Z83.聖岳・光岳(MAC山行)
(二人揃って百名山完登)

1.動 機
 今月初めに水戸アルパインクラブの「悪沢岳と赤石岳」に参加して一俊の百名山完登となり、続いてこの「聖岳と光岳」が水戸アルパインクラブで催行されることになり、和子も百名山を完登できるチャンスが来た。「聖岳と光岳」は6年前に亀楽会で歩いたが、和子はまだ百名山完登の夢はなく、何泊も山小屋泊りが続く汗まみれの登山は嫌だと言って参加しなかったのだが、今回はこれを頑張れば久弥の日本百名山に夫婦一緒に登頂したという金字塔が立てられるという魅力に押されて参加する気になった。案ずるより産むが易し、どの山小屋も意外に綺麗だったし食事もグッド、長い行程をものともせずいつもの仲間とおしゃべりしながら楽しく歩き通した。
 
2.データ
 当初は椹島に前泊して畑薙側の聖沢登山口から登って、聖平小屋、茶臼小屋、光小屋と3泊して易老渡に下る4泊5日の予定だったが、易老渡側の道が歩行者も含め全面通行止めとなり、畑薙側に下らざるをえなくなった。日数を変えないために頑張って茶臼小屋から光岳まで日帰りでピストンすることも考えられたが、無理しても楽しくないだろうと、忙しいリーダの日程を調整して貰って、横窪沢小屋の1泊を追加して5泊6日で催行することになった。
a)山域:聖岳(3013m)、上河内岳(2803m)、茶臼岳(2657m)、易老岳(2354m)、光岳(2591m)
b)登山日:2012/8/25(土)〜30(木)
c)日程:
8/25 アクセス:日立電鉄南営業所 = 水戸IC = 新静岡IC 真富士の里(タクシ乗換) = 畑薙ダム(フォレストバス乗換) = 椹島ロッジ(泊)
8/26:椹島ロッジ =(フォレストバス)= 聖登山口 ---- 聖平小屋(泊)
8/27:聖平小屋 ---- 聖岳 ---- 聖平小屋 ---- 上河内岳 ---- 茶臼小屋(泊)
8/28:茶臼小屋 ---- 茶臼岳 ---- 光小屋 ---- 光岳 ---- 光石 ---- 光小屋(泊)
8/29:光小屋 ---- 茶臼岳 ---- 横窪沢小屋(泊)
8/30 :横窪沢小屋 ---- 畑薙大吊橋
8/30 帰途バス: 畑薙大吊橋 =(井川バス)= 赤石温泉(入浴・昼食) =(タクシ)= 真富士の里(バス乗換) = 新静岡IC = 水戸IC = 日立電鉄南営業所
(聖岳光岳縦走ルート)

(聖岳光岳縦走ルートの標高差)
(ポケナビの実測軌跡は総歩行距離52kmとなっていたが、今回樹林帯等での乱れが多く不採用とし、計画マップによった。ジグザグ道などで、実歩行距離はいつも計画図よりも2割近く長くなる)

d)同行者:水戸アルパイン会員9名(男4、女5)、和子
e)地形図:1/25000 「赤石岳」、「上河内岳」、「光岳」、「畑薙湖」

3.山行記録
前日(8/25):晴:椹島ロッジまでアクセス
森山自宅 4:20 = 4:30 日立電鉄南営業所 4:35 = 4:45 東海 = 5:05 勝田 5:10 = 5:25 水戸駅 = 5:50 水戸IC = 6:35 守谷SA 6:45 = 7:05 八潮料金所 = 7:45 葛西JCT = 8:20 大黒PA 8:30= 9:00 横浜町田IC = 9:45 駿河湾沼津SA 9:55 = 10:55 清水PA 11:20 = 11:30 新静岡IC = 11:50 真富士の里(タクシ乗換) 12:00 = 13:25 井川ダム 13:30 = 14:20 畑薙ダム(フォレストバス乗換) 14:30 = 15:30 椹島ロッジ(泊)

 前回の赤石岳と同じく朝も明けきらぬうちに我家を出発、バスに一番乗りして水戸に向かう。今回の参加者は総勢11名だが、予定の混んでいるリーダの永井さんは自家用車で静岡に向かうので、バスの中は10名、人数は少々少ないが気心の知れた仲間ばかり、和やかで賑やかである。首都高も意外と早く通過できて、新東名の清水PAで永井車と合流して小澤さんが永井車に移り、帰りの入浴着替えも永井車に載せて貰った。残り9名は、この先真富士の里で待っているジャンボタクシに全員乗れたので、畑薙ダムまでタクシ1台追加が不要になり前回の赤石の時よりタクシ一台分の会計が助かった。
 畑薙ダムの駐車場から椹島まで東海フォレストの満員送迎バスに乗って、ザックを抱えて悪路を揺られながら1時間走った。途中休憩した井川ダムの水は青かったが、椹島近くなってからの赤石沢ダムの湖面は異様に緑色だった。
(井川ダム)
(赤石沢ダム)

 椹島ロッジには15時半に到着し、17時の夕食前にお風呂に入った。鰆(サワラ)の付いた夕食を頂いて、割り当てられた4部屋でゆっくりと歓談して早めに寝に着いた。


1日目(8/26):晴:聖平小屋まで
椹島ロッジ 6:20 =(フォレストバス)= 6:30 聖沢登山口 6:45 ---- 7:25 出会所小屋跡 7:35 ---- 8:25 聖沢吊橋 ---- 8:55 休み 9:05 ---- 9:40 造林小屋跡 9:50 ---- 10:35 乗越 10:45 ---- 11:00 水場 11:10 ---- 11:45 ガレ場の花畑 ---- 12:05 岩頭展望台 12:20 ---- 12:55 慰霊碑 ---- 13:55 聖平小屋(泊)

 今日は聖沢登山口までバスで移動してから聖平小屋まで登るだけ。とはいえ、コースタイム7時間で結構歩き甲斐があるはずである。
 5時からの朝食を頂いてから、近くの井川山神社に今回の安全登山を祈念して、フォレストのバスで聖沢登山口まで送って貰った。聖登山者は畑薙へ下る人よりも早めのバスに乗せられたが、車内は満員で昨日と同じように重いザックを抱えて10分間の我慢行。
 聖沢登山口でバスを降りて、恒例に従って大きな案内板のある広場で準備運動を始めた。他の登山者はこれを横目にさっさと登って行った。
(井川山神社にお参り)
(聖沢登山口で準備運動)

 登山道は樹林帯の中の急登である。慣れない足にはなかなかきついが、後ろの笊ヶ岳を眺めたりしながらゆっくり登って40分、出会所小屋跡に着いて衣服調整を含めて一休みした。ここで地図を広げた女性陣から「まだたったこれだけしか登っていないの」と歎きの声が飛んだ。地図を見ると、今日は15cm歩かなければならないのに、まだたった1cmしか歩いていなかった。道標には「聖平小屋290min、椹島70min」となっており、あと5時間だ。
 ここからは植林帯から広葉樹の雑木林に変わり、道も急斜面に作られたトラバース道になり、ところどころ鉄板や丸太で補強されている。道の傾斜は緩いので楽ではあるが、踏み外すと下の急斜面に止まる所はなさそう、結構気を遣いながら歩く。
(植林の中の急登)
(雑木林のトラバース)

 一旦緩やかに登ってから下ったところに聖沢吊橋があり、手始めの聖沢吊橋を一人づつ慎重に賑やかに渡った。女性陣にはゆらゆら揺れる吊橋には恐怖心が湧くらしく、今回の山行では最後に出てくる長さ180mの畑薙大吊橋が最大の難所だと言ってきかない。下の聖沢を覗くと、赤い色をした「赤石」がいくつも転がっていて赤石岳近くよりも多いように思えた。
 吊橋を渡るとまた急登が始まった。一回休みを取って登り着いた造林小屋跡近くには「熊出没注意」の大きな看板があり、「聖平小屋160min」の道標があった。聖平小屋までの所要時間が出合い所小屋から130min減っているが、我々の所要時間は休憩時間を入れて125min、なかなか良いペースで歩いているようだ。
(聖沢吊橋)
(また急登)

 更に登って行って乗越まで来ると、目の前に聖岳が見えてきた。お休みしながら見上げるが、随分高いところに見える。明日は大変だあ。
 トリカブトの咲く水場で喉を潤し、吊橋のような大仕掛けの桟道を渡り、キオンやサラシナショウマなどの花を愛で、見つかったチチタケの講義を長山さんから聞いたりしながら歩いて行くと、崩壊したばかりのようなザレ場に差し掛かった。仮設のロープが張ってあり、これに助けられながら慎重に渡った。
(聖岳が見えた)
(ザレ場のトラバース)

 ザレ場を過ぎても桟道を渡ったり高巻いたりが続いたが、ガレ場を過ぎるとお花畑のような所になった。オンタデ、レイジンソウ、シシウド、コキンレイカなどが咲いていたが、なかでもトリカブトやヒキオコシの大群落は見事だった。
(トリカブト)
(ヒキオコシ)

 お花畑を過ぎて少し歩くと岩頭展望台に出る。ここからは、聖岳とその山頂近くから対岸を豪快に流れ下る落差の大きい2本の滝が見えていた。
 少し先にも慰霊碑が立つ絶壁上の岩場があり、ここから見下ろす聖沢の清流も高度感があって見事だった。
(岩頭展望台から)
(慰霊碑台から)

 少し下ってから、お花を愛でながら沢を何度か渡ったり登り返したりして行くと、やっと聖平小屋の大きな建物が見えてきた。到着は14時ちょっと前、聖沢登山口を出発してから7時間10分、休みながらも、ほぼコースタイム通りに到着した。
 玄関に入ると大きな鍋にフルーツポンチが入っており、みんな湯のみに一杯づつ頂戴した。甘くて冷たくて美味しかった!
 ここは水も豊富なので洗濯してもいいとのこと。夕食まで時間があるので、玄関脇の流しで今日たっぷりと汗を吸ったシャツとタイツを洗わせてもらった。
(お花畑)
(聖平小屋)

 指定された部屋は二階の広間、今日は空いていて男女別の区画でゆっくりと眠れそう。トイレは玄関から下った先50mにあって足元も少し心配だが、前回の荒川小屋などの山小屋と同じく便槽をヘリコプターで運び出す方式で臭いもなく清潔である。

2日目(8/27):晴後曇:聖岳登頂−上河内岳−茶臼小屋
聖平小屋 5:00 ---- 5:05 分岐 ---- 6:30 小聖岳 6:40 ---- 7:55 前聖岳 8:30 ---- 9:15 小聖岳 9:25 ---- 10:20 分岐 ---- 10:25 聖平小屋 11:00 ---- 11:05 分岐 ---- 11:20 展望地 11:30 ---- 13:00 南岳 ---- 13:40 肩 13:50 ---- 14:00 上河内岳14:05 ---- 14:15 肩 14:25 ---- 14:45 竹内門 14:50 ---- 15:50 分岐 ---- 16:00 茶臼小屋(泊)

 今日は聖平小屋から聖岳まで往復してきてから上河内岳に登って茶臼小屋に泊る。聖岳、上河内岳とも登り甲斐がありそうだ。
 4時に用意された朝食を頂いて、前庭で準備運動してから、登山中不要なものは別棟に預けてザックを軽くして、5時に聖岳に向かって出発した。はじめはまだ日が当たらず、お花畑でもシャッタも押さないでどんどん歩いて行く。そのうち聖岳や富士山も見えるようになってきて、風景写真が忙しくなる。
 きつい登りも身体に日が当たらないと暑くなくて助かる。小聖岳まで1時間半頑張って一休み、見上げる聖岳はどっしりとしていて、日本百名山の貫録十分だった。
(空身で聖岳へ)
(小聖岳)

 小聖岳からは日当たりのいい登山道になり、痩せ尾根を歩いて行くと左手の岩場にタカネビランジが咲いており、その先登山道脇には大株のトウヤクリンドウが見事に花開いていてシャッタを押した。その他イワツメクサやミネウスユキソウなどの花に慰められながら聖へのガレた急坂を頑張って登った。
(瘠せ尾根)
(ガレた登山道)

 本邦最南端の3000m峰での集合写真とそれぞれの記念写真を撮り終わったが、予定よりも早く山頂に着いたので時間にゆとりができて、天気が良くて遠くまで展望が利くので山頂でゆっくりとすることになった。
 奥聖岳まで足を伸ばしたい気持がいっぱいの元気のいい長山女史は、前聖の端まで歩いて行って奥聖岳をじっと眺めていた。そう言えば、椹島で長山さんのザックを持ちあげてみてその重さに驚いたのを思い出した。申し訳ないが、我々一般には、ここから引き返しても今日の行程が充分にきつそうなのです。
(前聖岳山頂)
(奥聖にも行きたいな)

 北には2週間前に登った赤石岳が大きく聳えており、山頂直下には避難小屋も見えていてハーモニカ演奏付きの賑やかな祝宴が思い出された。そこから百間洞、大沢岳を経てこの聖岳へ歩いて来る縦走路も教わる。これを歩けば、悪沢、赤石、聖、光四座を一気に制覇できる。分ってはいるけど長いコースになるよねえ。
(前聖岳からの北の展望)

 南には、これから歩く上河内岳、茶臼岳、易老岳、光岳の山並みが広がり、その左に富士山がすっきりと見えていた。上河内岳がやけにでっかく見えていた。
(前聖岳からの南の展望))

 聖岳山頂でゆっくり展望を楽しんでから、聖平へ引き返す。登るときにはゆとりがなかったが、下りでは周り山々の山座同定を楽しむゆとりもあった。
 登りではまだ日が当たっていなかった小聖の下のお花畑では、今はお日様が当たって華やかになっていた。マルバタケブキの大群落の花はもうしぼんでしまっていたが、代わりにキオンやトリカブトが華やかに色を添えていた。
(展望)
(お花畑)

 聖平小屋に戻って、小屋の前のテーブルで聖平小屋謹製のおにぎり弁当で腹ごしらえをしてから、重いザックを背負って次の上河内岳に向かった。
 上河内岳手前の南岳までの登り標高差440mがザックの重さがこたえて長くきつかった。樹林帯から出て、ところどころウメバチソウやオヤマリンドウ、トウヤクリンドウなどが咲くハイマツ帯を登って行くと、岩がゴロゴロする展望地に出て一休みした。後に高く聳える聖岳を見上げながら、よくもあんなところまで登ってきたもんだと自分を褒めてやった。
(今度はフル装備)
(南岳まで長い登り)

 右側が切れ落ちた尾根筋を登って行ってやっと2702mの南岳まで登り着いて人安堵、ここからは東急斜面のトラバース道を緩やかに上り下りしながら上河内岳の肩まで歩く。途中にはタカネナデシコ、ウサギギク、マツムシソウ、ヤマハハコなど綺麗だった。 
(南岳)
(上河内岳へ)

 少し下って登りかえして上河内岳の肩に着くと道標があり、上河内岳山頂まで15分となっている。標高差も100mにもならないはずなのだが、目の前のガラガラの上河内岳を見上げるとやけに高く見えてしようがなかった。お八つを食べて気合を入れる。荷物番名目でここでお休みの小河原さんを置いて、空身で2803mの山頂に向かった。
(上河内岳の肩)
(肩から上河内岳山頂へ)

 この頃からガスが出てきて山頂に着いても展望なし、立派な山頂標の前で証拠写真を撮ってすぐに肩に引き返して、小河原さんに報告しながら一休み。ここから先は大石だらけで足場の悪い稜線上の下りが続いた。
(上河内岳山頂)
(肩から悪路の下り)

 ガレ場を下り切ってイワツメクサの咲くハイマツの稜線を進むと竹内門が見てきた。近づいて見ると、岩の表面全体に綺麗な縞模様の浮き彫りがみられた。これ自体が美術品だが、一つの岩塔の上に乗っかった岩を見上げて永井さんが「ゴリラだよお」とおっしゃる。そう言えばまさしくゴリラの顔だった。
(奇岩竹内門)
(ゴリラ?)

 ハイマツ帯を抜け草原を突っ切るとガレ場に出る。石が重なった急坂を登り、上から石が落ちて来ないかと心配しながらさらに長い長いガレ場のトラバース道を歩いて行くと、上河内岳←→茶臼岳と茶臼小屋の三又の導標がある分岐についた。
(ガレ場のトラバース)
(茶臼小屋分岐)

 手書きの道標には茶臼小屋まで7分となっていたが、茶臼小屋への下りは石ころだらけで歩きにくい急坂だ。10分下って16時前に茶臼小屋に着いた。
 今年は雨が少なく山小屋は水不足、小屋脇の洗い場の水ホースからは水が出ていなかった。小屋番に言われて少し下の沢まで下ってみると、湧き水がホースから流れ出ており、もう一本のホースの水はスイカを冷やす容器に流れていた。口に含むと冷たくて美味しい水だった。水量は少ないと言っていたが、500ccのペットボトルを20秒で満タンにできた。
 寝所は2階にに案内されたが、今日もゆったりスペースでゆっくりと眠れそうだ。夕食には6年前と同じく茶臼小屋名物の「はまちのさしみ」が出た。 
(茶臼小屋到着)
(お刺身付きの夕食)

 食後青空が出てきて、雲海の上に富士山も顔を出して、明日の好天を期待させた。


3日目(8/27):晴後曇:茶臼岳−光岳
茶臼小屋6:00 ---- 6:15 分岐 ---- 6:30 茶臼岳 6:45 ---- 7:05 仁田池 ---- 7:30希望峰 7:40 ---- 9:15 易老岳 9:35 ---- 10:45 三吉平 11:00 ---- 11:50 静高平 12:00 ---- 12:20 光小屋 12:45 ---- 13:05 光岳 13:20 ---- 13:35 光岩 13:50 ---- 14:00 光岳 ---- 14:20 光小屋(乾杯) 15:45 ---- 16:10 イザルヶ岳 16:20 ---- 16:45 光小屋(泊)

 我々は今日光岳に登って光岳小屋に泊る予定だが、自炊の光岳小屋泊を嫌ってこの茶臼小屋から光岳まで行って今日のうちに引き返してくる人も多いらしい。そんな人の朝立ちは早い。その雰囲気に起こされて2階の窓から外を見ると、暗闇の地平線上に朝焼けの帯が広がり、富士山がくっきりと見えていた。富士山が見えるともう寝てはいられない。外に出て刻々変わる朝焼けの空を眺めながら何度もシャッタを押した。
 5時からの朝食を頂いている間に富士山の手前の山稜から日の出が始まった。朝食を中断してシャッタを押す。
(日の出前)
(日の出)

 水場で冷たい水を調達し、準備運動をして6時過ぎに出発した。昨日下ってきたゴロ石の歩きにくい登山道を登って分岐点まで登り着くと、昨日はガスだった向かいの展望が今朝は綺麗に見えていて、中央アルプス、御嶽山、恵那山などが見渡せた。後ろには富士山、上河内岳、聖岳、兎岳、これから向かう方向には茶臼岳がどっしりと控えている。
 ここからは歩きやすい稜線の道になり、ゆっくりと登って2604mの茶臼岳に着いた。途中、小河原さんが左の稜線に一頭の鹿を発見、もう一頭現れてしばらく仲良くこっちを眺めていたが、やがて姿を消した。小河原さんはこの先でも足元のオコジョを見つけて女性陣を喜ばせたが、いい目をしていらっしゃる。
(分岐から茶臼岳へへ)
(茶臼岳へ)

 岩の重なりだらけの茶臼の山頂に着くと、行く手にはガスが舞いあがっていて全く視界が利かない状態だった。代わりにブロッケン現象が始まって、光輪の真ん中に自分の姿を出そうとみんな大騒ぎ。
(茶臼岳山頂)
(ブロッケン現象)

 大きく見える上河内岳をバックに集合写真を撮って次に向かう。茶臼岳の急なガレ場を下って仁田池に着き、立派な木道が敷かれた湿地帯を歩いていくと、花が終わったコバイケイソウの頭がことごとく摘み取られている。鹿の食害らしいが、花が終わってから食べるのか花の時期に食べてしまうのだろうか。いずれにしてもこのままではコバイケイソウは絶滅してしまいそうで心配だが大丈夫なのかな。
 この草原を通り過ぎ、小さなピークを越えるとまた木道の草原になった。湿地帯を過ぎ次のハイマツと枯れ木の坂を登ると希望峰という名前の三角点峰に着いた。ここから仁田岳への分岐があるが、今回は寄り道はしない。
(先が見えない)
(木道)

 希望峰での休憩中、茶臼小屋謹製の弁当を広げたら、食べやすく小ぶりに作られたいなりずしが出てきて、一緒に次のようなメモが付いていた。「茶臼小屋に宿泊して頂きありがとうございます。お客様のお元気な姿が私共の励みになっております。”皆様にはお弁当を召し上がって頂いたこの場所から又笑顔で出発して頂きたい”そのような気持でおります。再び茶臼岳へお越しの際は是非お立ち寄りください。管理人」
美味しく頂いて笑顔になって視界の利かないダケカンバの林を歩いていくと、シダの茂る雰囲気のいい登山道になる。
(枯れ木)
(シダ)

 シラビソの易老岳に着いて休憩。さらに立ち枯れの木が目立つ稜線を進むと東が切れ落ちた三吉ガレを通過、なだらかな登山道をどんどん歩いて行って湿地帯の三吉平で休憩した。早朝に茶臼小屋を出発してピストンする人達と交差するようになったが、みなさん足取りが軽い
 三吉平を過ぎると苔むした原生林のような森に入り、次いで涸れ沢の長い登りになった。大石がゴロゴロする歩きにくいゴーロ谷を汗を拭きながら登っていく。
 ゴーロ谷を登り切るとトリカブトが群生する草原に出た。立札には静高平とあって、また一休み。我々は急ぐことはないのだ。
(ゴーロの谷)
(トリカブト)

 静高平イザルヶ岳の分岐標があり、木道を歩いて行くと小屋の窓から白髪のご主人の笑顔があった。
 12時20分に光小屋に着くと、ご主人は就寝場所を指定してから、バイオトイレ、食事、自炊場の時間割や水の供給などの説明を要領よくしてくれた。話しぶりも優しく、電話で話し合った時受けた印象とは声も顔も別人のようだった。
(光岳小屋へ)
(小屋主人の説明)

 玄関脇にザックを置かせて貰って空身で光岳へ向かった。今日の主人公和子がはじめからトップを仰せつかって歩いたが、足取りが速くてみんな付いて行けない。少しペースダウンして貰って20分ほどで百名山光岳に登頂。
 平野さんの労作の百名山完登記念の垂れ幕を夫婦二人で持って、小型三脚を立てて参加者全員での記念写真を撮った。嬉しい写真ができた。そのあと、各自色々なポーズで記念写真を撮ったが、和子は引き立て役に何度も呼び出されていた。
(空身で光岳へ)
(百名山完登)

 すぐ先の光岩展望台から光岩を見下ろした。陽が当たらないので、てか(り)ってはいなかったが格好はいい。ここまで来て光岩に上がらない手はないので、10分ほど急坂を下って全員岩の上に上がって記念撮影をした。丁度単独行の男性が現れたので、全員揃っての写真を撮ることができた。
 女性陣だけの集合写真も撮ったが、邪魔物として後ろに下ろされた男性が後ろ側から撮ったお尻の集合写真の出来が素晴らしかった。公開許可が下りないのが残念!
(光岩)
(光岩頂上で)

 小屋に戻って、小屋前のテーブルでビールやジュース、コーヒお好みの飲み物で百名山完登の乾杯をして貰った。1965年(この時は夫婦ではなかった)以来、夫婦二人で登った百名山登頂のリストを提示しながら、今までの登頂経過をお話した。水戸アルパインクラブで案内して貰ったのが42座で、二人だけで登った39座よりも多い。まさにMACさまさまの夫婦なのである。
 ハンカチに皆さんの寄せ書きをして貰ったが、光岳が百名山の完登になると聞いた宿のご主人から、記念のバッジが贈られた。お手製の非売品バッチでこれもいい記念になる。
(祝宴)
(お祝いの寄せ書き)

 自炊するグループも、食事時間が過ぎれば食堂を使える。祝宴が終わっても、その17持半までまだたっぷり時間がある。元気のいい女性陣はイザルヶ岳まで登りたいと言いだし、ビール3本でいい気分になっている小澤さんがエスコートして登っていった。
(元気な女性陣はイザルヶ岳へ)

 寝床の準備をして17時半前から食堂に入いらせてもらって夕食の開始。永井さん、平野さんが給湯係でてんてこまい、各々持参の食材にお湯を入れてもらって楽しい晩餐会。アルファ米やカップラーメンが主だが、長山さんの重いザックからは色々珍しい食材が出てきてみんなに振舞われた。始めてお目にかかるものもあったが、体力がないと持って上がれない。
(自炊)

 夕食後、夕闇の東の空の雲海の上に富士山と上河内岳が綺麗に見えていた。明日の朝焼けを期待しよう。

4日目(8/28):晴一時曇:光岳小屋から横窪沢小屋
光小屋 6:20 ---- 6:35 静高平 ---- 7:10 三吉平 7:15 ---- 8:20 易老岳 8:30 ---- 9:25 休み 9:35 ---- 10:10 希望峰 ---- 10:50 仁田池 ---- 11:10 茶臼岳 11:15 ---- 11:30 分岐 ---- 11:40 茶臼小屋 12:00 ---- 12:30 樺段 ---- 12:40 水場 ---- 13:15 地蔵 13:25 ---- 13:45 横窪沢小屋(泊)
 
 朝起きると天気が良く、白み始めた空に富士山がくっきりと浮かんでいた。富士の姿は時間とともにはっきりとしてきて、食堂で朝の自炊をしながもシャッタを押し捲ったが、日の出の時には丁度雲が出てきて遮られてしまった。
(朝焼けの富士山)
(上河内岳)

 ゆっくりと朝食を摂って身支度をし、準備運動をして小屋番御夫妻に見送られながら6時20分に歩き始めた。今日は茶臼小屋を過ぎて横窪雲沢小屋まで下る。
 ガスで視界のない中、往路を歩いて行き、茶臼岳まで来ると、「今日は高橋さんのお誕生日です」との平野さんのアナウンスがあり、ハッピーバースデイの歌声が山頂に響き渡った。
(小屋番夫妻に見送られて)
(茶臼岳山頂で誕生日祝い)

 茶臼小屋まで下って大休み、水場で水の補給をしたが、水の枯渇は更に厳しくなっていて、昨日は500ccを20秒でで満タンにしたのに、今日は30秒かかった。このまま雨が降らないと山小屋は大変なことになるのだろう。
(茶臼小屋再訪)
(水場)

 茶臼小屋までも急坂下りだったが、茶臼小屋から横窪沢小屋まではもっと急で、まさに転げ落ちるような急坂が続いた。800m下って13時45分やっと横窪沢小屋に着いた時はほっとした。
(急坂下り)
(ザレ場)

 横窪沢小屋も空いていて、今日もゆったりとした広さを確保できた。ここのトイレも新しく水洗になっていて快適だったが、場所は旧トイレと同じく小屋から随分下ったところにあった。路面も荒れていてトイレまでの下り上りが一仕事である。
 小屋の脇の蛇口からの水で身体を拭いていたら、「ここはタンクからの水なので、下の水場を使ってくれ」とのお達し。下の水場には5本(?)の蛇口があって沢からの水なので自由に使える。身体を拭いてタイツの洗濯までしてしまった。
 小屋前のベンチでビールやコーヒを飲みながら歓談していると、中年の御夫婦が下りてきてコーヒを御注文。今朝早く茶臼小屋を出発して光岳に登ってきて、これから更に畑薙に下って温泉地に泊り、明日富士山の麓に移動して、明後日富士山に登って百名山全山登頂達成するのだとのこと。忙しくて光岩には寄らなかったらしいが、驚嘆すべき体力ではある。
(横窪沢小屋)
(小屋前で)

大きなハンバーグの夕食を頂いた食堂にはご主人こだわりの「一期一会」の標語があったが、「この小屋は今日が最後の営業日、明日はヘリに荷物を運んで貰う。天気が悪くてヘリが来ないと困るんだ」と御主人は空を見上げながら心配顔だった。

帰路
5日目(8/30):晴:横窪沢小屋−畑薙大吊橋−赤石温泉−帰宅
横窪沢小屋 5:55 ---- 6:05 横窪峠 ---- 6:25 中ノ段 ---- 7:00 ウソッコ小屋 7:15 ---- 7:35 吊橋 7:40 ---- 8:35 ヤレヤレ峠 9:20 ---- 9:45 畑薙大吊橋 ---- 9:55 バス停 10:45 =(無料バス)= 11:05 赤石温泉(タクシ乗換) 12:30 = 14:30 真富士の里(バス乗換) 14:40 = 14:50 コンビニ 15:10 = 15:20 新静岡IC = 15:50 駿河湾沼津SA 16:10 = 17:15 中井SA 17:25 = 17:45 東京料金所 =(C2)= 18:10 三郷料金所 = 19:15 守谷SA 19:40 = 20:25 水戸IC = 20:50 水戸駅 = 21:00 勝田 = 21:15 東海駅 = 21:25 日立電鉄 21:30 = 21:40 森山自宅

 当初は畑薙ダムまで歩いてタクシに乗る予定だったが、赤石登山の時に貰ったパンフレットから、畑薙大吊橋のところに10時40分迄に下りれば井川観光課のバスが赤石温泉まで無料で運んで貰える事が分った。歩く時間を1時間以上短縮出来る。
 横窪沢小屋から畑薙大吊橋までコースタイムは3時間、ゆっくり出発しても大丈夫だが、何が起こるか分らないので、朝食を頂いてから6時少し前に歩き始めた。
 横窪沢の橋を渡って横窪峠へ登る。昨日まで4日間歩き続けてきた足には結構応える登りだった。
(沢を渡って)
(横窪峠へ)

 横窪峠からの下りが急坂だった。ガレたりザレたりした急斜面にジグザグに作られた道を慎重に下ると神経を使って疲れる。
 途中重そうなザックを背負った単独行のうら若き女性に出会ったが、北岳まで5日で縦走する予定だとおっしゃっていたとのこと。翌日の赤石温泉での入浴中には、ありふれた風情の女性が「北岳から歩いて来たの」と事の無げに話されたとか。世の中にはお強い人が結構いらっしゃるもんですね。
(ガレ場)
(ザレ場)

 三段につながった長い鉄の階段を下って、上河内沢の吊橋を渡るとウソッコ小屋があり、この前で一息入れた。フシグロセンノウの赤い花が印象的だった。
(階段)
(ウソッコ沢小屋)

 ウソッコ小屋からは、今にも崩れそうなザレた斜面に作られた桟道や階段で補給されたトラバース道をゆるやかに下ってから、吊橋を3度も渡った。どれもよく揺れる吊橋で「これだけ練習したから畑薙大吊橋も大丈夫でしょう」と冗談が飛ぶ。
(三連続の吊橋)

 三つの吊橋を渡り終わったらヤレヤレ峠への登り返しが待っていて、登りの前の河原に降りて一休みした。
 急斜面をジグザグに登ってからは、しばらくなだらかなトラバース道だったが、最後にまたきつい一登りをするとやっと「ヤレヤレ峠」の看板が立っていた。ホントにヤレヤレの気持だった。
(沢に下りて一休み)
(最後のきつい登り)

 ヤレヤレ峠に着いたのは8時35分、バス発車まで2時間以上ある。風通しも良くて気持のいいところなので、おしゃべりしたりお八つを食べたり1時間近く遊んでいた。ヤレヤレの表情コンテストでは大竹女史が真に迫る演技をみせ、意外な才能でみんなを驚かせた。
(ヤレヤレ競演)

 ここから畑薙大吊橋までの急坂下りは問題なく下り、いよいよ大吊橋に来たところで、皆さんの渡橋中の表情を橋ENDから撮影しようと思って私がトップで渡らせて貰った。大吊橋は長さ182mと長いが、橋の上下をしっかりとロープで張ってあるので意外と揺れは少なく、怖いと言ってうずくまったりして騒ぐ人がいなくて面白い写真は撮れなかった。
 バスが来るまで橋ENDのバス停で待っている間、上空には何台もヘリコプターが飛んできた。横窪沢小屋の荷物も無事運ばれたことだろう。
(大吊橋は楽々)
(ヘリコプタ)

 定刻に少し遅れてきたバスは我々が乗ると丁度満席、畑薙ダム駐車場で半分が下りたが、そこまでザックを抱えて我慢乗車。
 赤石温泉で永井車から着替えを受け取り、気持のいい温泉風呂で汗を流し、6日間伸ばし放題の髭面も綺麗に剃り落した。剃る前の髭面写真を撮っておくのを忘れたのが残念。
 ここで美味しい昼食を食べてから、小澤さんは永井車に乗って行き、残り9名が真富士の里までジャンボタクシで移動してから茨城バスに乗り換え、新静岡IC手前のコンビニで永井車と合流した。永井さんは救助訓練講師のためにここから長野に向かったが、我々はここで小澤さんを拾って茨城に向かった。新静岡ICで高速に乗ったのは前回の悪沢赤石の時と余り変わらなかったが、首都高の渋滞が少なくて水戸に着いたのは今回の方が1時間早かった。


inserted by FC2 system