Z22.笠間の低山(柊山、稲田山、稲田三角点)

1.動 機
 山悠遊さんの茨城の山リストの中でまだ登っていない山の中に、笠間市にある稲田山と飯盛山という小さな山がある。この2つの山に登りたいことを、笠間に近い桜川市住人の深谷さんに連絡すると、稲田山の近くに柊山という山もあるとの情報を貰い、仲良しの福地さんと高橋さんも誘ってもらって一緒に歩いて貰えることになった。柊山と稲田山に登った後に、近くの稲田三角点峰にも登ったので飯盛山は後日廻しになったが、暖かい陽だまりのもと三つのピークハントを賑やかに楽しむことが出来た。

2.データ
a)山域:柊山(240m)、稲田山(265m)、稲田三角点(277m)
b)登山日:2012/2/10(金)晴後曇
c)コースタイム:日立自宅 8:30 = 8:45 日立南IC = 9:10 笠間西IC = 9:15 福原駅 9:25 = 9:35 柊公園入口(P1) ---- 9:40 柊山 9:50 ---- 10:00 柊公園入口 10:05 ---- 10:10 稲田山登山口 ---- 10:20 稲田山 10:30 ---- 10:40 稲田山登山口 ---- 10:45 柊公園入口(P1) = 10:50 舗装路終点(P2) 11:00 = 11:15 石材工場(P3) ---- 11:35 境界線 ---- 11:50 三角点稲田 12:40 ---- 13:25 300m峰 ---- 13:55 車道出合 ---- 14:00 石材工場(P3) = 14:05 舗装路終点(P2) 15:00 = 15:45 水戸IC = 16:00 日立南IC = 16:30 日立自宅
(柊山・稲田山ルートと稲田三角点周回ルート)

(柊山・稲田山ルート)
(稲田三角点周回ルートの標高差)

d)同行者: 水戸アルパイン女性会員3名(深谷さん、福地さん、高橋さん)、和子
e)地形図:「羽黒」

3.山行記録
 近くの会社の出勤時間が終わった8時30分に我家を出発し、日立南ICから笠間西ICまで高速を快調に走って集合場所の福原駅に9時15分に到着した。丁度福地さんと高橋さんが乗った水戸からの電車が入線したところで、駐車場に到着済だった深谷さんとお迎えして、今日の行動の打ち合わせ。先ずは近くの柊山に登ることになり、二人を乗せた深谷車に先導してもらって狭い急坂の道を登っていくと、道の両側に窯元の家が次々と現れた。
 対向車との交差に気を遣いながらくねくね道を登っていくと、右手に「柊山入口」の道標がある分岐に到着した。ここから中に駐車場所もあるとのことだが、大震災の影響か道が大きく傷んでいるのが見えたので、入口近くの路側に駐車して歩き始めることになった。柊山には皆さんは登った事があり、登山靴は不要とのことなのでスニーカのままで歩き始めた。
 柊山の山頂部は公園として整備されていて、登山道も歩きやすくて5分もすると見晴らしのいい山頂に着いた。
(柊山入口)
(整備された道)

 山頂には柊山聖観音や北向地蔵の石像が祭ってあり、中央に大山祇神社の立派な石碑があり、その両隣には弘法太子碑と頌徳の碑が並んでいた。早速、3人にも入って貰って証拠写真を撮った。 
(柊山観音)
(柊山山頂の大山祇神社碑)

 山頂は展望台のようになっていて、広い展望が広がっていた。「並んで見えているのは雨引山、燕山、加波山、丸山、吾国山、難台山、加賀田山、手前に小さな富士山も見えている」と深谷さんの解説付きである。
(柊山山頂から展望を楽しむ)

 下りは左の道に下ると、トイレのある駐車場にもなりそうな広場に出て、「柊山公園開発記念碑」、「四つのテスト」、「こぶし苗木植樹記念」と三つの記念碑が立っていた。石碑の一つ一つを丁寧に読んでいると結構面白い。
 「柊山公園開発記念碑」には「柊山開発については、七十有余年の昔、当地の石材業者及び地元有志の熱意によって、明治四十一年、柊山頂に大山祇神社の碑並びに頌徳の碑弘法太子の碑が建てられ山の神として祀られ、爾来関係者によって毎年四月十五日を期し伝統ある祭典が行われてまいりました。去る昭和五十四年六月、郷土を美しくする会が発足するに伴い柊山公園の開発が叫ばれ、笠間市当局が開発の趣旨に同意協力され、共有林の一部六九五四平方メートルの土地を笠間市と無償で賃貸契約を結び、公園としての発展を見るに至りました。しかし乍ら、祖先有志の方々の建立に伴う頂上の石碑は永い星霜風雨にさらされ基礎等の改修を迫られ、風致並びに安全を期する為玉垣建設の計画が決定され、有志の方々の誠意と協力による多額の寄付金等によりここに玉垣の完成を見たわけであります。今後われわれが祖先の意志をうけ継ぎ、憩いの場として後世に残し益々発展することを期し、ここに記念の碑を建立するものであります。」 (明治時代から公園だったんだ)
 四つのテストには「言行はこれに照らしてから 1.真実かどうか 2.みんなに公平か 3.好意と友情を深めるか 4.みんなのためになるかどうか」 (耳が痛い)
 こぶし苗木植樹記念には「「みんなの手で住みよい地球環境を守り育てよう」笠間ロータリークラブの活動目標である。この目的達成のために、友好クラブの斗六東区扶輪社、柊山公園を管理する関戸地区、稲田ボーイスカウトならびに育成会の参加を得て、六千九百五十四平方米の山頂周辺の地に、こぶしの苗木壱千本を植えた。この公園が市民の憩いの場として親しまれ、愛されることを願う者である。平成三年十一月三日笠間ロータリークラブ、台湾国斗六東区扶輪社、関戸農村集落センター」 (台湾とも関係があったのか。この山にはヤマザクラの木も多く見られ、深谷さんによると春にはサクラの名所にもなるとのこと。)
 公園入口まで下って、次の稲田山に登るために登山靴に履き替えて車道を歩いて行った。途中にはKDDIの巨大な通信鉄塔も建っていた。
(柊山公園開発記念碑)
(稲田山まで林道歩き)

 稲田山の手前の尾根筋に上がろうかと踏跡を探していると、その先に左に上る登山道があるのを目敏く見つけてくれた。頼りになる人達だ。
 登山口からすぐに道は左に曲がっているが、直進方向にも踏跡がある。地形図ではここまで麓から破線の道が上がってきているので、尾根まで上がってみたがはっきりとしたことは分らなかった。
 分岐に戻って稲田山の山頂に向かうと、直登の急坂が山頂まで続いていて、なかなかのアルバイトになった。三人は先月八瓶山に登ったとのことで、その時の急登が話題になっていた。
(稲田山登山口)
(直登)

 急坂を5分程頑張って山頂に近くなると道が少しなだらかになると、目の前に大きな反射板が見えて来た。フェンスの金網には東京電力電子通信班の注意札がかかっていた。
 山頂からの展望は立木にも遮られて余り良くなくて、反射板の手前にあった4等三角点の前で証拠写真を撮ってすぐに下山して、車道をのんびりと歩いて柊山入口の駐車場所まで引き返した。
(稲田山山頂の反射板)
(稲田山山頂)

 柊山入口に着いて次の飯盛山への行き方の打ち合わせが始まった時に、「近くに「稲田」という三角点のある山があるよ」と一言しゃべったら、その山にも登ってみようということに即座に決定。地形図を見ると、山頂から南北に伸びる境界線があり、車道からその境界線に向かって南北2本の破線の道が伸びている。北側の境界線には破線の道が書いてあるので、北側から登る方が確実だろうということに衆議一致した。
 2台の車で北に向かったが、稲田山登山口を過ぎたところで道が荒れたダート道になり、深谷車では底を打ちそうなのでここでストップ、川本車一台で北に向かった。ポケナビで破線の道を確認しながら走ると、石材工場の先で左手の籔の中に入る道が見つかった。
 車道から少し入ったところで道が二股に分かれ、ポケナビで方向を確認して左の道に入って歩いたが、その先ですぐに道が消えてしまった。ここまで破線上を忠実に辿っていたポケナビの軌跡が突然破線の道から30mも外れてしまった。時々こんなことが起こるのだが、軍事上の安全対策で公開のGPS精度を下げたと聞いたことがある。命にかかわることも起こりうるので、ポケナビの取り扱いには慎重を要する。
 分岐点まで引き返して右の道に入ると、あとは境界線のある尾根までいい道が続き、気持のいい陽だまりハイキングになった。
(稲田三角点へ)
(破線の道)

 尾根まで登りつくと、尾根筋にはしっかりとした踏跡があり、境界杭もあり立木に青いテープも取り付けてあって安心だ。
(境界尾根へ)
(境界杭)

 境界杭やテープを確認しながら尾根筋を登っていくと、後ろに高峰の堂々とした山容が見えて来た。3人は最近五大力堂から高峰への籔道を登ったとのことで、高峰山頂から目の前に目立って見える山があってどこの山だろうかと考えていたのだが、それがこの稲田三角点峰だと判明したと言って喜びあっていた。
 尾根が直角に曲がっていったところが稲田三角点峰の山頂で、大きな3等三角点があった。福地さんが即製の山名板を作ってくれてので、山名を入れた証拠写真を撮ることが出来た。
(尾根道)
(稲田三等三角点)

 山頂には小枝にしがみ付いたままで固まっている珍しいバッタのミイラが見つかった。よくも小鳥の餌にならないで残っていたものだ。他にも完全な追い羽根の形を残したツクバネの実も見つかり、3人さんの目のいいのには脱帽である。
 陽だまりの山頂で弁当を広げてお昼休み、自分の弁当なしでもお腹がいっぱいになりそうなほど色々なお裾分けが回ってきた。 
(バッタのミイラ)
(ツクバネ)

 弁当が終わって、往路を引き返すことになると思いきや、南にもはっきりとした道があるようだから、南の尾根を歩いていこうよと衆議決定。元気なお三方である。
 南の尾根を辿ると何度か上り下りがあり、平らな山頂部では方向がはっきりしなくなる。その都度、福地さんが地形図と磁石を出して慎重判断して方向を決めてくれる。ポケナビよりも頼りになる。
 300m峰のところまで来るとT字路に出て、右の尾根を行けば破線の道に突き当ってKDDIの通信鉄塔の近くに安全に出られそうだが、川本車までの車道歩きが長い。左に行けば川本車に近くなるがどこまで道があるのが定かではない。がなんとかなるだろうといういつもの私のノーテンキな予測で、私の先導で左に進むことにした。少し歩くと右にも左にも採石場が見えてきて、和子の「また間違えた」の叱責が聞こえてくるが、二つの採石場の間を通過できるだろうとそのまま進む。やがて左の採石場が尾根まで広がっているところに出て、これで引き返しかと思ったが、採石場の縁をへつりながら歩いて行くとまた尾根道になった。やがて尾根道も不確かになってきたので、右の急斜面を強引に下ることにした。
(下山は境界尾根を南に向かう)
(途中から採石場方向に曲がる)

 急斜面を立木に掴まりながら下っていくと、地形図には現れない深い沢が現れ、沢筋は倒木や岩石が重なっていてとても歩けそうにない。ここまで来て引き返すわけにもいかず、しゃにむに向かいの急斜面を登るとすぐ下に車道が見えていた。助かった! あとはガラガラの急斜面を籔を掻き分けながら慎重に下って車道に出ることが出来た。和子以上に物おじしない3人なので何事もなく付いてきてもらえたが、少々強引すぎたかな。
 車道に出て、女性4人は深谷車の駐車場所に向かい、私は一人川本車に向かった。途中、子犬に吠えつかれたが、なんとかなだめて無事川本車に到着(朝、車で走っていた時に4匹の子犬を連れた母犬に吠えつかれたことを思い出した。母犬がいたらどうなっていただろう)
(最後は物凄い籔漕ぎ)
(荒れた林道)

 車に乗って深谷車のところまで引き返すと。おしゃべりしながら歩いた女性陣も丁度着いたところで、狭い道幅で苦労して深谷車の方向変換をしていた。時刻は既に14時、1日で3つの山のピークハントをしたことだし、今日は飯盛山は取りやめにすることになった。外の車が通らない事をいいことに、その場所で、水戸アルパインクラブのこれからの山行予定について1時間近く意見交換をした。




inserted by FC2 system