B103.日立の魅力再発見ウオーク(仲町)
1.動 機
今年も「もっと日立が好きになる日立の魅力再発見ウォーク」と題した20回のウオーキングが発表され、これまで都合が合わなかったが、今回第7回目の「仲町の自然と歴史を再発見」と題した仲町交流センタ主催のウオーキングに参加してみた。初めから終わりまでウオーキングリーダ役の体育委員が面倒を見てくれ、ポイントではその件の専門家を呼んでくれて珍しい説明もあり、なかなか面白いウオーキングだった。 2.データ
a)山域:日立市大雄院から天狗布団岩まで県道36号沿い b)登山日:2014/10/19(土)晴 c)コースタイム:日立自宅 7:50 = 8:10仲町交流センタ9:05 ---- 9:15大雄院9:35 ---- 9:45庚申塚・二十三夜尊9:50 ---- 9:55三夜尊 ---- 10:00共楽館前 ---- 10:05新町地蔵尊10:20 ---- 10:25神峰神社御休み場 ---- 10:30大雄院小学校跡碑 ---- 10:50JX日鉱金属(徳川斉昭歌碑・大雄院経蔵)11:20 ---- 11:25千手観音 ---- 11:35天狗布団石 ---- 11:45日製創業小屋跡碑11:50 ----12:20共楽館12:30 ---- 12:40仲町交流センタ13:40 = 13:45共楽館14:10 = 14:40日立自宅
d)同行者:和子
e)地形図:「日立」 3.山行記録 今日は土曜日、道路が空いていて快調に走って20分前に仲町交流センタ入口に到着すると駐車場はまだガラガラだった。。ところが入口に人がいて「今日は交流センタの駐車場は昼に食事場所として使う。近くの工場に頼んで駐車場を開けて貰ってあるので、そっちに停めるように」と案内された。すぐ近くの工場の駐車場に車を置いてから、交流センタに戻って受付すると「ウオーキング後にこの駐車場でうどん、そばの食べ放題、空くじなしの抽選会がありますよ」と嬉しいお知らせがあり、見学地点の説明資料とペットボトルの水が渡された。 定刻になって副館長さんからの挨拶と体育委員だという今日のリーダさんから今日の予定に付いての説明があり、準備運動をして歩き始めた。定員100名という事だったが、集まったのは半分ぐらいだったかな。
先ずは神峰公園下の天童山大雄院に入ると、若い住職さんからお寺の歴史について細かい説明があった。和子の実家の法要がここであって何度もお参りしたことがあるが、三体並んでいるご本尊の釈迦如来三尊像は室町時代の作とのこと。昔は大勢の禅僧が修行していたので、入口に「酒の飲んだ者、生臭いものを食べた者は入るべからず」という意味のことを書いた石が立っていたとのこと。今はこの石碑は移動されて、大雄院から下って大雄院通りに出たところにあった。
大雄院通りを北西に向かって少し歩いたところに質素な小屋が建っていて、中に庚申塚と二十三夜尊が祀ってあった。ここの纏め役の人がやってきて、いろいろと謂れを話して頂いたが、今は世話をする人がいなくなってしまい、雑草刈りも思うに任せず花も造花になってしまった、と寂しそうだった。
その先で左下に見えるビルの脇に 対の灯篭と三体の阿弥陀尊が見えていた。リーダが話してくれた謂れは聞き取れなかった。その先で、右上の斜面に目の神様の"星の宮"があるのだが、この道からは見えないとの話しもあった。
その先の左手に旧共楽館が見え、ここで案内される予定だったのだが、今日は「共楽館ふれあい祭り」が行われているので、帰りに立ち寄るとのことで通過。
傍の宮田川に毎年カモがくるようになり、今年は10羽も来ていて賑やかだから見ていって頂戴とご自慢。川を覗いてみたが、大きな話し声に警戒したのか、近くにはカモの姿は見えなかった。20m上流側の橋の上に上がってみたら、川面を泳ぐカモの姿を見ることが出来た。
常磐道日立中央ICへの取り付け道路の日立有料道路下に来ると、「神峰神社御出社御休み場」と彫られた大きな石碑があり、脇に由来書があった。
県道に出てしばらく歩くと、今度は大雄院小学校開校記念の碑があり、その奥に「師の友のこえがきこえるわが学び舎あと」の歌碑があった。昔大雄院小学校が川向うの、今は工場になっているところにあったものが移設されてきたとのこと。
日立鉱山のずりで出来た斜面を眺めながら更に西に向かうと、大煙突がむかで煙道と阿呆煙突と一緒に綺麗に見えるようになった。この大煙突は煙害防止のために大正3年に建てられた歴史的な建造物で、もとは156mもあって日立の街中からも目立ていたが、平成5年に途中から倒壊して今は54mと少し迫力が無くなった。
その下に近代的な工場があり、JX日鉱日石金属・日立事業所・JX金属環境」の看板が立っている。この工場の敷地内に、徳川斉昭歌碑と大雄院経蔵がある。
工場内に入ると、徳川斉昭歌碑の前で総務課の担当者から工場の設立履歴など丁寧に説明があった。工場内は撮影禁止、大雄院経蔵だけが撮影を許可された。経蔵は今は工場の書庫として使われているとのことだった。
工場を出て更に県道を歩いて行くと左手に赤い金網の囲いがあり、何だろうと思って写真に撮っておいのだが、あとで脇にあった説明板の写真を見ると、この中には1500年前に修行僧により彫られた千手観音があるらしい。和子によれば、この洞窟内の奥に深い穴があり、諏訪の水穴に通じていると言われていたとのこと。
千手観音から県道の登り勾配が急になり、喘ぎながらリーダの後を追うと、左手の宮田川の中に大きな岩があって、脇に座禅岩の名板があった。500年以上前に南極壽星禅師が座禅を組んで修行したとの謂れがあり、天狗の布団石とも呼ばれているとのこと。雑草が茂っていて岩が目立たなかったのが残念。
天狗の布団石を終点にして県道を引返してJX工場近くまでくると、右手の駐車場の奥に「日立製作所創業小屋の跡」と刻まれた石碑があった。日立創業小屋は日立工場の私の旧職場近くにあったが、元はこんなところにあったのかと初めて知った。
創業小屋跡の駐車場で蜜柑を配って貰って喉を潤し、長い県道歩きをして旧共楽館に到着した。赤い「共楽館」の幟が何本も立っていて、広場では模擬店等が賑わっていた。
玄関前で共楽館ふれあい祭り実行委員会の方々の説明があった。共楽館は日立鉱山従業員の娯楽場として芝居などが行われるところだったが、今は日立市の武道館として使われている。設立後今年で100年になるのを記念してお祭りが行われているとのことで、「中では鉱山電車の歴史を示す写真展を開いており、色々な演芸が行われているので、交流センタで解散になった後でもぜひ来てください」と案内された。
交流センタに戻ると、うどんそばのお汁の良い匂いが漂っていて、全員が座れるようにセンタ前の駐車場には青いシートが張られていた。早速みんな大鍋の前に行列作り、和子はうどん、私はそばをお椀に盛って貰って頂いた。うまい! お代わりをする。
食事が一段落すると抽選会、役員が箱の中からNoを書いた札を掴みだし、受付Noの参加者に景品を渡していく。なんと私に一等賞! 箱入りの蜜柑を頂いた。
抽選会が終わって解散になり、和子が懐かしがるので車に乗って共楽館に行ってみた。共楽館の中に入ると、広い武道場には演壇が作られ、ギターが演奏されたり民謡などが歌われたり盛況だった。素人の演奏らしいが、なかなか堂に入ってもので、しばらく聞き惚れていた。
後に展示されていた鉱山電車の歴史を示す写真展示を見て歩いた。鉱山電車は鉱山から日立駅近くまで鉱石を運ぶものだったが、客車が付いていて無料で乗れたという。和子は中学生までこの電車に乗って通学したりと日常よく使っていたので、昔の情景を撮った写真の一枚一枚を懐かしそうに眺めていた。私が日立に来た時には電車走行は既に廃止になっていたが、日立銀座街の近くに鉱山電車の跡が残っていたのを思い出す。
8kmの半日の歩行に結構疲れていて、演奏会は適当に中座して我が家に帰ってきた。新しい発見もあって面白かったウオーキングに満足して、帰りの車も気持ちよく運転することができた。
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