F32.銚子電鉄・犬吠埼・屏風ヶ浦 1.動 機
a)山域:房総半島スーパの抽選で「話題のローカル電車・銚子電鉄乗車体験」のバス旅行優待券が当たった。観光地点にヤマサ醤油工場見学、犬吠埼、屏風ヶ浦を楽しみに参加申込みしたが、当日の房総の天気予報は生憎の雨! 景色は十分に楽しめなかったが、小雨で済んだのを幸いと言うべきか。 2.データ b)登山日:2018/03/08(木) c)コースタイム:森山6:55 = 7:05スーパ駐車場7:20 = 7:37日立南IC = 7:50田野PA8:08 = 8:27鉾田IC = 10:05ヤマサ醤油11:20 = 11:28銚子駅11:40 = 11:57犬吠駅12:05 = 12:16犬吠崎(昼食)13:11 = 13:17屏風ヶ浦13:37 = 13:55ウオッセ21/14:30 = 15:35道の駅潮来16:00 = 16:49鉾田IC = 17:25東海PA17:35 = 17:37日立南IC = 17:55スーパ駐車場18:00 = 18:10森山
3.山行記録 我家を早めの出発してスーパの駐車場に車を停め、しばらくして入って来た大型バスに乗り込むと、出発地の高萩のスーパから出発した乗客で座席は半分埋まっていた。大甕からの参加者が乗り込むと満車、総勢50名の賑やかな旅になった。 常磐道から北関東道、東関東道と走って鉾田ICに近付くと、農地にはビニルハウスで覆われている。メロンなど名産農産物が育てられているらしい。
利根川を渡ると千葉県になり銚子市に入った。早速最初の観光地点ヤマサ醤油工場に入って工場見学になった。バスが工場に入ると敷地は想像以上に広く東京ドームの4倍ぐらいあるとのことで、いタンクや煙突が林立していた。
続いて工場内の見学、幸い雨は弱く風も無くて濡れることなく案内者について歩くことができた。私の生家が醤油工場をやっていたので醤油の作られる工程や麹、醪などの用語は知っていたが、工場内にはそれらを分かりやすく説明する標本などが展示されていた。
意外と大きな駅舎を通って駅前に出るとプラットフォームの長い塀が見ることができ、外側から見ても可愛い塀になっていた。
灯台に登る代わりに灯台周り遊歩道を一回りした。手前の犬吠埼の岩礁の向こうに太平洋の荒波が押し寄せる君ヶ浜の長い砂浜が広がっていた。
その途中、海寄りの広場に石碑があって、写真だけ撮ってバスに急いだ。後から写真を見直してみると、「犬吠埼ロカ岬友好記念碑」で次の詩が彫られていた。 海終わり 陸始まる
犬吠埼 風と光と土と水 引き継ぐものは美しい 海側を歩いている時、この碑の裏側を撮った写真には「日本ポルトガル友好450周年・昭和3年8月」の文字があり、詳しい説明が書いてある様だが、残念ながら剥げかかっていて判読不明。NETを調べると白象さんの気まぐれコラムに次の記述が見つかった。 ユーラシア大陸の東・銚子市と、はるか西方ポルトガル共和国シントラ市は ほぼ同緯度に位置し、それぞれに、海終わり陸始まる犬吠埼・陸終わり海始まるロカ岬の記念碑がある。(以下省略)
バスに戻ったのは発車予定時間の10分前だったが、皆さん随分前から戻っておられたようで、皆さんの射るような視線を感じながら座席に戻り、和子にもお小言を賜った。
銚子の温暖な気象条件と土壌によって育まれたキャベツは、「灯台キャベツ」の名で親しまれています。 特に、冬暖かいという土地の条件を生かしたやわらかい春キャベツは、全国一の生産量を誇っています。
とのことなので、銚子電鉄の車窓からも見えたのだろうが写真は残っていない。
屏風ヶ浦の断崖絶壁は、「海食(波による浸食)」により形成され、縞模様の地層がむき出しになっています。13万年以上前に海底で堆積した層(砂岩質の岩の部分)の上に関東ローム層の赤土(火山灰が積もって鉄分が赤く酸化したもの)が堆積した様子が見てとれます。崩落した岩を見ると、貝殻などの化石や、かってそこで生息していた生物の痕跡が残っています。このように広範囲にわたって地層の様子を観察できる場所は少ないため、非常に貴重な存在になっています。
車止めを通過して遊歩道を海に向かうと、右手にまた屏風ヶ浦の案内板が立っていた。 屏風ケ浦は、千葉県銚子市犬岩から旭市飯岡刑部岬までの10kmにわたってつづく、下総台地が海の波によって削られた崖です。切り立ったさ約20~60mの崖は、比較的柔らかい地層からできており、かっては年間50~100cmも削られていました。常に削られていたおかげで、崖面に植物があまり生えず、ちそうの縞模様がよく見える美しい崖が形成されました。
その雄大な風景は古くから多くの人に愛され、利根川の水運を利用した江戸庶民の遊覧旅行「銚子磯めぐり」の終点になっていました。また、江戸後期以降、その特徴的な景観は多くの出版物に取り上げられるようになり、歌川広重の「六十余州名所図会」にも描かれました。 このような屏風ヶ浦は、地質学上、また景観上の価値が高く、重要であることから国の名勝・天然記念物にしていされています。
一部崖が深く浸食されているところがあり、説明板には 屏風ヶ浦は海の波によって削られた崖です。
かっては年間50~100cmも波浪の影響で削られていました。このため、1960年代に消波ブロックが設置され、そのおかげで崖の削られるスピードが一桁小さくなったと言われています。
屏風ヶ浦には見覚えがあり、古いアルバムを引っ張り出してみると、2002年2月に2泊3日の房総ドライブをしていて、1日目に君ヶ浜から九十九里ヶ浜へと走っていて、その途上の屏風ヶ浦でツーショットの写真を撮っていた。場所は今回よりももっと九十九里ヶ浜に近いところのように見える。
ウオッセ21を出て銚子大橋を渡り返して茨城県側神栖市に戻った。橋車窓から見えていた大橋の橋桁を撮った積りだったが、うまく撮れていなかった。
北浦を鹿島市へ渡る新宮橋を走ると、橋脚の多い橋が並行している渡っていた。地図を見るとJR鹿島線の鉄橋だった。
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