42.筑波山(筑波への道最終日)

1.動 機
4月3日、シモンさんとボトクさんの「八溝山から筑波山への道」の長行脚の最終日を一緒に歩かせてもらった。今回は、前回の下山口だった上曾峠から出発して、いよいよ最終目的地である筑波山に登頂するので、お二人の「八溝山から筑波山への道」の完歩を祝って、シモン夫人と水戸アルパインのFさん、Sさんも参加して賑やかなお祝いの山行になった。

2.データ
a)山域:筑波山(877m)、無名峰(414m)
b)登山日:2004/04/03(土)晴
c)コースタイム: 
上曾峠 7゚55' ---- 8゚40' 無名峰 ---- 9゚20' 湯袋峠9゚25' ---- 10゚30' 裏筑波野営場11゚00' ---- 12゚00' 筑波山 (昼食)13゚15' ---- 水源ルート ---- 15゚10' 裏筑波野営場 15゚20' =15゚40' 上曾峠
d)同行者:シモンさん夫妻、ボトクさん、Fさん、Sさん、和子
e)地形図:1/25000「筑波」「柿岡」

3.山行記録
a)上曾峠から裏筑波野営場まで
今日はシモン夫人が裏筑波野営場へ車で入りここから一緒されるので、帰りはその車で送ってもらえるということで、上曾峠に集合した三台の車全部をここに駐車したままで、8時前に歩き始めた。
上曾峠から湯袋峠までは車道が通じているが、これを歩いたのでは「八溝山から筑波山へ」の趣旨に反する。すぐに藪を漕いで・405mの稜線に入って414mの三角点まで境界線上を辿りながら歩いた。414m峰は峰寺からのハイキングコースが通じているが、我々はこれを外れて、再び藪の中へと入り込んだ。藪と格闘して9時20分に湯袋峠近くに出て、ここから登山口までの1km強は舗装された車道を歩いた。・187mの登山口から裏筑波野営場までは関東ふれあいの道になっていて整備された広い登山道だったが、高度差300mは殆ど丸太の階段になっており、強制される歩幅には疲れを感じさせられた。
裏筑波野営場には予定より30分早く10時30分に到着したが、さすが百名山、多くの車が入っいた。FさんとSさんはすでに到着して歩く準備に取り掛かっていて、初対面のボトクさんと挨拶を交わした。間もなくシモン夫人も到着して、本日のメンバが全員揃った。
b)裏筑波野営場から筑波山へ
一般の登山道よりもカタクリが綺麗なことを期待しての東側の藪っぽい谷沿いを登り始めたが、カタクリやニリンソウは野営場ではすでに咲いていたのに、ここでは一週間早すぎたようでほとんど咲いていないので、途中から一般登山道に戻って登った。12時に着いた女体山の山頂近くはロープウエーで登ってきた人も合わさって大変な混雑だった。山頂岩場の下に陣取って「八溝山から筑波山への道」完歩の祝宴を開いた。ボトクさんがタオルに赤く「祝八溝山から筑波山への道完歩」と書いた立派な垂れ幕を持参されており、これを岩に貼り付けて会場の雰囲気を盛り上げた。メンバにシモンさん、ボトクさんの名前に並んで川本の名前も入れてあり恐縮した。この前で、それぞれの記念の写真や全員そろいの写真を撮って、ワインで乾杯し、シモン夫人手作りのお赤飯を頂いた。祝宴中は、長い道中の話やこれからの計画に沸いたが、水戸アルパインの計画の話にも花が咲いた。
c)下山
最後に百名山筑波山の石碑の前で集合写真を撮って、13時15分に下山にかかった。下りは屏風岩の手前から左に分岐して水源コースに入って下りた。嬉しいことに、こちらは東面なのでカタクリやニリンソウが咲き始めていて、目を楽しませてくれた。小休止して何枚もシャッタを切った。途中大岩のところで、62会の時歩いた谷沿いルートから分かれて近道を取ったが、林道に出るまで少し藪を漕ぐことになった。1kmぐらい林道を歩いて15時10分に裏筑波野営場に着き、ここでFさんとSさんと分かれて、残りの4人はシモン夫人の車で上曾峠まで走った。
d)あとがき
八溝山から筑波山まで足掛け3年、14日の長丁場だったとのことだが、そのうち9日に同行させてもらった。その間に、里山歩きの面白さを教えてもらい、地形図を見る習慣もついてきたし、少々の藪漕ぎにはへこたれなくなってきた。



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