Z53.秩父の丸山と蓑山(62会ハイキング)


1.動 機
 1962年日立工場入社の仲間の結束が固く、入社早々62会なる親睦会が作られ、以来50年ゴルフや山歩きを一緒に楽しんできた。山歩きは一昨年の房総忘年登山以来大震災の影響などでしばらくお休みしていたが、今回、秩父在住の曽野さんのお世話で実現した。参加者は10名(親睦会には13名)、初日上り下りの多い丸山を元気に周回して、夜は巴川荘の珍味料理を頂きながら賑やかな親睦会を持った。二日目は蓑山に登って展望を楽しんで、下山後秩父神社の彫刻と羊山公園の芝桜を眺めて帰ってきた。

2.データ
a)山域:丸山(960m)、蓑山(587m)
b)登山日:2012/05/07(月)晴、08(火)晴後曇
c)日程:
5/07:日立自宅 = 大甕駅 5:48 = 日暮里駅 = 池袋駅 = 9:45 横瀬駅 =(タクシ)= 10:05 木の子茶屋 10:20 ---- 県民の森分岐 ---- 11:50 丸山(昼食) 12:45 ---- 大野峠 ---- 15;15 道の駅あしくぼ =(宿バス)= 巴川荘(泊)
5/08:巴川荘 =(宿バス)= 8:50 聖神社 ---- 和銅遺跡 ---- 10:30 蓑山 11:05 ---- ヘリテジ美の山(昼食) ---- 13:35 親鼻駅 13:55 = 14:15 秩父駅 ---- 秩父神社 ---- 15:20 芝桜の丘 15:45 ---- 16:15 西部秩父駅 = 池袋駅 = 上野駅 = 20:10 大甕駅 = 日立自宅
d)参加者:62会会員10名(男7・浅野、大内、大矢、川本、下山、曽野、玉造、女3・大矢、下山、和子)(夕食会に更に男1・所沢、女2・所沢、曽野)
e)地形図:1/25000 「正丸峠」「皆野」「秩父」

3.山行記録
1日目(5/03): 丸山
アクセス
日立自宅 5:25 = 5:40 大甕駅 5:48 = 7:37 日暮里駅 7:45 = 7:55 池袋駅 8:30 = 9:45 横瀬駅 9:50 =(タクシ)= 10:05 木の子茶屋
山行
木の子茶屋 10:20 ---- 11:30 県民の森分岐 ---- 11:50 丸山(昼食) 12:45 ---- 13:10 大野峠 13:15 ---- 13:45 沢出合 13:55 ----14:45 国道出合 ---- 15;15 道の駅あしくぼ 15:25 =(宿バス)= 15:45 巴川荘(泊)
(丸山登山ルート)
(丸山登山ルートの標高差)

 久しぶりに早起きして朝一番の常磐線特急に乗って大矢夫妻、下山夫妻と合流、日暮里駅で乗り換えて池袋駅でまた乗換えだ。ここまで来ると都会不案内の我家にはお手上げ、両家に連れられて西武鉄道駅に向かって切符を無事購入、特急列車に乗り込むと千葉からの玉造さんも合流して更に話がはずむ。途中、浅野さんも乗り込んできて、横瀬駅で下車、曽野さんの出迎えを受けて呼んであったタクシーに分乗して登山口の木の子茶屋に向かった。
 タクシは山あいの住宅街の狭い道をくねくねと走って15分で茶屋前の広場に到着した。
(横瀬駅到着)
(丸山登山口までタクシで)

 広場でしっかりと身支度を整えてゆっくりと車道を歩き始めた。5分程歩くと植林の中に登山道が分れていた。
(木の子茶屋前から歩き始め)
(山道に入る)

 山道に入って5分、鳥居の前で早速衣装調整の休憩、植林の中を緩やかに登って行く。右半分が雑木の林になるとヤマザクラの花びらが散り敷く道になり、緩急の繰り返しながら段々と高度を上げて行く。
 舗装された丸山林道を横切って、丸太の階段を登ると小さなピークに到着した。山頂に着いたと思ったが、ここはまだ「県民の森分岐」、丸山山頂はもう少し先だった。
(急坂もあり)
(登って下って)

 丸山山頂までもう一つピークを越え急登を登る。その間、登山道脇にイカリソウやヒトリシズカなど可愛い野の花が咲いていて、みんなの目を慰めてくれた。
(イカリソウ)
(ヒトリシズカ)

 登り着いた丸山山頂には立派な展望台があり、上に上がるとまさに360°の大展望だった。武甲山を中心に、右には奥秩父連峰、両神山、二子山など西上州の山々が連なり、左には奥多摩や奥武蔵の山々が広がっている。条件が良ければ八ケ岳や北アルプスまで見えることもあるらしいが、それは欲張りというもの、雲取山武甲山御岳山など62会で登った時の楽しかった思い出話に花が咲く。
 展望を楽しんでから下の広場でめいめいベンチに陣取って弁当を広げ、その後、山頂標柱の前で集合写真を撮った。帰宅の翌日、シャッタを押した玉造さん本人が入った手品のような集合写真がメール添付で送られてきた。
(山頂展望台)
(全員集合)

(展望台からのパノラマ)

 山頂を後にしてなだらかな尾根を歩いて通信鉄塔のあるピークに向かい、ここから右の急斜面に下って行った。いろいろなスミレや大株のツクバネキンモンソウの花があちこちに咲いていて、みんなの目をひいていた。
(スミレ)
(ツクバネキンモンソウ)

 白石峠分岐のピークから少し下ると急に目の前が開けて展望が開け、丸山山頂に匹敵する展望があり、気持のいい草原だった。立札ではこの道は関東ふれあいの道らしい。
 そこから少し下るとアスファルト舗装の大野峠を横切り、また植林の道を下る。植林の中も手入れがいいと気持がいい。
(関東ふれあいの道の展望所)
(植林を下り)

 やがて登山道に横たわる大岩を越えたところで沢筋におりて一休み。大きな岩がゴロゴロしていている沢には、いくつもの小滝がチョロチョロと流れていて綺麗だった。
 木橋を渡ったり、石を踏んだりしながら何度か沢を渡って、また植林の中を下るようになった。
(大岩の沢で一休み)
(また植林を下り)

 やがて集落に出ると、民家の庭にはクリンソウやセッコクなど珍しい花を大切に植えてあって登山者に開放してあり、心を洗われる思いがした。
 集落から少し下ると車が頻繁に行き交う国道に出て、国道沿いを2kmも歩くことになったが、国道沿いの民家にもボタンサクラ、ウツギ、アジサイ、ツリガネソウ、サクラソウなどたくさんの花が見られ、気持よく歩いて行った。
(集落に出て)
(国道に出て)

 国道沿いを30分歩いて道の駅あしくぼに着いて、トイレを使ったりしている間に、今夜の宿の巴川荘のバスが迎えにやってきた。 バスの運転をする宿の主人は話好き、宿に着くまでしゃべりっぱなし、巴川荘の歴史を始め秩父の事を色々と教えて貰った。
 宿に着いたのはまだ16時前、温泉に入ったり、ビールを飲んだりしながら、夕食が準備されるのを待った。、
 17時半になって食事室に入ると、テーブルにはボタン鍋を中心に食べきれないほどの山海の珍味が並んでいる。所用でハイキングには参加できなかった所沢夫妻と曽野夫人の参加もあって、総勢13名で賑やかで和やかな夕食会になり、下山チーフと曽野幹事の挨拶の後、宿の主人の食材についての詳細な説明があった。ずらりと並んでいた夕食を賑やかに語らいながら平らげた後、曽野夫人手作りのケーキが振舞われ、切り分けられた美味しいプリンをみんなペロリ、歳はとっても美味しいデザートは別腹だった。
 その後、幹事室に全員再集合して玉造さん作成の62会の歴史を纏めたDVDを見せて貰って、昔話にまた盛り上がったが、朝早起きしてきたので、みんな早めに寝床に入った。
(道の駅まで宿のお迎)
(御馳走に話も弾む)


2日目(12/04)その1 : 蓑山
巴川荘 8:30 =(宿バス)= 8:50 聖神社 9:00 ---- 9:15 和銅露天堀跡 9:30 ---- 10:30 蓑山 11:05 ---- 11:40 ヘリテイジ美の山(昼食) 12:45 ---- 13:20 満福寺霊園 13:25 ---- 13:35 親鼻駅 13:55 = 14:15 秩父駅 ---- 14:20 秩父神社 14:35 ---- 14:55 西部秩父駅 15:00 ---- 15:20 芝桜の丘 15:45 ---- 16:15 西部秩父駅
(蓑山縦走ルート)
(蓑山縦走ルートの標高差)

 前夜早く就寝したので朝はみんな早起き、朝風呂に入ったりしてから、豆腐鍋もある美味しい朝食を頂き、宿のバスで蓑山登山口に近い聖神社まで送ってもらった。
 一緒にお参りした宿の御主人の話では、聖神社には和同開珎が祀られており、地元の人達に銭神様と呼ばれてお金儲けの縁起の神様として親しまれているとのこと。礼拝殿脇の板には祈願して宝くじなどが当たった人がお礼の報告を記したおびただしい紙片が貼り付けられていた。我々もみんなお祈りしたのだから、そのうち何か御利益があるかなあ。
(先ずは聖神社お参り)
(御利益の報告)

 聖神社から舗装された田舎道を歩いていくと、右に和銅採掘遺跡の道標があり、ここから静かな山道を歩いて行くと小さな広場に着いた。ここには和同開珎の5mもありそうな巨大なモニュメントがたっており、説明板によると1300年前にこの地で採掘された自然銅が都へ献上され、これを喜んだ元明天皇が年号を「和銅」と改め、日本最初の通過「和同開珎」を発行したので、この地が日本の通貨幣の発祥の地になったのだという。
 モニュメントの脇を「銅洗堀」と呼ばれる小さな谷川が流れており、和銅採掘跡を見るためには「銅洗堀」を橋で渡ったところから断崖に作られた階段道を登って行く。登り口には「この先急峻な山道になります。十分ご注意ください。小さいお子様や体力に自信のない方は御遠慮下さい」と大げさな注意書きがあった。
(和銅遺跡の説明板に見入る)
(採掘跡への急登)

 展望橋の上から見下ろす断崖に、 幅3mの採掘跡の窪みが下の「銅洗堀」まで彫られているのが見られた。こんな高い絶壁から手仕事で自然銅を掘りだした鉱夫達の苦労は大変だったことだろう。
(採掘跡展望台)
(採掘跡)

 道標のところまで引き返すと、舗装道の反対側に蓑山への登山道があった。始めは集落の生活道路を歩いたが、やがて登山道らしくなって新緑の中をどんどん登って行った。
(蓑山へ向かう)
(どんどん登る)

 50分登って山頂近くまで来ると目の前にガードレールが見えて来た。蓑山には山頂まで車道が通っているのだ。分ってはいたが、実際に目の前に車道を見るとがっかりする。車道脇を抜けてツツジの咲く遊歩道を登って行く。
(山頂近くにガードレール)
(ツツジの登山道)

 山頂に登り着くと、この山にも立派な展望台があった。一同さっそく上に上がって周りの展望を楽しんだ。
(山頂展望台)
(展望を楽しむ)

 山頂展望台からは南西の展望がよく、秩父の街並の上に武甲山から奥多摩、奥武蔵の山並みが広がっていた。ゆっくりと展望を楽しんでから、展望台下の広場でお八つを食べながら休憩した。
(山頂展望台から南西方を望む)

 11時まで自由時間になり中央広場の方に歩いて行くと、下の駐車場から年配の団体さんが大勢上がってきた。誰でも山頂までやって来られるのだ。登り口の脇に小さな展望台があり、東の山々が見渡せた。展望図によれば天気が良ければ日光連山や赤城連峰も見えるらしいが今日は無理、近くに見える山にあまりなじみの山はなかった。
(登り口展望台から東方を望む)

 園地の奥にも立派な展望台があり、ここからは南の展望が開け、昨日登った丸山も見えていた。
(南展望台から丸山方面を望む)

 集合時間になって下山開始、曽野さんの案内は中央園地を過ぎツツジ園地沿いの遊歩道を歩いて行く。真っ赤に咲いた満開のヤマツツジが綺麗だった。
 榛名神社と展望台を過ぎると、遊歩道は車道を串刺しにしながら雑木の中を歩くようになり、サクラの木も多くて春にも綺麗な花見道になりそうだった。遊歩道から少し離れたところにいこいの村・ヘリテイジ美の山があり、この中のレストランで一応の解散昼食会になった。約束のあった大内さんは一足先に車で下りて行ったが、ビールで乾杯してお手頃値段の朝打ちうどんや地元食材手作り料理に舌鼓をうった。
(ツツジ園)
(ヘリテイジ美の山)

 昼食会後も車道を串刺しにしながら山道の下りが続いた。途中で足を痛めた浅野さんと二人で満福寺の霊園で一休みしたが、国道で待っていた皆さんと無事合流して親鼻駅に50分で到着した。
(七曲の下山道)
(親鼻駅到着)

 
2日目(5/08)その2 : 羊山公園芝桜の丘
親鼻駅 13:55 = 14:15 秩父駅 ---- 14:20 秩父神社 14:35 ---- 14:55 西部秩父駅 15:00 ---- 15:20 芝桜の丘 15:45 ---- 16:15 西部秩父駅
帰途
西部秩父駅 16:25 = 17:45 池袋駅 17:55 = 18:10 上野駅 18:30 = 20:10 大甕駅 = 20:25日立自宅
(秩父神社、羊山公園ルート)
(秩父神社、羊山公園ルートの標高差)

 当初、午後からは荒川ライン下りと岩根山ツツジ園散策が計画されていたが、ライン下りは数日前の豪雨で船着き場が崩壊、ツツジ園は花期が過ぎてしまっていて、幹事の曽野さんは急遽予定変更、「秩父夜祭」で有名な秩父神社と羊山公園の芝桜の丘を見物することになった。
 親鼻駅から秩父駅まで秩父鉄道の電車に乗り、秩父駅からちょっと歩くとすぐに秩父神社の駐車場に着き、東門から境内に入った。
(秩父線)
(秩父神社へ)

 東門から境内に入ると、目の前の社殿に左甚五郎作の「つなぎの龍」の彫り物があった。
 江戸時代初期の建築様式を留めている徳川家康が寄進した社殿には、この他にも同じく左甚五郎作の「子育ての虎」など多くの素晴らしい彫り物で飾られていた。
(つなぎの龍)
(子育ての虎)
(秩父神社に祀られる左甚五郎の彫刻)

 秩父神社を南門から出てから、番場町のレトロな街並みを眺めながら歩き、賑やかな中見世通りを通過して、西武秩父駅で帰りの特急電車の指定券を買ってから羊山公園に向かった。
(番場の街並み)
(中見世通り)

 駅から公園に向かう道には随所に係員が立っていて、見物人の案内や車の整理に汗を流していた。
 牧水の滝の休憩所のところで少し急坂登りになったが、あとはなだらかな道を歩いて20分で芝桜の丘入口に到着した。盛りを過ぎたからか、300円の入園料は不要、公園整備の協力金100円だけを寄進して園内に入った。
(西部秩父駅から羊山公園へ)
(牧水の滝へ少し登る)

 部分的に花の咲いていない領域も目について「今年の芝桜は花付きが良くないんだ」と曽野さんは申し訳なさそうな顔だったが、流石日本一の芝桜園だ、充分見ごたえがあった。カメラアングルを選べば、写真も全面満開だった8年前に遜色にないものを撮ることができた。
(芝桜の丘)
(武甲山をバックに全員集合)

(武甲山バックの絶景)

 電車の指定切符を買ってあるので余りゆっくりはしておれない、集合写真を撮ってから西武秩父駅まで案内してもらって、ここで曽野さんとお別れ、横瀬駅では曽野夫人からフルーツの差し入れもありました。曽野ご夫妻、色々とお世話になりました。
 上野から茨城に帰る電車の中で、「ネモフィラ、ツツジ、アジサイなどが美しい茨城へどうぞ」の案内が気になった。近いうち見に行こう。


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