Z101.鼻曲山(関東百名山)

1.動 機
 和子は先日の谷川岳をパスしたので、そろそろ山が呼んでいる風情。台風通過後お天気が良さそうなので、一泊して「関東百名山」の2座、No.6の黒斑山とNo.8の鼻曲山に登ることにした。どちらを先にするか悩んだが、黒斑山は車坂峠から往復すれば簡単だが、2年前の5月に前掛山に登った時に黒斑山に続く外輪山の荒々しい岩壁を眺めてその上を歩きたいと思ったことを思い出し、車坂峠から黒斑山に登りJバンドで沼の平に下って草すべりを登る周回コースにすることにした。鼻曲山は浅間隠山に登った二度上峠から登ると楽チンそうだが、車坂峠と少し遠い難点があるのでガイドブックにも出ている霧積温泉からの往復登山にすることにした。少し楽そうな鼻曲山を一日目にし、きつそうな黒斑山を朝早くから歩き始められる二日目にして、宿は小諸に見つかった安宿を予約した。

2.データ
a)山域:鼻曲山(1654m)
b)登山日:2012/10/4(木)
c)日程:
アクセス:森山自宅 6:25 = 6:35日立南IC = 8:05波志江PA 8:25= 8:55松井田妙義IC = 9:30 きりづみ館
歩行:きりづみ館 9:50 ---- 10:10 林道 ---- 10:45 剣の峰分岐 ---- 11:05 霧積のぞき ---- 12:00 休み 12:05 ---- 12:30 鼻曲峠 ---- 12:50 鼻曲山(大天狗) 13:20 ---- 13:25 小天狗 13:40 ---- 14:00 鼻曲峠 ----14:50 霧積のぞき ---- 15:10 剣の峰分岐 ---- 15:30 林道 ---- 15:45 きりづみ館
宿へ:きりづみ館 15:55 = 16:40 碓氷峠 = 17:10 池の前山荘(泊)
(霧積温泉−鼻曲山往復コース)

(霧積温泉−鼻曲山往復コースの標高差)

d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「軽井沢」

3.山行記録
きりつみ館までアクセス
 我家としては超早起きして朝食をたべてから6時半に発車、日立南ICから常磐道に乗り北関東道の波志江PAのコンビニで昼弁当を買って、9時前に長野道の松井田妙義ICで高速を降りた。ナビの案内するままR18から県道56に分れて霧積ダム湖沿いの狭いくねくね道を登って行ったが、幸い対向車は皆無、バック運転の必要もなく走って9時半に霧積温泉のきりづみ館の駐車場入口に到着した。駐車場入口では5台のバキュームカーが作業中、きりづみ館が閉館したので汚水処理槽の最後の汲み取り作業中とのこと。丁度作業が終わったばかりのところで、ホースの格納を待って駐車場へ入れて貰う。広い駐車場には先客は1台だけだった。
 
 後から勉強したところによると、「霧積温泉は江戸時代の終わりに発見され、明治時代には十数軒の旅館と政界人や文人などの別荘が建ち並ぶ避暑地として賑わっていたが、信越線の開通によって賑わいは軽井沢にうばわれて静かな秘湯となっていった。この霧積温泉を舞台にした西条八十の詩「帽子」をモチーフとした森村誠一の「人間の証明」の大ヒットによって再び有名になったが、最近は「きりづみ館」と「金湯館」の2軒の宿があるだけの静かな山のいで湯になっていた。きりづみ館は旅館の古色蒼然たる建物とはうってかわって六角形のモダンな造りの浴場が有名で、明治時代にはリゾート地だった証となっている。」

 きりづみ館の周りには2台のコトコトコットン水車や「帽子」などいくつかの歌碑が並んでいた。きりづみ館は今年の4月に閉館したが、この駐車場はもっと奥にある「金湯館」が使用中のようで、「ようこそ金湯館へ。徒歩30分、宿泊のお客様は送迎ありますのでお電話下さい」との掲示があり、近くに公衆電話もあった。
(きりづみ館)
(六角形の浴室)

 身支度をして駐車場奥の登山道に入って行った。やがて木の橋で沢を渡るとホイホイ坂という急坂を登るようになり、20分ジグザグに登って行くと林道に出た。きりづみ館へ来る500m手前に林道分岐があって「ここから先は一般車進入禁止(金湯館)」の表示があったが、その分岐道がここへ繋がっているらく、「鼻曲山方面」の道標と並んで「金湯館へ300m」の立札が立っていた。金湯館方向から二人の男性がやってきて「今秋山の会で鼻曲山へ登る下見に来たのだが、金湯館のおばあさんに霧積温泉は130年もの歴史がある温泉場だとか、いろいろ長い話を聞いて来た。登山口だけ分ったので鼻曲山へ登るのは止めにして、これからもう一つ別の山へ行くんだ。」と言いながらホイホイ坂へと下って行った。駐車場にあった一台の車は彼らのものだったようだ。
(ホイホイ坂)
(一度林道に出て)

 林道からの登山道に入って行くと、道は雨水で流されて深く掘れ込んでいて歩き憎くてしようがない。荒れた道には足跡がなく、最近この道を歩いた登山者は少ないように思われた。
 荒れた道は長くは続かず、やがて雑木林の中のなだらかな道になってほっとしたが、また九十九折りの急坂になり、馬頭観世音の石碑を拝みながら登って行った。今日は気温が高く、汗ばんできて一枚脱ぐ。
(掘れた登山道)
(ジグザグ)

 きつい九十九折りの登りが終わるとやがて分岐道標があり、鼻曲山には3.0kmとあるが、右に行けば0.2kmで十六曲峠、1.5kmで剣の峰、2.5kmで角落山となっていた。面白い山名にこっちの山にもいつか登ってみたい気になる。
 分岐からはなだらかな道になって、気持よく歩けるようになった。
(剣の峰分岐)
(しばらくなだらかな道)

 道すがら右手の樹間から浅間隠山の双耳峰が見え隠れする。ロープが張られたガレ場を通過すると、前方に鼻曲山の特異な山容が見えてきた。樹木が茂っていて写真には上手く撮れないが、冬枯れの季節になると良い眺めになるのだろう。
 左手がガレて南東方向を見通すことができる谷間のところに来ると、遠くにキザギザの山並みが見えていた。妙義山に違いない。ここが「霧積のぞき」なら、葉が落ちる季節ならきっと眼下に霧積温泉が覗けるところなのだろう。
(鼻曲山)
(霧積のぞきから妙義山)

 霧積のぞきを過ぎると、また急坂になり立木に掴まりながら登っていった。それでもこの急坂は長くは続かず、続く小ピークからは浅間隠山を眺めるゆとりもあった。
(急坂)
(浅間隠山)

 しばらく笹の道を登り下りし、緑で気持のいい雑木林の中をなだらかに30分も歩いて行くと、行く手に今回一番の急坂が待っていた。
(なだらか道)

 急坂を前に一休みしてから登りにかかる。まさに胸突き八丁、20分ほど汗を絞られた。登り切ったところが鼻曲峠で、留夫山からの尾根道が左上から合流していて、道標では鼻曲山まで20分となっている。
(胸突き八丁)
(鼻曲峠)

 鼻曲峠から振り返ると、遠くに小野子山や子持山、榛名連山が見えていて、その手前に尖った山容の角落山が格好良かった。
 少し歩くと眼前に鼻曲山の山頂部が見えてきた。山頂が真上に見え、これからの急登が思いやられた。
(角落山・剣ヶ峰、向こうに榛名山)
(鼻曲山)

 先を行く和子の姿を真上に見るようなジグザグの坂道を登って行くと、山頂には「鼻曲山1654m」の山名板が立っていた。その先に岩場があり、その上からは妙義山や西上州の山々が見えていた。なかなか良い眺めだったが、ガイドブックによれば「5分先の小天狗からはもっと素晴らしい展望がある」とあったので、昼食後、岩場の先に延びている踏跡を進んでみた。踏跡は急坂をどんどん下り、展望岩があるのかと思ってしばらく下ってみたが益々急坂下りになるのみ。ここで地形図を覗いて見ると、山頂から90°西に尾根が延びていて、そっちに「・1655」の印があった。下ってきた踏跡は我家と同じ間違いをした人たちの足跡だったようで、山頂に登り返して少し引き返すと尾根筋に分岐する立派な道があった。 
(鼻曲山頂)
(山頂から妙義山)

 分岐道を少し歩くと小広場の真ん中に標石があり、「二度上げ峠」や「長日向」への道が分れていた。ここが小天狗らしかった。
(小天狗標石)
(二度上峠道標)

 小天狗からは山頂からよりももっと広い展望が南方に開がっていて、条件が良ければ八ケ岳まで見えるはずだが、今日は雲に隠されていた。
(小天狗からの展望)

 西から北方向には樹木の隙間から浅間山、浅間隠山や草津の山並みも見えていた。
(浅間山)
(浅間隠山)

 小天狗からの展望を楽しんでから往路を下った。鼻曲峠を過ぎたあたりで単独行の男性に出会った。林道から上で今日初めて出会った登山者だった。お互いに嬉しくなって笑顔で挨拶を交わした。この先のザレた急坂や雨水で掘られた道には、下りでも苦労させられた。
(下り道)

 林道に出て金湯館がどんなところか立ち寄ってみたい気もしたが、300mの寄り道は少し遠い。そのままホイホイ坂を下って木の橋を渡ってきりづみ館の駐車場に戻った。
 駐車場には他の車は一台もなかったが、鼻曲峠で出会った男性はどこから登り始めたのだろう。発車前に周りの詩歌の看板をゆっくりと見て回って、昔の古文の授業を思い出す。

 川田 順の詩
火の山の浅間のふもと、紅葉照る谷間を縫ひて碓氷川、あら瀬あを淵青く澄み、白くは乱る露霜の、ふりにし宿を心なく、こぼちな果てそ山川の、清きに居つつ何しかも、人の世恋ふるぬばたまの、夢に見えたるうつくしの、山辺は此処と深谷の、笹の葉わけて尋ね来し、われ等もあるをこの谷ぞ、君がおくつき忘れても、都へ出づな紅葉舟、しかはね載せて水の間に失せば浄けむ。
(きりつみ館近し)
(川田 順詩碑)

今日のお宿へ 
 小諸へ向かう道は例によってナビ任せだったが、車は霧積湖周りを走って一旦R18に出て右折、旧道の中山道を西に向かった。この碓氷峠を越える中山道はカーブの連続、いろは坂のようにカーブごとにNoプレートが立っていて、峠に着くまでカーブが184もあった。対向車は多いが霧積湖畔と違ってセンターラインがあるので問題なし。
 途中、坂本ダム・碓氷湖へ降りていく分岐道があり、一旦分かれ道に入ってみたが先が長そうなので引き返す。そこから少し走ると目の前にめがね橋が見えてきた。めがね橋は明治25年に完成した鉄道橋で、煉瓦造り4連アーチ式の橋脚の形が美しい。今は廃線になって観光地になっていて橋脚の中を登っていくことができるらしく橋の上に人影が見えたが、宿に着くのが遅くなると心配かけるだろうと諦めて先に向かう。
 その先にも廃線のトンネルやアプト式部分を覗けるところもあったがどんどん走って行き、#184のプレートの先の碓氷峠に着いたところに古ぼけた石碑が立っているのを見つけて停車。
この碑は1933(昭和8)年10月、碓氷新道(国道)改修工事完了を記念して建立されたもので、碓氷新道の建設・馬車鉄道・アプト式鉄道・碓氷新道改良まで、明治以降の碓氷峠の交通変遷を記したもだった。
(めがね橋)
(碓井峠修路碑)
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 碓氷峠から下って軽井沢を通過し、途中スーパで今晩の夕食と明日の昼弁当を買い込んで佐久IC近くの池の前山荘に向かった。池の前山荘に予約を入れた時「今は朝食だけで夕食を賄っていないので外で食べるか弁当を持ちこんでくれ」との話だったのだ。ナビに山荘の番地を入力して走ったが、2車線の広いR141バイパスから狭い路地に入るところの入口を見つけるのが難しかった。
 宿に着くと今夜の宿泊者は我家だけ、大きな浴槽にお湯をたっぷり用意して貰ってゆっくりと汗を流して気持よくなった。翌朝の朝食は品数の多い手づくり、朝食付き3600円の宿代では申し訳ないみたいだった。


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