D115.町屋変電所行燈祭りと県北アート・天球劇場 1.動 機 「県北アートフェステイバル・常陸大宮」からの帰りに、常陸太田市の旧町屋変電所に立寄って「行灯あかりの赤レンガと銀杏いちょうまつり」を楽しんできた。また、次の日に道の駅常陸大宮のアートE-14を見てから日立に引き返してきて、シビックセンタ天球劇場での動画アートA-08,09,10を眺めて県北アートの展示ポイント巡りを完了した。 2.データ b)登山日:2016/11/13(日)、14日(月) c)コースタイム: 町屋変電所行燈祭り:11/13 15:50〜17:20、天球劇場:11/14 16:50〜17:55 d)同行者:和子
3.山行記録 3.1 旧町屋変電所 前報D-114に報告した道の駅常陸太田を出てから、R349を北上して河内小入口の交差点を左折すると里川の先に行灯がいっぱい並べられているのが見えた。混雑が予想される時間帯だったので駐車場所が空いているかどうか心配しながら車を走らせ、里川を越えて少し先で左に下る道に入ると、変電所に一番近い小さな駐車場から丁度出ていく車があって無事駐車することができた。 車から出ると、下の広い休耕田一面に白い行灯が並べられていた。暗くなってこれらに灯が点けられるのが楽しみだ。 すぐ下に黄色い銀杏の木と赤い煉瓦作りの旧変電所があり、曲ったところで赤煉瓦と銀杏の木を組み合わせてシャッタを押した。
その手前に、R349から別れて入ってきた道につながる分岐があり、歩いていくと里川を渡る橋の欄干に豆電球を付けた電線が巻き付いていた。ライトアップの時間には一斉に明かりが点いて綺麗になりそうだ。
この道から見る行灯の広場も悪くない。
展望所に上がってきてから20分もすると、暗さが増してゆらゆらと灯る行灯の灯りが綺麗に見えるようになり、「優」の字もくっきりとし、変電所の明かりも目立ち、ライトアップされた銀杏の木も綺麗。素晴らしい情景になってきた。
3.2 シビックセンタ天球劇場 天球劇場は、円い天井スクリーンに映し出される星座をリアルに見ることができるプラネタリウムで知られており、以前は星座の勉強をしたいと思いながらも今まで入ったことがなかった。天球劇場はシビックセンターの9階に入口があり、そこまでの直通エレベータはロケットエレベータと名付けられていて、ロケットに乗った気分が味わえる作りになっていた。 エレベータを下りてからすぐに劇場の入口に入ると、円弧状の階段に座席が並んでいて、間隔が広く、ゆったりとした気分で鑑賞できそうだ。「お奨めの席は最上階近くの中ほどです」とのアナウンスを聞いて、杖を突きながら一番上近くまで上がって席を取った。目の前に球状の映写機があり、その向こうには舞台もあった。 時間になると照明が落とされて映写が始まったが、「カメラ撮影は禁止」の放送があったのでシャッタを押すのは遠慮した。リクライニングぐらいに寝た座席から、円い天井スクリーンに映し出される動くアートの映像を見上げて楽しんだ。自分で撮った写真がないので、県北アートHPのGUIDEに出ている写真をお借りし、見た印象の記憶も定かでなく、現代アートを理解する才覚もないのでコメントも止めておいた方が良さそうです。これで県北アートを全部見て回ったとよと公言するのは気が引けますが。
CGアーティスト、そして自己増殖の研究者である河口洋一郎がコンピューター・グラフィックスで制作した映像2作品を上映します。「アートはサイバースペースで自己組織化する」をテーマに作られたこれらの映像作品は、絵を連ねてつくられたアニメーションではなく、それぞれ自己増殖するアルゴリズムにより描き出されたものです。1つはムカデのような有機的な物体が動く様子を表し、もう一つは古代遺跡のような造形に、液体状の粒子がぶつかっていく様子を表しています。これらは、サバイバルする未来の生物のシミュレーションであると同時に、宇宙のどこかで起こっているかもしれない、自己組織化する生命エネルギーを表現しています。
榊原澄人は、心の中の風景を、画面内に点在する多数の人物たちの姿・動きで表現するアーティストです。直径22メートルの天球劇場のスクリーンは、彼の頭蓋のメ夕ファ一であり、そこに映し出される映像は作家の頭の中にある世の中のビジョンです。巨人の死体、一列になって歩いていく灰色の人々、人魂、本を読む脳に鞭をあてる人……ダークな世界観は、一方で、あらゆることが起こりうる大きな世界における、私たち一人ひとりのありようを思わせます。すべての存在がつながり、影響し合う様子は、私たちが抱きがちな直線的な人生観をとびこえ、生死の概念をも呑み込んだ社会の生態系を表しているようです。
宇宙のようにも自然現象のようにも見える、線や点で表された映像は、数学的なプログラミングによって作られたシーンにより構成されています。アーティストであり、数理モデルの研究者でもある木本圭子は、私的な表現から離れ、普遍的な事象を描き出すためにプログラムを使うのだと言っています。そして、描出された映像をつなぎ合わせる編集の段階で、ある連想や記憶が生じ、作品として結実していくのです。プラネタリウムの天球劇場で上映される今回の作品は、記憶と呼べるほどははっきりしていない、頭の中で鳴る音のようなものを表現しています。テーマは夏の夜。夏の花火が大きく咲く天空を見上げるときと同じように、私たちは様々な記憶を胸に呼び起こすことでしょう。
帰りに新都市広場から見たシビックセンタの夜景が綺麗だった。
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