G83.(夫婦二人の山歩き)の夫の歴史(5)

今回は、G54.夫婦二人の山歩きについて(2)に掲載している文書(「夫婦二人の山歩き」の歴史)のうち、二人の結婚式直後の新婚旅行と、子供が生まれるまでの新婚生活の様子をアルバムから見つけ出した写真を並べて紹介します。今はない熱々の写真が懐かしくて、ついつい多くなってしまいました。
結婚後
不器用な二人も奥穂高登山をきっかけに翌1968年4月にゴールインし、新婚旅行は大山、三原山の登山旅行だった。その後ハネムーンベビーの誕生で山登りはお休み、出掛けるのはもっぱらドライブになった。子供が大きくなるにしたがって行動範囲はどんどん広くなり、房総、信州、四国や北海道まで足を伸ばした。山登りは近くの山ばかりで、百名山3座目の乗鞍岳はドライブ途中の寄り道だった。時々近くの山に出かけたが、時には家族連れで行くこともあった。

新婚旅行1日目
 1968年4月21日の結婚式、披露宴が終わると、そのまま参加者に見送られて式服のまま日立駅を出発、荷物も持たずに4泊5日の新婚旅行に出かけた。

(日立駅までお見送り)
(東京ステーションホテルで一泊)
 一日目の宿は色気のない東京駅のステーションホテル、東京駅まで別送していた荷物を持ち込んで着替えた。

2日目大山登山
 出発時は身軽なハイキング姿にリュックを背負っていた。
 東京駅から山手線で新宿駅に回って(東京に不慣れな山手線に乗るのも大仕事だった)、伊勢原まで小田急に乗り、バスに乗って大山まで移動、小さな滝を見ながら鈴川沿いを歩き、長い参道階段を登ってからやっと登山電車に乗り、終点にあった大山阿夫利神社にお参りした。
(東京ステーションホテルで一泊)
(大山阿夫利神社)
 阿夫利神社からは標高差700mの山道登り、登山靴になってはいるが、結婚式の緊張がまだ残っていてなかなか辛い。休み休み登った。
(急坂を登る)
(疲れたわ)
 山頂まで登ると主要ルート所要時間の説明版があり、その前で記念写真。まだぎこちなかったか、まだ抱き合ってのアツアツ写真は残っていない。
(大山山頂)
 大山山頂からは丹沢連山が目の前に広がり、いつか登ろうねと話し合ったことだろう。
(大山山頂から丹沢山群)
 登り切って初仕事終え、水を飲んだり食事を食べたり一休みしてヤビツ峠までの下山にかかる。山頂の阿夫利神社上社にいたワンちゃんがくっついてきた。犬嫌いの和子の性格が分からなかったようだ。
(のど乾いた)
(下りはこのワンちゃんも一緒)
(大山登山)
 ヤビツ峠からバス(?)で大秦野駅まで出て、鶴巻温泉駅近くの安宿で2泊目。

3日目伊東水族館
 三日目は小田原、熱海を経由して伊東温泉まで電車移動して、伊東水族館のをイルカの芸当を楽しんでいる。小田原、熱海でも遊んだのだろうが写真は残っていない。
(伊東水族館)
 品数の多い老舗旅館の美味しい教理をお腹いっぱい頂戴して大満足、
(温泉旅館の豪華料理)

4日目三原山登山
 4日目は伊東の港から大島の元町港にフェリーで向かった。大島に向かったのは三原山に登るため、昭和25年(1950)の噴火以来小規模な噴火が続いていたが入山規制はされていなかった。楽天家の私の性分、怖いもの見たさで行先に決めた。
(フェリーで大島へ)
(船酔い?)
 船からは大島全景が綺麗に見えていて胸躍る。噴火の様子はない。
(大島全景)

 元町で船を降りて、バスに乗って三原山に向かう。
(大島町元町)
(入山料)
 山頂口バス停で降りると、眼下に元町、海の向こうに伊豆の山々写っている。雲が多くて富士山は見えなかったようだ。
 登山口展望台から三原山を入れて二人並んで撮った写真がある。ぎこちなさはなくなったようだ。入山料を払って登山道に入った。
(元町展望)
(山頂口展望台展望台)
 ゴテゴテとした溶岩が出っ張っているところで撮った写真がある。噴火口近くだったのか、溶岩塊の大きな割れ目を覗き込んでいる写真も残っている。
(火口展望台?)
(噴火口?)
 裏砂漠なのか広い砂漠のようなところで、仲良く肩を組んで撮っている写真がある。4日目ともなると随分仲良くなったものだ。
(裏砂漠?)
(裏砂漠展望台にて?)
 三原山と大島公園との別れの道標が写っている。
(大島公園分岐)
(大島公園)
 18年後(昭和61年1986)に大噴火があったので、山容が随分変わっているだろうから、今の案内図はあまり参考にできず、撮影場所名は適当です。
(三原山登山1968/4/24)
 三原山から大島公園に下って大島公園を散策後、大島ゴルフコース近くのホテル小湧園に泊まった。

5日目日立へ
 最終日は大島空港から羽田空港に飛んで、東京見物。
(小湧園1968/4/24)
(飛行機で羽田へ1968/4/25)
 芝公園の東京タワーに登って東京の展望を楽しみ、上野公園の国立博物館に入ってレンブラント名作展を鑑賞して、14時29分発の特急で日立に帰ってきた。楽しい新婚旅行でした。
(東京タワー)
(上野公園)

新婚生活
 帰った新居は社宅の成沢アパートの2階、独身寮の上にあった。結婚式前に家具等新居の準備は二人で揃えていた。
 アパートに着くとあちこちに無事帰着の連絡、和子は早速キッチンで夕食の準備。
(成沢アパート)
(早速キッチン1968/4/25)
 初めての手料理を二人で仲良く食べて乾杯(したかどうかは?)、新婚生活が始まりました。
(初めての手料理1968/4/25)
(ほやほやの新居)
 独身寮の時から飼っていた熱帯魚を引き続き飼い続けた。
(熱帯魚)
 日立市と高萩市の境界にあった茨城宇宙通信所の見学にも出かけていた。
(茨城宇宙通信所1968/11/3)
 この年の正月には広島への里帰りなく、日立の神峰神社に初詣している。
(松飾り)
(神峰神社初詣)
 和子が身重になったこともあって、年明けには思い切って自家用車を購入した。2月に諏訪梅林に出かけた時の写真を見ると、和子が身重になっていることがよくわかる。
 諏訪梅林は水戸藩侯徳川斉昭(烈公)ゆかりの梅園で、水戸の偕楽園と共に梅の名所。
(ホンダ)
(諏訪梅林の由来)
 会社の課会も盛んになり、夏は毎年海に出かけるようになった。44年には東海村の村松海岸で海水浴と食事会、村松虚空蔵尊にお参りしている。
(44年夏村松海岸)
(44年夏村松虚空蔵尊)
 45年夏には日立の河原子海岸。
(45年夏河原子海岸)
 45年秋には涸沼でハゼ釣り、チョンガー組で奥久慈男体山登山にも出かけている。
(45年秋涸沼)
(45年秋男体山)
 新婚旅行は簡単にと思っていましたが、中のいい姿の写真が嬉しくて、ついつい長くなってしまいました。次が家族の話。


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