E53.宮島・岩国・萩・津和野ツアー(3)

3.3 三日目
 三日の旅の最後の日は萩の窯元を見学し蒲鉾店でお土産を買って、山陰の小京都津和野に移動して殿町通りの観光
    ホテル8:00 = 8:05萩焼会館8:30 = 8:35蒲鉾店9:05 = 10:00津和野町巡り = 10:30森鴎外旧宅10:45 ---- 10:45わさび・和紙店11:15 = 11:55石見空港(昼食)12:55 = 14:25羽田空港15:40 = 17:10友部SA17:25 = 17:30水戸IC = 18:50石名坂BS = 19:00自宅
1)萩焼窯元
 先ずは萩城窯陶芸工房のろくろ見学場に入ってろくろ作業の実演を見学させてもらった。萩焼会館の店の方の工芸品を見させてもらって和子は楽しんでいたが、お土産には重すぎたようだ。
(萩焼ろくろ見学場)
(ろくろ作業見学)
 萩焼会館から出てバスに乗るときに杖を置き忘れて来たことに気が付いて引返そうとしたが、添乗員さんが私のおぼつかない歩き方を危ないとみて、走っていって取って来てくださる。お手数おかけいたしました。

2)村田蒲鉾店
 次は蒲鉾店、案内では松陰神社が三日目で、蒲鉾店は二日目だった。お土産に生物の保存を考えて蒲鉾店を最終日に変更したらしい。お蔭で酒のつまみに珍味ふくの蒲鉾を買ってもらうことができた。
(萩焼会館)
(蒲鉾店)

 3)津和野殿町通
 山口市から津和野に向かう途中に森鴎外記念館の建物が見えた。鴎外旧宅は後で案内してもらえるはずだ。
 殿町通りの手前の大橋を渡るとき、赤い鉄橋の上の山腹に、今までのバスの車窓からも見えていた太皷谷稲成神社と参道が見えていてシャッタを押した。
(森鴎外記念館)
(太皷谷稲成神社)
 駐車場でバスを降りて、真直ぐな石畳の殿町通りを歩いていった。左右になまこ壁の屋敷が続いている。
 最初に見えた屋敷門は多胡家表門だった。入口には「県指定文化財 急津和野藩家老多胡家表門」の標柱が立っていた。
(殿町通り)
(多胡家表門)
 次に大岡家表門があり、中には昔の故郷の役場の様な古い造りの津和野町役場津和野庁舎があった。
(大岡家老門)
(津和野町役場津和野庁舎)
(津和野町役場津和野庁舎:無理やりパノラマ合成)
 向かい側の歩道沿って長い堀があって、大きな真鯉、緋鯉がいっぱい泳いでいた
(堀の鯉1)
(堀の鯉2)
 殿町通りを交差点まで歩いてから同じ道を引返した。引返した交差点には、稲荷神社の懸額が掛かった石の鳥居があった。地図に他に稲荷神社が見当たらないので、山腹の高いところに見えていた太皷谷稲成神社の一の鳥居と思われるが離れ過ぎ、近くの弥栄神社の鳥居かも。
 大橋手前の角に広場があって、二羽の鷺が舞っている珍しいモニュメントが立っていて「鷺舞」の名板が付いていた。鷺舞は弥栄神社の祇園祭の時に人々が鷺の作りものかぶって踊る行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されているとのこと。
(太鼓谷稲成神社石鳥居)
(鷺舞のモニュメント)
 駐車場に戻って森鴎外記念癌の駐車場に移動し、鴎外の旧宅を見学に入った。私は鴎外が有名な小説家だったとの記憶しかなく、高瀬舟や雁などの題名を思い出すが、読んだかどうかは? 看護婦をしていた和子は、鴎外が医者で軍医になったことも知っていた。
 旧宅に付いて島根観光連盟のHPには
     西周旧居と津和野川をへだてて向かいあっている国指定の史跡。森家は代々津和野藩の藩医で、50石どりの家柄であった。鴎外(林太郎)は文久2年(1862)1月19日この家で生まれ、明治5年(1872)11歳で上京するまでここで過ごした。
     鴎外がこの旧宅に住んだのは、わずか11年であり、その後再び津和野も、この家も訪れることはなかった。しかし遺書に記された「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という言葉を見ると、彼自身にとって、この家での幼き日々の生活がいかに重要な意味をもっていたか明らかである。
     この旧居は森家の上京後人手に渡り、一時は他所に移築されていたが、昭和29年(1954)鴎外33回忌にあたり、津和野町がこれを買い戻し、現在地に復元した。
     この旧居も建築以来130年、老朽化が著しいため、昭和59年(1984)秋に解体、全面的に修理された。昭和44年(1969)に国の史跡に指定されている。
 広間の欄間には父静男、母ミネ、鴎外自身(林太郎)の三枚の肖像画が掲げられていた。
(森鴎外旧宅)
(部屋)
幼少の鴎外が勉強していた狭い部屋も紹介された。
庭には「鴎外先生詩碑」と刻された大きな石があり、次の詩を鋳込んだ銅板が嵌め込まれていた。
    南山の  たたかいの日に
    袖口の  こがねのぼたん
    ひとつおとしつ
    その扣鈕(ぼたん)惜し
    べるりんの  都大路の
    ぱっさあじゅ 電灯あおき
    店にて買いぬ
    はたとせまえに
    えぽれっと  かがやきし友
    こがね髪   ゆらぎし少女(おとめ)
    はや老いにけん
         死にもやしけん
    はたとせの  身のうきしずみ
    よろこびも  かなしびも知る
    袖のぼたんよ
    かたはとなりぬ
    ますらおの  玉と砕けし
    ももちたり  それも惜しけど
    こも惜し扣鈕
    身に添ふ扣鈕

「うた日記」より抜粋
(かまど)
(鴎外詩碑)

 案内が終わって、近くにあったガイドさんの務める島根わさび製造直売工場に案内された。珍しいわさび煎餅を試食してお土産に買いこんだ。
(わさび製造直売店)
(見送り)
 わさび直販店の前に石州和紙会館があり、中に入ると、小ぶりな和紙の製造機具が幾つかあり、和紙で出来た綺麗な扇子や人形などが店内いっぱいに展示されていた。
(和紙会館)
(陳列品)
 お土産も仕入れてバスに乗って空港に向かう。途中津和野の駅前を通過、駅の脇には蒸気機関車D51が展示されていた。
 昭和40年代国鉄の蒸気機関車が廃止されたが、SL復活へに機運が高まり、昭和54年8月1日、全国に先駆けて山口線にSLが復活された。山口にはあちこちにSLが展示されているとのこと。 現在、「貴婦人」の愛称で親しまれるSL列車が「新山口」を出発し、「湯田温泉」、大内文化の香り漂う「山口」、四季折々の情緒を楽 しめる「長門峡」、そして「津和野」までの62.9kmを約2時間かけて走っているそうです。
(津和野駅前通過)
(D51)
 周りの景色を楽しみながら石見空港に近付くと、ガイドさんのお別れの挨拶があった。三日間しゃべりっぱなしで、バスの中がいつも明るい感じでいい旅になりました。有難さんでした。
 石見空港に到着して、添乗員さんから渡された牛すき弁当をいただいてから、ゆっくりと周りの景色を楽しみました。
(ガイドさん有難うでした)
(石見空港着)
 小さな石見空港を離陸して1時間半で羽田に到着。羽田空港は大きかったですねえ。
(石見空港発)
(羽田空港到着)
 空港で一応解散、北茨城方面の参加者とバスに乗って帰途につく。石名坂で添乗員さんも我家と一緒にここで下車、しっかりお礼を言って別れた。。


inserted by FC2 system