A61.東海村の文化財(8)

1.動 機
 いよいよ梅雨に入って雨マークの天気予報が続いている。貴重な晴の日、庭木の剪定をして残った時間、東海村の文化財マップを歩きたくなり、今回は残っている中央部の史跡や文化財を見て歩くことにした。今回歩いたのは、二軒茶屋古墳上にある東海12景の富士社晩霜、宮後窯跡群、文化財Bキリシマツツジ、文化財Hオリーブの木、馬頭窯跡、舟塚古墳群、文化財(31)エゾヤマザクラ、和尚塚古墳群だったが、宮後窯跡群と宮後窯跡群、エゾヤマザクラについては確認することができなかった。
(東海村の文化財中央東部マップ)


2.データ
a)山域:東海村
b)撮影日:2013/6/1(土)
c)コースタイム:
自宅14:00 = 14:20富士神社14:40 = 14:45宮後窯跡14:50 = 15:00Bキリシマツツジ15:05 = 15:15Hオリーブ15:20 = 15:40馬頭窯跡15:50 = 15:55舟塚古墳群16:25 = 16:40(31)エゾヤマザクラ17:05 = 17:15和尚塚古墳17:20 = 18:00自宅
d)同行者:和子

3.記録写真
富士社晩霜・二軒茶屋古墳群
 我が家を発車して国道6号を南下し、東海村の二軒茶屋交差点の一つ先の脇道に左折して入り、何度か角を曲がっていくと鳥居が見えた。鳥居脇には「富士神社」の石柱が立っていて、ここが東海12景の富士社晩霜に違いないと思ったが、目印の12景の石碑が見えない。鳥居をくぐって参道を歩いて行くと大きな古木に囲まれて立派な本殿が立っていて、NETで調べた時、こんなお社が前方後円墳の上に立っているとの写真を見たことがあり、ここが二軒茶屋古墳群の第一墳の前方後円墳に違いない。
(富士神社鳥居)
(前方後円墳に立つ本殿)

 それでもどこにも12景の石碑が見えないので、鳥居前に引き返して、近くに他の神社らしきものがないか歩き回ってみたが見当たらなかった。丁度来合わせた若い男性に東海十二景の石碑のことを尋ねると「この森の向こうにも入口があって、そこに石碑が立っているのを見たことがあるよ」とのこと。
(富士社晩霜の森)

 森の周りの狭い道を歩いて裏に回ると、裏参道の鳥居が立っていて、脇に東海十二景の石碑が立っていて、次の唄が彫ってあった。
 「薄紫の霞が、森厳の境内に漂い流れくる夕べ。人声稀れに、想いは悠久の神の代に遡る。」
(裏参道の鳥居)
(東海12景の石碑)

 石碑が見つかったことで一安心、今度は古墳探し。NETでは二軒茶屋古墳群は前方後円墳1基と円墳2基とが現存するとあった。きょろきょろしながら裏参道を歩いて本殿前に戻り、社務所の裏に回ると古墳らしき盛り上がりがあり、鳥居の左横に道路に一部削り取られているがこれも円墳の一つだと思われた。
(円墳T)
(円墳U)

宮後窯跡
 次の宮跡窯跡はNETでも情報が得られなかったが、東海駅通りの向こう側にあるはず。車を走らせてマップ記載の場所近くに駐車してうろうろしていると、子供連れの男性が通りかかり尋ねたが、「貝塚なんて聞いたことないが、マップの場所はこの森の中ですね」と場所は間違いないらしい。
 踏み跡を見つけて入っていくと構造物の下に穴がある怪しげなものがあった。余り重要なところとは思っていないので、とりあえず、ここを宮後窯跡ということにして次に向かった。
(宮後窯跡?)

Bキリシマツツジ
 マップにはBのキリシマツツジは整備された庭園に植栽された樹高3mほどの株立ち27本ののツツジらしい。樹高3mでは遠くから眺めていては目立たない。来合わせた若い女性に「この近くに3mほどのキリシマツツジがあるらしいが知りませんか」と聞いたが「見たことありません」とのこと。庭園と言われるほどの立派な庭がある旧家を探して歩くと、すぐに門柱に小林さんの名札が付いた旧家が見つかり、中にはまさに庭園と呼ばれるにふさわしい手入れされた樹木が並ぶ庭があった。「こんにちは」と声をかけて中に入らせていただくと、奥の方に文化財の白い標柱が立っていてマップ説明通りの大きなキリシマツツジの木があった。真っ赤な花に彩られたところを見に来たいものだ。他の銘木を拝ませていただいて庭園を辞した。
(庭園)
(Bキリシマツツジ)

Hオリーブ
 次のBのオリーブの木は東海駅東口近くの民家にあって30年前に小豆島から移植された大きな木らしい。ジャスコの駐車場に車を停めさせてもらって、マップの位置に向かって歩いて行くとすぐに、マンションの駐車場の筋向いの塀の上に大きなオリーブの木が目についた。塀の外からでも文化財の標柱の頭が確認できた。塀の中はこれまた立派に手入れされた庭園で、小林さんちに負けないほどの銘木が立ち並んでいた。角を回り込んで玄関前に行ってみたが、扉付のいかめしい門構え、呼び鈴をならすのもはばかられて、立派な庭園は外からも充分に鑑賞できたのでそのまま次に向かった。
(Hオリーブ)
(立派な門扉)

馬頭窯跡
 次の馬頭窯跡もNETで情報が得られなかった。それらしきところを車のナビにマークして走っていくと、着いたところは今は住む人がいないように見える原研長堀住宅の敷地の北端の通りだった。窯跡はこの北にあるはずだが、そちらを伺おうと思っても深い草むらで入り込むのが憚られた。
 表の通りに戻って釜跡があるはずの方向を伺ったが、最近新しく開墾されたのか一面綺麗に整地されていた。これでは窯跡は残っていないだろうと決めて次に向かった。
(長堀住宅)
(馬頭窯跡は開墾地?)

舟塚古墳群
 次の舟塚古墳の一つは原研通りに面した荒屋台診療所の敷地内にあるはずだ。診療所の前庭に車を入れると、すでに診療時間は終わったのか人影もなかった。診療所の右の茂みに入る階段道があり、ここを登っていくと目の前に円形古墳の形をした高みがあった。急な斜面を登っていくと真ん中に三角点があって、例によって三角点があるとすぐに証拠写真を撮る。ここは標高31.4mの三等三角点で三角点名は村松だった。
(舟塚古墳T)
(墳頭に三角点)

 マップにはこの西300mのところにもう一つの古墳、前方後円墳があるはずだ。診療所に車を置いてそれらしきところまで歩いて行くと、森と駐車場の間に高みがあり古墳に見えないでもなかった。周りには古墳らしきものもなく、高みのところに立ち入り禁止の立札があって森の中にも入り込めないので、これを古墳ということにして車に戻って次に向かった。
(31)エゾヤマザクラ
 次のNo31のエゾヤマザクラは、マップでは原研通と東海駅東通をつなぐ広い道沿いにマークされているが、車のナビにもポケナビにもそんな道はない。マーク位置を目当てに車を進め、滝坂社宅の西にある広い駐車場わきにサクラの老木が立ち並んでいるのが見えた。近くに行っても文化財の白い標柱は見つからず、その奥にあるサクラの木もチェックしたがダメ、テニスコートでプレイ中の男性に「この近くに文化財の標柱が立っているエゾヤマザクラはありませんか」と尋ねると「サクラの木はたくさんあるが、標識にあるものは見たことがないですよ」とのこと。車で柵の外に回って、長い石段を下って村松小学校の奥のビオトープにも大きなサクラの木があったが、やはり標柱は見当たらなかった。
(舟塚古墳U?)
((31)エゾヤマザクラ?)

和尚塚古墳
 エゾヤマザクラは役場に行って教えて貰うことにして帰途に着いた。マップには途中に和尚塚古墳のマークがあり、NETで素鵞神社が目印になることが分かっていたのですぐ見つかるだろうと立ち寄ってみた。県道から脇道に入るとすぐに素鵞神社の鳥居が見つかった。鳥居の奥が円墳になっていて、鳥居を潜って短い石段を登ると素鵞神社の石祠があり、脇の神像の石碑は大震災の時に被災したのか途中で折れていた。
(素鵞神社の鳥居)
(和尚塚古墳墳頭の石祠)

 今日は確認できないことが多く、今回で東海村文化財探訪は御仕舞にしようかと思っていたのに宿題が残ってしまった。




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