G54.夫婦二人の山歩きについて(2)

 「夫婦二人での日本百名山」を主題に何か書き始めようと準備し始め、手始めに前報の百名山一覧表を作ったのだが、この表の山名をクリックするだけでその山の山行記が出てくるのだから、本を出版するのでなければ、夫々の山の簡単な山行記を書いても面白くもなく意味もなさそうだ。それよりも、このHPにまだ書いていない昔の小さな山歩きの事を思い出しながら、少しづつ纏めていった方がやり甲斐がありそうに思えてきた。足がかりがないかなとPCの中を探していたら、2013年の日研同期会の話題として書いた(「夫婦二人の山歩き」の歴史)と題する格好の書類が出てきた。とりあえず写真なしで読んでいただいて、そのうち徐々に写真を見つけ出して、一項づつ分かりやすい面白い記録にしていこうと思います。



          「夫婦二人の山歩き」の歴史

    一俊の生立ち
       1939年に広島県三原市から20km奥の山村久井に生まれ、高校を卒業までそこで育った。中学時代は野球少年、高校は駅伝の伝統校の世羅高(私は長距離は苦手)に通ったが、山登りは敬遠していた。久井村には瀬戸内海まで見渡せる宇根山(699m)、高校のすぐ近くには新山があって、仲間の中には良く登っている者もいたが私は一度も登ったことがなかった。
       大阪府立大学時代は寮生活で囲碁を覚え、卓球に興じていたが、親友がハイキング好きで山登りの面白さを教わった。誘われて近くの金剛山や葛城山に何度も通い、時には六甲山や生駒山、大峰山まで足を伸ばした。2年目の夏休みには九州一周して、唐津の鏡山、雲仙普賢岳、阿蘇山、霧島山、開聞岳と歩き回り、連休には白山、蒜山などにも出かけたことがある。
       日立に入社してからは、もっぱらテニスに熱中、大矢さんとペアで頑張っていて、県大会にも出場していた。大学の寮時代に培った卓球では、部の団体選手として日研で優勝して全社大会にも出場したことがある。 入社二年目の冬からはスキーを教わってはまり込み、日曜日ごとに仲間と猪苗代に通った。5月の連休や夏休みなどには春スキーにも出かけ、月山、八甲田、万座、志賀高原、八幡平、蔵王などに遠出していた。 こんな中で登山の記憶はおぼろげだが、アルバムを引っ張り出してみると、寮仲間と安達太良山、裏磐梯、尾瀬ヶ原、吾妻山、大菩薩峠などに出かけており、山小屋3泊の飯豊連峰縦走もしていた。
    結婚前
       寮時代、色気のない毎日を送っている私のことを見かねた石塚君が、付き合っていた高看生の初子さんと作戦を練り、同じ高看生で日立から袋田までの競歩大会で優勝したこともある頑張り屋の和子を私に引き合わせることを考え、会社の夏休みに合わせて、私と和子とを燧ヶ岳−尾瀬ヶ原ハイキングに連れていく計画を立てた。誘いを受けて嫌はなく、お邪魔虫の気兼ねは外に置いて喜んで同行させて貰うことにした。これが二人の馴れ初めで、二人揃っての百名山初登山でもある。
       燧ヶ岳−尾瀬ヶ原ハイキングのあと、石塚君初子さんのお二人は目出度くゴールインしたが、不器用な私と和子の方は一向に進展しない。石塚ご夫妻は業を煮やして、今度は奥穂高登山を計画してくれた。前と同じく計画は一切石塚君任せ、こちらはまたついて歩くだけと思っていたら、直前になって「急に仕事が入って俺たちは行けなくなった。宿の予約など全部できているから二人で行ってこい」とこともなげ。やむなく(?)二人で出かけることになった。厳しい山道だったが、よっぽど嬉しかったらしく、ツーショット写真がいっぱい残っている。これが百名山2座目だった。
    結婚後
       不器用な二人も奥穂高登山をきっかけに翌1968年4月にゴールインし、新婚旅行は大山、三原山の登山旅行だった。その後ハネムーンベビーの誕生で山登りはお休み、出掛けるのはもっぱらドライブになった。子供が大きくなるにしたがって行動範囲はどんどん広くなり、房総、信州、四国や北海道まで足を伸ばした。山登りは近くの山ばかりで、百名山3座目の乗鞍岳はドライブ途中の寄り道だった。時々近くの山に出かけたが、時には家族連れで行くこともあった。
    夫婦二人の山歩きの始まり
      山歩きにはまり込んでいったのは1999年9月に定年退職してからだった。山登りと言っても本格的な登山とは程遠く、登りやすそうな低山を歩き回っていた。そのうち下山さんが同期の仲間のハイキング会を立ち上げ、1月1回の行事に参加して賑やかに歩き回っているうちに、ヤブ漕ぎや岩登りなどのコツを体得して行った。同期仲間にメールで盛んに山行記を流す弘昌さんに刺激され、しばらく山歩きの写真をカメラ会社のHPを使って公開していたが、2004年からは三澤さんの指導を受けて同期会のHPに山行記を書くようになった。
    1)ピークハント
      始めは近くの登りやすそうな低山の一覧表を見つけ出してはシラミつぶしに登っていた。久弥の百名山は目標が高すぎたので、私の性分から易きに流れた。
    a)ヤマケイ分県登山ガイド「茨城県の山」:1999年〜2000年
      52の山が載っているが、定年退職した1999年9月にまだ登っていなかった44座を登ることを目標にしてせっせと歩き始め、翌年2000年の年末、生瀬富士に下山さんの案内で同期の仲間と一緒に登って完登を祝ってもらった。
    b)茨城新聞社刊 岡野重一著「茨城と近県の山」:2001年
      福島栃木を含めて45コースが載っており、次の2001年にそれ迄に登っていなかった28コースに挑戦し、11月に栃木県の岩山に登って完登した。
    c)地形図の山:〜2009年
      シモンさんのHPに地形図に名前が書いてある茨城の全山120座+αを集めた145座が載っている。同期の仲間と登ったりしながら少しずつ潰して行って、2009年2月に岩瀬の城山と丸山に地主の深谷さんに一緒に登ってもらって完登を祝福してもらった。
    d)茨城の富士山:〜2009年
      シモンさんのHPによると茨城県の里山で富士と名がつく山が18座ある。多くはa,b,cとダブるが、地元の人だけが知る小さな山が多い。最後の一座が延び延びになっていたが、2009年4月の山菜採りのついでに関本富士に登って完登になった。
    e)里美村の山:2010年
      2010年始め里美村ガイドマップを手に入れて眺めると、旧里美村の村内に17もの山が載っていた。そのうち地形図に載っているのは4座だけで、地形図に載っていない山13座のうち、登っていたのは2座だけ、登ったことのない山が11座もあった。藪漕ぎしながら苦労して5月に明神山に登って完登したとHPで報告したが、下山さんの友人から「高所山の場所が間違っているよ」とのご注進があって、翌年登りなおした。
    f)「福島県の山」:2008〜2009年
      2008年始め「福島県の山」を調べてみたら、定年後、「茨城県の山」の合間に阿武隈の山によく通っていたので、掲載の60座の内残っているのは8座だけだった。11月に亀楽会の人達と小白森山に登って完登を祝って貰った。 深谷さんから「川本さんが登った福島県の山には私の「福島県の山」に載っていない山がたくさんあるよ」と御注進があった。私の本は旧版だった。新版を見せていただくと、13座が入れ替わっており、登っていない8座が翌年の目標になった。2009年11月に飯谷山に登って「新福島県の山」も完登となり、きのこの大収穫があって完登祝になった
    g )「栃木県の山」:2010〜2011年
      MACの2010年夏の山行が終わって里山歩きの季節になり、「栃木県の山」を調べたら52の登山ルートが紹介されており、登ったルートを数えてみたら38、残っているのは14ルートだった。2010年の内に9ルート、残りを2011年歩いて52の全コースを踏破した。
    h)インターネットの茨城県の山:2011〜2012年
      ヤマケイ「茨城県の山」や地形図に載っている山、富士と名のつく山、里美の山など虱つぶしに登ぼってきたが、これらを終えて栃木県の山も登りつくして、これから冬場の山行は何処に行こうかと頭を悩ます。NETで調べていたら、山遊悠さんのHPに174座の茨城の山リストがあり、tenjinabeさんの茨城百名山というリストも見つかった。中身を見て行くと、登っていないところが18地点あり、これを目標に歩けば、1、2年の山行に丁度好さそうだった。声をかけると一緒に歩いてくれる人もいて、賑やかな嬉しい登山になることもあった。
    i)「久弥の百名山」:1965〜2012年 
      同伴者:2人だけ43座、水戸アルパイン42座、62会やツアー15座 日本百名山は二人だけで登るにはきつい山が多く、百名山完登などとは恐れ多くて眼中になかった。ところが、その後水戸アルパインクラブに入会して九州から北海道まで二人では到底登れそうにない難コースも連れ歩いてもらえるようになった。そして、いつの間にか百名山も完登できることになった訳だが、百名山完登を達成できたのは水戸アルパインクラブのお蔭だった。ひそかな自慢は、百座すべての山頂を二人連れだって一緒に踏んだことです。(表1)
    j)「関東百名山」:2012年〜
      久弥の百名山と茨城の山の完登の目途がついて、次の目標をどこにするかが二人の相談になった。「日本二百名山」や「花の百名山」を薦めて下さる人もあったが、二人揃っては登っていない山が「日本二百名山」には47座、「花の百名山」には23座残っており、どちらも残っている山は日立から遠い北海道や九州の山が多く、お手軽が好きな我家としては登山口へ行くだけでも億劫だ。チャンスがあれば追い追い挑戦してみることにして、とりあえず近場の「関東百名山」に狙いを定めた。登っていない山は33座、茨城県栃木県は終わっているが、半分以上は秩父や神奈川県に集中している。首都高を越すのが嫌なのがこの辺りの山が未登頂で残っている主因だが、首都高を運転する覚悟を決めれば何とかなりそうな山ばかりに思われた。(表2) このうち、9月に朝日岳、10月に黒斑山と鼻曲山に登ったが、これも奥駈道の滑落で中断の余儀なしになり、完登は何時のことになるか分からなくなっている。
    2) 記念日の山
      標高に縁起を担いで、色々と名目をつけては変わった山に登ってきた。
    a)家族の誕生日、
      結婚記念日 一俊:きのこ山(加波山)528m、和子:丸山(上三依)704m、長女:石尊山(大中宿)308m、 長男:福渡三角点(塩原)921m、結婚記念日:石尊山(大子)421m
    b)エージ標高の山
      ゴルフでエージシュートは無理なので、年齢標高の山を探してエージ登山と洒落てみた。3年続けたが標高が低くて達成感が少なく、古希を最後に止めにした。 68才:・68(高萩)、69才:・69&・66(常陸大宮) 、70才:竹合三角点(常陸大宮)  
    3)干支の山
      5年前から新年を迎えるごとに、その年の干支の名前がついた山に登っている。冬季に高い山は嫌なので、近くの低山を探す。2008年の子はネであるがコでもいいや、2009は地形図に牛の山が見つからず三角点名を漁ってやっと見つけた。 2007亥:白猪森(川俣)714m猪集(八溝山)701m、2008子:鷲子山(馬頭) 463m、2009丑:牛壁三角点(野口)238m、2010寅:寅巳山(下野大沢)446m、2011卯:屹兎屋山876m、2012蛇:蛇塚
    4)ナビ遊び
      我家の山行では現在位置を確認するためにポケナビを常時携帯していて、ポケナビがないと山中で迷子になり兼ねない。この大事なポケナビを使った遊びに、ジオキャッチング(Geocaching)という遊びの仲間入りをした事がある。ポケナビを持って歩きながら、ナビの表示位置の数値が特殊なところにピタリと静止して証拠写真を撮る遊びである。 北緯36°35.363'、東経140°33.041'という前から読んでも後ろから読んでも同じ読みになる「回文位置」を探したり、北緯36°55.555′ 東経140°33.333′と度未満の5桁が同じ数値に揃う「ぞろ目位置」を探したりする。 0.1秒は距離にしてわずか3m(=40000km/360/60/60/10)でナビの測定精度より小さい。最小桁までほぼ揃ったところで、ナビを倒木の上などに置いてカメラを構えて、表示がぴったり揃うのをじっと待つ。東経は合っても北緯が合わない。少し位置を変えて、またじっと待つ。ナビは一定周期で計測計算を繰り返しており、動かなくても最小桁は結構変動する。短気を起こして位置を変えると発散しかねない。忍耐を要する遊びである。
    5)海外の山
      海外には、観光ツアーであちこちに出かけていたが、ハイキングや登山目的の旅が多くなった。山やハイクに関係する旅行だけを列挙してみる
    1993年:カナダ(ナイアガラ、バンフ、レイクルイーズ、アサバスカ)
      会社の25年勤続褒賞休暇を使って、カナデイアンロッキーとナイアガラ滝の観光に出かけた。
    1997年:スイス(ユングフラウヨッホ、フィルスト、メンリッヘン、ヴェンゲン、シルトホーン、ゴルナグラート、ロートホルン)
      海外出張で貯めたJALのポイントでスイスまでの二人分の往復航空券を手に入れ、35年勤続の褒賞休暇を使って出かけた。前年、2カ月のスイス出張をしてスイスの事情にも通じていたので、二人だけの手作りの山旅にした。
    2002年:ニュージーランド(ルートバーン、トンガリロ、ルアペフ)
      友人の誘いで九大山岳部OB会のツアーに参加した。九大山岳部OB会にはこの後も何度もお世話になった。
    2004年:中国四川省(九寨溝、臥龍、巴郎山峠、黄龍、双橋溝、海子溝、都江堰)
      格安ツアーに参加して中国四川省の世界遺産(九賽溝・黄龍・都江堰)と巴郎山峠・四姑娘山を楽しんできた。9日間バスで移動しながらハイキングして、世界遺産のすばらしい景色と風物、国内とはスケールの違う広大なお花畑に目を見張りその美しさを堪能した。
    2004年:ヨ-ロッパアルプス(ラックブラン.バルム峠.オーバロートホルン.ベルニナ山群.フネス谷.ドライチンネン.グロスコロックナ)
      水戸アルパインの企画で、フランス、スイス、イタリア、オーストリと14日間歩きまわった。天気も良くて、期待通りの素晴らしいヨーロッパアルプスの絶景を堪能した。
    2006年:中国雲南アルプス(白茫雪山、虎跳峡、シャングリラ、属都海、明永氷河)
      「雲南アルプス2大名峰とシャングリラハイキング8日間」と題したツアーに参加して、数々の美しい雪山の姿や大陸の広大な展望を思う存分楽しんだ。現地はチベットの近く中国雲南省の北部、揚子江・メコン川・サルウイン川上流の三江が平行して南下する地域で、1996年に自然世界遺産として認定されたところだった。
    2007年:ネパール(アンナプルナ・ダウラギリ展望トレッキング)
      山登りを始めたからには、いつかは世界一高いヒマラヤの山々を眺めてみたいと思っていた。宿泊場所が3000m以下で高山病もなく、アンナプルナ・ダウラギリ山群を展望しながら普通よりもゆっくり歩き、往復のフライトではヒマラヤ越えしながらヒマラヤの大展望を堪能できた。
    2008年:アメリカグランドサークル(ザイオン.ブライスキャニオン.アーチーズ.モニュメントバレー.アンテロープ.グランドキャニオン)
      グランドサークルとはアメリカ南西部の半径230kmの地域を指し、その中に8つの国立公園と16の国定公園が密集する。ツアーの2人のガイド譲が車を交代で運転しながら一周して、素晴らしい景観をこれでもかこれでもかと言うほど案内してくれたので、汗をかきながら高い山に登らなくても素晴らしい景色を楽しむことが出来た。さすがアメリカは広大だと実感した。
    2008年:ノールウエー(ブリクスダール氷河、ガルホピッゲン、メムルブー)
      九大山岳部OB会でノルウエー観光2週間の計画が立てられた。説明を聞くと、それほど高い山はないものの北極圏に近いので高山の雰囲気があり、山小屋はシャワー付きで二人部屋が原則、登山道も非常によく整備されているので絶対に楽しい山行が約束されていると言うことだった。実際に行って見ると、国土の奥にまで絶壁のフィヨルドが入り込んでおり、その上には雪を頂いた山々が峰を連ね、予想以上に美しい景色に感動させられた。
    2009年:アメリカハワイ(レインボーフォールズ、キラウエア火山、ダイアモンドヘッド)
      親思いのパパが、孫達の春休みを使ってハワイ旅行を計画してくれた。ツアーコンダクター役のパパに連れられて、孫二人、パパママ、ジジババ2組合計8人、ハワイ島とオアフ島の超高級ホテルに2連泊しながら、私達夫婦二人の初めてのハワイ旅行を楽しんだ。
    2010年:ニュージーランド(マウントクック村、クイーンシャーロット、ヒーフィートラック)
      九大山岳部OB会として2度目のニュージーランドトレッキングの旅である。クイーンシャーロットトラックは最近NZで人気の出てきた展望に良いコース、ヒーフィートラックはNZらしい自然がそのまま残る84kmと一番長いコースでヒーヒー言わされた。
    2011年:カナデイアンロッキー(ボカテラサーク、ヤムナスカ、ラーチバレー、パーカリッジ、イルコックスメドウ、コリーパス)
      水戸アルパインクラブの海外山行で、黄葉真っ盛りのカナデイアンロッキーのトレイルを7日間毎日3〜5時間1コースづつ歩くゆったり贅沢のツアーだった。

    2012年:ペルー(マチュピチュ遺跡、オリャンタインタンボ、クスコ、チチカカ湖、ナスカ地上絵)
      マチュピチュ遺跡は我家の行きたい世界遺産の筆頭だったが、なにせそこは地球の裏側、なかなか実現できないでいた。最初に憧れのマチュピチュ遺跡を目の前にして感激したが、その後も深夜の移動が続く行程で、時差ぼけも戻らぬままにチチカカ湖、クスコ、リマ、ナスカと飛びまわって、結構しんどい旅になった。

    

inserted by FC2 system

inserted by FC2 system