Z71 ペルーの世界遺産巡り11日間(4)

5日目;7月2日 オリャンタイタンボ・クスコ観光 

ホテル 8:00 ---- 8:05 マチュピチュ駅 8:30 = 10:10 オリャンタイタンボ駅 ---- 10:25 BS = 10:35 バス停止 ---- 10:45 オリャンタイタンボ遺跡 11:40 = 12:05 レストラン 13:40 ---- 14:00 BS = 15:45 クスコ・サントドミンゴ教会 16:50 ---- 17:00 ロレト通り ---- 17:10 中央広場 17:20 = 17:40 ホテル 19:20 = 19:40 デイナーショウ 21:10 = 21:30 ホテル(泊)

 夜中にホテルの電気が止まる停電が発生、心配してヘッドランプを持って来ていたので夜中のトイレも無事済ませた。6時のモーニングコールで、「電気が点かないのでローソクをお持ちします。足元に十分気を付けて下さい」とあり、外を見るとあちこちにローソクの火がゆらめいていた。朝食を済ませたころやっと電気が戻った。
 8時にホテルを出発して、8時半発の列車でオリャンタイタンボ駅に向かう。暖かいテイーのサービスがあった。
(乗車券渡して)
(テイーのサービス)

 ウルバンバ川の清流を眺めながら行くと、吊橋の先の駅にこれからインカ道を歩く人達が屯してるのが見えた。
(ウルバンバ川)
(インカ道へ向かう人達)

 今日の席からはベロニカ山がよく見える。美しい雪山に何度もシャッタを押した。1時間40分車窓の景色を楽しんでいるうちにオリャンタイタンボ駅に到着した。プラットホームにまで土産物の売り子さんが出迎えてくれた。 
(ベロニカ山)
(オリャンタイタンボ駅)

 駅までの道が狭く、バスが入って来られないので、駅舎を出て売り子さんの間を抜けて村の道を歩いて行く。土産物屋の前でトウモロコシを茹でて売っていて、食通のHaさんが「ペルーのトウモロコシは美味しいよ」とお薦めなので二人で一本買ってみた。大粒の実が付いたトウモロコシは、甘みを抑えた素朴な味がして、お言葉通りの絶品だった。 
(大粒のトウモロコシ
(三輪タクシ))

 15分歩いてバスに乗ったが、10分も走ったところで、「この先でストライキの集会が行われており、通行止めになっていて、バスでは進行不能。ストは12時まで続く」との連絡あり、バスから下ろされる。今回のストは教員の待遇改善を要求するストらしいが、多少の迷惑が発生しないとストの効果が出ないという論理で、ストでの通行止めはペルーでは良くあることだとのこと。
(バス乗車)
(ストライキでバス進行不能)

 10分歩いてオリャンタイタンボ遺跡の前広場に到着した。広場には出店の列ができており、その奥の山に二股に分かれた段々畑の様な遺跡が見えていた。
(オリャンタイタンボ遺跡)

 反対側の山には人の顔を思わせる大岩があり、その横に見える建物は穀物倉庫の跡だとのこと。こんな切り立った山肌に石組みの建物をよくぞ作ったもんだと驚かされた。
 前に進むと長い塀の中央に入場門があり、係員にチェックされながら中に入った。
(向かいの山)
(遺跡入場門)

 段々畑の間の急な石段を登って行くと、頂上前は大きな石の石垣でできていた。マチュピチュの石垣と同じように精巧に組み合わせて隙間の殆んどない石垣だった。
(段々畑を登る)
(精巧な石組)

上まで上がると、要塞跡は広場になっていて大きな岩がゴロゴロしている。
(巨石が散乱する山頂広場)

 目立つ所に6枚の巨石を並べた太陽の神殿の壁面があった。高さ4m、幅全部で10m、奥行き1m、これらの巨石は対岸の岩山から切り取って運んできたらしいが、一つ100トンもありそうな大岩をこの急斜面をどうやって運び上げたのだろうか。現代でも難しい作業だろう。
(太陽の神殿の6枚の大岩)

眼下にはオランタイタンボの街並みが広がっていた。ストライキの集会が行われていることなど想像もできないのどかな風景だった。
(オリャンタイタンボの街並み)

 下りは左の段々畑までトラバース道を歩いてから、登ったとは違う石段を下った。石段脇には水路が作られていたのが珍しかった。
(次の遺跡へ)
(急坂下り)

 遺跡から街に戻ったが、12時になってもストは終わりそうにない。予定ではバスで走ったレストランで昼食を取るはずだったが、ストでどこが通行止めが起こるか定かでなく、この街の小さなレストランに入ることになった。
 大勢が入ってきて店では大騒ぎ、急遽応援を頼んだり、近所から食器や食材を借りてきたりてんてこ舞いになった。フィッシュとチキンの注文が取られたが、フィッシュは6人分だけしかなく、じゃんけんで当たりを決める騒ぎを楽しんだ。
(デモはまだ続行中)
(街のレストランへ入る)

 食事の準備中、店の前を警官隊が駈けて行った。何事ならんと好奇心の旺盛なTaさん他と店の前に出てみると、大通りに白煙が舞っていた。何だろうかとシャッタを押していると、目や喉がちりちりと痛み出して慌てて店に入ったが、既に手遅れでしばらく目の痛みに苛まれることになった。12時になっても解散しないスト団に投げられた催涙弾だったらしい。初めて体験した催涙弾に驚き慌てて扉をきちんと閉めなかったので、店内にもガスが入り込んで、他の皆さんも出されたおしぼりを目や鼻に当てながら催涙弾の効果を実感することになってしまった。
 力作の食事を美味しく頂いて外に出たが、まだストの残党があちこちで気勢を上げていた。
(催涙弾)
(ストの残党)

 駐車場所まで歩いてバスに乗り込み、一昨日走った高原の道を走ってクスコに戻った。今日も上天気で高原の風景を楽しみながら2時間近いバスの旅だった。
 クスコに着くと、金ぴかの太陽のモニュメントが壁面に取り付けられたサントドミンゴ教会近くにバスが停まった。
(草原を走る)
(コリカンチャ(セントドミンゴ教会))

 狭い路地を歩いてサント・ドミンゴ教会の正面にやってきて、正面玄関から入場した。サント・ドミンゴ教会はスペイン人がインカ人の造ったコリカンチャ=太陽神殿の土台の石組を利用し、その上に教会を建てたものだが、その時スペインは壁などに敷き詰められていた黄金をすべて奪い去ってしまったとガイドさんは怒りを交えて話してくれた。
(神殿正面)
(入口)

 玄関に「no photo」の看板があり、撮影を諦めていたが、撮影禁止は玄関部分だけで、その後の場所は撮影フリーだった。
 先ずは中庭に案内される。四周廻廊で囲まれていて、廊下には見事な絵画が飾られていた。神殿部分に入って行くと、壁にインカの3の世界観が描かれた五角形の金ピカの板がありました。インカ時代にはこのような黄金が沢山あったが、すべてスペイン人によってはがされ、スペインに持ち去られてしまいまったらしい。
(中庭)
(インカの世界観が描かれた金の板)

 中庭の南東側は博物館のようになっていて、4つの小神殿があり、斜めに傾いている石壁で囲まれていた。部屋には大きな窓が開かれており、踏み台に乗ってそれを覗くとその向こうに隣の同じ窓が見え、更にその向こうの部屋の窓も重なって見えた。同じ大きさの窓を同じ高さで重なるように3枚の壁に作ってあったのだ。インカの人は遊び心も旺盛だったらしい。
(黄葉のキャンモア市街)
(同じ大きさで同じ高さの窓)

 神殿の壁は大きな石を精巧に加工してカミソリも入らないように組み立ててあったが、一ヶ所隙間を埋めるように小さな石で埋められているところがあって面白かった。
(大きな石組み)
(小さな石組み)

 見学を終えてトイレに向かう途中の芝庭にもヒョウとコンドルとヘビの3つの世界を作ってあった。
 博物館の壁際に沿う裏道を歩いて表に出る。
(ヒョウとコンドルとヘビ)
(博物館の裏道)

 ガイドさんが「皆さん、ラッキーだよ」と叫んでいる。塀の間のガラス窓から外を見ると、アルパカやリャマが訝しげにこちらを向いていた。
(アルパカ)
(リャマ)

 サントドミンゴ教会から街に出て、見事な石垣が続くロレト通りを歩いて行った。大体は整然とした四角形の石でできた石垣だったが、複雑な多角形に加工された石を組み合わせて作られた石垣もあった。
(ロレト通り)
(複雑な石組)

 その先に、有名な十二角の石があり、思ったよりも大きいのに驚ろかされた。十二角の石の前には酋長さんの装束の男性が立っていて、盛んに記念撮影を進めている。私もシャッタを押そうと思って1$を手渡すと、和子と一緒にこっちに来いと言う。頭飾りと飾り杖を手渡して、他の人にシャッタを押してもらえと言う。添乗員さんにシャッタを押してもらって、いい記念写真ができました。
(十二角の石)
(モデル屋さんと)

 中央広場に戻ってアーケード街、カテードラル、ラカンパニーアデヘスス教会、皇帝像の写真を撮ってからバスでホテルに入った。
(アーケード)
(カテードラル)

(ラカンパニーアデヘスス教会)
(皇帝像)

 ホテルでゆっくり休憩してから、街のレストランに出かけて民族音楽のショウを眺めながら、美味しいバイキングの料理を腹いっぱい頂戴した。
(デイナーショウ)

 今日は、停電、催涙弾、デイナーショウと珍しい体験を味わった一日でした。




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