H43.1996年 1.動 機
1月21日(日):御前山村(現在常陸大宮市)今回はベネズエラ出張の報告がメインに積りだったが、ベネズエラの写真は少なく、一冊のアルバムに入っていた場所全部を紹介することにしました。 2.データ a)山域:茨城県、千葉県、新潟県、広島県、栃木県、福島県、ベネズエラ b)登山日:1月21日:御前山、1月28日:大串ふれあい公園、2月10日:東京デイズニーランド、2月20日〜24日:奥清津発電所、2月25日:水戸近代美術館、4月29日:玉簾寺・奥久慈いこいの森、5月1日:笠間陶炎祭・茂木彫刻の森、6月23日24日:久井稲荷神社、6月30日:大子長福寺、7月16日:黒磯ハーブ園・湖畔公園、8月7日〜11日:親族会那須ドライブ、9月22日:17号台風被害、11月15日〜12月13日:ベネズエラ出張 3.山行記録 昨日土曜日、娘夫婦と行く予定だった東京ディズニーランドが降雪のため中止になったので、今日は2人で御前山村探訪。昼近くなって出発、道には積雪ほとんどなく快調に走って三王山自然公園の駐車場に到着、雪の歩道を歩いて展望台に登った。
1月28日:大串ふれあい公園 午後から出かけて、国道245を南下して那珂川を渡ってすぐの大串貝塚ふれあい公園に行き、和子が縄文時代の女性に化けたりして遊んだ。
2月10日:東京デイズニーランド 朝6時に水戸在住の娘の車で、念願の東京デイズニーランドに連れて行ってもらった。和子の日記によると、 カリブの海賊・ウエスタンリバー鉄道・スプラッシュマウンテン・スペースマウンテン・スターツアーズ・イッツアスモールワールド・ジャングルクルーズ などを見たとある。随分楽しかったようで、数多くの写真が残っている。昼のパレードと夜のパレードも見て、一日中楽しんで日立に帰ってきた。
奥清津第二発電所の運転開始に伴って、性能確認のために性能設計を担った若い技師と一緒に、新潟県湯沢町にある発電所に出張した。電力会社のHPにはつぎのような記載がある。
奥清津、奥清津第二発電所の両発電所でつくられた電気は、東京電力の新新潟幹線により東京方面へと送られていきます。奥清津発電所の運転は、発電所制御室にて直接行なっていましたが、平成5年4月より、埼玉県の川越にある東地域制御所から遠隔操作で行う方式に切り換えられました。 奥清津発電所 奥清津発電所は、25万kWの発電機4台を持つ100万kWの発電所で、昭和57年の運転開始以来、伸びつづける首都圏の電力需要に応えてきました。 奥清津第二発電所 一方、平成8年には奥清津第二発電所が運転を開始。こちらは発電機2台で60万kWの発電を行なっています。最新鋭の可変速機を擁し、わずか3年8ヶ月の工事期間で緊急開発されました。これにより、日本最大級の揚水式水力発電所となりました。 奥清津発電所が有していた最大出力で12時間の継続運転能力には余裕があったのに対し、奥清津第二発電所完成後は奥清津発電所と合わせて7.6時間の運転となり、昨今のピーク尖鋭化傾向に対応する事ができるようになりました。
2月25日:水戸近代美術館 湯沢出張から帰った翌日午後、買い物ついでに水戸の近代美術館に入って、
松井 康成(まつい こうせい、1927年(昭和2年)5月20日 - 2003年(平成15年)4月11日)は、日本の陶芸家。国の重要無形文化財「練上手(ねりあげで)」保持者(人間国宝)。本名、美明。 練上手という技法を集大成し、伝統技術を基盤にした現代の個性豊かな陶芸のあり方を提示した。
長野県北佐久郡本牧村(現:佐久市)生まれ。戦時中に茨城県笠間町(現:笠間市)に疎開する。旧制神奈川県立平塚工業学校、明治大学文学部文学科卒業。
5月飛石連休の初日4月29日には、奥久慈いこいの森を歩いてみることにし、途中、玉簾寺にお参りした。 国道6号から神峰公園のところから県道36号(日立山方線)に入って、高鈴山と神峰山の間の尾根を本山トンネルで抜けて、入四間川沿いの36号を下り里川に合流、少し上流に入って玉簾寺(ぎょくれんじ)に着いた。小さな鄙びたお寺だが、黄門さまが造った有難いお寺、娘の無事の安産を願って御札を頂いてお参りした。
玉簾の滝は、昭和46年に市の文化財(名勝)として指定されています。滝沢川が里川に合流する手前、玉簾寺境内の裏側に位置しており、滝の規模は高さ18m、幅8mです。木立に覆われ鬱蒼としたなかを、白い糸が布を縫うように流れ落ち、その名のとおり優美な姿を見せています。
滝周辺は、春の新緑、秋の紅葉など四季折々に見せる風情は、玉簾寺との調和から、一層にその美しさを引き立たせています。玉簾寺の創建に関わリのあるこの滝には、徳川光圀をはじめ、多くの文人墨客が来遊し、詩歌や文を残しています。 徳川光園の詩 飛泉倒断崖 乱沫散徴糸 白布懸空瀑 玉簾穿岳垂 雷声轟地軸 雲額払山眉 千歳除凝後 為吾洗悪詩 徳川斉昭の歌 紅葉せし木の間の滝の玉すだれ 落つる錦をきてこそまされ
次は奥久慈いこいの森。
森林浴を楽しみながら周遊できるウォーキングコースも整備されており、昭和61年に森林浴の森として日本100選のひとつに選ばれました。 大地の上に立つ4本の柱は、昭和51年(1976)の第27回全国植樹祭に臨席、お手植えいただいた昭和天皇の天皇御在位50年を記念して建てられた記念の塔です。 下には記念植樹の木が育った記念の森が見え、そこから風のササ道とその両側に並ぶ列石が真っ直ぐに延びてきています。
5月1日:笠間陶炎祭・茂木彫刻の森
5月1日には、陶炎祭をやっていた笠間まで出かけて、立ち並ぶテントの出店を見て歩いて、和子の好きな焼き物を鑑賞したり品定めしたり、後ろのサクラソウの丘にも上って楽しんだことだろう。
6月23日24日:久井稲荷神社 生家があった広島県御調郡久井町(現在三原市久井町)で親戚の法事があり、私一人で帰郷した。仏事、墓参りの合間に、裏山にある稲荷神社にお参りした。久井稲荷神社は由緒ある神社です。稲荷神社に前庭は小さい頃からの遊び場だったし、「祇園祭」「はだか祭」「御当」のお祭りには毎年のように参加していたし、麓では日本三大牛馬市も行われて日本中から博労さんが集まってきて田舎の街も賑わっていた。
石段の右に見える真新しい赤い塗りの建物は、昔は質素な神楽殿だったところとだが、随分大きく派手な彩色になったものだ。
6月30日:大子長福寺 久井から帰った次の日曜日、奥久慈の大子にある花の寺長福寺の菖蒲園が見頃になっている、とのニュースを聞いて見に行ってきた。 情報通り、長福寺の脇にある広い菖蒲園に花ショウブが咲き乱れ、素晴らしい眺めになっていて、あっちこっち移動しながらシャッターを押して歩いた。
7月16日:黒磯ハーブ園・湖畔公園 パステラルハーブガーデン那須は、店内である金額以上の買い物食事をすると、広い庭園に広がるハーブ園に無料で入ることができる。二人で豪華な昼食をとって、セージ、フェンネル、レモングラス、ゼラニウム、ラベンダー、ローズマリーなどのハーブやお花の香りに包まれながらゆっくり園内周遊、中には小さな滝もあったりして心身ともにリフレッシュできた。
8月9日〜11日:親族会那須ドライブ 8月のお盆前の9日、若夫婦の両親兄弟全員8名で、那須に2泊のドライブ旅行に出かけた。荷物を運ぶ若旦那は一人運転、外7名が同じ車に乗って和気あいあいのドライブ、親父さんの故郷美和村の美和ふるさと館・北斗星で小休止、R293からR294に乗換えて那須に入り、りんどうラインを走ってりんどう湖レイクビューで昼食をとった。
右の写真では和子の左に大きなサメが泳いでいるように見える。それにしては和子が怖そうな顔をしていない。支えなしに空中に浮かせるトリックだったら怖いだろうから、やはり、入場券にあるように、壁に描かれた魚が写真に撮られると立体的に見えるのだろうか?
右の写真では私が子供の脇に座っているように見えるが、実際は、私は中腰、子供も後ろの入口も平面に書かれた絵!
お母さんと和子が神像の頭おかれた台に座っている写真、お母さんの中腰、お上手ですね。
皆さんは羽鳥湖を遊覧(写真なし)してから会津に入って、大内宿の古民家の街並みをそぞろ歩きして楽しんだ。 福島県南会津【大内宿】は、江戸時代に会津若松市と日光今市を結ぶ重要な道の宿場町として栄えました。
現在も江戸時代の面影そのままに茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び、昭和56年には国選定重要伝統的建造物郡保存地区に指定されています。 この大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いで行くために、住民憲章を作り「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り景観の保存にと伝統的な屋根葺きの技術習得、継承に全員で取り組んでいます。
塔のへつりは、福島県会津地方の南会津東部を流れる大川が形成する渓谷で、大川羽鳥県立自然公園の一角を占める。
1943年(昭和18年)、河食地形の特異例として国の天然記念物に指定されている。一帯は第三系凝灰岩、凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになっており、その軟岩部が長年の歳月による侵食と風化の作用によって形成された柱状の断崖である。一帯は樹木に覆われており、新緑や紅葉の頃は一際美しい。 全長200mにわたって、大規模な奇岩が整列している。主なものには屏風岩、烏帽子岩、護摩塔岩、九輪塔岩、櫓塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩などがあり、これらの岩を巡るように通路が彫られているが、経年による崩落等のため、吊橋を渡している舞台岩周辺以外は立ち入り禁止となっている
オルゴールの普及に務めた故・佐藤潔氏のコレクションを中心に、音色の美しさを求めて改良されたシリンダー式、1台で何曲も楽しめるディスク式、さらに迫力満点のオーケストラボックスなど、世界各国のオルゴールを常時約100点展示。
9月22日:17号台風被害 1996年9月22日に日立を襲ってきた台風、予報を聞いて万全の安全対策をして部屋に籠っていたら、納戸に雨漏りが始まった。天井板はがして伝わり先確認、外に出て見ると二階のトタン屋根東側がひらひらと剥がれそうになっていた。慌てて二階の押し入れの羽毛布団などを一階に下ろし、二階の雨漏りしている四畳半の畳をシートでカバーし、その上にタオル類を被せ、絞っては被せ、絞っては被せを繰り返した。 翌朝、庭には凄い量の断熱材が散らばっていた。建設業をやっている和子の妹の旦那さんと2人で二階の屋根に上がって調査、捲れたトタンを何とか引き延ばして応急処置し、後日、証拠写真を付けて罹災証明書を提出して障害保険金をゲットした。
11月15日〜12月13日:ベネズエラ出張 和子の日記によれば、ベネズエラには今年5月20日から6月3日まで出張しているが、写真は一枚も残っていない。私の仕事の記録一切を廃棄したことが悔やまれる。 11月15日に日立を出発して、1ヶ月近くベネズエラで仕事をして、12月13日に帰国している。今回の出張は、マカグア発電所の最終号機の受入れ試験のため、水力実験所の私の跡継ぎ候補を伴なっての出張だっので、マカグア発電所に挨拶してから、マカグアの80km上流にある世界最大量のグリ発電所を案内した。 迫力があるのは、余水路からオーバーフローして流れ下る大流量の水の勢い、跳ね返って巻き上がる激流のすぐ近くまで案内した。
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