Y126.石切山と助川山

1.動 機
 年の瀬も迫ってお正月の準備に忙しい時期だが、そろそろお山が恋しくなってきた。目的の山を探して山悠遊さんの茨城の山リストを見ていると、地形図「日立」に石切山という山があるという。子供時代から日立に暮らしてきた和子も石切山という名前は聞いたことがないというが、NETで調べると助川山の東隣の標高240mのピークらしい。日立に住んでいて日立市の中に登らない山があっては恥ずかしいので、早速助川山と抱き合わせで歩いてきた。石切山には思ったよりも歩きやすい踏跡があって、気持のいい半日ハイクを楽しむことが出来た。

2.データ
a)山域:石切山(240m)、助川山(328m)
b)登山日:2011/12/29(木)晴
c)コースタイム:日立自宅 11:25 = 11:50 しいの木学園前路側P 11:55 ---- 12:10 山の神 ---- 12:30 電線工場分岐 ---- 12:50 石切山 13:00 ---- 13:20 電線工場分岐 ---- 11:35 高鈴分岐 ---- 13:30 助川山 14:00 ---- 14:15 電線工場分岐 ---- 14:35 馬力神 ---- 14:45 石段道 ---- 15:00 しいの木学園前路側P = 15:30 日立自宅
(石切山・助川山登山ルート)
(石切山・助川山登山ルートの標高差)

d)同行者: 和子
e)地形図:「日立」

3.山行記録
 前日ついた正月餅を切ったり、洗濯も済ませたり、家事を済ませて昼前に我家を発車、登山口の助川城址公園入口近くに駐車場を探すと、しいの木学園前の路側が格好の駐車場になっていた。身支度をしようと荷台を開けると山靴が入っていない! 和子のきつい視線を「今日は軽い山歩きだからスニーカで大丈夫だ」とかわしてそのまま歩き始めた。
 しいの木学園のすぐ上が標柱が立つ助川城址公園の入口で、しいの木の巨木を見ながら登っていくと広場になっていた。そこには「史跡・助川海防城跡」の石碑があり、その横に地図付きの大きな説明板が立っていた。それによると、
 「水戸藩第9代の藩主・徳川斉昭は、尊王攘夷を藩論に据えて海防の重要性を説き、1836(天保7)、家老・山野辺義観を新設の海防総司に任命し、太平洋を一望におさめる助川の高台に城郭を築いて居住させて異国船の無断進入に備えさせた。この城は完成までに五年の歳月を要し、総面積は約68万u(20余万坪)あり、現在の助川小学校校門付近にあった館入口から三の丸(一部は助川小学校敷地)・二の丸(一部は太陽の家)・本丸と進むに連れて高くなり、異国船を見張る櫓は本丸に築かれていた。しかし現在残る遺構は、本丸表門の礎石の一部と、二の丸にあった鳩石のみである。」
(助川城址公園入口)
(助川海防城跡説明板)

 城跡公園の上は住宅地になっていて、居合わせた男性に助川山への道を確認して歩き始めた。その道を少し歩くとすぐに「高鈴ハイキングコース」の道標があり、その先では左手に太平洋の大海原と日立市の街並みが一望に見渡せた。展望の真ん中には、シビックセンタの球型のドームの横に、古巣の日立製作所の工場が以前と変わらぬ姿で見えていた。
(日立市街展望)

 ここから先、助川山までは、去年の2月水戸アルパインクラブの「高鈴山縦走」で下ってきた道である。ハイキングコースには道に沿って国土地理院の地籍調査のピンクのテープがひらめいていて、手入れの良い歩きやすい道が続いた。
 気持よく歩いて行くと右手に石段があり、その上に山の神の石碑と大山砥神社の鳥居があって、その奥に駒犬さんと石の社があった。
(高鈴登山道)
(山の神)

 その先に小平会館への分岐があり、同じ方向に化粧水の表示もあった。化粧水ってなんだろう?水場?
 なだらかに登っていき、平らになったところに馬頭観音の石碑があり、この前で衣服調整をした。寒さを警戒して厚着してきたが、お日様が照って気持のいい陽だまりハイキングになり、2枚も同時に脱いでしまった。
(小平会館分岐)
(陽だまりハイキング)

 馬頭観音の先で道が大きく曲がったところに送電鉄塔があり、鉄塔点検路がハイキング道と交差していた。
 更に歩いて行くと、日立セメントの鉱石運搬用の索道が見えて来た。ケーブルの下には鉱石落下時の安全用に丸いシェルターがあるが、今日は休業日なので、シェルタの上には上下行のゴンドラが停止状態でぶら下がっていた。
(鉄塔)
(シェルタ)

 シェルタを潜ると、すぐに右から上ってくる電線工場からの道と交差した。左に向かっては「高鈴山・助川山」の道標があり、車は進入できないように車止め鎖で閉鎖されていたが、ハイカーには鎖の脇に狭い通路が作ってあった。 石切山はこの右手にあるので、我家はここを直進した。
 この道を50mも直進すると金網で完全に閉鎖されており、日立セメント大平田鉱山峰山鉱体の「発破危険区域」「立入禁止」の看板がかかっていた。
(分岐を直進)
(立入禁止)

 立入禁止の柵の右の斜面に登っている踏跡が見つかった。45度以上の急傾面だったが、立木に掴まりながら攀じ登ると、その先にははっきりとした踏跡が伸びていた。スニーカで来たので籔道だったら危ないので諦める積りだったが、歩きやすい道でラッキーだった。
(柵沿いを登る)
(尾根に道あり)

 踏跡を辿っていくと、左手に鉱山の採掘現場が見えていた。今日は休業日なので「立入禁止」の立札を無視して進入すると車道が登ってきており、そこからは広大な鉱山全体を見渡すことが出来た。
 何か所かで右から合流して来る踏跡を合わせながら歩いて行き、一旦下って登り返しても踏跡はその先にも伸びていたが、この二つ目のピークが石切山の山頂の筈である。なだらかな山頂をうるうろと「石切山」の証拠になるものを探したが、それらしきものは見つからない。手書きの山名板を作って証拠写真を撮った。
(採石場)
(石切山山頂)

 石切山は立木に囲まれて展望も利かないのですぐに往路を「電線工場分岐」まで戻って、助川山へ向かった。ここから助川山へは車も走れる広い林道になり、一部は舗装された所もある立派な道が続く。芝生広場への分岐を過ぎると、目の前に助川山山頂の東屋が見えて来た。高度差は80m位だが随分と高いところにあるように見えた。
 その先に三角形の「石の池」があり、そこから左に「山の神団地へ」の分岐があった。助川山への林道はここから大きく湾曲しながら随分遠回りして歩かなければならないように見え、山の神団地への分岐に入った方が近道のように見えて進みたくなったが、スニーカの足を慮って安全な林道を進んだ。
(助川山への林道)
(石の池)

 助川山の北東まで廻り込んで、高鈴山への道を見送って助川山へ登った。山頂からは360度の大展望、今日も天気が良くて視界はバッチリだ。
 山側は風神山から高鈴、神峰、羽黒、鞍掛山の日立アルプスの峰々、海側には太平洋の大海原に小貝ヶ浜から日立市街、日立港、東海村の景観が広がっていた。今日は弁当なし、ゆっくりとコーヒとお八つで空腹を満たした。
(助川山山頂から高鈴山)
(太平洋と日立市街展望)

 下りは途中まで「山の神団地」への道に下ることを企んだが、やはり籔が強くなって正規の道に引き返した。
 「電線工場分岐」まで往路を戻って、ここからまだ歩いたことがない電線工場「やまね口」への道へ入った。この道は初めから終いまで車で走れる広い林道だったが、途中、路面が荒れた所もあっで四駆でも危なそうだった。とはいえ、分岐点まで登ってきても車止めでストップされるのだから、知らないで入ってきた人は悲劇である。
(分岐から電線工場へ)
(林道が続く)

 林道を10分も下ると最初の民家が現れ、そこからはすぐに住宅街に入ってきた。
(最初の民家)
(山根の住宅街)

 駐車場所の城跡公園に戻る近道がないかと、右への分岐を気にしながら住宅街を下っていったが、それらしき分岐がないままメイン道路をどんどん歩いて市街地に出てしまった。その出口にはたくさんの馬頭観音の石碑が立っていた。
(市街路に出る)
(出口に馬力神群)

 電線工場前まで出てから右折、車の多い道を敬遠してその先で更に右折して谷間の住宅地に向かって歩いた。城跡公園の下あたりに来たときに左に登る階段道があったので、これを登って丘の上の見覚えのある住宅地に上ると城跡公園はすぐだった。
 城跡公園に入って散歩中の犬に愛嬌を振りまいて、無事駐車場所に戻ることができた。
(階段で軌道修正)
(愛車が見えた)

 石切山はやはり山らしい山ではなかったが、歩行距離7.7km、歩行時間3時間弱、足慣らしに丁度いい陽だまりハイクでした。




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