A117.筑波山と研究学園都市(六仁会)

1.動 機
 前回の六仁会(東京地区62会)の時、玉造さんの提案で次回は茨城地区でハイキングと川本の”夫婦二人の山歩き”の話を入れた懇親会を実施することが決定し、下山・大矢・川本が幹事を仰せ付かった。3人で打ち合わせを繰り返して、一日目に筑波山をハイキングして麓の宿で懇親会を開き、二日目につくば研究学園都市の研究施設の見学をすることにした。研究施設見学は国土地理院と筑波宇宙センタ(JAXA)とし、ハイキングは麓から足で上り下りするハイキング組とケーブルカーとロープウエーを使う散策組の2グループを作って参加者を募集した。参加者は総勢20名になり、賑やかで和やかな会合になった。

2.データ
a)山域:筑波山(877m)
b)登山日:2013/11/27(水)晴、28(木)晴
c)全体行程:
1日目:ホテル集合 ---- 筑波山ハイキング ---- ホテル(懇親会・宴会・泊)
2日目:ホテル =国土地理院見学= JAXA見学・昼食・解散
d)同行者:62会メンバ18名、和子
e)地形図:1/25000 「筑波」

3.1 1日目筑波山山行記録
c)1日目行程:
日立自宅8:00 = 8:10日立南IC = 8:40土浦北IC = 9:15ホテル
ハイキングコースタイム
散策組:ホテル9:55 ---- 10:00筑波山神社10:05 ---- 10:10宮脇駅10:20 =(ケーブルカー)= 10:30御幸ヶ原駅 ---- 10:45男体山10:50 ---- 11:00展望台11:05 ---- 11:20立身石 ---- 11:30御幸ヶ原(昼食)12:10 ---- 12:25ロープウエ分岐12:30 ---- 12:35女体山12:40 ---- 12:50山頂駅13:00 =(ロープウエー)= 13:10つつじヶ丘13:15 ----(迎場コース)---- 14:15鳥居 ---- 14:30ホテル(宴会・泊)
ハイキング組:ホテル9:55 ---- 10:00筑波山神社10:10 ---- 10:15鳥居 ----(白雲橋コース)---- 11:35弁慶茶屋跡11:45 ----(おたつ石コース)---- 12:20女体山12:25 ---- 12:30ロープウエー分岐 ---- 12:40御幸ヶ原(昼食)13:20 ---- 13:35男体山 ---- 13:45御幸ヶ原 ----(御幸ヶ原コース)---- 15:10ホテル(宴会・泊)
(筑波山ハイキングの歩行軌跡)

(筑波山ハイキングの高低差:散策組)

(筑波山ハイキングの高低差:ハイキング組)

 8時に我が家を出発し、日立南ICから土浦ICまで常磐道を走り、筑波山の南部R125を走って集合場所のホテルに着いたのは9時15分、集合時間の30分前だったが、もう殆どの仲間は到着済みだった。ホテル前は長時間の駐車は不可とのことで、荷物をロビーに置いて200m離れた第二駐車場に車を入れなおした。全員が集まるまでよもやま話に花が咲いたが、ロビーの窓から富士山が見えていて皆さんを喜ばせた。
 全員集まってからハイキング組リーダの下山さん、散策組リーダの大矢さんから説明があり、身支度を整えて10時前に歩き始めた。元気なハイキング組は10名、らくちん散策組は9名での出発。和子は元気にハイキング組に入って歩いたが、私は散策組に入ったので、この山行記は散策組のコース記録を書いて行く。月初めに二人で下見した時(A111)と同じコースなので新鮮味がないかもしれないがご容赦ください。
 5分ほどで神社の境内に入ると、石段前左手の池の畔の紅葉が鮮やかだった。
(ホテルから富士山展望)
(筑波山神社の池)

 参拝前に石段に二組全員並んで集合写真を私のカメラで撮ることになり、丁度居合わせたご老人にシャッタ押しをお願いした。何度かシャッタを押してもらったのだが、ケーブルカーの中で画像を見ようとしたが、画像が出てこなくて愕然! 幸い玉造さんが別に撮ってくれていたので大事には至らなかったが、直後その場で確認しなかったのが拙かった。
(筑波山神社での集合写真:玉造さん撮影)

 筑波山神社でハイキング組と分かれて、散策組はケーブルカーに乗るために宮脇駅に向かう。宮脇駅の周りは真っ赤に色付いたカエデが多くて綺麗だった。10時20分発の便に乗ると、線路沿いの紅葉も綺麗で、紅葉を狙って日程を決めた大矢さんは胸を撫で下ろしていた。
(宮脇駅付近)
(ケーブルカー乗車)

 御幸ヶ原に着いたところで、松範さん夫妻が最近体調不良なのでここで待機することになった。鳥見であちこち飛び回っているお元気なご夫婦なので意外だったが、最近脊柱管狭窄症が発生して困っているとのこと。
 向かいの加波山−雨引山の山並みをちょっと眺めてから、大矢さんは7人を纏めてすぐに男体山に向かって登り始める。この男体山までの登り道には岩っぽいところもある急登なので、あまり山歩きをしていない散策組の仲間には厳しすぎるかと心配していたのだが、皆さん快調に大矢さんの後に続いた。途中では快速の安藤さんが先頭に出て引っ張って行き、時に「早すぎるよう」とブレーキを掛けたこともあった。
(男体山へ)
(男体山神社)

 男体山山頂に上がると、丁度下り始める男性が「今の今迄富士山が見えていたのに、雲に隠れちゃったよ」と気の毒そうに教えてくれた。近くの山並みは右手に見えていたのだが、固有名詞が出なくなった老人病、皆さんに説明できなくて残念。
 山頂神社前で集合写真、その男性に集合写真のシャッタを押して貰い、しばらく待っていても富士山は見えそうもなく、女体山を眺めてすぐに下りにかかった。
(男体山山頂での散策組)
(女体山)

 下りは御幸ヶ原への急坂を下るのは危なっかしいので、直進して自然研究路の展望台に向かって下って行った。ここからしばらく下見をした私が先頭を歩いたが、途中、道を間違えて少しトラバースして尾根道に戻るハプニングもやってしまった。下見の時に尾根道を歩かなかったので、登ってくるグループに「この道で四阿のところに下れますか」と確認もする。
(自然研究路へ下る)

 10分ほどで無事自然研究路に合流して、すぐ下の展望岩の上に上がったが、今日は暖かくてガスがかかって日光も那須も見えない。宝篋山の向こうに霞ケ浦を眺め、集合写真を撮って次に向かった。
(展望台にて)
(展望台から霞ヶ浦)

 展望台からは整備された自然研究路を歩いて行く。それでも結構な上り下りがあるのだが、皆さん平気で付いてくる。地衣類、植物の分布、ブナ、岩石など自然研究のいろいろな説明板を見ながら15分歩いて立身石に着く。立身石の伝説を読んで岩の下の広場に下り、親鸞聖人旧蹟の石碑の前で集合写真を撮った。
 立身石の上の展望台にも誘ったが、おっかなそうに見えたか、誰からも登りましょうとの声は返ってこなかった。どうせ今日は展望も良くないようなので、無理強いしないでそのまま御幸ヶ原に下った。
(立身石前の集合写真)

 御幸ヶ原に着くと向こうから松範さん夫妻が姿を現し、「鳥が見られるかと思って2度も男女川水源のところまで下ってみたが、鳥の声は一つも聞けなかった」と残念そう。」・紫峰杉のところまで2度往復したのに、松範さんは何事もなかったようにお元気だった。
 時間は11時半で少し早いがここで40分間の昼食休憩になった。弁当を持たなかった私と松範さん夫妻は連れ立って回転展望台の下のレストランに入って店の自慢料理を頂いた。次々飛び出してくる夫人のお話が面白かった。他の6人は向かいの店に入ってけんちん汁を注文して弁当を広げたとこと。
 ゆっくりと昼食をとってから再集合し、ここからは松範さん夫妻も一緒に9人で女体山に向かった。大勢の人と交差しながら登って行く。
(御幸ヶ原)
(女体山へ)

 ガマ岩を通り過ぎてロープウエー分岐の広場で大きな案内板を眺めていると、上からハイキング組の10人が下ってきた。お互いに異常のないことを喜び合い、全員揃っての集合写真を撮った。今回は下山さんのカメラが使われ、頼んだのが若い人だったこともあり、今度はちゃんといい写真が写っていた。
(ハイキング組と遭遇)
(全員写真:下山さんのカメラ)

 女体山山頂には女体山神社の裏を回ってすぐ。「日本百名山 筑波山」の石柱前は混雑していたが、その上の岩場の上はガラガラ、岩場の上で集合写真を撮った。
 霞ケ浦や男体山の写真を撮ってから、女体神社にお参りしてロープウエー乗場に向かって下った。
(女体山)
(男体山)

 分岐点には幼稚園生と思われる賑やかな集団がいたが、ここからの長い道を下ってロープウエー乗場に発車10分前に着いた。乗車券を買って乗り口前に並んでいると、幼稚園生グループも賑やかに下ってきた。こんな大勢が乗れるのか心配したが、乗車定員は70名、心配することはなかった。 
 元気で賑やかな幼稚園生の声を聞きながらつつじヶ丘まで6分、車窓から見える山肌の紅葉が綺麗だった。
(ロープウエーに乗車)
(つつじヶ丘へ)

 つつじヶ丘に着いて、トイレを使ってから迎場コースの道を下って行った。次々と万葉集の歌碑があらわれるが興味を示す人は誰もいなかった。我家と同じだった。この時間は小鳥もお昼休みの時間だそうで、下に着くまで小鳥の声が聞こえてこなくて松範さん夫妻は残念そう。
(迎場コース)
(万葉集歌碑)

 迎場コースを下りきった鳥居辺りで小鳥の声が聞こえるようになって、松範さん夫妻の寄り道が多くなる。小さな鳴き声を聞き取っては、これはーーーよと鳥の名前がすぐに口から出てきて、木の葉の間に小鳥の姿を見つけて指差す。スッゴーイ!
 神社まで下るとあちこちに綺麗な紅葉があってシャッタを押すのに忙しくなる。土産物屋で飼われているガマを眺めたりしながらゆっくり歩き、ホテルに14時半に到着してチェックインした。譲之良さんがそのまま帰宅され、入れ替わりに伊藤さんがホテルに入ってきて、総勢19名は変わらずになった。
(筑波山神社の紅葉)

 そのうちハイキング組も帰ってきたので、製作者の三澤さんと力作の自立型スクリーンを組み立てた。私の”夫婦二人の山歩き”の話を映像を見せながらやりたいとの意向を汲んで、緻密さと器用さと創意で作り上げてくれたスクリーンである。話の後で私の話よりも喝采を浴びていた。
 温泉に入って汗を流してから12畳の幹事室に全員集合して、前夜までに纏めた多くの写真を三澤さん持参のプロジェクタで写しながら50分間”夫婦二人の山歩き”の歴史を聞いてもらった。長くなったので海外の山の話は割愛し、そのあと、啓ちゃんの五七五入選作の披露が入り、翌日の研究設備の見学に付いての説明を行った。
 そのあと宴会場に入って、お互いの健康を祝ってビールで乾杯し、品数の多い料理を頂きながら各自の近況報告が続いた。宴会後も幹事室に集まって、今日の山行中に撮った数人のカメラに入っていた写真の披露があり、ついでに私が纏めてきた62会山歩きの写真を披露した。懐かしいメンバーの顔も沢山出てきて会場が賑やかになった。そのあと下山さんのヒマラヤトレッキングの綺麗な写真も披露されて2次会もお開きになった。
(力作のスクリーン)
(宴会)

3.2 2日目つくば研究学園都市研究施設見学記録
c)2日目行程:
ホテル8:45 = 9:20国土地理院見学10:25 =10:35JAXA(10:50ガイドツアー宇宙飛行士コース12:10--昼食・解散)13:30 = 13:40桜土浦IC = 14:15日立南IC = 14:30日立自宅

 朝目覚めると今日もいい天気、東の空が朝焼けになって、やがてホテルの下の森の紅葉が綺麗に見えてきた。朝風呂に入って美味しい朝食を頂いてから研究学園都市への出発準備。出発前に、無肥料無農薬耕さずの自然農法に徹している伊藤さんの農園で収穫した野菜の数々が披露され、欲しい人が欲しいものを勝手に持って行けとのこと。私は遠慮なく3.5kgもある大きな冬瓜を頂戴したが、和子はお米を貰っていた。
(部屋からの紅葉)
(自然農法の収穫)

 研究設備見学者は当初19名だったが、色々所要が出来て参加者は14名になった。JAXAの見学ツアーが14名だけ受け付けられていて、残りはスペースドームだけの自由見学(スペースドーム以外はセキュリテイーゾーンで見学ツアー以外は立ち入り禁止)にならざるを得ず、くじ引きなど考えていたがその気苦労がなくなった。
 見学辞退者と分かれて6台の車に分乗して学園都市に向かう。先頭車に付いて行くと、私のナビで指示されるコースからずれてきて、信号に引っかかって私の車だけ取り残された。やむなくナビが指定する道に曲がって最初の見学場所の国土地理院に到着すると、到着済みの車は土地勘のある仲間の車一台だけ、他の車はずいぶん遅れて到着した。頼りにしていた地図が荒っぽすぎたらしい。
 それでも開院の9時半前に全員揃い、受付にいくと「今日の案内役です。よろしく」というお嬢さんが現れた。予約を入れた時はガイドツアーは定員をオーバしているので自由見学にしてくださいと言われていたのに、ガイドさん付きになっていたのはラッキーだった。
 先ずは一階入り口の広間で説明が行われる。そこの床面には大きな日本地図が書かれていて、それを赤青の色眼鏡を通して見ると、山は浮き上がり、海は沈み込んで立体的に見える。富士山の上に足を置くと足裏が痛いような気がするし、海溝の上に立っている仲間は今にも落っこちそうで危なく見えた。また、沖の鳥島まで表示されていて、その遠さを見せられて、なんと遠いところまで日本の領海なんだ今更ながら驚かされた。
 外に出ると直径22mもある大きな20万分の一の立体日本地図があり、この上に立って見渡すと300km上空から眺めた日本の地勢が実感できる。
 近くには実際の航空測量に使われていた「くにかぜ」の実機が展示されており、飛行距離は地球を6周する距離だったとのこと。日ごろお世話になっている地形図もこの飛行機のお蔭で作られていたのだろう。
 その後、大震災の時の地震や津波の発生原理を示す模型や、大震災で動いた土地の移動距離を示してあったり、アメリカ大陸のない最古の地球儀、江戸時代の古地図と現在の地図を比較したり、モニター画面で地形図を自由に大きくしたりワープしたり、面白い説明が続いて1時間の見学時間がすぐに終わった感じだった。上手な説明に感じ入り、家族や知り合いと一緒にまた来たいなとの声が聞こえてきた。次のJAXAの見学に遅れるとまずいので、心惹かれながら国土地理院を後にした。
(国土地理院ガイドツアー)
(日本列島球体模型)

 次のJAXAには私のナビを先頭に走ることになった。6台もの車を連ねて走るのは大変だ。信号で全車揃って通過しなければならないのはもちろん、交差点を曲がるために車線変更する時も、前もって車線が空いている時にやってしまわないと、曲りの直前まで来て車が混んでいる時に車線変更すると車がバラバラになってしまい、先頭車がどこ行ったかわからなくなる。和子と共同作業でナビを睨めっこしながらJAXAの手前の交差点を曲って正門に入り、守衛に案内されて無事全車駐車場に入った時はホッとした。
 見学前に今日11時からの見学者40名(2名欠席)が集められて、見学者認定の胸証を付けさせられ、注意事項の説明やJAXAについてのビデオによる一般説明があった。今日の見学コースは宇宙飛行士コースで、一般展示館のスペースドームとセキュリテイーゾーンの宇宙飛行士訓練棟とを案内されるのだが、見学者は2分されて、それぞれに説明者が付いて二つの棟を入替りに案内された。六仁会14名だけで一グループになって和やかに見学することが出来た。
(宇宙センタJAXA)
(ビデオでイントロ)

見学の移動には専用バスが使われ、我々六仁会は先ずは宇宙飛行士訓練棟で下される。ここでは
宇宙で生まれたメダカの飼育状況(年4回世代交代があり現在28代目)、
ベットに傾斜をつけて無重力で脳の血流異常に対する耐力養成
数多くの宇宙食の開発状況
船外活動用の大きな作業服、水平回転負荷装置、垂直加速度不可装置、閉鎖環境適応訓練設備
などを案内してもらった。
(専用バスで移動)
(宇宙飛行士訓練設備)
(宇宙飛行士コース)

 次に別グループと入替ってスペースドームに入って、色々な展示物を見ながら説明してもらった。かって日立を背負っていた技術者集団、突っ込んだ質問も飛び出して案内者を戸惑わせていた。
 日本を中心にした100万分の1地球儀の上には、同縮尺の実物宇宙ステーションや日本が打ち上げた人工衛星などが相似高さに取付けてあって、それを見て意外と地球に近いところを飛んでいるのだなと思った。
 実物大の歴代人工衛星が展示されており、その断熱材がペラペラでしかもマジックテープで取り外しできるぐらいに簡単な貼り付けになっていると聞いてびっくりさせられた。風があったら簡単にはがれてしまいそう。
 「きぼう」日本実験棟実物大モデルには中に入ることが出来て、こんな狭い密室で他人と一緒に長いこと過ごす宇宙飛行士の忍耐力、協調性、健康管理、大変だなあと実感。
 燃焼試験で使われた本物のLE-7AとLE-5ロケットエンジンや、日本の歴代ロケットの1/20模型が展示されており、ペンシルロケットからの発展過程を勉強した。
 その外たくさん説明してもらったが、あらかた忘れてしまった。もう一度見学し直しが必要である。
(希望実物大模型)
(1/20歴代ロケット模型)
(スペースドーム)

 見学が終わって解散前に昼食を一緒にする予定で、場所は街中のレストランと考えていたが、皆さんは宇宙センタの社員食堂の食事を食べてみたいと強い希望。社員食堂もセキュリテイーゾーンの中なので、受付場所に参加者名簿を提出して見学ツアーとは別の胸章を貰ってきて、全員揃って食堂まで歩いた(セキュリテイーゾーンには車は入れない)。丁度研究者の昼食タイムで食堂は満員、プリペイドカードを買って、セルフサービスの盆を持って所員と一緒に行列を作って好みの料理を集めて歩く。テーブルも満席で、仲間はあちこちバラバラで食事をとったが、安くて美味しい昼食ではあった。
 食事が終わってから、受付前の休憩所を借りて次の62会ゴルフの100回記念大会の打ち合わせを行った。まだしばらくゴルフは無理なようなので、私は門外漢。駐車場でさよなら、御苦労さんの挨拶をして解散した。
 まだ13時過ぎ、帰途もっと紅葉を見て行こうかと一旦は一般道でナビを指定したが、帰宅は16時を過ぎそう。紅葉は筑波山の紅葉で十分だと思い直して、桜土浦ICから常磐道に乗って、近くのスーパで少し買い物をして14時半に我が家に帰った。少し疲れたが、久しぶりに元気な同期仲間と話し合えて充実した嬉しい2日間でした。


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