D14.いばらきヘルスロード35
(神峰公園) 1.動 機
a)山域:神峰公園いばらきヘルスロードはどのコースもせいぜい4km程度で今の私でも無理なく歩くことができ、ウオーキングカードを貰って弾みもついて、次はどこに行こうかと日立市内コースマップを見ながら話が弾むようになった。他に予定がないこの土曜日、神峰公園に出かけて、オアシス神峰でコーヒタイム、ホリゾン神峰でラーメン昼食をとりながら、コースNo.35をゆっくりと歩いてきた。 2.データ b)登山日:2016/01/09(土)晴 c)コースタイム:森山自宅10:40 = 11:10駐車場11:15 ---- 11:30展望台11:45 ---- 11:50オアシス神峰(休憩)12:05 ---- 12:10ツツジ園12:15 ---- 12:20ホリゾン神峰(昼食)12:55 ---- 13:05大煙突記念碑 ---- 13:35神峰神社13:40 ---- 14:45大雄院通り交差点 ---- 14:00大雄院 ---- 14:05駐車場14:10 = 14:40森山
e)地形図:1/25000 「日立」 3.山行記録 11時過ぎに神峰公園の入口駐車場に入ると、今日は土曜日、ほとんど満車状態だった。車を停める場所を探して駐車場内を一回りしている間に、幸い奥の方に空きスペースが出来て駐車することができ、身支度して歩き始めると、あとから次々と入ってくる車は諦めて他の駐車場に向かっていった。 コース図では、頂上駐車場まで車道沿いの遊歩道を歩くようになっているが、我家は駐車場前の遊園地の周りを登る道を歩いて展望台に向かった。駐車場は満車なのに、遊園地から子供の声は全く聞こえてこず、乗り物にも姿はなかった。みんなどこにいっているのだろう。
頂上展望台の脇には、台座の上に天を指さすギリシャ神話の像が立っていて、英語と日本語で書いた鋳物で出来た説明碑が取付けてあった。 アメリカ合衆国アラパマ州バーミングハム市と日立市は、昭和57年4月23日に姉妹都市となりました。
この両市の友情の証として、昭和60年4月に日立市は、バーミングハム市へ石灯ろうを贈りました。そして、昭和60年10月バーミングハム市から日立市に、このバルカン像が、贈られてきました。 バルカンとは、ローマ神話の火・鍛冶の神ウルカヌスのことです。 このバルカン像と同じデザインのものがバーミングハム市にもあり、日立市と同じように鉱業から発展し、製鉄の歴史をもつバーミングハム市のシンボルとなっています。 昭和61年3月 日立市
以前はここにレストランがあって食事をとった覚えがあるが、今は無料の休憩所として開放されている。広い室内には昔通りにテーブルが並んでいて、壁際にはポットにお湯も用意されていた。売店では有料のコーヒやアイスもあるが、持参のコーヒで無料で休ませていただく。売店の人にお礼を言って出ようとすると、「使っていただいて有難う。懇親会や講習会など団体でお使いになるときは席の確保も出来るので、皆さんに大いに宣伝してください」とお願いをされ、恐れ入りました。こんな会場を遊ばせておくのは勿体ない。大いに活用しましょう!
その脇には大きな「日立市・十王町合併記念」の石碑があった。日付は平成16年11月1日となっており、旧職場の仲間が住んでいた十王町と合併したのは随分昔の事と思っていたので、11年前と意外と近年の出来事と知らされて驚いた。
以前はここから大煙突が見えていたわけだが、今は煙突が崩れてさが1/3になってしまい、山の陰に入ってその姿を見ることができない。はげ山で目立つ大煙突展望所を目印に大煙突の場所を探していると、丁度煙を出し始めてやっとその所在を確認することができた。 私が勤めていた実験所の窓からはいつでもい大煙突が見えていたのだが、23年前のある日の夕方、ふと外を見た時、大煙突が短くなっているのに気が付いてびっくりしたことが強烈な印象として残っている。
この辺まで下ってくると、神峰山の下に大煙突が見えてくる。
拝殿前には数人の参拝客があったが静寂そのもの、5円がありますようにお祈りした。
久原房之助氏は明治38年(1905)に日立鉱山を開業し、日本四大鉱山の一つに数えられるまで発展させた人物である。また、小平浪平氏は明治43年(1910)に日立鉱山の修理部門から日立製作所を創業し、世界有数の電機メーカに成長させた人物である。この二人は国内有数の鉄工業地域の基盤を作っただけでなく、環境対策や都市基盤の整備も進め、その遺産が今日の日立市発展の礎となっている。
昭和14年(1930)多賀郡日立町と助川町の合併により日立市が誕生した際、日立市の基礎を築いたこの二人の偉人を顕影するするため、当時の日立市会に計って顕影碑の建設が企画された。当時の言論界を主導した徳富蘇峰の揮毫によるこの碑は昭和17年11月3日の日立市役所新庁舎落成式の日に庁舎玄関脇に設置され、戦後この地に写されたものである。
あしたに金波幾千里 眺めは広し太平洋
夕陽万里の大空を 劃る神峰の霊峰や 帝都の道も半日の 鉄路安けき旅にして
大雄院から駐車場はすぐ、14時過ぎに到着した。歩き始めて時間は3時間近くたっていたが、ナビに記録された歩行距離はたった4.2km、超ゆっくりペース、休憩時間も長かった。
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