75.鷹取岩

1.動 機
奥久慈岩稜には3年前、下山学校で男体山から鷹取岩まで歩いて、フジイ越から降りたことがある。また、「八溝山から筑波山へ」で、小草越から裏縦走路に入って釜沢越に抜けたことがある。鷹取岩から釜沢越の表縦走路はまだ歩いていなかった。弘昌さんから「湯沢温泉から歩き始めて、健脚コースで男体山に登り、鷹取岩から表縦走路を歩いて釜沢越を通って7時間で湯沢温泉に戻った」という情報が入った。夏でも気合を入れれば茨城の山でも歩けるのだと教えられ、歩いたことのない小草越から鷹取岩に登って表縦走路を歩くことにした。

2.データ
a)山域:鷹取岩(460m)
b)登山日:2004/07/19(月)晴
c)コースタイム: 
日立自宅7:15 = 8:20古分屋敷P8:35 ---- 9:40 小草越 ---- 9:50岩稜 10:05 ---- 10:30鷹取岩 10:35 ---- 11:20釜沢越 ---- 11:45佐中 ---- 12:45古分屋敷P12:55 = 日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「大中宿」

3.山行記録
6月末から7月初めにかけて中国四川省の観光旅行に出かけ、帰ってきてから夏風邪を引いた。「風邪を引いたら山にでも行っていい空気を吸ってくれば治るよ」と下山先生はおっしゃる。そう言えば、6月の半ばに東北の山に登ってから、会社の応援の仕事が入った事もあって、中国で少しハイキングをしただけで1ヶ月登山に出かけていない。どうせなら、会社の連休を使って会津の三岩岳と窓明山を避難小屋一泊で登って、月末の飯豊山縦走の予行演習をしておきたいと計画した。残念ながら、日本海側は大雨の天気予報。暑いのを我慢して、近場の奥久慈岩稜縦走に計画縮小することに相成った次第です。
朝早く起きて登れば、夏でもそれほど暑くはないだろうと思ったが、いつもの習慣で就寝は御前様。朝目覚めたらもう6時30分を過ぎていた。朝ご飯は山の上でと朝食省略にして、身支度を整えてすぐに出かけたが、古分屋敷の登山口から歩き始めたのは8時半を過ぎていた。暑そうなので、膝のサポータをつけた後、着脱式のズボンの下半分は外したままの半ズボン姿で歩き始めた。
古分屋敷から畑の脇を登り始め、畑仕事のご婦人に挨拶したら、「さっき男体山に登るという人が来たので、この道は違うよと教えたが、釜沢峠へ歩くのなら眺めが良くていいね。刈払いはあまりやっていないが、この先二股に分かれるが右の方が楽だよ。」と親切に話してくれた。二股に着いたら左の方が山に登っているので近道かと思って、教えを無視して左に入った。多少の岩場は覚悟していたので、崖をよじ登りながら進んだが、最後の岩の上に出たら進行方向に降りるのは怖くて進めなくなった。引き返して左右を眺めても岩に足がかりはない。やむなく岩の左の急坂を根っこにしがみ付きながら10m下って登り返した。正しい道はどこだったのか今も分からない。二股分岐で右の道をとれば苦労はなかったのだろう。
右の道からと思われる合流点を過ぎて尾根が見えはじめたら、急に空腹感を覚えて我慢できなくなった。チューブゼリーを吸ってバナナを食べて元気をつけて縦走路の小草越分岐に這い上がった。少し歩いて岩稜の上に出て、眼下の眺めを楽しみながら遅い朝食をとった。駐車場を見ると、自分の車の隣に停まっている車のバンパーに置き忘れた私のタオルが見えた。
フジイ越の分岐を過ぎて、鷹取岩の岩の上で記念写真をとり、ここから始めての縦走路を歩き始めた。手入れされた登山道を何度か上り下りを繰り返し、弘昌さんの情報にあった赤テープの行き止り表示で引き返したりしながら、45分ほどで無事釜沢越に着いた。ここから佐中までの道は何度も歩いた道だった。綺麗に整備されていて歩きやすくなっていた。
佐中からは、いつもは車で走るスーパ林道のパノラマラインを歩いて古分屋敷に向かった。途中、格好のいい鷹取岩を下から眺めたりしながら歩いていると、フキを採っている人たちに出会った。民家に近いが道端にいっぱい生えている。「今時のフキが食べられるの」と聞くと「下の家の人に今時硬くてダメだろうと言われたが、酒だけで2時間ほどじっくり煮ると美味しいよ。旦那はお酒が好きなのなら良い肴になるよ。」と教えてくれた。民家のすぐ上だったので少し遠慮してビニル袋に入るだけにした。
駐車場所に着いたら、隣の車はもう下山していて、タオルとズボンの下半分が私の車の上に置いてあった。ズボンの下半分を忘れていた事にはこの時初めて気がついた。



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