分近くで越百山の山頂に登り着くと、皆さん待っていてくれて、全員での集合写真に参加することができた。
(越百山への稜線(正面中央が越百山))
(縦走最後の山・越百山)

写真を撮ると皆さんはすぐに下り始めたが、4人はゆっくりと休んで下り始めた。始めはハイマツの生える急坂だったが、段々と樹林帯の中の緩やかな道なり、周りの花を愛でながら下って行った。高度が下がると花の種類も様変わりして、ゴゼンタチバナ、ミヤマシシウド、エゾシオガマ、カニコウモリ、マイヅルソウ、オサバグサなどが咲いていた。
越百小屋に到着すると皆さん、ハイタッチで迎えてくれた。
(越百小屋へ下る)
(越百小屋到着)

越百小屋は定員20人程の小さな山小屋だった。寝室や食堂のある本館も狭いので、ザックと登山靴は隣の避難小屋に置いて、サンダルで本館に入るようになっている。本館は2階が炊事場と食堂、下の階に寝室があり、トイレは裏の離れたところに作ってある。どこも綺麗になっていて清掃が行き届いている感じだった。飲料水はポンプアップ、雑水は天水をためているが、ここのところ日照り続きで水不足、大事に使うようご注意があった。
小屋の前にテーブルとベンチがあり、早速冷たいビールをと思ったが、ビールは冷やす手段がなくて室温保存だとのこと。ワンカップを買って中央アルプス完歩を祝って乾杯した。この縦走は予想を越える厳しいアップダウンが多くて、超ロングコースで難儀した「黒部五郎岳から笠ヶ岳縦走」よりもきつかったと言うのが皆さんの一致した感想だった。
いつもはご主人一人で切り盛りされているらしいが、今日は17名の予約(昨日15名に変更)なので奥さんも小屋に上がってきてお手伝いしているとのこと。
夕食はおでんに天麩羅、天麩羅がさくさくに揚がっていて小料理屋並みの絶品だった。ご飯はお代わりOK 、美味しいお茶も飲み放題、有難かった。
下の寝室には12名分ふかふかの寝袋が並べられ、3人は食堂を片づけた所に用意された。夜中の雨を心配して、トイレ行き用の傘と長靴が運んで来られて、みんな安心してゆっくりと眠ることができた。

5)4日目(雨):越百小屋−伊奈川ダム
越百小屋 5:50 ---- 6:35 上の水場 6:40 ---- 7:30 上のコル 7:35 ---- 7:50 下のコル ---- 8:25 福栃平 8:30 ---- 9:05 今朝沢橋 ---- 9:30 伊奈川ダム

朝起きると外は雨、食堂に上がるのに外に出るのは傘一本では大変だと話していたら、天井の蓋が開いて階段を登って食堂に上がることができた。サンダルは後からご主人が運んでくれた。気配りの行き届いた御主人、嬉しくなった。
昨日木曾駒山荘の水場で汲んだ水をたっぷりと飲んだお陰か、昨夜と今朝、気持ちのいいお通じがあった。その代り今日の水が不足気味なので300円の水2本をお願いすると、「30分も歩くと登山道から2分のところに水場があるから要らないだろうよ」とご主人。それでも木曽殿山荘の水場まで遠かったことを思い出し、安心のため300円の水2本を購入した。
とろろ芋付きの美味しい朝食を頂いて、雨具をつけて出発。ご夫婦に挨拶して出発したが、御主人はしばらく山道を歩いて道が右に曲がる所でサヨナラをした。
(越百小屋を出発)
(見送りの山小屋主人)

山小屋から少し登ってからは下り一方の道、雨の中、整備された道を歩いていった。気持よく歩いたと言いたいところだが、ここでも虫が付いてきて煩くてしようがない。虫を払うのに、Inさんに教わってナナカマドの小枝を折って、これで払いながら歩いたが、なかなか具合が良かった。
45分も下った所に水場の道標があり、少し下った所に水場が見えていた。これなら確かに水の追加は必要なかったようだ。
虫を払いながら足元を見ながら下るので、途中御嶽見晴台があったことにも気が付かないで通過したが、今日の雨模様では御嶽山も見えなかっただろう。
山道を下って行くと下に沢が見えてきて、下った所に立派な堰堤がありました。
(下ると笹原)
(砂防堰)

急坂の山道は堰堤まで、ここから沢沿いを歩くとすぐに福栃平の分岐点で、南駒ヶ岳へと越百山への分岐点の道標が立っていた。
ここからは今朝沢橋まで2.5km、伊奈川ダムまで更に2km、ホタルフクロやクガイソウ、ヤマアジサイ、トリアシショウマ、ヒヨドリバナ、ヤマオダマキなど眺めながら長い林道をひたすら歩いて行った。
(福栃平)
(林道歩き)

林道わきを流れる伊奈川の流れは凄い急流で、岩を食む清流が綺麗だった。
(伊奈川の清流)
(伊奈川ダム)


6)帰途:
伊奈川ダム 10:05 = 10:35 道の駅大桑 11:00 = 11:40 代山温泉(入浴) 13:10 = 14:05 昭和伊南総合病院 = 14:25 駒ヶ根IC = 15:15 梓川SA 15:25 = 16:05 千曲川PA 16:10 = 17:00 横川SA 17:30 = 18:25 太田桐生IC 18:45 = 19:35 佐野IC = 19:40 佐野SA 19:50 = 20:40 笠間PA 20:45 = 21:00 水戸IC = 21:30 水戸駅 = 21:45 勝田駅 = 22:00 東海駅 = 22:10 日立電鉄南営業所 = 22:20 日立自宅

伊奈川ダムからも林道の延長で細い道が続くので、チャータした土地の小型バスでR19の道の駅まで運んでもらい、日立電鉄のバスに乗り換えた。実はこの道は橋が改修中で車が不通の期間が続いていてやきもきしていたが、やっと14日に開通したばかりだった。
木曽福島の日帰り温泉に立ち寄って、4日ぶりに汗を流して、美味しい昼ご飯を頂いた。食後、権兵衛街道を通って伊奈側に回って、病院でOsさんと会長さんを乗せて駒ヶ根ICから高速に乗った。
高速に乗ってすぐに、対向車線に交通事故による通行止めがあって長い車列ができており、その先のICで降ろされる車の行列もそれ以上に長かった。こっちの車線は快調で良かったねと言いながら対向車線の不幸の写真を撮った。その先PAで休憩をとりながら快調に走って行ったが、北関東道に入ると集中豪雨のために太田桐生ICから佐野田沼IC間が通行止めの表示が出た。太田桐生ICで降りる車の車列ができて、出口に並んでからICを通過するまで20分もノロノロ運転になった。他人の不幸を笑った罰、れでも水戸ICに21時に無事帰着することができました、運転手さんご苦労様でした。
(対向線の大渋滞)
(太田桐生ICの渋滞)





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