H94.早春の野の花
1.動 機
2000年2月の房総半島ドライブの写真が貼ってあったアルバムの後半には、2000年2月〜4月に近くの山に登った時の花の写真が沢山貼ってあった。これらの花の写真を纏めて報告します。
2.データ
a)山域:諏訪梅林、偕楽園、盛金富士、三毳山、七会村、
b)登山日:2000年2月〜4月
3.山行記録
2月28日(月) 諏訪梅林
昼食後、洗濯物を片付けて諏訪梅林に行ったが、梅の花はまだ咲き始めたばかりで見応えなし、残っている写真は2枚だけ。2018年にここで教わった花の撮影技術( F31.諏訪梅林)をこの時知っていたら、園内を歩き回って何枚も写真を撮っていただろうが。
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(諏訪梅林標柱) | (諏訪梅林) |
梅の花見は諦めて、梅林から諏訪の水穴、日立セメントの大平田鉱山迄ウオーキングして帰宅した。
諏訪の水穴(神仙洞)は、ここ諏訪町大平田(たいへいだ)にあり、普賢ヶ嶽(ふげんがたけ)の麓、緑豊かな木々に覆われた清水湧き出る鍾乳洞です。
この水穴には、遠い昔、信州諏訪大社の御分霊をこの諏訪の地に祀られた神官万年大夫 藤原高利夫妻が自分の木像を造り諏訪神社に納めて水穴に入り、再び帰らなかったという伝説があります。
また水戸黄門 徳川光圀公もこの水穴に入り、洞の狭くなった三の戸に「これから奥には入らぬように」と記されたとも伝えられています。
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(諏訪の水穴標石) | (諏訪の水穴) |
3月22日(水) 偕楽園
水戸のデパートの駐車場に車を停め、昼食をとってから偕楽園に向かった。白梅、紅梅、しだれ梅と花は既に盛りを過ぎていたが、千波湖を眺めたり、吐玉泉に下ったり、園内を周遊した。
偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。園内には約100品種・3,000本の梅が植えられ、早春には観梅客でにぎわいます。
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(千波湖) | (偕楽園) |
何枚か写真を撮っているが、ピントをどこに合わせたのか、どれも梅の花がはっきりと見えない。
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(偕楽園の梅@) |
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(偕楽園の梅A) |
入口近くに梅むすめさんが数人いて、観光客の記念写真に入って笑顔のサービスをしてくれていた。梅まつりも終わりに近づいて観光客の姿は少なく、4人もの可愛い娘さんに並んでもらって幸せな記念写真を撮りました。折角の美人のお顔にモザイクをしたくはなかったが、素顔では支障のあるお方もおられるかと。
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(偕楽園:梅むすめさんと) |
4月2日(日) 盛金富士
日立同期入社の仲間は親交が続いており、当時の行事にはご夫人同伴が習わしになっていた。今回は盛金富士のイワウチワの群落を眺める山行。
イワウチワの外にも、盛金富士からの久慈川、男体山、那須連山、高鈴山の展望も楽しんだ。
山頂で昼食をとって山を下り、山方の不動滝も眺めることができた。
盛金富士は、茨城県常陸大宮市にある標高340.6mの山で、久慈川に掛かる舟生橋から望む姿が富士山に似ていることから、盛金の地名をとり盛金富士と呼ばれている。
中腹の伐採地と山頂の間にはイワウチワの群落が広がり、花が咲く時期は多くの登山者で賑わう。山頂は狭いが、テーブルやベンチがあり、北東に位置する奥久慈男体山や眼下に流れる久慈川を眺めることができる。
(同期会メンバ)
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(盛金富士山頂から久慈川) | (山方の不動滝) |
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(盛金山山頂から那須方面の展望) |
東斜面のイワウチワ群落が咲き始めていて、何とか写真に残すことができた。
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(盛金富士のイワウチワ@) |
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(盛金富士のイワウチワA) |
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(盛金富士のイワウチワB) |
イワウチワの斜面や登山コースには、他にもいろいろな野の花が咲いていた。仲間と勉強しながら写真に撮っていった。そのうち8種類の花の写真を掲載します。
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(盛金富士のミツマタ) |
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(盛金富士のキクザキイチゲ) |
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(盛金富士のアザミとタチツボスミレ) |
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(盛金富士のネコノメソウ) |
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(盛金富士のムラサキケマン) |
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(盛金富士のイヌノフグリ) |
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(盛金富士のオドリコソウ) |
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(盛金富士のヤブジラミ) |
盛金富士から下って同期会は解散、帰りに山方町の御城展望台に上がって展望を楽しんだ。
御城展望台は、昭和62年に建設された山方地域のシンボルで、国道118号山方トンネルの真上にあります。ここ御城は、安土桃山時代まで、東国有数の大々名であった佐竹氏の重臣、山方能登守の居城跡です。国道と久慈川を見下ろす交通の要衝、御城展望台に立つと、桜の古木に、戦国争乱の世代を越え主家佐竹家と興亡をともにして、戦い抜いた兵たちの夢の跡がしのばれます。
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(山方町御城展望台) | (御城展望台からの久慈川) |
4月4日(火) 三毳山のカタクリ
佐野市観光協会に、電話でカタクリの開花状況を問い合わせすると「今が最高」とのこと。すぐに準備して9時40分発車、水戸で高速を下り、R50で佐野市に向かう。三毳山カタクリの里まで走ると、以前より駐車場が増えていて、観光客も多くて驚かされた。
万葉集にも詠まれた三毳山(みかもやま)の北斜面の中腹1.5ヘクタールに150万株の見事なカタクリが群生しています。3月中旬から4月上旬にかけて、可憐な紫色の花がいっせいに咲き揃い、白色の花をつけるアズマイチゲと競うように咲き乱れる光景には圧倒されます。 佐野市観光協会
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(カタクリ群生地へ) | (三毳山山頂) |
カタクリの里から遊歩道に入ると、行く手の斜面いっぱいにカタクリの花が絨毯を敷いたように咲いていて見事だった。
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(三毳山のカタクリ) |
遊歩道から外に出ることはできないが、美女と一緒に撮ったり、花の拡大写真を撮ったり撮り放題。
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(三毳山のカタクリ) |
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(三毳山のカタクリ) |
三毳山山頂まで登ったが一面の春霞、それでも視界は広く十分楽しむことができた。
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(三毳山山頂からの展望) |
ここにも、アズマイチゲやミズバショウ、ミツマタ、シュンランなど野の花が多かった。
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(三毳山のアズマイチゲ) |
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(三毳山のミズバショウ) |
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(三毳山のミツマタ) |
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(三毳山のシュンラン) |
一旦下山した後、東口の駐車場から少し入ったところにあるカタクリ園も見てから帰宅した。
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(三毳山東口のカタクリ園) |
4月6日(木) 七会村の山々
朝になって準備して10時半七会村に向けて出発。七会村役場で観光パンフレットを貰い、役場の広場から鶏足山や花香月山など栃木県境の山々を展望した。
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(七会村役場) | (鶏足山を望む) |
花香月山の登山口から山頂378mまで舗装道を登り、NTT中継所で昼食。
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(花香月山山頂から八瓶山方面展望) |
八瓶山345mへは直登コースを登った。案内板には主要時間40分となっていたが、20分で山頂に登り着いた。
山名の通りに、山頂には八つの瓶が埋められていた。
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(八瓶山登山口) | (八つの瓶) |
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(八瓶山山頂からの展望) |
二つの山を歩くうちに撮った写真には、キフジやシュンランの花があった。
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(七会村のキフジ) |
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(七会村のキフジ) |
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(七会村のシュンラン) |
4月7日(金) 盛金富士のイワウチワ再訪
盛金富士に4月2日に同期会の仲間と登った時には、イワウチワの花が咲き始めで少し寂しかったので、5日後の満開を期待して二人で登ってみた。
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(盛金富士登山口) | (ハイキングコース) |
張り切って群生地まで登ったが、イワウチワはまだ5分咲き程度だった。
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(盛金富士のイワウチワ再訪) |
それでも、5輪の花が綺麗に並んで咲いているところを見つけてシャッタを押した。2日の3輪よりも賑やかだ。
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(盛金富士のイワウチワ再訪) |
盛金富士山頂までは登らず、カタクリ群生地から下って車で大円地に移動して、奥久慈男体山頂上まで健脚向きの直登コースで登った。下りは一般コースを下ったが、期待したイワウチワは見つからず、サンリンソウ、ネコノメソウ、ユリワサビが咲いていてデジカメで撮ったのだが、メモリー場所不明、写真を紹介できないのが残念。
(大円地登山口から)
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(男体山山頂) | (健脚コースを登って) |
次の写真ファイルは茨城の山登りの記録で春の花がてんこ盛り、次の報告にはこのファイルに貼ってある写真を、前半の4,5月と後半の6,7月に分けて報告します。
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