H23.東京都日帰りバスツアー
柴又帝釈天・浅草寺・五輪館・御座船
1.動 機 
 スーパのバス旅行「東京都日帰りバスツアー」に参加して、柴又帝釈天の彫刻を鑑賞し、浅草の浅草寺と仲見世通りを散策、新国立競技場の外観とオリンピックミュージアムの展示物を見て、最後に御座船安宅丸に乗って東京湾クルーズを楽しんで帰ってきた。

2.データ
a)山域:東京都葛飾区・台東区・新宿区・港区
b)登山日:2020/02/20(木)
c)旅程:
自宅7:00=7:20スーパP7:30=7:45日立南IC=8:30守谷SA8:55=9:15三郷南IC=9:25柴又帝釈天10:10=10:45浅草寺(自由昼食)12:50=13:35オリンピックミュージアム14:10=14:45東京湾クルーズ15:40=16:20八潮IC=16:35守谷SA16:50=17:45日立南IC=17:55スーパ18:35=18:50自宅

3.山行記録
 軽い朝食をとってから我が家を出発、日立南部のスーパの駐車場に入ると、バス一台が待っていた。指定された前の方の方の席に座ると、後ろ方はガラガラ、この19名で今回の参加者全員だという。何時もはバス2台に分乗して満員になるのに、新型コロナウイルスの所為らしい。和子はちょっとひるんでいたのだが、気にしないで強引に参加した私の方がノー天気すぎたのか。それでもマスクだけはつけて参加していた。
 スーパ脇のR293をしばらく東走、R6に入ってすぐの日立南ICから高速道に乗り、守谷SAでトイレ休憩後、首都高に入って三郷南ICで高速を下りて外環道の下を潜って柴又へ向かった。 
(宝篋山・筑波山)
(東京外環道下)

3.1 柴又帝釈天
 バスは帝釈天参道入口にある草だんご老舗の高木屋の駐車場に入って、参道を歩いて帝釈天の二天門まで案内されて、あとは指定時間まで自由時間。TVニュースで新型ウイルスの影響で観光客の激減が噂されていたが、参道を歩いているのは我々グループの外にはほどんど姿がなく、本当に淋しい商店街だった。
(帝釈天参道お土産屋街)
(二天門)
 帝釈天には去年のバス旅行で来ていた(G313)ので大体の様子はわかっている積りで、堂々とした二天門姿には感銘していたのだが、近づいて良く見ると屋根下、回廊下にはたくさんに彫物が彫り込まれているのに今更ながら気が付いた。
(二天門の彫刻)
 二天門から境内に入ると、正面にもっと堂々とした帝釈堂が立ち、その前を瑞龍の松の枝が美しい姿で横切っていた。
(帝釈堂と瑞龍の松)
 去年は帝釈堂にお参りしただけだったが、今回は靴を上履きに履き替え、拝観料を払って回廊の奥に入らせていただいた。受け取った拝観券は、彫刻ギャラリーと裏の大庭園共通になっていた。
(拝観受付)
(帝釈堂回廊)
 帝釈堂の外壁は、鳥や獣の彫刻で全面ぎっしりと埋められていた。小さな彫刻に至るまで実に丁寧に彫られていて素晴らしい眺め。NETには
 喜見城、帝釈堂の外壁をめぐる10枚の胴羽目彫刻は法華経の説話に取材した入魂、細微な作品で、欅材の木彫は近世法華経美術の頂点をきわめている。
 当山16世日済上人の発願によって当代の名匠、加藤寅之助師が大正11年に最初の1枚を彫り上げ、翌年にあった大震災にもかかわらず名人たちの入念な精進の末に、彫りあげて昭和9年に完成きれた、この大彫刻群は、不屈の信仰と芸術の結晶である。
(帝釈堂の胴羽目彫刻)
 僧侶たちや飛竜、鶴など
(帝釈堂の胴羽目彫刻)
 障子窓を囲んで何匹もの龍がうねり泳いでいる。
(帝釈堂の胴羽目彫刻)
 帝釈堂の後ろの喜見城の回廊は一段高いところにも造られていて、屋根の下近くの彫刻を間近に見ることができ、さらに迫力があった。
(喜見城の彫刻)
 波打つ水面に草花が茂り、鶴の親子、亀の親子が遊んでいる。
(喜見城の彫刻)
 縦柱には全て、怖い面をした飛竜の彫り物が外に向かって襲い掛かりそうな態勢をとっていた。この写真では、回廊の外側がガラス窓で囲われているのが判る。
(喜見城の彫刻)
 ガラス囲いの喜見城を一回りすると帝釈堂との合流点、帝釈天の庭を見るとなんとなく新鮮な感じがした。
 同じ入場券で、次の邃渓園を眺める回廊が繋がる大客殿に入った。
(帝釈天の庭)
(邃渓園回廊へ)
 大客殿の部屋の障子は開けられていて、部屋の中に飾られていたお雛様や額、屏風などを見ることができた。

(大客殿のお雛様七段飾り)
(大客殿の額と屏風)
 客殿の回廊からは、帝釈堂喜見城の裏の大庭園・邃渓園を見ることができた。松や石灯篭などを見事に配置した日本庭園だった。
(邃渓園)
 回廊を回って大客殿の反対側から邃渓園を眺めると、池が手前に配置されて一味違った眺めになった。
(邃渓園)
 帝釈堂に戻って靴を履いて、帝釈堂周りの遊歩道を一回りした。
(帝釈天遊歩道)
(喜見域のガラス囲い)
 二天門を潜って参道に戻ったが、二天門は内側から見ても細かい彫刻で飾られていた。
(二天門内側)
 帝釈天の庭の隅に立っている名所の一つ鐘楼を見に行かなかったので、外から写真を撮っておいた。NETには
 昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼。高さ約15m、四手先の豪壮な桝組と木彫を施し、関東一の鐘楼と言われる。梵鐘は、雅楽「黄鐘調(おうしきちょう)」と言われ、昭和の銘鐘の名が高い。環境庁選定「日本の音風景100選:柴又帝釈天界隈と矢切の渡し」の主役。寅さんの映画でも必ずこの大鐘楼の効果音が挿入されています。
(鐘楼)
 参道最初のお店の主人が「彫物に興味があるの?」と言って、3軒先の「園田神仏具店」を紹介してくれた。店番をしていたご婦人が、「私のお爺さんがあの彫刻を作って、その後、今の三代・亭主まで手直しや保守作業を続けています。」とのこと。店の中には大黒様などの大きな木彫りなどが飾ってあり、お土産に身代わり地蔵のちっちゃい木彫りを購入した。これを持っていれば、新型コロナに出会っても守ってくれるだろう。
(園田神佛具店)
(柴又帝釈天)

3.2 浅草寺
 次は浅草見物。浅草寺近くの雷5656会館前でバスを降り、浅草寺境内までガイドさんに案内されて「ここから自由行動、それぞれ昼食をとってから指定時間に雷5656会館前に戻ってください。指定時間前に来てもバスはいませんよ。」

(浅草寺本堂・影向堂・五重塔)
(雷5656会館:再集合場所)
(五重塔)
 浅草寺境内には横合いから入ってきたので、先ず本堂にお参り。
(浅草寺本堂)
 もちろんその前に常香炉の煙を浴びて心身を清めました。
(休暇村那須玄関前)
(名物なすべん)

 浅草寺には何度か参拝しているのですぐに仁王門を出た。裏からは大きな草履、
(仁王門を出て)
 表からは仁王様の像を拝んだ。
(仁王門入口)
 参道の仲見世通りには多くの観光客が歩いていて、あまりコロナウイルスの影響はないように見えた。それにしても和服姿の若い人の姿が目に付いてしようがなく、近づくと日本語じゃない会話が聞こえてきた。中国?韓国?
(仲見世商店街へ)
(和服姿の外人さん)
(混雑の仲見世商店街)
 和服姿に見とれながら仲見世通りを雷門まで歩いてしまった。
(雷門)
 和子がコロナウイルスを恐れて大勢が入る食堂を敬遠するので、適当なレストランを探しながら仲見世通りの裏道を歩いたが適当な食堂が見当たらず、5656会館の中のレストラン入ろうと会館まで戻った。バスでもらった観光地図を頼りに歩く和子の後ろについて歩いてきたのだが、スマホを開くこともなく雷5656会館前に到着した。お見事。ところが入口の守衛さんに尋ねると、会館の中のレストランは今日はお休みとのこと。近くにそば屋さんがあるよと聞いて歩いたが見当たらず、うろうろ歩いて見つけた小ぶりな食堂には、入口に「食べログ話題のお店」の看板が出ていた。中に入って席に案内されてメニューを見るとなかなかのお値段だったが、一番お安いセット料理を注文したのに、つぎつぎ出てくる料理はどれもいいお味、大満足のお昼ご飯でした。
 少し時間があったので、会館に戻って2階のお土産屋を漁った。お土産屋の前で「雷おこし製造体験」をやっている部屋があって、3人の若者が先生に手ほどきを受けながら粉をこねているのが見えていて面白そうだった。
(レストラン)
(雷5656会館前でバス乗車)
(浅草寺)

3.3 オリンピックミュージアム 
 定刻になって雷5656会館前を発車したバスは西走して、靖国神社の周りを走って神宮第二球場対面の路側に停まって下車した。
(靖国神社石鳥居)
(神宮第二球場)
 目の前に新国立競技場を見ながら少し歩くとオリンミックミュージアムの入口に着き、ミュージアムに入る前に新国立競技場の写真を撮っておいた。
(新国立競技場)
 ミュージアムの中に入ると、2020年東京オリンピックの聖火トーチやユニフォームが展示してあり、オリンピックについての紹介画像が流れていた。

(聖火トーチ)
(紹介映像)
(オリンピックユニフォーム)
 紹介画像スクリーンの隣には、五輪マークの立体模型をいっぱい並べられてある展示板も目を惹いた。
(五輪マーク)
 ミュージアム前の広場には、代々のオリンピック聖火台の実物模型や、弘道館創始者の嘉納治五郎の立像が飾ってあった。
(1964年東京オリンピック聖火台)
(1972年札幌冬季オリンピック聖火台)
 嘉納治五郎のオリンピックとの関連についてはNETに、
 講道館柔道の創始者であり、柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた。
(1998年長野冬季オリンピック聖火台)
(嘉納治五郎像)
 入口前に大きな五輪マークがあり、他の入場者と記念写真の撮り合いをした。
(五輪マーク)
 集合時間まで1時間近くあるので、新国立競技場周りを歩いてみようと横断歩道を渡ったところで、ガイドさんから「すぐにバスに戻ってください。」と声がかかった。他の参加者はオリンピックミュージアムの中を見終わって、全員バスに戻ってきているので、次の予定の安宅丸に乗船時間を1時間早い便に変更するよう依頼してOKをもらったとのこと。オリンピックミュージアムは完成したばかりで、旅行社がまだ旅程に入れたことがなく、期待が膨らんで時間を長く計画し過ぎたらしい。
 安宅丸桟橋近くまで来ると東京タワーが間近になり、バスの窓からシャッターを押した。
(オリンピックミュージアム)
(東京タワー)
(オリンピックミュージアム)

3.1 東京湾クルーズ・御座船安宅丸
 新宿のオリンピックミュージアム前から、港区の安宅丸専用桟橋まで急いだが、一部工事中で大渋滞があり、見込みより大幅に時間がかかった。港に着くのが随分と遅れたが、安宅丸は待ってくれていてガイドさん一安堵、安宅丸の係員に平謝りしていた。
 安宅丸は和風の屋根が付いていて、赤い船体に葵の御紋を付けた江戸っぽいムードに仕上げられた船だった。乗船後撮った写真では、ガラス窓に付いている葵の御紋をはっきりと見ることができる。
 安宅丸は40分のクルージングをして桟橋に戻って、20分後にまた出航と、1時間刻みの時間割なので、少々のずれは何とでもなったのだろう。19名以外のお客はあまり見えなかったこともあるだろうが。
(安宅丸桟橋)
(葵の御紋)
 向かう方向にはレインボーブリッジが横切っている。この橋の下を通過して東京湾まで出ていくとの期待でワクワクしていた。
(レインボーブリッジ)
 出航すると、後ろの竹島桟橋の向こうに、林立するビル群の上にスカイツリーが見えていた。
 進んでいくと、対岸の桟橋には大型貨物船や珍しい大型帆船など泊まっていて、シャッターチャンスを逃すまいと船室には入らないで、クルーズ中外をウロウロと歩き回っていた。風を受けて寒いからか、我家以外の仲間は全員船室に入って、座席でゆったりと外を眺めておられた。
(出発・東京スカイツリー)
(帆船)
 レインボーブリッジに近づくと、右に外枠のフレームが目立つ晴海旅客ターミナルビルと信号塔が見えてきた。この奥にオリンピック村が見えていたらしいが、室外ではアナウンスが良く聞こえないで特定しかねた。
 ここを過ぎると間もなくレインボーブリッジの下を通過した。
(晴海客船ターミナル)
(レインボーブリッジ下)
 ブリッジを通過すると正面に東京湾が見え始め、右に大井コンテナ埠頭のクレーン群が見え、左にグランドニッコーやテレコムセンター、大江戸温泉物語などのビルが見えていた。舳のすぐ右に見える片側曲線の建物は海底トンネルの換気塔だった。
 東京湾クルーズなので広い東京湾まで出るのかと思ったが、安宅丸はここで旋回しはじめた。
(潮風公園沖にて旋回)
 旋回してレインボーブリッジ近くまでひき返すと、東京タワーが良く見えるようになってきた。
(再びレインボーブリッジ)
(東京タワー)
 安宅丸桟橋に近づくとスカイツリーも良く見えるようになりまたシャッターチャンス。
 桟橋に着いたのは出港してから30分、遅刻した分だけクルーズ航路が短縮されたのだった。
(スカイツリー)
(安宅丸桟橋へ)
(東京湾クルーズ)
 予定の全コースが1時間早く終り、「オリンピックミュージアムで皆様のご協力を頂いたので、今日は1時間早く帰ることができます。ご協力ありがとうございました。」とガイドさんの挨拶あり、皆さんも笑顔。和気あいあい、楽しい東京見物でした。


inserted by FC2 system