H106.スペイン満喫10日間の旅(6日目改) 1.動 機
5日目:4月19日(水)スペイン旅行の5日目の最後トレモリノスのホテルに着いてコルタデルソル(太陽海岸)のビーチで遊んでからホテルに戻り、6日目はトレモリノスの日の出を仰ぎながら、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラでシェリー酒の試飲。代表的観光名所、アルハンブラ宮殿とヘネラリフェ庭園をゆっくり見て歩いてマラガに移動。マラガでは、ピカソの生家のある旧市街、ローマ劇場跡、アルカサバを歩いた後、高台のヒブラルファロ城に登って展望を楽しんだ。この日は地中海海岸のトレモリノスのホテルに入った。 4月21日表示の写真故に先々日の報告から抜けていた、スペイン広場と夜のセサナマンタのお祭りを追加します。 2.データ a)山域:トレモリノス、ロンダ、セレス・デ・ラ・フロンテーラ、セビリア b)登山日:2000年4月19日,20日 3.山行記録 バスはヒブラルファロ山を下って、海岸沿いを少し南下したトレモリーノスのホテルに入り。ホテル下の海岸に出ると、広い砂浜にのんびりと身体を伸ばして日光浴をしているカップルがあちこちに見られ、旅のあわただしさを忘れさせてくれた。これが地中海のコルタデルソル(太陽海岸)らしい海辺の絵なのだろう。
ここまでの写真の日付が4月20日になっていますが、20日の朝だとすると、日の出早々に裸で海水浴!? 私たちの影も東の海側に伸びていて不可解。実際には前日の4月19日夕方に撮った写真なのに、時差の関係でカメラの時間設定にずれが出たものと判断して、4月19日夕方としました。 6日目:4月20日(木) 朝暗いうちに朝食をとって、7時30分ホテルを出発、10分もするとトレモリノスの海の上に陽が昇ってきた。トレモリノス浜辺沿いに連続して建てられた葦屋根のビーチパラソルと日の出を組み合わせた写真は、山の上に登る日の出を見てるみたいで面白い。
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(スペイン語: Jerez de la Frontera)は、スペイン・アンダルシア州カディス県のムニシピオ(基礎自治体)カディスから約37km北東の内陸に位置する。シェリー酒(スペイン語: Vino de Xerez、ヘレスのワイン)とフラメンコで知られている。 旧石器時代から人が住んでおり、3000年前にはタルテソス人が居住していた。「ヘレス」の名はフェニキア語の「セレス」(Xeres)に由来する。のちにローマ化され「ケレト」(Ceret)と呼ばれたが、ローマ時代の町の場所は不明である。 ツアーの計らいで、ワイナリー迄このミニトレンに乗せてもらった。
右の二枚の写真も同じページに貼ってあるのでワイナリーでの写真と思われ、上は円形貯蔵庫の屋上からワイナリー工場を撮ったもの。立派な教会も写っている。スペインではどこの町でもこんな立派な教会が見えていた。 下の写真には「SALIDA」とあるのでワイナリ出口?
セビリアはスペイン南部に位置するアンダルシア州の州都です。フラメンコの本場として有名な街で、特にトリアナ地区が知られています。この街の有名な歴史的建造物には、ムーア人の王朝ムラービト朝時代に建てられた華麗な装飾のアルカサル城、18 世紀に造られたマエストランサ闘牛場などがあります。ゴシック様式のセビリア大聖堂にはクリストファー・コロンブスのお墓、モスクのミナレットを改築して鐘楼にしたヒラルダの塔があります。 広い道路の両側に元宮殿だったかもと思われるような建物と何の木か落葉樹の並木が立ち並んでおり、路面には木陰がくっきりと写っている。車が片側だけに駐車しているのも気になる。 街には時々馬車が通り過ぎていった。観光客や一般市民のためのタクシーの役目をする交通機関になっていた。
8世紀から、西カリフ帝国の政治経済を担う存在として歴代カリフに厚遇され、約700年間にわたりその地位が保たれたユダヤ人の、メスキータ北西に広がるかつての居住地域です。 15世紀のレコンキスタ完了後、カトリック国家のスペイン統一により、財産を没収されて追放されたため、現在は地域名だけが残され、公開中庭や、ショップ、レストラン、ホテルなどとして、観光客で賑わっています。 旧市街を歩いていくと、古い建物の上に立派な塔が聳え立っていた。ヒラルダの塔と説明された。 スペイン南西部の都市セビリアにあるセビリア大聖堂に付設する鐘楼。イスラム教徒支配下の12世紀末にモスクの尖塔として建造。後に現大聖堂の建造にあわせて尖塔を増改築し、高さ約98メートルの鐘楼になった。
大陸を発見したコロンブスとゆかりの深いスペイン南部の都市セビリアは、8世紀にイスラム教徒に征服され、レコンキスタにより再びキリスト教徒が奪還した歴史を持つアンダルシアの州都。街には2つの文化が融合した建築群が見られ、壮大な規模を誇る「大聖堂」、イスラム風の「王宮アルカサル」、新大陸発見当時の貴重な史料を所蔵する「インディアス古文図書館」が世界遺産に登録されています。 なかでも大聖堂は、レコンキスタ後の15世紀から約120年の時をかけ完成した、ヴァチカンのサンピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ巨大な建築物です。奥行116m、幅76mという幅広の形はモスクの跡地に建てられたことを物語り、街のシンボルにも観光の目印にもなっている高さ98mのヒラルダの塔は、モスクの尖塔を鐘楼に転用したものです。内部には塗装に大量の金が使われた木製祭壇があり、中央にはキリストではなく聖母マリアが鎮座しています。マリア信仰が盛んなスペインでも、その中心地であったセビリアらしい独特の文化です。また、袖廊の右側には4国王に担がれたコロンブスの柩があり、この街の黄金期を偲ぶことができます。 大聖堂は規模もさることながら、完成までに要した約1世紀という歳月に圧倒されます。イスラムのなごりと、ゴシックからルネサンス様式まで見られる大建築は、イスラム文化の中心地からレコンキスタを経て、異文化がとけ合ったセビリアの街の魅力そのものです。
アルカサルは、スペインのセビリアにあるスペイン王室の宮殿である。14世紀、カスティーリャ王ペドロ1世の命により、イスラム時代の宮殿の跡地にムデハル様式で建設が始められた 。グラナダのアルハンブラ宮殿を意識した構造になっている。15世紀から16世紀にも増築されたため、ゴシックやルネサンスなどの様式も混じっている。セビリアにある世界遺産に登録されている建築物の一つです。
アルカサルの更に南に歩いたところにスペイン広場があった。広場を囲む直径200mの半円形の建物があり、全体を一枚の写真に撮るのは難しそうなので、中央の玄関前から左半分だけを撮った。回廊の端に建つ高い塔がヒラルダの塔にも似ていて全体を引き締めている。手前の橋のかかる河も建物の内側に半円形に延びていて調和が良かった。 スペイン広場(Plaza de Espana)は、スペイン・アンダルシア州セビリア県セビリアの中心市街地にある広場の名称。元来は1929年にセビリアで開催された万国博覧会「イベロ・アメリカ博覧会」の会場施設として造られたもの。パビリオンとして建てられた広場内の建物は、セビリアをはじめアンダルシア地方の典型的な建築様式であるムデハル様式を取り入れたもので、両翼に半円形に延びる回廊と、スペイン各県の歴史的出来事を描写した壁面タイル絵が特徴的である。
各所の壁に、スペイン各県の歴史を象徴する事件を壁画にして展示していた。足元には、その事件が起こった都市の場所を示す地図があった。 中央の建物は、近くに寄って見ると塔のようにそびえ立って見えてとても立派な建物に見えた。
スペインでは、宗教(カトリック)に纏わる重要なお祭りがいくつかある。SEMANA SANTA(セマナ・サンタ/聖週間)は、そのお祭りの中でも、最も重要であり、またセビリアのセマナ・サンタは国内外に関わらず、そこにかける人々の熱意と優美さで知られている。セマナ・サンタは、その名の通り1週間行われるが、日にちは毎年一定ではない。春分の日から数え、最初の満月の次の日曜日がイエス・キリストが復活した日(復活祭、もしくはイースター。スペイン語だと、DOMINGO DE RESURRECCION)とされ、その日から1週間前の日曜日(DOMINGO DE RAMOS)から始まる。 {c.f.セビリア春の最大祭り、セマナ・サンタの魅力}
その後ろについて、色々と光る装飾を施したパソを多くの信者さんが担いで賑やかに通り過ぎていく。
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