D53.ヘルスロード223・常陸太田
1.動 機
 前日の同年代の昼食会で猫背のとぼとぼ歩きを見て「年とったね」と驚かれ、その帰りの単独ヘルスロード歩きでも女高生にどんどん追い越されて、ここのところ腰痛を言い訳にしての不養生、運動不足を大いに反省させられたので、今日は早速ヘルスロード歩きにでかけることにした。常陸太田のヘルスロード223「野鳥の声と歴史の散歩道」が家からも近いし、歩行距離7.2kmと久し振りに1万歩歩けそうだ。実際に歩いたポケナビの歩行距離は10.8km、歩数計のカウントは15,800歩、少々疲れ気味でした。

2.データ
a)山域:常陸太田R293
b)登山日:2016/05/13(金)晴
c)コースタイム:森山自宅10:30 = 10:50桃源駐車場10:55 ---- 11:00西山荘詩碑 ---- 11:50こめ工房12:00 ---- 12:05交差点 ---- 12:15鹿島神社 ---- 12:25県道167交差点 ---- 12:40ゴルフ場橋下 ---- 12:55清掃センタ入口 ---- 13:00県道29出合 ---- 13:10那珂通辰の墓13:15 ---- 13:25助さんの墓 ---- 13:35正宗寺13:40 ---- 14:10源氏川橋 ---- 14:10桃源橋 ---- 14:20西山荘入口 ---- 14:25桃源駐車場 = 14:35レストラン15:10 = 15:30森山
(ヘルスロード223の歩経路)
d)同行者:和子
e)地形図:1/25000 「常陸太田」

3.山行記録
 我家から車で出て、西山荘入口にあるお土産屋桃源の駐車場に車を置いて11時前に出発。
 R293への出口に自然石に彫った西山荘詩碑が立っていて、碑に彫った文字は判読できないが、説明板によれば、これは茨城県令であった人見寧(やすし)という人の作で、
    西山途不遠(西山の途遠からず)
    可問義公荘(問うべし義公の荘)
    雅樸懐清徳(雅樸清徳を懐(おも)い)
    老梅花転香(老梅花転香(うたたかんば)し)
と立派な五言絶句の漢詩が書いてあるのだそうです。
(桃源前に駐車)
(西山荘詩碑)
 R293を左に向かう道は緩やかな登り道、下に桃源やその裏の庭園を見下ろしながら広い歩道を歩いていきます。
 緩やか登り道のR293を15分に歩くと峠になり、県道167への分岐があった。県道を行くと周回コースの向こう側に近道になるがここは直進する。
(R293へ左折して)
(県道167交差点を直進)
 10分ほど緩やかに下ると右手に広いゴルフ練習場があった。こんな山奥までゴルフの練習に来ていた頃が懐かしい。
(どんどん歩いて)
(広いゴルフ練習場)
 15分下ったところの交差点に「こめ工房」の大きな看板があり、これを右に行ったところだったかと思ったら、右はふれあい広場となっていて、こめ工房は「この先140m」の注意書きがしてあった。
 140m先にこめ工房入口があって、こめ工房でしばらくトイレ休憩、ジェラードを舐めて熱くなった体を冷やしてから、お土産漁り。
(こめ工房案内板)
(こめ工房入口)
 こめ工房の反対側の出口道を通ってR293に出て少し歩いた先に、右から入ってくるもう一本のR293との交差点がある。その手前の田圃道を通って反対側のR293に入って、東に方向を変えて歩いていく。この道の右手には田植えの終わったばかりの田圃が続くが、ガマなどが生え茂った休耕田も結構ある。
 交差点から10分少々歩くと、左の森の中に小さな鳥居が見えてきた。鳥居の前まで上がってみると鹿島神社の標柱がたっていて、鳥居の後には100段以上ありそうな長い石段が登っていた。お参りするのは諦めて引返した。
(R293のY字路曲って)
(鹿島神社下)
 その先で県道167の交差点を通過してしばらく歩いた先で、R293が大きく湾曲する向かいの丘の上に数多くの太陽光発電パネルが並んでいるのが見えてきた。ゴルフ場が廃業したかと思ったが、その先の左への分岐への入口には「梅里ガーデンアクアビラ」の立て看板が立っていた。NETで調べたらこの温泉は廃業しましたとあった。
 曲がり角を過ぎるとR293は両側が森の中を通るようになり、峠のところに道の上を横切る立派な陸橋が見えてきた。これは茨城ロイヤルカントリークラブのゴルフ場のコースを繋ぐ橋で、昔カートに乗って渡ったことがあるような気がする。右手上からプレーしているらしい大きな声が聞こえてきたので、ゴルフ場はまだ廃業はしていないようだった。
(太陽光発電所)
(ゴルフ場のコースを繋ぐ橋)
 その先右手には白い煙突が目立つ清掃センタがあり、その道向かいには広い駐車場がある温泉プールの建物があった。日立の神峰市民プールと同じようにゴミ焼却場の排熱を利用したものだろう。
(清掃センタ)
(温泉プール)
 温泉プールの先の路側にはアヤメの紫に花やマーガレットの白い花が群落になっていて綺麗だった。
(アヤメ)
(マーガレット)
 その先で県道29に突き当り、コース図に従って左に曲がるとすぐに源氏川があり、渡る橋の歩道は車道とは独立した橋になっていた。
(県道29出合)
(源氏川を渡って)
 橋を渡るとすぐに県道から右に別れる田舎道があり、分岐点に「正宗寺」の案内板が立っていた。源氏川沿いの田舎道を気持良く歩いていく。
 分岐点から10分足らずで分岐があり「那珂通辰の墓所」の小さな案内板があった。左に入って民家の庭先を通っていくと、その奥に柵に囲まれた「那珂通辰の墓所」あった。
(田舎道を歩いて)
(那珂通辰の墓所)
 那珂道辰とは聞いたこともない名前だったが、南北朝時代に活躍した武将らしく、説明板には詳しい謂れが書いてあった。転記するのが面倒なので写真を残しておきます。
(説明板)
 武将の墓は立派なものだったが、同じ敷地内のあちこちに散らばっている石くれが一緒に切腹した郎党たちの墓らしい。
(那珂通辰の墓)
(郎党たちの墓)
 入口の民家の前の草地には色とりどりの野の花が綺麗に咲いていていた。
(ヤグルマソウ)
(ニワゼキショウ)
 分岐に戻って正宗寺入口まで歩いていくと、大きな古木が二本立っていて「正宗寺の柏槇」という説明板が立っていて樹令640年となっていた。コースマップにはビセクシンとなっているのだが----。
 その先には三体のお地蔵さんが赤い前垂れを付けて貰っていた。
(増井のビセクシン)
(階段登って)
 その先に「佐々宗淳の墓入口」の道標が立っていて、階段を登っていくと、普通の墓地の奥に助さんこと佐々宗淳の墓が立っていた。
(階段登って)
(助さんの墓)
 助さんお墓の上にも普通の墓地が続いており、コースマップには助さんお墓と正宗寺との間に「佐竹一族の墓」があるとなっているので、一旦正宗寺入口まで引き返したが、途中にそれらしき分岐は見つからない。仕方なく正宗寺境内に入って境内図を見てみると、「佐竹一族の墓」は「助さんお墓」の奥にあると表示してある。
 再度階段を登っていくと、助さんお墓の数段奥に「佐竹一族の墓所」があって、佐竹氏一族の墓と宝篋印塔が並んでいた。説明板の写真も残しておきます。
(佐竹一族の墓)
(宝印塔)
(佐竹一族の墓)
 正宗寺入口に戻って横合いから境内に入ると、本堂の前には二匹の蛙の石像の間から石段が下りていて、その下の小さな池を渡る赤い太鼓橋が見えていた。
 石段を下って太鼓橋を渡って前に出ると「しあわせ橋」と彫った石碑が立っていた。
(正宗寺)
(しあわせ橋)
 しあわせ橋の先には木立が立ち並ぶ参道が続き、その先に瓦葺の立派な山門があった。どう見ても歩く方向が逆だった。逆方向に歩けば境内図を先に見て土佐一族の墓を探し回ることもなかっただろうと、コースマップの矢印が逆であったらと恨めしく思った。
 山門を出て源氏川を渡って県道29を通り過ぎ、増井町の集落の道を歩いていくと新宿町になり、コースマップに従って源氏川方向に左折する。
(萬秀山正宗寺の山門)
(増井町・新宿町の集落を歩いて)
 広いぶどう園を過ぎると源氏川の土手道に突き当り、右に進んで左折して橋を渡る。
(ぶどう園)
(源氏川の橋)
 コースマップでは橋を渡って車道まで進むことになっているが、源氏川の土手にサイクリングロードがあって、路面に3.03kmの表示があるので、目的のR293まで繋がっていそうなのでこの道を歩くことにした。
 静かで歩きやすいこの道を歩いていくと、期待通りに車が走るR293に出合い、右折して源氏川にかかる桃源橋を渡って西山荘方向に向かうことができた。
(サイクリングロード)
(R293の桃源橋)
 すぐのところに分岐があり「新宿・ぶどう狩り」の看板が立っていた。集落の道を直進すればここに出て来たのだろうが、どうしてわざわざ回り道したのか訳が分からない。
 桃源橋から5分で西山荘入口の交差点に着き、もう5分歩いて無事桃源の駐車場に戻りつきました。謳い文句の野鳥の声は聞かなかったが、歴史の里を感じることができたウオーキングでした。常陸太田の行きつけのレストランで遅い食事をして15時半に我家に帰った。
(R293)
(西山荘入口交差点)


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