Z11.龍子山・高戸山・いぶき山
1.動 機 今年の干支の山は福島県の「竜子山」と決めていたが、放射能汚染で麓の村が立入禁止になっているらしいので、代わりに同じ読み名の高萩の「龍子山」に登ることにした。「龍子山」は3年前に登ったことがある小さな山なので時間が余り、ついでに茨城山案内さんの茨城県100名山に載っている近くの高戸山と万葉の道、いぶき山にも立ち寄ってみることにした。 2.データ a)山域:龍子山(57m)、高戸山(36m)、万葉の道(40m)、いぶき山(11m)、 b)登山日:2012/1/4(水)晴後曇り c)コースタイム:日立自宅 10:10 = 10:25 日立南IC = 10:40高萩IC = 10:45 関根橋P 10:55 ---- 11:10 龍子山---- 11:40 関根橋P11:45 = 11:55 高戸小浜P 12:10 ---- 12:35 高戸山 ---- 12:50 島 ---- 13:00 万葉の道 13:35 ---- 13:45 高戸小浜P 13:50 = 13:55 花貫川P ---- 14:05 いぶき山 14:10 ---- 14:20 花貫川P 14:25 = 14:35 ラーメン店 15:00 = 15:40 日立自宅
e)地形図:「高萩」 3.山行記録 3.1 龍子山 コースタイム:関根橋P 10:55 ---- 11:00 公園 ---- 11:05 井戸跡 ---- 11:10 龍子山 ---- 11:20 竹林下り始点 ---- 11:25 井戸跡 ---- 11:30 公園 11:35 ---- 11:40 関根橋P
関根橋を渡ると見覚えのあるお屋敷通りだ。広い石畳の道の両側に、一部歯抜けになったり集合住宅になった所もあるが、長屋門構えの立派なお屋敷が続く。 お屋敷通りを過ぎると正面に白壁の塀に囲まれた松岡小学校があり、竜子川を竜子橋で渡って左折する。その先で曲がると白壁と公園で挟まれた広い道が続く。その道の先には公園や龍子の晴嵐の説明板の脇に「竜子山へ」の小さな道標が立っている。
周りより一段高いところに上がって見るが、今回も山頂を示す何物も見当たらない。とりあえずここを山頂として証拠写真を撮る。 当初は下りも楽チンコースを下る積りだったが、ここにきて気持が変わって、竹林の急坂を下って見ようということになった。前回と丁度逆コースを歩くことになった。 山頂部のなだらかな尾根を北東に進むと、踏跡は南東へと直角に曲がり、ここの急坂にもロープが張られていた。このロープにも記憶がない。
ここからの尾根は瘠せ尾根で両側が切れ落ちたような急斜面になっているようだ。道は竹林の中の広場の様な所に出てから消えてしまい、周りの太い竹の幹には「おとしあな」などと色々な落書きがしてある。
正面を覗きこむと崖の様な急斜面になっていて進めそうにない。右手も急斜面だが、竹の根本にロープが張られているのが見つかった。その下にかすかな踏跡らしきものが見えた。ここが3年前に登ってきた竹林に違いない。ひとまず安心して竹にしがみ付くようにしながら下り始めた。ロープの数がやけに多い。ところどころロープも使いながらなんとか下り切った。
竹林を下ったところの湿地帯を迂回するように歩いて下の古井戸跡に戻って登山道に入り、公園手前で右手の橋を渡って公園の中に入った。
公園には色々なモニュメントの他に「松岡八景」の説明板が立っていた。一番目の「龍子の晴嵐」はこの龍子山の眺め、二つ目の「関根の夕照」は駐車場からの眺め、三つ目の「高戸の帰帆」は次に行く高戸小浜からの眺めである。 川や山の名前が龍子や竜子になったりしていてややこしい。
コースタイム:11:55 高戸小浜P 12:10 ---- 12:20 行止り ---- 12:35 高戸山 ---- 12:45 高戸小浜P ---- 12:50 向かいの島 ---- 12:55 高戸小浜P ---- 13:00 鳥居(万葉の道入口) ---- 13:05 ベンチ 13:10 ---- 13:15 展望台 ---- 13:25 ささきの浜 ---- 13:30 四阿 ---- 万葉坂 ---- 13:45 高戸小浜P
龍子山の関根橋駐車場から車を走らせてR6を跨いで太平洋海岸の高戸小浜の広い駐車場に入った。美しい浜辺をバックに「日本の渚百選・高戸小浜海岸」の立札があり、「帰帆遥臨太角浜(帰帆遥かに臨む高戸の浜)」という高戸帰帆の歌碑も立っていた。
波が打ち寄せる綺麗な浜辺の景色を眺めていると、高戸山から下ってきた単独行の男性から「お二人の写真を撮りましょう」と親切なお申し出あり、有難くシャッタを押していただいた。親切なお方で、高戸山や万葉の道について色々と貴重な説明も頂いた。
向かいの小島の上からの眺めが良さそうに思えたので登って見たくなったが、間の砂浜に波がかぶったり引いたりして微妙な状態だった。近くを掃除中のボランテアらしき男性に「あの島に登れますか」と尋ねると、「以前は道があったが、震災で危なくなった。上にお社もあるが、頂上部は崩れてしまったよ。潮の具合は知らないよ。」とのご返事、まず高戸山に登ってから、下って来た時の潮の具合を見て決めることになった。「高戸山ももうすぐ山頂がなくなるだろうよ」とのボランテア男性の話を聞いて歩き始めると、高戸山側にも別の駐車場があり、登山道はその奥で二手に分かれていた。親切な男性は右の道から下ってきたように見えたが、海を見下ろしながら歩いたほうが面白そうなので左の海に向かう道を選んだ。その道を登っていくとすぐに海岸の崖上に出て、下にドドーンという波が崖に打ち寄せる音を聞きながら歩くことになった。
踏跡を辿って崖に近寄ったり離れたりしながら進んでいったが、ついに目の前の崖が、海側が崩れ落ちた裸地になってしまっていた。裸地は脆そうで引き返すしかないが、駐車場まで下るのはいかにも癪なので、少し谷方向に籔を漕いでまた崖近くまで登り返したらはっきりとした道に合流した。この道を少し左に下って見たら展望のいい所に出た。先ほどの行止りのところからここまで以前は道が来ていたのだろうと思われ、崩壊は地震と波による浸食の相乗効果だろうか。
山頂からは反対側へ伸びる道を辿ると、まもなくT字路になった。
この尾根道も手入れの良い道が続いたが、下に駐車場が見えるようになってから道がはっきりしなくなった。崖上に出て引き返したり少し籔漕ぎをしたりして降り立った所は駐車場のすぐ前だった。
砂浜を渡った正面の崖に踏み段が掘ってあり、これを登っていくと通行止めのロープが張ってあった。その先に崩れ落ちた石がゴロゴロしており、これをかわすと登山道が半分崩れ落ちていた。
崩れた登山道の上に踏跡があり、これを歩いて登山道に戻って登りつめると、小さなお社が立っていた。お参りしてもっと先に行きたかったが、その先の崖は大きく崩落して道は完全に消え失せていた。崖にへばりついている樹木の枯具合から見ると、ここも去年の大震災の時に崩れたものと思われた。
下まで引き返すと、島の右側にも登り口が見えたが、そこまで行くには波を被っている岩の上を歩かなければならないのでこの小島の登頂は諦めた。
次の万葉の道はなだらかなハイキング道だろうと勝手に判断して、ストックを車に置いて出発した。車道を歩いて行くと右手に官沚神社の石の鳥居があり、これを潜ったところに「万葉の道」の立札があり、この上に「震災の影響により通行止め」の張り紙がしてあった。高戸小浜でシャッタを押していただいた親切な男性からも「この張り紙は気にしないで歩いて大丈夫」と太鼓判を押してもらっていたので自己責任で通過。
鳥居を潜ったら、万葉の道は正面の官沚神社に向かってなだらかに進むのかと思っていたら、すぐに右に分かれる道に万葉の道の道標があり、その先には長い階段道が待っていた。
こんな坂を登るのならストックも持って来るのだったなと反省しても遅い、ひと汗かいて尾根に登り着くとベンチとテーブルがあって、コーヒを飲みながら一休みした。
一休みして海側が柵やロープで保護されている崖っぷちの道を右に太平洋を見ながら歩いて行くと、テーブルとベンチが置かれた休み所がところどころに現れる。
休み所から一下りして登り返すと、崖っぷちに飛び出して素晴らしい展望が広がっていた。左には崖の出入りする美しい海岸線が伸びており、右手には崖下が大きく浸食された崖が見えていた。浸食が進行すれば間もなくその上の山も崩れ落ちてしまいそうだった。
内陸側に入ったり崖っぷちに出たりしながら歩いて行くと、歩いてきた方向に「万葉の道」の道標があって万葉の道がここで終わったことを示していた。ここから車道に上がる道があったので、一旦車道に上がった。
車道への道が分かれるところに直進の道があったので気になって、「この先は崖だよ」と言って留まる和子を置いて私だけ引き返すと、その少し先に「ささきの浜」の道標があった。 道を進むと崖をジグザグに下る道があり、どんどん下ると砂浜に降り立った。波打ち際まで出て左右を眺めると、どこまでも続く波で浸食された崖の出入りが見えていた。見上げる長い崖の連続は、万葉の道から見下ろした風景とは一味違った景観だった。
大急ぎで車道まで引き返すと、和子は四阿で待っていた。万葉の道のために作られた立派な四阿で、その前の車道脇に「遠妻し 高にありせば 知らずとも 手綱の浜の 尋ね来なまし」と彫り込んだ立派な石の万葉歌碑と、大きな万葉の道の説明板が立っていた。こちらから歩き始めるのが万葉の道の普通のコースなのだろうか。
四阿からは北に工業団地の手前に広がる広大な高萩霊園が見下ろせたので、この四阿はもしかしたら霊園のために造られたものかも知れない。
四阿から駐車場所まで万葉の道を引き返しても楽しそうだったが、初めて歩く車道を歩いて戻ることにした。 高萩霊園の入口まで出ると、駐車場方向への車道分岐点には「東日本大震災に伴い通行止め」の立札が立っていて車は入って来ない。お陰さまで万葉坂のだらだら坂をのんびりと歩くことが出来た。
コースタイム:花貫川P 13:55 ---- 14:05 いぶき山いぶき樹叢 14:10 ---- 14:20 花貫川P
道は途中から砂地の道になり歩きにくくなったが、10分程でいぶき山に到着した。いぶき山は全周を金網で囲ってあって、金網の中に次の説明板があった。 「いぶきの自然分布の北限に近いこの地方に、かなりまとまった本数の樹叢があることを保存するため、大正11年10月10日に保存要目第2項により指定された。「常陸多賀郡史」によると、明治30年ころまでは鬱蒼としたイブキ林であったと記載されているが、現在では〈いぶき山〉と呼ばれる丘の南側に3本、北側に6本の疎林を形成している。推定樹齡は400年ぐらいと考えられる。日立市教育委員会」
海側には柵外に新しい説明板が立っていた。要は衰退するいぶきの木を保護するために金網で囲ってあるらしい。いぶきを保護するのなら、いぶき山に繁茂している他の樹木を少し間引いた方がいいだろうと考えるのは素人考えだろうか。
帰りは歩きにくい砂地の道を避けて、防波堤の上を歩いて駐車場に戻った。風が余り強く吹いていなくて良かった。 幸いと言えば、丁度工事がお休みだったから防波堤沿いの道を歩くことが出来たが、工事中にはいぶき山まで何処を歩いていくのだろうか。防波堤の海側の砂浜は歩いてもいいのかな。
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