Z71 ペルーの世界遺産巡り11日間(3)

4日目;7月1日 マチュピチュ観光 

ホテル 8:30 ---- 8:45 マチュピチュBS 9:00 = 9:20 遺跡入口 9:35 ---- 9:45 展望所 10:00 ---- 10:05 見張小屋 10:30 ---- 10:45 入口門 10:50 ----11:05 石切場 ---- 11:10 聖なる広場 ---- 11:30 日時計 ---- 11:45 聖なる岩 11:50 ---- 12:10 コンドル神殿 ---- 12:45 入口レストラン 13:45 ---- 14:00 マチュピチュ分岐 ---- 14:25 タンボ 14:30 ---- 14:40 太陽の門 15:15 ---- 16:10 遺跡入口BS 16:20 = 16:40 マチュピチュBS ---- 16:45 ホテル(泊)

 6時半のモーニングコールに起こされて、バイキングの朝食を取って、村の中を少し散歩した。村が四方を崖の様な山に囲まれており、街がアグアス・カリエンテス川沿いにできているさまが良く分った。
(四方を崖で囲まれる)
(建物は川沿いに並ぶ)

 8時半にホテルを出発、アルマス広場を見学、村の人達の台所市場を通ってバス乗り場に向かう。広場には、空中都市マチュピチュを建設したと言われるインカ帝国の第9代皇帝の像が立ち、市場には肉、野菜、果物何でもありそうだったが、写真だけ撮って通過した。
(パチャクティは人物)
(中央市場)

 バス停からはマイクロバスが次々と発車して行く。バスはしばらく谷合の道を走ったが、10分程で橋を渡るといよいよ山肌に作られたハイラムビンガムロードのジグザグの道を登り始める。1943年に建設された道だとか、道は狭くガードレールもない未舗装道路だが、運転手は慣れたもの、ドンドン飛ばして行く。他の車は走らない道なので対向車も同じ仲間のバスだけ、スムーズに交差して行く。くねくね道の様子を写真に撮りたかったが、上手くいかない。途中何ヶ所か歩いて登る階段道が交差していたが、標高差300m1時間ぐらいかかるらしい。。
(バス乗り場)
(橋を渡ってハイラム・ビンガム・ロードへ)

 九十九折りの道を30分程ゆられて遺跡入口に到着、広場前のホテルのトイレを使わせて貰って、遺跡入口ゲートでパスポートのチェックを受けて入場。イヤホンマイク耳太郎を付けてガイドさんの話を聞きながら歩いて行く。不勉強で固有名詞が頭に入っていないのと、ガイドさんの日本語が少し不自然で少し聞き取りにくい。
 平らな道をちょっと歩くとすぐに目の前に石造りの遺跡群とワイナピチュの鋭鋒が目に入ってきた。目の前の斜面沿いに立ち並ぶ建物は貯蔵庫だったとのこと。
(遺跡入口:中央に見えるのが入場ゲート)
(視界が開ける)

 付きあたりから右の急斜面をジグザグに登って行くと、眼下にマチュピチュ遺跡の全景が広がって来る。憧れのマチュピチュを目の前にして、少々興奮気味になってシャッタを押しまくる。
 更に登ったところに見張り小屋という建物があり、その脇の小さな広場が遺跡全体の好展望地、トップページに載せた全員参加の集合写真もここで取られた。
 ガイドさんの纏まった説明を受ける。「アンデスの山奥の天空都市マチュピチュ、何百年もの間静かに眠っていた、いや時代に置き去りにされていたインカ文明。発見者はビンガム氏だと本には書いてあるが、本当の第一発見者は地元の人だ」としきりに強調していた。更に「インカでは「天上」「地上」「地下」の三つの世界観があり、「天上」がコンドル、「地上」がピューマ、「地下」がヘビと考えられ、インカの遺跡には「3」を表すものがよくある。」
(急坂を登る)
(見張り小屋前)

(見張り小屋前からマチュピチュ遺跡)

 見張り小屋の裏が広場になっていて、段々畑の上にマチュピチュ山が見えていた。この山にも2時間もあれば登頂できるらしい。その左の肩に向かって伸びている道が見えており、午後歩く予定の太陽の門に違いない。
 広場には変わった形の大岩があり、儀式の岩といって人間や動物が生け贄として神に捧げられたとか、死体を腐敗しないようにしたという説もあるとか。横にある三段の階段も「3」の謂れから来るものだろうか。
(マチュピチュ山)
(儀式の石)

 見張り小屋から更に奥に進むと遺跡がまた違った角度から段々畑(アンデネスという)眺められ、見張り小屋と一緒にカメラに収める。段々畑には水路は引かれておらず、雨季の豊富な雨水で農業が行われていたらしい。おもな作物はコカ、トウモロコシ、ジャガイモだった。
(ワイナピチュ山ー遺跡−段々畑(アンデネス)−見張小屋)

段々畑の間を下って行くと、手前の農耕区域から向こうの居住区域へと入る入口の門がある。ここからワイナピチュと遺跡を入れた眺めは額縁入りの絵のように見える。しっかり構図を考えてシャッタを押したいが、次々と観光客がやって来るので無理というもの。
(市街地入口門)
(門の向こうにワイナピチュ山)

 入口門を通って振り返ると、段々畑の上に見張り小屋やマチュピチュ山が見えている。結構下って来たのだ。
 その左下に石組で囲まれた部屋が続き、昔は作業小屋だったとのこと。
(見張小屋・マチュピチュ山を振り返る)
(作業小屋)

 作業小屋の先で、左下にここでは珍しい曲線を描いた石組が見えた。帰りに立ち寄る太陽の神殿の上部だとのこと。
 更に進むと後ろに壮大な段々畑が見えてくる。物凄い物を作ったものだ。
(太陽の神殿の上部)
(段々畑(アンデネス))

 マチュピチュに食料などを持ってきた訪問者などの休憩所だったカリャンカがあり、この窓からの眺めも立派な額縁絵でした。
(カリャンカ)
(カリャンカから)

 その上には石切場があり、マチュピチュの石はすべてここから切り出された花崗岩が使われたそうです。加工途中の岩もありました。
(石切場)
(作業中の石にくさびを打った岩があるが、岩の切り方を示している)

 石切場を下ったところに「神聖な広場」があり、囲むように「神官の館」「主神殿」「3つの窓の神殿」が立っている。
 「主神殿」は世界を創造したビラコチャ神のために建てられた神殿であり、三方が壁で、左右の壁には5個ずつ、正面に7つ、合計17個の台形の飾り棚がありました。中央に南十字星のひし形をした大岩があり、それぞれの角が東西南北を示しており、一番長くて尖っている角は真南を向いている。神への捧げものを置いたらしい。
 背後にある小部屋のその飾り棚?に向かって低い声を出すと大きくこだまが返って来るので「エコーの部屋」と呼ばれる。女性の高い声では上手くいかない。
(主神殿)
(エコーの部屋)

「3つの窓の神殿」は主神殿のすぐ右側にあり、3つの窓は東側を向いて開いている。5つの窓があったが左右の窓は塞がっていた。
 「神官の館」も三方壁の部屋で、神官が待機していた場所らしい。
(神聖な広場から3つの窓の神殿)
(神官の館)

 次の一段高いところに日時計(インテイワタナ)がある。 「インティ」はケチュア語で「太陽」、「ワタナ」は「結ぶ」「つなぐ」、「インティ・ワタナ」とは「太陽をつなぎ止める石」といった意味になる。角柱の角は東西南北を向いていて、日時計として利用されていたと言われる。
 その土台石からはパワーが出ているので、手のひらをかざすと力を授かると言う。触っては駄目なのだそうだ。
(インティワタナ(日時計))
(パワーを授かる)

 眼下には広いメイン広場があり、その向こうに居住区の住居跡が見渡せた。ワイナピチュの鋭鋒をバックにいい眺めだった。
(インティワタナから中央広場越しに3つの入り口の家などの居住区を展望)


 日時計からは急坂の石畳道を下る。下ったところが農場試験場とのことで、リャマがたくさん草を食んでいた。
(インティワタナの高台から下る)
(農業試験場のリャマ)

 下り切ったところに二つの小屋があり、ワイラナというこの小屋は主神殿での儀式の前やワイナピチュへ登る前の準備室だったらしい。屋根は復元されており、現在でも観光客の休憩室になっていた。
 ワイラナの先に検問所があり、ワイナピチュへ登る人をチェックしていた。ワイナピチュへの登山は狭い岩道を登るので、午前午後夫々200人に厳しく人数制限しているとのこと。
(ワイラナと聖なる岩)
(ワイナピチュ山入口)

 ワイナピチュ入口から引き返すように折り返し、技術者の居住区に向かう。少し登って3つの入口の家の説明を受け、下って二階建の家の説明を聞く。
(3つの入口の家)
(二階建の家)

 次いで天体観測の部屋に案内され、二つ並んだ丸い窪みのある石を見る。石臼という話もあったが、これに水を満たして天体観測をしていたと言うのが通説になっている。真似して水面に映る太陽の写真を撮ってみた。
(天体観測の部屋)
(天体観測の石)

 次はコンドル神殿、地面にある石がコンドルの頭であることは良く分ります。その後ろの二対の岩屋がコンドルの両翼なのだそうです。そう言えばそう見えるが、私のカメラでは一緒に収めることができなかった。
(コンドルの頭)
(コンドルの翼)

 次は太陽の神殿だ。上から曲線を描く石組が珍しいと眺めた建物である。その下が洞になっていて、陵墓だったとのこと。
(太陽の神殿)
(陵墓)

 次いで女王の宮殿を見て、裏に出るとまた石の門がある。上の出っ張りは扉を取り付けてあった跡だとのことで、往時も厳重なチェックが行われていたようだ。
 水汲み場もあった。命を繋ぐ大切な水、貴重な井戸だったのだろう。
(女王の宮殿裏の門)
(水汲み場)

 水汲み場を過ぎて遺跡巡りも終りに近づいた。振り返ると、遺跡を少し見上げるような展望が美しかった。
(遺跡を振り返る)

 貯蔵庫の間を通ると、見張り小屋に登った分岐点がすぐ上だった。入場ゲートに戻って午前中の観光は終り、すぐ目の前のホテルでバイキングの昼食を頂いた。
(貯蔵庫を出て遺跡観光終り)
(入口のホテルで昼食)

 昼食を食べてから、午後は自由行動だが、遺跡入場ゲートを通って、殆んど全員が太陽の門(インテイプンク)まで登る。入場券は一日中有効で、何度でも出入りできるらしい。
 荷物を減らすために日本から登山靴を持たずに来て、仕方なく午前中もタウンシューズで歩いたが、結構な上り下りがあって疲れた。そう言えば添乗員他登山靴の人が結構いた。クスコから登山靴にすればよかったのだ。悔やみながらタウンシューズで歩くしかない。
 見張り小屋近くまで登ってから左の道に向かう。その先にマチュピチュ山への登山道が右に分かれていたが、ここを直進。
(太陽の門に向かう)
(マチュピチュ山分岐を通過)

 なだらかな石畳の道を登って行くと石組の設備タンボ跡に着く。反対側からインカ道を歩いて来た旅人の宿泊場所だったとのことで、儀式の石もあり、2005年世界遺産指定を示す三角点標石の様な標識も埋め込まれていた。
(宿泊施設タンポ跡)
(儀式の石)

ここを過ぎると、マチュピチュ遺跡を見渡せるようになり、後ろにワイナピチュ山、手前に13曲がりのハイラムビンガムロードが見えていた。
(展望良し)
(ハイラム・ビンガム・ロード)

展望地を過ぎると一枚岩を登ったり、急坂の石段を登ったり、登山靴がほしくなる。なんとか頑張って太陽の門が見えて来てホッとした。
 峠を越えると、その先にインカの道が下っているのが見える。「標高2720mインテイプンク」の標識が立っており、証拠写真のシャッタを押してもらった。
(太陽の門インテイプンク)
(標高2720m)

 標識のそばには、タンボにあったと同じ標識が埋め込まれていた。
 峠から一段高いところに展望台があり、皆さんここまで登って御満悦、和子もコンドルの真似ごとなどしてはしゃいでいた。
(太陽の門インテイプンク)
(コンドル)

 峠まで下ってマチュピチュ遺跡をゆっくりと眺め直して、皆さんの後を追ってゆっくりと下って行った。
(太陽の門から)

 歩きにくい靴でやっとの思いで入場ゲートまで下り、丁度出発するバスに飛び乗って皆さんと一緒にマチュピチュ村まで下ることができた。ホテルに着いたのはもう夕闇が迫っていたが、念願のマチュピチュ遺跡を一日かけてゆっくりと歩くことができて大満足の一日でした。




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