G43.西山公園・阿弥陀寺の桜見物

1.動 機 
 水戸に住む親孝行の娘が休日を割いて日立までやってきて、雑談やスマホの指導などの後、夫婦で昨日に行って綺麗だった西山公園に桜見物に娘の車で出かけることになった。昼食を桃源でとった後黄門さんの業績を勉強し、西山公園で昨日よりも一尾根多く歩いて染井吉野をたっぷり楽しみ、阿弥陀寺に立ち寄って大木に咲いた枝垂桜も楽しんできた。

2.データ
a)山域:
b)登山日:2019/04/06(土)
c)日程: 自宅12:00 = 12:25桃源13:00 = 13:05西山公園13:55 = 14:20阿弥陀寺14:35 = 15:10自宅

3.山行記録
3.1 桃源
 我が家を出て常陸太田に向かうと、途中、右上に日研坂の桜並木が見頃になっているのが見え、「次はここにも来なくっちゃーね」と話し合った。
 桃源の食堂で綺麗に手入れされた前庭を眺めながら蕎麦を頂いてから、
(日研坂の桜を見ながら)
(桃源の庭)
 展示室を覗いてみると黄門さんの資料が色々と展示されていた。別名徳川光圀とか梅里先生の碑文を勉強し、
(黄門さまの直筆書と解説書)
(県道沿いの桜並木:南方向)
 端龍山全体が水戸徳川家代々の墓所になっていて、これを決めたのも黄門さんだとのこと。
 瑞龍山は茨城県常陸太田市瑞龍町に位置する水戸徳川家の墓域です。寛文元年(1661)、初代水戸藩主徳川頼房(徳川家康11男)が水戸城内で死去すると遺言により、2代藩主徳川光圀が瑞龍山を歴代水戸藩主の墓域と定めました。
(梅里先生の碑文)
(常陸瑞龍山 水戸徳川家御歴代御墳瑩図)
 桃源横の枝垂桜と桃の花を眺めてから桃源を出て、車は西山公園に向かった。
(桃源横の枝垂桜)
(桃源前の桃の花)
3.1 西山公園
 車で山頂駐車場まで上がって、今日はここから歩き始めた。「ライトアップのお知らせ 4/1〜4/7午後6時〜9時」の立て札の立つ車止めを通って遊歩道に出ていった。
 久昌寺の道標がある分岐まで出ると視界が広がり、道の下には桜の花々が綺麗だった。
(西山公園山頂駐車場出口にライトアップ通知)
(義公廟分岐から右の尾根へ)
 下の段で弁当等を開いていたか、何か集会を開いていた運動チームの集団が、終わりの合図とともに斜面を駆け上がって先へ走っていった。
(運動部集会)
 黄門さんゆかりの義公廟の脇に出て、廟の前の広場から義公廟を正面から撮った。
    昭和16(1941)年、久昌寺裏の高台に徳川光圀公(義公)の遺徳を忍んで建立されたものです。 廟の中には、光圀公が生母の菩提を弔うために、法華教1部10巻8万3900字あまりを書き写した桧板30枚を納める宝塔、光圀公が集めた明版一切経が収蔵されています。
 義公廟からは久昌寺への下り石段があったが、ここはもちろん左の尾根の遊歩道へ。
(義公廟)
(久昌寺方向への下り)
 この尾根は昨日に二つ目の尾根の隣、この尾根にも桜の木が満艦飾。緩やかな下りを楽しい気分で二人の後ろについていった。
(桜の尾根を進む)
 尾根を進むと階段道があって高台に上がった。
(高台へ)
 高台からは桜の咲く谷間の向こうに、昨日2番目に歩いた桜咲く尾根筋が見えていた。
(中の尾根方向)
 尾根の反対側には斜面に突き出した展望台があり、眼下の常陸太田の町並みの向こうに日立方向の山並みが広がっていた。
 展望台の先で駐車場への遊歩道を引き返す。上の写真にも見えているように、谷に下って中の尾根に登り返す近道も見えていたが、私の足を慮っての思いやり。
(展望台)
(義公廟へ)
 前後するが下は展望台からの展望写真です。左の神峰山、高鈴山から、右の風神山までの日立アルプスの山々、さらに太平洋の海原まで写っている。
(展望台からの男体山方向)
(展望台からの風神山)
 また桜見物しながら義公廟脇を通るなだらかな道を駐車場まで引き返した。
(義公廟に戻って)
(駐車場)
 駐車場から、しだれ桜の後ろの中の尾根の桜見物へ。
(駐車場脇の枝垂桜)
 シャッタを押しながら歩くと、ますます二人から遅れてくるが、嫌な顔しないで待っていてくれる。おかげでぶれない写真を撮ることができた。
 今日は休日、花見客も多く藤棚の脇には多くの人がシートの上で桜見物を楽しんでいた。
(中の尾根へ)
(藤棚脇に大勢)
 藤棚の脇で車道向こうの桜を撮った写真に、ライトアップのライトが入っていた。
(車道向こうの左の尾根)
 10周年記念植樹の碑の前でも花見会があったようで、ブルーシートの上に後片付けの包みが置かれていた。
 そのすぐ先の昨日と同じ階段道を下っていった。
(植樹記念碑前)
(下の駐車場に下って)
 南を向いて逆光で撮ると、せっかくの満開の花が少し寂しい。
 同じ桜の木の花を、少し立ち位置を変えて陽の光が少し当たる方向から撮ると、花が明るく綺麗に写った。
(逆光)
(北方向)
 下の駐車場から左右の桜の花を眺めながら遊歩道を登っていくと 右の三階建ての展望台の前に満開状態の桜の花が見事だった。昨日はこの展望台は無視して通過したが、今日は先行のお二人がそちらにどんどん登っていく。
(西山公園展望台)
 二人について展望台の階段を最上階まで登ると、西山公園全体の桜の花の海を展望することができた。眼下の桜の花の下にシートを広げて花見を楽しんでいる人たちの姿も見えた。
(桜の花の下で花見の人達)
 カメラを全角に戻すと、桜花の海原の向こうに、高鈴山などの日立アルプスから、男体山など奥久慈辺りまでの山並みが見えており、手前にライトアップの電球も写っている。
(その左手方向・広角)
 カメラを左に向けても撮ったが、残念ながら義公廟が入っていない。もう一枚右側を撮れば良かったなと思っても後の祭り。
(左手方向・広角)
 展望台のある高台の遊歩道を歩いていくと、桜の他に躑躅や馬酔木などの花も見られた。
 高台の遊歩道から左下に駐車場が見えたところで左の分岐道に入って下った。
(躑躅の花も)
(坂を下って)
 車道に下りる手前に、昨日歩いた桜並木沿いの遊歩道が見えていた。
 桜の花の下の駐車場に戻って、車に乗って次の阿弥陀寺に向かった。
(昨日歩いた道)
(山頂駐車場)
3.3阿弥陀寺
 阿弥陀寺の駐車場から出ると大きく高い枝垂桜の木が見えていた。鐘楼脇から境内に入って桜の周りを歩き回って向きを変えながらシャッタを押した。
(枝垂桜@)
(枝垂桜A)
 枝垂れた枝先の桜の先に本堂を入れてみた。
 境内には阿弥陀寺の由来書も立っていた。
      大山禅坊阿弥陀寺
    阿弥陀寺は浄土真宗二十四輩本蹟十四番のお寺である。
    親鸞聖人は建保四年(1214年)那珂西郡の大山の地に念仏の道場を開かれ、同年11月8日に、三尊六高祖の尊厳を安置、師法然上人の追悼法要を勤められた。その時の三尊六高祖の真筆が現存している。
    親鸞聖人は大山には約10年滞在され念仏弘通に精進せられました。その間に二十四輩以下450余人の弟子が生まれている。やがて聖人は大山の道場を二十四輩十四番の弟子定信坊に付属され京都に帰られた。
    定信坊往生の姿、親鸞聖人の玄孫善明上人が大山の三代目相承者となり、爾来血脈相承により現在二十七代まで法灯を伝承している。
(阿弥陀寺)
(阿弥陀寺の説明版)
 本堂右わきに親鸞聖人の立像があり、
 庭の左には枝垂桜の由来を彫った石板が立っており、徳川光圀公が1698年にこの阿弥陀寺に来た時に植樹されたとのこと。こんなところにも黄門さんの名前が現れる。
(親鸞聖人の像)
(しだれ桜の由来)
 枝垂桜の写真3枚を追加します。
(阿弥陀寺右から)
(阿弥陀寺右前から)
(阿弥陀寺左から)
 桜の季節が終わったころのアップ、遅くなって恥ずかしい限りです。


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