Y102.旧日立鉱山の道

1.動 機
地形図を見るともとやま自然の村から日鉱記念館へ破線の道が繋がっていて、以前、高鈴山からあかさわ山荘に下った時にこの分岐点を通って「これを下りたら記念館に辿りつけるのかな」と気になっていた。日立市の奥の和子の知人に会ったついでに、この破線の道を探検してみることにした。、

2.データ
a)山域:もとやま自然の村
b)登山日:2011/11/19(日)曇
c)日程:
あかさわ山荘前 12:45 ---- 12:50 林道入口 ---- 13:20 分岐 ---- 13:50 自然の村終端 14:00 ---- 14:20 分岐 14:25 ---- 14:40 広場 ---- 14:50 砂場 15:05 ---- 15:15 広場 ---- 15:20 撤退点 ---- 15:25 広場 ---- 15:35 分岐 ---- 16:00 林道入口 ---- 16:05 あかさわ山荘前
(旧日立鉱山の道ACE)
(歩行コースの標高差)

d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「町屋」

3.山行記録
あかさわ山荘前に到着すると、山荘の入口には柵が降ろされていて、「当山荘はH23.3.31付けで廃止致しますので、H22.12.27で受付は終了していました」の札が取り付けられていた。山荘に車を置いて山荘奥の登山道を登る積りだったが、やむなく道向かいの広場に車を停めて、県道を少し上ったところにある林道入口から歩き始めた。
(あかさわ山荘は閉鎖)
(@林道入口)

林道の入口@は鎖で車止めがしてあったが、道の下草は刈りはらわれて、ハイキングには支障がないように手入れしてあった。
林道を登り切って日鉱記念館への分岐Aに着いたが、あかさわ山荘が閉鎖なら自然の村も閉鎖になっているのではないかと気になって、そのまま自然の村まで歩いてみた。駐車している車もあって、村内にも「閉鎖された」と言う表示はなかったが、一番奥Bまで歩いてみても人っ子一人出合うことはなかった。今日は平日だったためかも知れない。
(整備された林道)
(Bもとやま自然の村)

分岐点Aまで引き返して、右手の展望台への道を上って見ると、展望台はロープで囲われており、敷地全体の草が綺麗に刈りはらわれていて何か整備中のように思われた。危険はなさそうなので、ロープを跨いで中に入って神峰山を展望してみたが、以前よりも目の前の樹木が育っていて邪魔になった。
分岐点に戻って記念館への道に入ると、右手に神峰山が遮るものがない姿を見せていた。展望台からよりもよっぽど展望が良かった。
(展望台から神峰山)
(日光記念館への道へ)

分岐点からしばらくは舗装道で、鉱山時代は社宅街だったらしい石垣が続いた。
舗装道の終端には車止めがあり、その先は砂利道になった。砂利道でも整備はされているようで、歩くに支障はない。
(社宅跡)
(車止め)

左手の・501のピークを巻きながら歩いて行くと、地形図で破線の道が二股に分かれるところCが広場になっていた。
直進方向の日鉱記念館方向は籔になっていたが、左には整備された道が登っていた。地形図でこの道は・501のピーク手前で行き止まりになるが、この先に何があるのだろうかと先ずこちらを探索することにした。道は下には日鉱記念館の構築物も見えていた。
(C広場)
(・501への道)

ジグザグを繰り返しながら登って行くと、その先に広場Dが現れたが、そこは一面砂の山だった。砂の採掘場所でもなさそうだし、砂の保管場所がこんな不便な所にある訳もない。
広場の先に砂の小山があり、そこから見返すと、砂の下はコンクリートの平屋根になっているように見えた。そう言えば、地形図にもこの場所に建物のマークが付いている。何かの事情で建物全体を砂で埋めたように思われた。
神峰山の展望もいいので、ここで一休みしたかったが、砂の上は気持が悪くて少し外れたところに移動しておやつを食べた。
・501のピークにも登って見ようと山頂方向に入ってあちこち歩いてみたが、籔の中に踏跡らしきものは見当たらず諦めた。
(D砂置き場?)
(砂の下に屋根があった)

二股の広場Cまで引き返して、日光記念館方向の道をよく見ると、すっかり籔になった道の中に最近誰かが歩いたような踏跡が下っていた。とにかく下って見ようと踏み込むと、和子もぶつぶつ言いながらも付いて来る。
しばらく籔漕ぎしながら下って行ったが、やがて大籔に遮られた。その先に道型は続いているが全面籔に覆われている。あえなくここEで撤退することになった。
(記念館へ下る)
(E籔強し、撤退)

日鉱記念館まで歩くと言う目的は果たせなかったが、6kmばかり山道を歩いて足慣らしにはなった。


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