G312.東京見物バス旅行2回目(2)
(浜離宮恩賜庭園)

1.動 機 
 二つ目の観光地の浜離宮恩賜公園は、当初予定の葛西臨海公園から直前に変更になったもの、理由はお目当ての葛西臨海公園のナノハナがまだ十分に開花していないからとのことだった。我が家の歩いたのは広い恩賜庭園の半分に足りなかったが、期待通りに満開のナノハナ畑の他に、見事な古木や綺麗な花木が多くていいお花見ができました。
 
2.データ
a)山域:東京都心
b)登山日:2019/03/15(金)
c)日程: 自宅7:30 = 7:40スーパP7:50 = 8:05日立南IC = 9:00守谷SA9:15 = 10:30新宿IC = 10:35十二社熊野神社11:00 = 11:30レインボーブリッジ = 11:45ゲートブリッジ = 11:55お台場ヴィーナスフォート(昼食)13:40 = 14:00浜離宮恩賜庭園14:50 = 15:40柴又帝釈天16:30 = 16:40呉服橋IC = 17:35友部SA17:45 = 18:10日立南IC = 18:20スーパ18:40 =18:50自宅
(東京バス旅行2回目観光地)

3.山行記録
 ポルトフィーノ前を出発したバスはユリカモメ路線から夢の大橋や有明コロシアムを眺め、
(夢の大橋)
(有明コロシアム)
新豊洲市場や、レインボーブリッジ、勝鬨橋を眺めながらそのまま北に進んで恩賜庭園脇を走って、大手門橋を渡って門前の駐車場に入った。
(新豊洲市場)
(大手門橋)
3.2 浜離宮恩賜庭園
(浜離宮恩賜庭園案内図)

 駐車場でバスを降りて大手門を通って園内に入ると右手にサービスセンタがあり、一人づつ入場券を受け取って園内に入った。
(浜離宮恩賜庭園大手門)
(入口サービスセンタ)
 すぐのところにある梅の古木が、黒いごつごつした幹に白い花を満開に咲かせて見事、その脇のユキヤナギも綺麗だった。
(梅の古木)
 門の正面にクスノキの大木が聳え、近くのビル群との調和が美しい。
(クスノキの大木)
 そのまま真っすぐ歩いて濠を小さな橋で渡って内堀広場に入ったのだが、ナノハナの情報につられて急いでしまい予習不足もあって、橋の入口にある「三百年の松」を見落としてしまった。
 内堀広場の遊歩道にあったマンホールの蓋にも見事な松の木が彫られていた。
(十二社(じゅうにそう)の碑)
(第九區碑)
 お目当てのナノハナ畑は期待通り満開、畑一面が真っ黄色になっていて見事。
(満開のナノハナ畑)
 ナノハナ畑の中を気持ちよく歩いて、直角に曲がった一角にある大きなアロエみたいな多肉植物の緑が目を惹いた。4月2日のテレビで見ていたら、偶然、浜離宮の広いナノハナ畑の紹介をしていて、この植物はリュウゼツランという名前で、数十年に一度だけ見事な花を咲かせるとの話だった。
 そのまま歩いたところにある橋を渡って内堀広場から出た。
(リュウゼツラン)
(内堀広場を出る)
 橋を渡ったところの内堀沿いに綺麗に咲いているジンチョウゲの先に休憩舎があり、その前の売店でお土産を買う人が大勢たむろしていた。
(ジンチョウゲ)
(休憩舎と売店)
 休憩舎の先にも幹がごつごつの梅の古木があり、この木には真紅の紅梅を咲かせていた。
(老木のコウバイ)
 一角には白い小さな花を鈴なりに咲かせたアセビの木もあった。
(アセビの花)
 高木が立ち並ぶ一角で、大きな白い花を咲かせているハクモクレンの木が目立っていた。
(ハクモクレンの高木)
(ハクモクレン:アップ)
 和子は少しお腹の具合がおかしいと言ってベンチに座り込んだので、私は勝手に一人で少し先まで足を運ぶと、綺麗に手入れされた松や躑躅の木々越しに美しい潮入の池が見えてきた。潮入の池は
    江戸時代から続く庭園では、都内唯一の海水の池。東京湾の水位の上下に従って水門を開閉して池の水位を上下させ、周囲の趣に変化を生ずるように作られている池です。池にはボラをはじめ、セイゴ、ハゼ、ウナギなどの海水魚が棲んでいます。池の周囲に配置された岩や石にはベンケイガニなどがすみ、フジツボなどがついています。また、冬になると、キンクロハジロなどの渡り鳥もやってきます。
(潮入の池)
(潮入の池)
 手前の松の木がないところで潮入の池を眺めると、池の中央に「中島のお茶屋」があり、この中島へ渡る木製の「お手伝い橋」と合わせて、バックの近代的なビル群といい風景を作っていた。
    潮入の池の岸と中島を結ぶ、お伝い橋。中島には「中島の御茶屋」があり、水の面に映える橋と御茶屋の姿は、風趣に富んでいます。かつては、眺めもよく、海のかなたに房総を望め、夕涼みや月見に使われたようです。現在の御茶屋は、昭和58年に再建され、抹茶を楽しむことができます。
(潮入の池と中島のお茶屋、お手伝い橋)
 お手伝い橋入口を過ぎたところに真新しい「鷹のお茶屋」が建っていた。
       11代将軍家斉の時代に建てられた御茶屋で、歴代将軍が調度(生花・座敷飾)の観賞や菓子・すしなどの食事、和歌を詠むと言った接客の場として利用されていた。外壁は漆喰壁、内壁は色壁(大阪土)、屋根はサワラ材こけら葺きの数寄屋風書院造。「燕」の名称の由来は、燕形の釘隠金物が使われていたことや燕子花(かきつばた)が由来とも言われている。第二次世界大戦の空襲により焼失し、平成27年、東京都により復元。
(鷹のお茶屋)
 潮入の池から引き返し始めると、心配して出てきた和子と出会い、もう集合時間に近いのでバスの待つ大手門に向かうことにした。道沿いには、ヤブツバキやカンヒザクラの木々がビル群をバックに綺麗な花を咲かせていた。
(ヤブツバキ)
(カンヒザクラ)

(ヤブツバキ:アップ)
(カンヒザクラ:アップ)
 ウメの古木も見られたが、花の盛りは過ぎてすでに枝先が剪定されていた。
(ウメの古木)
 黄色い花をつけた高木があり、近くまで行ってみるとサンシュユの花だった。
(サンシュユ)
(サンシュユ:アップ)
 案内図に「延遼館跡」とある辺りに来ると、園内全体に柵に囲まれ見事に手入れされた格好いい松の木をいっぱい見ることができた。延遼館についてのウィキペディアの記述
    延遼館(えんりょうかん)は、日本で初めての西洋風石造建築物。幕末に幕府の海軍所施設として建造された建物が基礎となっている。明治2年に浜離宮内の迎賓館として整備され多くの国賓を迎えた。内部の障壁画は、狩野雅信、狩野永悳、狩野董川らの筆になる。
    1892年(明治25年)、老朽化のため解体。
    2020年の東京オリンピックに合わせ、延遼館を浜離宮内に復元することが決定したが、舛添都知事の辞任により現在では、未定となっている。
(延遼館跡の松)
 延遼館跡の端には松の木に交じって、赤い花をつけたボケの木があった。
(ボケの花)
 ボケの花を見るとすぐにサービスセンタ、柵に囲まれた出入口を通って大手門に戻った。
(ボケの花:アップ)
(大手門出入口に戻る)



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