Y121.嵩山と水沢山(MAC忘年会)


1.動 機
 水戸アルパインクラブの2011年度の忘年山行は去年に続いて群馬の山になり、一日目が嵩山、二日目が水沢山、忘年会は伊香保温泉の老舗旅館の古久屋で賑やかに行われた。一日目の嵩山は生憎の雨模様の中での山行になって岩峰の大天狗山頂には立てなかったが、歴史を感じさせるスポットが続いて面白かった。2日目の水沢山はうって変っての好天気、小さいながらも急登の続く登り甲斐のある山で、山頂からの360°の大展望は圧巻だった。

2.データ
a)山域:嵩山(789m)、水沢山(1194m)
b)登山日:2011/12/03(土)雨、04(日)晴
c)日程:
12/03:日立電鉄南営業所 = 水戸IC = 渋川伊香保IC = 道の駅霊山たけやま ---- 小天狗 ---- 嵩山大天狗下 ---- 道の駅霊山たけやま(昼食) ---- 親都神社 = 水沢観音 = 伊香保温泉(泊)
12/04:伊香保温泉 = 水沢観音 ---- 水沢山 ---- 水沢観音 = 水沢うどん店(昼食) = 渋川伊香保IC = 沼田IC = 白根温泉(入浴) = 清滝IC = 水戸IC = 日立電鉄南営業所
d)同行者:水戸アルパイン会員13名(男7、女6)、和子
e)地形図:1/25000 「中之条」「伊香保」

3.山行記録
1日目(12/03):嵩山
アクセス
日立自宅 4:30 = 4:40 日立電鉄南営業所 4:45 = 4:55 東海 = 5:10 市毛(時間調整) 5:30 = 5:35 水戸駅 = 6:15 水戸IC = 6:30 笠間PA 6:40 = 7:50 波志江PA 8:10 = 8:30 渋川伊香保IC = 9:55 道の駅霊山たけやま
山行
道の駅霊山たけやま 10:00 ---- 10:15 五合目 ---- 10:20 見晴台 10:25 ---- 10:30 天狗の平 10:35 ---- 10:40 不動岩下 ---- 10:50 小天狗 ---- 11:00 中天狗 ---- 11:05 御城の平 11:10 = 11:15 大天狗下 11:20 ---- 11:35 弥勒穴入口 ---- 11:50 道の駅霊山たけやま(昼食)12:40 ---- 12:40 親都神社 12:55 = 13:15 郷原駅(岩櫃山展望) = 14:00 水沢観音 14:55 = 15:10 伊香保温泉(泊)
(嵩山登山ルート)
(嵩山登山ルートの標高差)

 前夜のTVでは今日は大雨の予報だったので「一日目は山行中止で観光旅行だ」と決め込んでいたが、早朝起きると雨はほとんど降っていない。期待をもって車に乗って出発して日立電鉄営業所に向かい、貸切バスに乗り込んで4時45分に出発した。勝田での乗客がいないので東海から直接市毛に向かったので、市毛に着いたのは予定よりも20分も早かった。ここで時間調整をして予定時間に水戸駅に着くようにし、水戸ICで高速に乗って笠間PAで15人の仲間が全員揃った。チーフリーダは群馬育ちの会長がつとめて、2つの山とも案内していただく。
 雨は降ったり止んだりと気を持たせるが、みんな「今日はどこの観光に連れていってくれるの」と幹事団に催促する。「現地のお天気を見てから決めよう」とのことだったが、渋川伊香保ICで高速を下りる頃には「今日は嵩山コースを歩く。ここの岩場は滑りやすいので、危なそうな岩場だけはパスして歩くことにする」との決定が下され、嵩山ハイキングコースの案内図が配られて説明が始まった。私は山行はないものと決め込んで膝サポータもつけていなかったので、車内で慌てて必需品のサポータを装着した。
 登山口の道の駅「霊山たけやま」に着くと、ガラガラの駐車場の上に岩峰が聳え立っているのが見えていた。こんな岩山に登るのかと思って緊張したが、この岩峰は嵩山の登山コースには入っていないとのことで安堵。和子を含めて6人の仲間は雨の中の山歩きは嫌なのでバスで待機しているというので、残りの9人だけリーダの会長に連れられて雨具をつけて歩き始めた。
 道の駅の脇を歩いて行くとすぐに表登山道と合流し、合流点には大きな岩「大石」が立っていてその上に石祠が祭られていた。その脇には「史跡嵩山城址」と「一番」の立札があって、大石の前には観音像が立っていた。車内で配られたコース案内図に書きこまれていた@から(33)の番号が石仏の番号であることを初めて理解した。
(嵩山東登山口)
(大石・#1石仏)

 表登山道は初めから結構な急登が続いた。雑木林の急斜面にジグザグに作られた整備された登山道を登って行くと、15分ほどで五合目の表示があり、その先で左の分岐に入ると四阿のある見晴台に出た。雨具をつけていると暑いので、四阿のなかで雨具の下のシャツを脱いだ。
 見晴台からは目の前に榛名山の全景が見えるらしいが、今日は何も見えない。脇に直立していた「男岩?」がやけに気になった。
(ジグザグ道の五合目)
(見晴台から男岩)

 見晴台から登山道に戻って先に進むと岩場の道になり、「岩登り禁止」の立札があった。この「岩登り禁止」の立札はコースの随所に立てられており、「この岩場を歩くな」と言う意味ではなくて、あちこちの岩峰への「ロッククライミング禁止」ということだった。
 表登山道と東登山道の両方の入口に立札があって、「岩登りをしないでください。この嵩山は昔から五反田村の信仰の山です。死んだ人の霊が集まる所として山全体を信仰した霊山です。ハーケン・ホールドなどを打つとすきまから水が入り冬に氷となって岩を割ってくずします。五反田住民の総会でこの霊山を守っていこうと決めました。五反田住民一同」とあった。
(岩登り禁止1)
(岩登り禁止2)

 見晴台から5分ほどで尾根に登り着くと「天狗の平」という広場があり、ここも見晴らしが良いらしく展望台があり、見えるはずの山々の説明図が立っていた。
 お天気が良ければ、中央の榛名連峰を挟んで、左に日光連山、子持山、小野子三山、右に岩櫃山から浅間山などの山々が展望できるらしい。
(天狗の平)
(天狗の平)

 天狗の平から小天狗の北面の巻道をとって不動岩の登り口に着く。不動岩のてっぺんから鎖が垂れ下がっているが、岩が濡れていて危ないので登るのは止めになった。それなりに足場はありそうなので登れない事はなさそうだったが、リーダに従って次に向かう。
(不動岩へ)
(不動岩の鎖場)

 小天狗の南面を巻いて戻ると、小天狗への登り口があった。小天狗への岩場は足場がしっかりしているので安心して登ることが出来た。
 小天狗のてっぺんからは、目の前に先ほどの不動岩の岩峰が見下ろせた。登ると気持の良さそうな岩山だった。反対側の紅葉した山肌の上には目立たないが中天狗と大天狗のの頂きが確認された。
(小天狗へ)
(小天狗から不動岩を見下ろす)

 小天狗の山頂にも信仰の山らしく石祠があり、お参りしてすぐに次に向かった。
 天狗の平まで下ると、あとはなだらかな道になり、体力を使わないので寒さが身にしみて来て見晴台で一枚脱いだのが悔やまれてきた。
(小天狗から中天狗、大天狗岩)
(胎内くぐりはパス)

 途中に「胎内くぐり」への分岐があったが、その先に危ない所があるとのことでパス、小天狗から10分で中天狗に到着した。ここにも石の祠があり、目の前に大天狗の岩峰が見えていた。
 中天狗を下った鞍部が「御城の平」で、おびただしい数の石仏がコの字に並んでいた。ここはもと嵩山城の本丸があったところで「実城の平」とも呼ばれるらしいが、このおどおどしい雰囲気からは表示板に併記してあった「無常の平」の方がいいように思われた。女性会員が仏様の数を数えていたが、正確な数を控えそこなった。確か53体とか----。
(中天狗通過)
(御城の平・無常の平)

 御城の平からすぐに烏帽子岩や五郎岩への分岐があったが、下見して大して面白いところではなかったとしてパス、その先に大天狗の岩壁が待っていた。傾斜は大したことはないが、雨に濡れて黒光している岩場は気持ちが悪い。高度差30mの岩場を登るので団体行動にはそぐわないとして、ここもパスすることに決定。元気のいい二人の女性が中段まで登って偵察してくれたが、上の段の鎖がとても長くてみんなで登るのはやはり無理だと言いながら下ってきた。この大天狗が嵩山の山頂なので、ここに登らなければ嵩山に登ったことにはならない。私単独でも登りたいのは山々なれど、ここは我慢して、後日天気のいい日に和子と一緒に登ることにしよう。
 大天狗の岩場からの下りの東登山道も、表登山道の登りと同じように急坂のジグザグ道が続いた。
(大天狗の登り口)
(下山)

下り始めると左の杉の樹間に不気味な岩壁が見えてきたが、五合目を過ぎると「弥勒穴」への分岐があった。弥勒穴はこの岩壁をトラバースして行った所にある洞穴で、中に二十番の石像が祭られているらしいが、勿論ここもパス。
 さらに下ると、下に道の駅一帯が見渡せるようになり、バスで待機していた仲間が手を振っているのが見えた。
(弥勒穴の岩場)
(道の駅と親都神社)

 散り残りのカエデの紅葉を愛でながら下り、木の鳥居を潜って階段を下ると、上に「道の駅霊山たけやま」のランプ装飾の上に男岩などの大岩がニョキッと聳えているのが目に入った。夜になって、ランプに灯が点くと面白い情景になりそうだ。
 バスに戻ると、道の駅の御主人の御好意で、水戸アルパインの昼食のために店内の休憩室を提供していただけることになっていた。バスの中での弁当を覚悟していたのに、暖かい部屋の中で、日立電鉄の運転手さんが作ってくれた熱い味噌汁のサービスもあって、賑やかな忘年会の予行演習をすることができた。
(男岩)
(道の駅で昼食)

 賑やかな昼食を終わって、道の駅でお土産を色々と買い込んでから、道向かいの親都神社にお参りした。
 神社入口の森は、樹齢700年、目通り9.7mの県指定記念物の御神木「親都神社の大ケヤキ」のほか杉やケヤキの古木が鬱蒼と茂っていて荘厳な雰囲気を醸し出していた。
 境内に入って本殿前にお参りすると、屋根の形状が微妙な曲線を描いていて、いかにも古代の建物といった感じになっていた。
(御神木の大欅)
(親都神社)

 雨のために嵩山山行ポイントの数ヶ所をパスしたので、親都神社の参拝を終わってもまだ13時前、宿に入るには早過ぎるので、回り道をして行くことになった。
 まずはR145を西に郷原駅まで走って、駅前の駐車場から岩櫃山の大岩壁を眺めた。来年の水戸アルパインの山行の一つになるらしいが、我家は去年登ったばかりなのでどうしましょう。
 次は明日の水沢山の登山口にある水沢観音に立ち寄った。駐車場でバスを降りてから釈迦堂前を通り、鐘撞堂と十二支守り本尊の間を通って、六角二重塔で六地蔵尊を廻して縁起を担ぎ、本堂(観音堂)にお参りした。本堂前で本日の集合写真を撮ってから、苔むした石段の参道を下ってみた。下から上を見上げると、紅葉と赤い奉納幟と仁王門のコントラストが綺麗だった。駐車場近くの釈迦堂では丁度関東三十三観音の模型像が無料展示中だったので入ってみると、茨城のお寺の観音様も沢山並んでいて興味をそそられた。、
(岩櫃山)
(水沢観世音)

 15時過ぎに伊香保温泉の老舗旅館の古久屋に入り、最上階の展望風呂にゆっくりと浸かって気持よくなってから、温泉街に繰り出した。18時半からの宴会時間までの間、有名な石段街を登って伊香保神社にお参りしたりして過ごしたが、温泉街の人出の多さには驚かされた。中でも我々のような高齢者がほとんど見当たらず、若い人が多いのが意外だった。山で出合うのは高齢者が殆んどなのだから。
(伊香保の老舗旅館)
(伊香保温泉の石段街)

 梅酒での乾杯で定刻に宴会が始まり、たっぷりのお酒と豪華な食事を頂きながら話は尽きず、恒例のあみだ籤での景品当てで賑やかに幕。1時間の予定時間があっという間に過ぎて、部屋に戻っての持込み自由の2次会が夜遅くまで続いた。
(賑やかな忘年宴会)


2日目(12/04):水沢山
伊香保温泉宿 8:00 = 8:10 水沢観音 8:15 ---- 8:20 万葉歌碑 ---- 8:30 登山口標 ---- 8:45 尾根取付 ---- 9:00 休石 9:05 ---- 9:40 石仏 ---- 9:55 水沢山山頂 10:05 ---- 10:20 石仏 ---- 10:40 休石 ---- 11:05 尾根取付 ---- 11:25 水沢観音
帰途
水沢観音 11:30 = 11:35 水沢うどん(昼食) 12:40 = 12:45 渋川伊香保IC = 13:00 沼田IC = 14:00 白根温泉(入浴) 14:45 = 15:50 清滝IC = 16:00 日光沢PA 16:10 = 17:20 笠間PA 17:40 = 17:50 水戸IC = 18:15 水戸駅 = 18:45 東海 = 18:55 日立南営業所 19:00 = 19:10 日立自宅
(水沢山登山ルート)
(水沢山登山ルートの標高差)

 宴会と二次回のお酒のお陰でぐっすりと眠り、目覚めて窓の外を眺めると、今日の空は嬉しい青空だった。早速最上階に上がって廊下の窓から北方を見ると、小野子三山や子持山が朝日を受けて赤く輝いていてとても綺麗だった。
(翌朝、旅館から十二ヶ岳、中ノ岳、小野子山、子持山、赤城連山)

 旅館の朝食時間を早くして貰って8時にバスで出発、昨日お参りした水沢観音の駐車場に入った。今日の登山の始まりは、本堂前を過ぎたところにある飯綱大権現への石段で、赤い鳥居のところに「水沢山2時間」「万葉歌碑石段上より40m」の立札があった。石段は急で45度あり、歩き始めの身体にはなかなかきつい。和子が段数を数えたら86段あったとのこと。
 石段を登って飯綱大権現様にお参りし、大権現の左側を通って山道に入ると、すぐ右に万葉歌碑が立っていた。リーダは素通りしてしまったが、一寸立ち寄って見てみたら、漢字の羅列で全く意味不明だった。駐車場近くに説明板があるらしい。
(飯綱大権現の石段)
(万葉歌碑)

 灯籠のある道を歩いて行くと杉林になり、さらに行くと林道のような広い道にぶつかり、その広い道を左折して歩くと右手に水沢山登山口の案内があった。
 ここからやっと登山道らしくなり、雑木林の中の急な登山道を登って行く。登りつめると尾根筋にあがり、左に曲がるところに「山頂まで1.35km」とあった。朝早く登り始めたらしく、もう下って来る人にも出合うようになった。
(杉林を過ぎると)
(登山口標識)

 尾根に上がってからはしばらくなだらかな道になったが、またすぐに急な階段道になった。その急登をいくと"お休み石"という平らなところがあり、一休み。立札には「山頂へ1km」「駐車場へ1km」「標高差270m/580m」とあり、ここで丁度半分だった。
 ここからもまた急な登りが続いた。登山道は谷側にロープが張られ、路面は丸太で丁度具合のいい歩幅の階段に整備されていて歩きやすい。立札には渋川市とボランテイアとで管理しているとあった。
(丸太の階段道)
(登山道保守の標識)

 急な登りが続き、石の重なるところもあって汗をしぼられる。登りきると尾根筋に並んだ石仏群が出迎えてくれた。
 ここからは眺めのよい尾根歩きになるが、冷たい風が強く吹きつけてきて寒くなった。上から下って来る登山者も「山頂は寒いよ」としきりに言うので、樹木を風除けにしてウインドヤッケを付けた。
(石の道もある)
(石仏からなだらかな道)

 少し進むと目の前に水沢山の尖った山頂が見えて来た。山頂へはまた一登りが必要だった。石仏からさらに15分で山頂到着、歩き始めて1時間40分、石段のところの立札にあった標準時間よりも少し早かった。
(その先に山頂)
(山頂までもう一登り)

 山頂は狭かったが、会長自慢の360°の大展望が広がっていた。榛名の山並みの左には八ケ岳、妙義山、南アルプス、富士山、奥秩父の山々、茨城の山まで見えており、目を凝らすと東京のスカイツリーも確認することが出来た。
(南方展望:奥秩父、富士山、南アルプス、八ケ岳、榛名連山)

(富士山)
(加波山〜筑波山)

 北には苗場山から十二ヶ岳、中ノ岳、小野子山の小野子三山、子持山、赤城連山と並んでいた。残念ながら、その上に並んでいるはずの仙の倉山、谷川岳、武尊岳、日光連山は雲に隠れて見えなかったが。
(北方展望:苗場山から小野子三山、子持山、赤城連山)

 山頂での集合写真を撮ってから展望を楽しみながら夢中でシャッタを押していたら、早々に下山が始まった。和子も久しぶりの仲間との賑やかな山歩きが嬉しくて、みんなと一緒に下ってしまい、ツーショットの証拠写真を撮り損ねた。慌てて一人で山頂標柱の前に立ってシャッタを押してもらった。
 登りではきつかった急登も、下りでは楽ちんに歩けて気持が良い。ただ、この時間になると下からどんどんと登山者が登ってきて、交差での待ち合わせが少々じれったい。登山道から外れた草叢の中にも何本か踏跡があって、こちらを少し歩いてみたらなかなか気持ちが良かった。それにしても登山者の多い山ではあった。
(山頂にて)
(早々に下山)

 下山を急いだのは、昼食に名物の水沢うどんをみんな揃って食べるための予約を11時半で取っていたためだった。山頂から1時間20分で駐車場まで下ってすぐにバスに乗り、近くのうどん屋に入って、用意されていた部屋で美味しいうどん定食を頂いた。水沢うどんを味わうのははじめてのような気がしたが、なかなか美味しいうどんだった。
 うどん屋からは水沢山の全容がすぐ近くに見えており、歩いたばかりの急坂を思い出しながらシャッタを押した。
(水沢うどん)
(麓からの水沢山)

 食事が終わってからの茨城への帰りは日光廻りになり、金精峠下の白根温泉に立ち寄って汗を流したが、幹事団のお薦めの通りに気持のいいお湯だった。粉雪も舞う寒風のなかでの露天風呂も気持が良かった。
 金精峠まで上がっていくと周りは雪景色になり、3年前に深雪の中を金精峠から手白沢温泉まで歩いた時のことが思い出され、車中での話題になっていた。
 紅葉の綺麗な日光宇都宮道路を走り、北関東道に入って宇都宮を過ぎるあたりに来ると、夕焼けの中に富士山のシルエットが美しく浮かんでいた。
(雪の金精峠から大眞名子山、男体山)
(北関東道から富士山)

 久しぶりの温泉お酒付きの賑やかで贅沢な山行、今年のいい想い出になりました。


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